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Bonjour!(てらこや新聞159-163号 秋・冬号 谷のコーナーより)

日焼け

この夏も、日に焼けてしまった。旅行やレジャーに出かけたのなら、日焼けもお土産の一つに入るだろう。皮がむけるほどなら、それも夏の思い出になる。しかし、残念ながらそうではない。日々の対策を怠って、肌色がワントーン濃くなったのだ。

世の中には日焼けが似合う人と似合わない人がいて、私は後者だ。色白というわけではないが、強い日差しや汗の影響で肌荒れが起こりやすい。そのせいか、日焼け止めクリームを持ち始めたのは同級生より早かったのかもしれない。全身真っ黒になっていたのは、小学六年生の夏までだ。それ以降はインドアスポーツに励んでいたこともあり、 ヒリヒリと赤くなった後に黒くなる日焼けは避けられなかった場合に限られている。

夏の終わりのお風呂上り、あまり日焼けしないももの内側に、年中日焼けしている右手をあてて、その色の差をまじまじと見つめる時がある。二十代の頃はこまめに日焼け止めを塗り直していたが、今はあの頃のようなストイックさはない。だからしかたがないと開き直りたい気持ちと、だからといって開き直ってはいけないという気持ちがせめぎ合いをする。日焼けなど気にせず夏を満喫したとは言いがたい感じを、私の肌色はよく表している。


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by terakoya21 | 2018-12-10 08:30 | 新聞最新号

Howdy?! (てらこや新聞159-163号 秋・冬号 竹川のコーナーより)

~ 美味しい秋 ~

ここ数年、「好きな季節は?」という問いには「春」があがる確率が高かった気がする。けれど、以前なら筆頭で好きな季節にあげていた「秋」も、やはり捨てがたい。

「○○の秋」とはよく言われるフレーズで、人それぞれで○○に入る言葉は違うだろう。「食欲の秋」とはちょっと違うかもしれないが、「食べること」というのはひとが生きていく上で欠かせないことの一つだ。日々、食事を作る世のお母さん(あるいはお父さん)は、特に子供に好き嫌いなく何でも食べて欲しいと思っているだろう。

かく言う私もその一人だ。私自身、小さい頃、なすびも、椎茸も苦手だった。それがいつの間にか大好きに変わったのは、何かのきっかけがあったから、というわけではなく、好き嫌いにかかわらずずっと食卓に登場したそれらの入った料理を食べ続けることで、味や食感に慣れたか、あるいは、ただ単に年を重ねて味覚が変わったから、ということなのかもしれない。

息子も案の定(?) なすびも、キノコ類も苦手になっている。それでも、外では「ちゃんとしなければ」と思っているようで、給食に出てくるなすびやキノコは残さずしっかり食べているらしい。「給食のなすびやキノコは美味しいけど、お家のは…」などとのたまって、火に油を注いでいる。

「秋」という季節には関係なく、どうやって家でも 気持ちよく(←ここが一番重要なところかもしれない(^_^;)苦手なものを食べられるように仕向けるか、 いろいろ試行錯誤の日々だ。

私自身は、ごはんをより美味しく食べられるかな、という理由から、今、「おひつ」を買おうか買うまいか、思案の毎日を送っている。

(K.T.)



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by terakoya21 | 2018-12-09 08:30 | 新聞最新号

宇治だより(てらこや新聞159-163号 秋・冬号 下西さんのコーナーより)

宇治だより④
「宇治茶の郷巡り」の巻

宇治の5月は、御茶摘みや新茶製造・販売で大忙しです。忙しいのは、もっと早くからで、4月頃から御茶摘みさん募集の求人広告が出回ります。茶葉の摘み取りは、多くが機械になっていますが、宇治ではまだまだ手摘みの高級茶が生産されています。

4月初めころから、茶畑の多くは、黒いシートに覆われます。宇治の風物詩というべきもので、新芽が出るころを見計らって、日差しを避けるためのこの覆い(主に寒冷紗)がなされます。かつては宇治だけに許された「覆下茶園」で、「かぶせ茶」といわれるゆえんです。たまに「本ず」といって、ヨシズとワラを使った昔ながらの「覆下茶園」を見かけることもあります。ここは、最高級のお茶を生産中。

夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る……♫今年の八十八夜は、5月2日でした。毎年八十八夜に当たる日、宇治市では「八十八夜茶摘みの集い」が行われます。

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府立茶業センター(宇治市白川中ノ薗)にて、茶畑で茶摘みを体験しました。覆下の茶畑の畝に分け入って、新芽の3~5枚を指で摘まみ折ります。新芽(一芯ニ葉)の付け根には「霜かぶり」と呼ぶ小さな葉があり、その葉を目安に、その上を親指と人差し指で折りとるわけです。茶摘みは、初心者でもできる容易な作業ですが、仕事として終日続けるのは、容易ではないでしょう。

この日体験できたのは、「やぶきた」という品種でした。両手一杯ほどの茶葉は、その日の夕食で天ぷらになりました。

摘んだばかりの新芽はすぐに蒸され、蒸した茶葉の手もみ体験もできました。蒸された茶葉は、下から炭火で適度にあぶり、乾燥させながら茶葉に縒りを付ける青製煎茶法で、大層な手間であることを知りました。ちなみに、蒸す時間が長いと深蒸し茶になるわけで、宇治茶は短時間でむしあげて、香りと色を楽しむことができるとのこと。

府立茶業センターは、茶園の外に製茶機械もあり、機械での製茶工程も見学できました。煎茶の新茶もいただき、また碾茶用の茶葉を使った水出し緑茶も頂きました。

宇治茶会館(宇治市折居台)では、碾茶を石臼でひく体験もできました。碾茶の姿を初めて見ました。煎茶と違って、板ノリをほぐしたような形状。

一口にお茶を飲む、と言っても人それぞれの光景が浮かびます。ズパッ!とペットボトルのキャップをひねって、コップに注ぐお茶。急須に適温のお湯を注ぎ入れ、茶葉を蒸らしてから注ぐお茶(煎茶)。茶碗に抹茶を少々入れ、お湯を入れて茶筅でシャカシャカ泡立て飲むお茶(薄茶)。抹茶茶碗に抹茶をたっぷり入れ、少々のお湯を入れ茶筅でゆっくりと練ったものをすするお茶(濃茶)。


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宇治では、それぞれの好みのお茶にまつわる場所があり、絶景があります。

室町時代から江戸時代の「宇治茶」は、碾茶であり、御茶壷道中で運ばれる権威の象徴的な、贅沢品でした。「御茶師」と呼ばれる人々がコーディネーターとして、将軍家や諸大名の用命を引き受け、「茶壺」を仕上げていきました。茶壺には、 最高級の何種類かの碾茶(濃茶用)が小さな袋に入れられ、その小袋を守るかのように詰められる碾茶が、薄茶になりました。宇治橋通にある「宇治・上林記念館」では、御茶師の家に伝わる茶壺や茶器・文書などが展示してありました。先ずは 茶壺の立派なことに驚き、宇治の茶師の権威に頷かざるを得ません。

黄檗宗(おうばくしゅう)(まん)(ぷく)寺門前(じもんぜん)には、「(こまの)(あし)(かげ)(えん)(あと)()」があります。  碑には、「(とがの)()尾上(おのえ)の茶の木分け植えて あとぞ生うべし駒の(あし)(かげ)」とあります。栂尾のお茶の木を宇治にもたらした明恵上人は、宇治の村人に、馬が歩む足跡に沿ってその間隔に茶の種を植えればよいと教えた、とのこと。

萬福寺(宇治市五ヶ庄)は煎茶のゆかりの寺です。江戸初期に開山の隠元が煎茶道の開祖といわれ、江戸中期には煎茶を広めた「売茶翁(月海)」ゆかりの寺でもあります。売茶翁は禅僧がお布施のみで生きていることを潔しとせず、茶道具を担いで市中に出て、お茶(煎茶)を振舞い、喜捨にこたえたとのこと。手軽に飲める煎茶が一気に普及したと言われています。萬福寺は、中国風の外観が特徴ですが、総門の扁額には「第一義」の文字が掲げられていました。

江戸時代中期からは、煎茶が普及し始め、抹茶より 手軽な煎茶が「宇治茶」ブランドに加わります。永谷宗円が普及させたという「青製煎茶法」、つまりお茶の色が「茶色」ではなく「黄緑っぽい色」になる煎茶の作り方が普及します。永谷宗円は現在の永谷園のご先祖様だそうです。永谷宗円の生家は再建されました(宇治田原町湯屋谷)。また。宇治の煎茶を江戸で大いに売ったのが山本嘉兵衛、山本山(株)のご先祖様です。

明治時代に、外国との貿易で外貨を獲得するために貢献したものの一つが、お茶でした。お茶は加工方法で、日本茶にも紅茶にも中国茶にもなりますから。

木津川市山城町上狛に600m程の道沿い一帯に「上狛(かみこま)茶問屋ストリート」があり、最盛期には120軒の 茶問屋があったとか。今でも40軒ほどの茶問屋があります。

山城一帯のお茶は、交通の要衝である上狛に集められ、加工精製され、木津川の水運を利用して、神戸港に送り出されました。そして、神戸港から世界各地へ。

問屋ストリートとして街並みが整備されていますが、その中心のひときわ大きな看板が、あの「福寿園」でした。いつの間にかペットボトルが幅を利かす時代になって、「福寿園」の「伊右衛門」は、見事に時機を得た 商品です。

ペット茶と言えば、京都府茶協同組合が販売している碾茶入り「宇治茶」というペット茶があり、府内の観光地には自販機もあります。500ml入り160円とちょっと高めですが、正真正銘の宇治茶。ラベルには「源氏絵」が転写されています。

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宇治茶の郷・宇治田原町や和束町では、山なりの茶畑が見られます。山肌一面の見事な茶の木の畝は、絶景です。

一方、珍しく河原にも茶園があります。八幡市(こう)津屋(づや)には、木津川の河川敷に「浜茶」と銘打った茶園があります。そして、この辺りに上津屋橋、別名「流れ橋」が架かっております(全長356.5m・幅3.3m)。

流れ橋とは、川の増水時に橋板が外れる構造になっています。欄干がなく、木製の橋桁に橋板が乗っかっているシンプルな橋で、人と二輪車くらいが通れる橋です。昨年9月にも、台風21号の大水で、見事?橋板が流され、6月にやっと復旧しました。ちなみに、橋板は頑丈なワイヤーで橋桁と繋がれており、外れても遠くに流れないようになっています。

この流れ橋は、時代劇のロケ地としては有名な場所で、最近の映画「超高速参勤交代」でも、佐々木蔵之介さん(殿様役)が渡っていました。


先日、NHKの番組「ブラタモリ」でも宇治と宇治茶が取り上げられました。冒頭に茶店「(つう)(えん)」が登場。広辞苑の「通円茶屋」の項にも、「茶人通円が宇治橋東詰で茶を売っていた店」とある老舗です。宇治橋東詰に店を構え、代々「橋守」を自認しているこの家の歴史をたどれば、源頼政の家来として橋合戦に参戦したとのこと、恐るべし、京都…。


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by terakoya21 | 2018-12-02 08:30 | 新聞最新号

お知らせ (てらこや新聞159-163号 秋・冬号より)

≪ 年末年始のお知らせ ≫

1229()13() お休み となります。(振替授業はありません。)

1228() 10時より

 寺子屋大掃除&参加者対象 忘年会 をします。
 「手伝ってあげよう!!」という皆さんの参加を待っています。

当日は、大掃除後にピザ&ケーキが出ます♪

参加希望の寺子屋生は、事前に講師へお知らせください。


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♡ 昨年の掃除の様子です ♡

今年も残すところあと1か月となりました。

皆さん、もうひと頑張りしましょう☆

本日もどうぞよろしくお願いいたします。

12月開講講座 本日締め切りです。

178.png ご案内中の12月開講の講座 178.png

173.png小学1年生講座 



173.png 小学2,3年生講座



173.png 小学4年生講座

173.png 小学5年生講座




173.png 小学6年生講座


179.png セントヨゼフ女子学園受験応援講座




冬期講習を現在計画中です。

179.png 寺子屋では、季節講習はほとんどがご要望を受けてからの計画となります。179.png

11月の中間、期末試験が終わってから始まるものと冬休み中開講のものとありますが
どうぞお気軽にご要望をお寄せください。

また、小学生講座のご案内を始めていますが、特にご希望の曜日がある場合は
お早目にお知らせください。 なお、小学生講座は現在木曜日がほぼ満席となっていますので
木曜日の講座の新規開講はできません。どうぞご理解とご協力をお願いいたします。

寺子屋かめい
松阪市内五曲町31-4
tel/fax 0598-21-0148
email: terakoya@poppy.ocn.ne.jp

通年、日曜日と月曜日にお休みをいただいています。
お電話でのお問い合わせは、火曜日~土曜日の14時以降21時ごろまでにお願いいたします。

(Y.K)






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by terakoya21 | 2018-12-01 08:30 | 新聞最新号

まえがき (てらこや新聞159-163号 秋・冬号)

“Luck is a Matterof Preparation Meeting Opportunity.
~幸運は準備とチャンスが出会うことをいう~

オプラ・ウィンフリーの言葉だそうです。

今年も受験シーズンが始まっています。受験は大切な人生の岐路ではありますが、長い人生を考えたら、単なる通過点。「焦らず、驕らず、怠らず」平常心を忘れずに取り組んでほしいと思っています。

私たちも気を引き締めて臨みます。どうぞよろしくお願いいたします。 (Y.K)

*しばらくお休みしていた「てらこや新聞」11月に発行できました。 少しずつこちらでもご紹介していきます。



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by terakoya21 | 2018-11-30 08:30 | 新聞最新号

I Love Books! (てらこや新聞150-152号 たけがわのコーナーより)

BOOK84原田マハ

「いちまいの絵 
生きているうちに見るべき名画」
(集英社新書)

「○○の秋」に当てはまる「○○」は、人それぞれ違うことでしょう。私自身は、「○○」に当てはまるものがない今年の秋…特に何もしていないなぁというのが、悲しいけれど実情です。

今回ご紹介するのは、このコーナー初めての 新書ですが、作家はよく登場している原田マハさんです。ニューヨーク近代美術館に勤務経験のある原田さんが選ぶ名画を紹介しています。

原田さんが選ぶ名画の中には、私の知らないものもありましたが、作品とともに、その芸術家の 簡単な略歴や解説が書かれていて、なぜ原田さんがその絵を名画に選んだのかについて、それぞれ説明してくれているので、とてもわかりやすい絵画入門書のような一冊になっています。簡単ながらも、芸術家の気質や性格などを知った上で絵を見ると、最初に見たときとはまた違う見方ができて、受ける印象も変わり、とても楽しい絵画巡りができたような気がします。

興味をそそられる展覧会はいくつかあるものの、名古屋にすらそうそう行けない私が、展覧会を見に東京にまで行くことはほぼ不可能です。「あぁ…また今回も行けなかった」と、意中の展覧会がまだ開会中でもすでにそう思っている私ですが、 今回ご紹介する本でひとまず満足しています(^_^;。いつか実物を見る機会に恵まれれば良いなぁ…と夢見ていられることもまた幸せなことかもしれ   ません。

( K.T.)



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by terakoya21 | 2018-02-26 08:30

宇治だより (てらこや新聞150-152号 下西さんのコーナーより)

宇治だより②
「天王山から光秀首塚までをウロウロの巻」

6月16日天王山(京都府乙訓郡大山崎町)に登ってきました。

あの天王山、1582(天正10)年本能寺の変の後、明智軍と秀吉軍が戦った山崎の合戦の舞台となった場所です。けっこうな山道でしたが、高さはたった270m。「年ごろ、おぼしつること果たしはべりぬ。」(宿願達成)の心境です。

光秀は…西国から駆けつけてくる秀吉軍を迎え撃つには山崎のあたりが最適と考えた。そこは、京・大坂のほぼ中間点であり、天王山と淀川とにはさまれた隘路(あいろ)となっていて、防戦するにはもってこいの地形だったからである。実際の山崎の戦いといわれている両軍の激突は十三日であるが、その前日、早くも山崎周辺では両軍の先鋒同士の小競りあいははじまっていた。…いよいよ合戦当日である。光秀は下鳥羽(しもとば)から御坊(おんぼう)(づか)に本陣を移し、天王山麓を進んでくる秀吉軍に備え、円明寺川の自然堤防背後の低湿地に布陣した。【小和田哲男著『明智光秀と本能寺の変』(PHP文庫)】

京都府(山城国)と大阪府(摂津の国)の境に位置するの山崎・天王山は、桂川・宇治川・木津川の三川が合流して淀川となる付近に面しています。そして、対岸は(いわ)清水(しみず)八幡(はちまん)(ぐう)のある男山(八幡市)です。

狭い平野部分に、JR京都線(東海道本線)、東海道新幹線、阪急京都線、国道171号(旧西国街道)、など幹線がひしめく交通の要衝です。明智光秀が、中国地方から戻ってくる豊臣秀吉軍を待ち伏せするのに最適な場所でした。

天王山にはいくつかのハイキングコースがありました。その一つは、JR山崎駅近くの登山口から始まります。チェックポイントもいくつかあります。まずは宝積寺。ここは山崎の戦いでは秀吉が本陣を置いたところです。山門には「金剛力士像」が立ち、秀吉が一夜で建てたと伝わる「三重塔」、秀吉が腰かけたといわれる「出生石」もありました。一説では山(さき)(しろ)一部(いちぶ)にもなったとのこと、境内(けいだい)(ひで)(よし)()くしです。

六合目(ろくごうめ)あたりに青木(あおき)()(だに)展望広場があり、ここから大阪平野が一望できます。うっすらと大阪城らしき形を認めることができました。

七合目あたりには(はた)立松(たてまつ)展望台があり、ここからは天王山の戦いで、両軍が布陣した「地図」が掲示されていました。旗立松とは、山崎の合戦のおり、秀吉がその存在を示すべく千成ひょうたんの旗を掲げた場所にちなんでいます。

眼下の風景は、縦横に立体交差した道路や鉄路がみえて、ジオラマのようで、ダイナミックですが、往時の光景を想像するべくもありません。実際の合戦場も展望台から目星を付けることができました。

山中にある(さか)(とけ)神社(じんじゃ)の脇を通って天王山山頂です。ここは山崎城跡でもあり、秀吉が大坂城に移るまでの短期間、本拠としていました。

山頂と言っても展望がきくわけではなく、城跡と言っても山城研究家ではないので城の縄張りを思い描けるではありません。が、天王山山頂の標識の前に立つと、歴史の舞台に来れた!という感慨がこみ上げてきました。

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平日だったので、登山中に出会った人は十名くらい。歴史的な地を踏破する目標を持った人、トレーニングのために日常的に登っている人、さまざまなハイキング模様でした。

ハイキングコースの途中には、「秀吉の道」と題する陶板絵図六枚が、点在しておりました。原画は日本画家・岩井弘により、解説文は堺屋太一によるものでした。「本能寺の変」「中国大返し」「頼みの諸将来たらず」「天下分け目の天王山」「明智光秀の最期」「秀吉の天下人への道はここからはじまった」というテーマで、戦国時代絵巻が繰り広げられていました。

ここに来るまで、山崎の合戦は天王山の山中で行われたと思い込んでいました。山道を歩きながら、6月の暑さの中、鎧兜のいくさ支度では歩くだけでも大変…と思っていましたが、それは大間違いで、天王山は秀吉が陣地を構えた場所で、実際の合戦は、平野部で行われた…ということを、堺屋太一さんの文章で知りました。

光秀の敗走について、小和田哲男さんは著書『明智光秀と本能寺の変』(PHP文庫)で、次のように述べています。



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光秀が、勝竜寺城を脱出したあと、つぎにどのような手を考えていたのかはよくわからない。ただ、このとき、(しょう)竜寺(りゅうじ)(じょう)を出て、下鳥羽に至り、さらに大亀谷を経て山科(やましな)小栗栖(おくりす)に至っているので、近江方面をめざしていたことが考えられる。(略)小栗栖の竹藪を通過中、落ち武者狩りをしていた農民のくり出した竹槍で光秀が殺されたとき、側には、近親の溝尾庄兵衛ら五,六人しかいなかったといわれている…

7月27日、明智光秀の最期を遂げた場所といわれる「明智(あけち)(やぶ)」(京都市伏見区)に行ってきました。本経寺の裏側にあたり、細道に連なっている民家が途切れた場所から、もっと細い小道を「明智藪」の標識に導かれて歩きました。ほの暗い小道に藪蚊を手で払いながら歩くと、「明智藪」の駒札(説明書き)がありました。ここは、四百年以上も前に、本当に光秀がこの道を通ったのかもしれないと、思い浮かべることができるそうな不穏な場所でした。(ここの住人には失礼かもしれませんが。)


京都市東山区梅宮町 (三条通白川橋下ル東側)に明智光秀の塚(首塚)があります。地下鉄東西線東山駅で降り、白川に沿って南に(知恩院の方へ)5分くらい歩くと、半間ほどの小さい(ほこら)が見つかりました。祠には「光秀公」と書いた扁額がかかり、ちっぽけな五重の石塔があり、戒名が刻まれた石柱もありました。8月10日に訪ねたので、ちょうど数輪の桔梗が咲いていました。白川沿いの小道は柳の木が枝葉を風になびかせ、気持ち良い散策道になっていました。塚の近くに「(もち)(とら)」というお菓子屋さんがあって、「光秀饅頭」を売っていました。光秀の桔梗の家紋の焼き印を押したまんじゅうは、白みそあんと粒あん、両方ともおいしかった!


塚については、いつ建ったのか、だれが建てたのか、どうしてこの場所なのかは判然としません。駒札には、最期を遂げた光秀に、「家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝えられている」と書かれていました。

「天王山に登りたい」から始まった散策は、図らずも光秀のその後をたどることになりました。信長を倒した反逆人・明智光秀は、江戸時代に入って密かにではありますが、きちんと弔われていました。


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by terakoya21 | 2018-02-25 08:30

まえがき (てらこや新聞150~152号より)

The first and best victory is to conquer self.”
まず自分に打ち勝つことが、最善の勝利である。


プラトンの言葉です。

今年も受験シーズンが始まりました。受験は生徒たちの自分との闘いです。その闘いを乗り越えられるための訓練が日頃の学習です。

模試の結果や判定、そして、人と比べたり、先生の一語一句に一喜一憂したりする生徒や親御さんがいますが、それを含めて自分との闘いです。

私たちは、私たちがすべきサポートをしながら、見守る姿勢を続けたいと思っています。春に、彼らの努力に見合った花が咲くことを祈りながら。

今年ももう少し、どうぞよろしくお願いいたします。 Y.K


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by terakoya21 | 2017-12-30 08:30

あとがき (てらこや新聞147-149号 より)

「てらこや新聞」147-149号の発行です。連続する合併号、そして今回は 3号合併です。忘れず原稿を送ってくださる連載のみなさんに感謝いたします。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

夏休みが終わりました。

昨年の秋から、増え続ける仕事に、あまり深く考える時間もないまま、気が付いたらまた夏を迎えていました。そして、この夏は公私ともに考えさせられること満載の夏となりました。

寺子屋かめいを初めて18回目の夏ですが、 初めてもう少し夏休みが続いてくれることを願いました。こんなに忙しく、体力の衰えを思い知る夏なのに、もう少しだけ夏休みを続けさせてほしいと願うことが何度かあったのです。

それは、成績が悪くても、態度が少し悪くても「学ぶ」ことを素直に欲している生徒たちが多かったからです。そして同時に、現代の子どもたちの「学び」を阻むものはやはり、大人の思い込みだと感じました。

「学習」に大切なのは、「学習姿勢」であることを忘れないでほしいと思います。その次に 態度・・・。そう思います。子どもたちが「やる気」がないのではなく、どこから始めればよいのかわからずに途方に暮れていることが多く、そして、次から次へと課題を与えたり、 「文武両道」の掛け声のもと、何もかもを欲する大人たちにせかされ続けたり、「やる気」を出すことが憚られることが多いのかもしれません。

私は生徒たち皆にとっての新学期が始まった91日を、父の墓参から始めました。父が  私に口を酸っぱくして言い続けた

Teaching is learning. 教えることは学ぶこと

心にしみる今日この頃です。おそらく子育ても同じです。子どもたちを育てることにより、 私たち大人も成長することを忘れずにいたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願いします。

(Y.K)


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by terakoya21 | 2017-11-28 08:30 | 新聞147-149号

Howdy?! (てらこや新聞147-149号 竹川のコーナーより)

~ 夏休みの終わりに ~

9月で息子は6歳になる。

昨年の同じ時期のこのコーナーの書き出しも、年齢が違うだけで文面は同じ…。原稿提出締め切りがとっくに過ぎて、苦し紛れの書き始めになっている。

幼稚園生活最後の長い夏休み、お盆に数日、自宅から車で5分ほどの主人の実家に里帰りすることと、主人の趣味で夏休み最後の週末に鈴鹿サーキットにカーレースを観戦しに行く以外は、これといって大きな旅行の予定はなかった。

けれど、連日、炎天下の公園遊びに付き合ったり、寒天デザートやお昼ご飯を一緒に作ったり、幼稚園のお友達と遊んだり、水遊びに付き合ったりと、自宅あるいは自宅近くで子供の遊びに目いっぱい付き合ってきた。

子供の遊びに付き合い、仕事もして、週に一度は家でぼぉーっと過ごす日をもうけないと体力的にかなりキツい高齢ママは、この原稿を急いで書いている間も「あと一週間で、やっと夏休みが終わる…」と二学期の始まりが、かなり待ち遠しい気持ちでいる。

息子は、「こんなに(無駄に?!)たくさん覚えている車種…何かに使えないのか?!」と思うくらい大好きだった車への興味が、昨秋のある日を境にぱったりと途絶え、今ではあんなに覚えていた車種も車の種類も、すっかり妖怪ウォッチとポケットモンスターに上書きされている。

来年の今頃は、小学校に入学し初めての夏休みの終わりを迎えているはず…。来年の夏休み、この小さな子供の興味は何にあって、無事に夏休みの宿題が終えられているのか、どんな夏を過ごしているのか、全く想像できない日々が、私にとっても楽しみだ。

そして、私もどれだけ体力がなくなっているのか、老眼は進んでいるのか…来年の今頃の健康面が、かなり気になっている(^_^;

*「てらこや新聞」147-149号は平成29年9月1日に発行されたものです。


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by terakoya21 | 2017-11-26 08:30 | 新聞147-149号

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


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