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あとがき (てらこや新聞2019年 春・夏号 より)

2019年の上半期が終わろうとしています。あわただしい6か月だったと言えば、あわただしく、一方でとても充実した6か月となっています。

このところ「てらこや新聞」の発行が34か月ごとになっていて、私自身、1つ1つの原稿を書き上げる間に時間があり、いろいろなことが身の回りでも世間でも起こり、考えを巡らせた結果となってしまっています。

今回は「まえがき」では、子どもたちの刹那的な学習への取り組みに、「寺子屋の日々」では、そんな風に日常的に刹那的なのに他から多くを求める若者の後ろにある社会や大人たちの様子に、「My song」のコーナーでは、そのとき起こっていた事件への人々の反応を見ながら、思ったことを書き綴ってみました。

「貧しい者とは、ほとんど何も持っていない人のことではなく、より多くを欲する人のことを言う」

―私の幼いころにはよく聞いた「分相応」「分不相応」という言葉―もう、死語でしょうか。

今、いる場所でできることから始める―そんな地道な一歩が見えない、踏み出せない若者―だけではなく―そんな人が増えているように思います。他方では、自分たちは安全な場所にいて、分析ばかりしている人も・・・。

日頃、自分には甘く、人に厳しい人たちが、何かが起こるとすぐ誰か悪者を見つけては、叩こうとする、、、そんな社会の在り方、それを容認する大人の姿は、若者にそして子どもたちにどのように映るのでしょうか。

人生いつでもやり直せる

自分次第

なんて、きれいごとを並べ立てながら、何かが起こると、「悪魔」だとか「一人で死ね」とか「老害」だとか「悪者」はどんな非難を受けてもどんな仕打ちをされても文句を言えないような主張をされる人々の発想は、いつも自分たちは「善人」で、「天使」で、「正義」であり、「加害者」にはならないと確信があるかのような言動で―人間の弱さや欠点を認めない。そんな世の中で、どんな風に「人生をやり直す」ことができると、私たちの未来である子どもたちが思えるのかと悲しくなることがあります。

「子供らを被害者に加害者にもせずに」

―子どもたちだけではなく、自分たちの愛する人々が被害者にも加害者にもならないために、まず何をすればいいのかを、大人たちは考えるべきなのに、加害者になってしまった人を追い詰め、また新たな加害者を作り出す社会になってしまっている―と感じることが増えています。そして、誰でも被害者だけではなく、加害者になるかもしれない危険があることに気づいていないのです。

被害者だけではなく、加害者にもさせてはならない―そう1人でも多くの大人が思えたら、だから、本当に小さな善意をいつも人に示せる人である人が1人でも増えたら、世の中変わるのに―と思うのです。

そして最後に「成功は決定的ではなく、失敗は致命的ではない」というまえがきの言葉へと戻ります。今、若者と話をしていて、私が一番気になるのは若い彼らに自分たちが正しい、自分たちはできるという根拠のない 自信はあるのに―これは、いつの時代も若者にはありがちな、私もかつて恥ずかしいほど持っていた自信ですが―「世の中を変えてやろう」とか「世の中変えられる」とか、その力を自分が持っているという自信は、皆無に近いということです。

1人ではどうにもならない

この職場では一生働けない

そんなん無理!無理!

そんな声を聞くたび、自分の若いころを思い出しながら、息切れを覚えます。本当に小さなこと、身近なことからも「自分が変えてやる」「自分が変えられる」そんな思いを持たずして、50年もの年月を過ごし、もし自分に合わなければ次があると信じて進み続けることは、私にはとても息苦しい生活の仕方だと思うのです。

もちろん、すべてのことが変えられるわけではなく、すぐに変わるわけはないのですが、若いころにその意気込みがなく、そのまま人生を受け入れることの方がかなりの忍耐と力が必要であることを―多くの若者が知らされずにいることを私は残念に思います。失敗は成功のもとであり、また成功は永遠に続くものではないことを、若者にいつも伝えながら、自分もあぐらをかく人間にはならない努力と心を大切にしたいと思っています。

さて、最後になりましたが、こんなに不定期の発行になってしまった「てらこや新聞」ですが、いつまでもご協力をいただけることを連載の方々に感謝したいと思います。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

そして、読者の皆さんも今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(Y.K)



by terakoya21 | 2019-08-18 08:30 | 新聞最新号

あとがき (てらこや新聞164-167号より)

2018年度は―気が付けば1年が過ぎていた―そんな感じだけれど、充実感のある1年でもありました。

Teaching is learning. 教えることは学ぶこと―

父がそう言い続けていた意味が身にも心にも響く日々です。

今年も寺子屋の受験シーズンが終わり、入学、進学に向けての準備が始まっています。今年の寺子屋の受験シーズンは忙しいものの、例年に比べて穏やかに進んでいました。

それでもバタバタと忙しない年度末に今年は、私だけですが、去年の教訓から1週間お休みをいただきました。

「母港としての母校」という言葉が以前、内田樹氏の本の中で出ていましたが、学び舎は、とりあえず「相変わらず」であることが大切で、そこに来たら若者がそれぞれに自分たちが進んできた道のりを振り返って今ある場所を確認できる場所であることが望ましいというような意味でしょうか。

私は、寺子屋が若者たちにとってそういう場所であってほしいと願っています。そして、私にとってテキサスの田舎がそんな場所の筆頭にあがる場所です。

16歳で初めて足を踏み入れた異国の地は、思っていた以上に暖かく素敵な場所でした。どちらかといえば、それからあとの母国の方が過酷でつらい場所だったようにも思えます。学生が母校を卒業後に出ていく社会のように…。そんな場所に1週間だけ戻らせていただきました。お土産話は、またの新聞の発行時にと思っています。

過酷な社会に立ち向かい、気が付くと自分の今の成長と位置を見失うことのある社会―そんな社会に出て戸惑ったり、悩んだときにふと立ち寄ると自分の成長や位置を感じさせてくれたり、教えてくれる場所―それが、私にとっては16歳から17歳にかけてを過ごしたテキサス州のド田舎なのです。

そして、寺子屋が、そして松阪が、寺子屋生にとってそんな場所であってくれたらと願い続けています。ときどき、またしょっちゅうお顔を見せてくれる卒業生たちにとってそんな場所になりつつあるのかなと感じさえてもらう度、うれしく思っています。

おかげさまで、201936日に寺子屋かめいも19歳を迎えました。皆様のご理解とご協力に感謝いたします。また、「てらこや新聞」も毎月発行は難しくなっていますが、毎回、素敵な原稿をお送りくださる連載のみなさんに感謝いたします。

これからもどうぞご理解とご協力をお願いいたします。             (Y.K)


*てらこや新聞164-167号は2019年3月15日に発行されています。



by terakoya21 | 2019-05-13 08:30 | 新聞164-167号

あとがき (てらこや新聞159-163号 より)

前回ゴールデンウィークを終えると…なんて書いていた編集後記―今回は、「今年も残り2か月となりました」と書き始める時期となりました。

もう、何をしているかはしっかりと確認しながら日々を過ごしているはずなのに、この5か月余り、何をしてきたのかは定かではありません。 笑

今年も残り2か月となりました―

今回、久々に小野君が投稿してくれました。「てらこや新聞」が不定期発行になっていて、いつ発行するかもわからない状態で記事が少なかったので、小野君に相談したところ数日で書いて送ってくれたのが、「マイ・ベストテン」の記事―秋休みの北海道旅行中に送ったと連絡をもらい、帰宅後、楽しく読ませてもらいました。

マイ・ベストテン寺子屋では、小学生の最初の授業で自己紹介をしてもらいますが、その中の参考項目(言うことが思いつかない人のために、また、基本的にこんなことを話せばいいよという意味もこめてのリストです)の中に、好きなこと、嫌いなこと、夢を含めています。

が、この項目、なかなか難しいようです。そして、好きな理由、嫌いな理由、または好きなものが私たちによくわからないときの説明などを求めても、小学生高学年の生徒にも難しいようです。

また、高校生などに好きなもの、興味のあるものを聞いても、「本当に好きなのか?」と疑問に思うほど薄い反応を見せる若者が多いというか、ほとんどです。

語ったところでわかってもらえない―と最初からあきらめている生徒も中にはいるのでしょうが、語る言葉を失っているのかもしれないと不安になることが増えています。

一方で、それは「夢」が幼い子どもたちから出てこないのと同様、大人のせいだなと感じることがあります。

幼いころから、現実的な勉強ばかりさせられて、大人から見たらばからしいと思うような 妖怪ウォッチやポケモンのキャラクター(?)の名前と秘密兵器(必殺技?)を半分聞いていないような大人や、「興味ないけど」という冷めた表情で聞くお兄ちゃんやお姉ちゃんに向かって延々と話す子どもが減っています。

それがなぜなのか、大人は胸に手をあてて考えてみてほしいと思います。小学生の将来の夢など実現できるかは二の次なのです。高校生になっても目標に変わらないのは問題ですが、夢を大きく、もしくは大人に理解できない形でも、持っているということは、興味を広げるもととなります。それが、勉強の話をさも楽しそうに語る少年、少女たちが必ずや通っている道であることを―知ってほしいと思います。今の子どもたちは、夢がないのではなく、「夢」の意味をしらない大人たちに囲まれて、「夢」を取り違えているだけなのです。

さて、私の好きなものベストテンは…

犬、馬、料理、読書、頭と体と口を動かすこと、ONEOK ROCKの曲、植物観察、一人でいること、学ぶこと、ドライブでしょうか。

それの理由について語ると紙面がなくなりそうなので、今回はこの辺で 笑 少しずつ語っていきたいと思っています。ただただ、幼いころから、私が学ぶ機会や発想の転換を地道に教え、暖かく見守ってくれた年長者の方々に感謝です。

さて、私たちの仕事に煩雑さが増し、今回も5月以来の発行となったこの「てらこや新聞」、原稿を送ってくださる連載の方々のおかげで、なんとか発行を続けていけています。いつもありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。      (Y.K)

*てらこや新聞159-163号は 2018年11月1日に発行されました。



by terakoya21 | 2019-01-20 08:30 | あとがき

あとがき (てらこや新聞147-149号 より)

「てらこや新聞」147-149号の発行です。連続する合併号、そして今回は 3号合併です。忘れず原稿を送ってくださる連載のみなさんに感謝いたします。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

夏休みが終わりました。

昨年の秋から、増え続ける仕事に、あまり深く考える時間もないまま、気が付いたらまた夏を迎えていました。そして、この夏は公私ともに考えさせられること満載の夏となりました。

寺子屋かめいを初めて18回目の夏ですが、 初めてもう少し夏休みが続いてくれることを願いました。こんなに忙しく、体力の衰えを思い知る夏なのに、もう少しだけ夏休みを続けさせてほしいと願うことが何度かあったのです。

それは、成績が悪くても、態度が少し悪くても「学ぶ」ことを素直に欲している生徒たちが多かったからです。そして同時に、現代の子どもたちの「学び」を阻むものはやはり、大人の思い込みだと感じました。

「学習」に大切なのは、「学習姿勢」であることを忘れないでほしいと思います。その次に 態度・・・。そう思います。子どもたちが「やる気」がないのではなく、どこから始めればよいのかわからずに途方に暮れていることが多く、そして、次から次へと課題を与えたり、 「文武両道」の掛け声のもと、何もかもを欲する大人たちにせかされ続けたり、「やる気」を出すことが憚られることが多いのかもしれません。

私は生徒たち皆にとっての新学期が始まった91日を、父の墓参から始めました。父が  私に口を酸っぱくして言い続けた

Teaching is learning. 教えることは学ぶこと

心にしみる今日この頃です。おそらく子育ても同じです。子どもたちを育てることにより、 私たち大人も成長することを忘れずにいたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願いします。

(Y.K)


by terakoya21 | 2017-11-28 08:30 | あとがき

あとがき (てらこや新聞145-146号より)

「てらこや新聞」145-146号の発行です。連続する合併号で申し訳ありません。そんな中、忘れず原稿を送ってくださる連載のみなさんに感謝いたします。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

先日、生徒が「私、カエルと話せるの」と言い出し、いろいろと話が盛り上がりました。

ブログにも書いたのですが、私はこのような子どもたちの話を信じています。今となっては自分でも本当かどうかがわからないけれど、自分にも幼い頃同じような体験があり、このようなお話は、子どもたちが「子ども」である証拠であると安心するお話だからです。

大人から見て、もしくは、ほかの子どもから見ても、「真実」かどうかはわからないけれど、当の本人にとっては「真実」であること―それを素直に「真実」だと信じられる心があること―それが子どもが子どもであり、純粋な心を持っているという証の 1つだと私は思うのです。

一方で、そんな子どものお話を、必要以上に一笑に付すことが、大人だけではなく、子どもたちにまで増えているように思います。「現実的」なのかもしれないけれど、「夢がない」というのか、世の中の事象を全て自分が理解できる、もしくは自分がいつも正しいかのように思っている子どもや大人が増えていることを反映しているように思えてなりません。

世の中には、私たちの想像や理解の及ばないことが多くあること、子どもたちが大人になる過程で、身をもって学んでいくことを私たちは今、忘れてはいないでしょうか。

子どもが子どもである時間は短いのです。 そして、その短い時間の充実がのちのちの彼らの人生に与える影響は大きいと私は思います。

子どもたちが、子どもである時間― その間に大人たちが彼らに伝えるべきこと、与えるべきものは多く、また貴重です。

子どもたちの可能性は無限大―だけれど、その「無限」にはだんだん条件がついていき、自分の「限界」を知るようになっていきます。「無限の可能性」を本当の意味で信じ、また同時にその「限界」についてもきちんと話をしてくれる大人が周囲にいるなら、 子どもたち自身が大人になる過程でその限界があるから頑張れることに気付き、自ら可能性を広げていけると私は信じています。

そして、私自身、そのために、今、私ができることは何なのか、いつも考える大人でありたいと願っています。

伝えたいことはたくさんあるのに、言葉が 見つからず、気付いたら、一文字も打つことのできないままPCとにらめっこする日が増えています。そんな自分の状況と反比例するように、生徒数が増え、思いが伝わっていると感じさせてくれる若者が増えています。

ただ、ただ目の前にあることに、懸命に取り組むことの大切さを若者たちに教えられる日々です。これからも、苦しみながらも言葉で綴ることも続けながら、努力をしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。 (Y.K)



by terakoya21 | 2017-08-15 08:30 | あとがき

あとがき (てらこや新聞143-144号より)

「てらこや新聞」143-144号の発行です。連続の合併号で申し訳ありません。そんな中、忘れず原稿を送ってくださる連載のみなさんに感謝いたします。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

さて、「寺子屋かめい」は、201736日に17周年を迎え、無事、18年目に入りました。少しずつ、いろいろな方にご理解をいただけるようになり、忙しく、また充実した日々が続いています。

が、一方で、どんどんと英語嫌い、英語苦手な生徒が増えているようにも思います。ただ英語が苦手、英語が嫌いというよりは、全体的に勉強は面倒くさく、英語は難しいものという固定観念を強く持った大人と子どもが増えているようにも思えます。

2017年度も、新しい小学1年生を受け入れていますが、彼らの様子を見ていると、もともとから「学ぶこと」が嫌いな子どもも、文句ばかり言い、すべてを人のせいにする子どももいないことを改めて、確認します。

「勉強が嫌いな子ども」も「無気力な子どもたち」も、社会が作り上げていくものなのです。大人が、「無理」、「無駄」という言葉を繰り返し、「忙しい」が言い訳になると思い込み、また、人の心を思いやり、受け止める余裕を失っている社会で育つ子どもたちは、気が付けば、学ぶことから遠ざかり、気力を失っていくように思います。

子どもは私たちの鏡です。

彼らが、勉強が嫌いだったり、無気力だったりするなら、私たちも何かに無気力であったり、日々の学びを大切にしていないのかもしれない―そう思って、深呼吸して、反省し、子どもたちに今、伝えるべきことを伝えられる大人でありたいと思います。

「大器晩成」 -Great talentsmature late

彼らの大きな才能、能力が長い時間をかけて開花していく準備をしている間、その開く日を信じて待つこと、そして、今、伝えるべきことを伝えることが、私たちがいなくなったときでも子どもたちが、私たちの社会を受け継ぎ、幸せに暮らすための過程には、必要であることを忘れずに・・・18年目の歩を進めていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

(Y.K)



by terakoya21 | 2017-05-14 08:30 | あとがき

あとがき (てらこや新聞141-142号 より)

「てらこや新聞」141-142号の発行です。合併号ですが、新春特大号とは言えない量になってしまいました。まずは、忘れず原稿を送ってくださる連載のみなさんに感謝いたします。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

さて、「てらこや新聞」は、文章を書くことがこれほど苦痛になる時が来るとは、思ってもいなかった12年ほど前、中学生、高校生の親御さんに読んでいただき、家庭での会話のネタに 少しでも上がればと願って、28歳で「寺子屋かめい」を設立し、33歳になって5周年を迎えた節目の年に、スタッフの協力を得て、発行し始めました。

今から考えれば若かった私は、溢れんばかりの理想と哲学に燃えていたように思います。

それから12年、仕事への思いが変わったわけではありません。そして、子どもたちを取り巻く環境が改善されたわけではありません。むしろ、彼らを取り巻く現状は過酷になっているようにさえ見えます。

ただ、40代半ばになった私には、現状を取り巻く環境と人々の言動に、自らの経験が加わり、迷い、戸惑うことが多すぎるのです。

Give a man a fish andyou feed him for a day. Show him how tocatch fish and you feed him for a life time.

―ある人に魚を与えたら、その日の彼のお腹を満たすことができるかもしれない。彼に、魚の取り方を教えたら、一生彼はお腹を空かせることがないだろう。

老子の言葉だといわれる言葉です。

教育は、彼らが社会で生きる術となりうることを教えること―でも、世の中は、その場しのぎを与えることに必死になっているように見える―

そう感じる度に迷うのです。その場しのぎの楽さに慣れている子どもたちにただ苦しみを与えているのではないかと・・・。

そんな迷いに出会うたび、卒業生が現れます。その苦しみは将来の「楽」を保証するものであることを信じて、今、嫌われることは、あとで憎まれることよりずっと良いことを思い出させてくれるのです。

まさに「継続は力」です。そして、教育は百年の計―

子どもたちは私たちの鏡、そして宝であること忘れず、今年も精進したいと思います。   
皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

(Y.K)


by terakoya21 | 2017-03-14 10:06 | あとがき

あとがき (てらこや新聞140号より)

*「てらこや新聞」140号は2016年11月15日に発行されました。

「てらこや新聞」140号の発行です。今年も残すところあと1か月半です。

私は12月生まれなので、私の中では1年が半月ほど早く終わります。そして、また、18年前の10月15日にアメリカから帰国したため、1年の反省を、例年10月半ばから始めますが…今年は、反省などしている気力もないまま、ただせわしなく過ごしていました。

が、11月末に、スピーチをするように頼まれ、「英語」や「日本語」について今まで考えていたことを少し整理する機会を与えていただきました。

今年度から、中学生以上の入塾受け入れに 制限を設けさせていただいています。

季節講習からの入塾か

在塾生もしくは卒業生の紹介による入塾以外の入塾を原則としてお断りする

というものです。そして、先日、2018年度から全面的に、高校生クラスは中学生のときから通ってくれている生徒のためのクラス以外の外部からの受け入れを停止することを正式に決めました。
いろいろ理由はありますが、主な理由は社会の英語への勘違いと私の考える塾の存在価値のための闘いをこれからも続けていこうと決めたからです。

私の日々感じている英語への勘違いと私の考える塾の存在価値については、これからの紙面で少しずつ詳しく話していくことにしますが・・・・ 「変革」の初年度の8か月ほどを過ごして、いろいろ見えてきたことがあります。

今、本気で努力をしなければ、後悔をすることになると今まで以上に感じています。

今年、ノーベル医学生理学賞を受賞されることが決まった大隈氏が、「役に立つ」という言葉が社会を駄目にするとおっしゃっていましたが…今、子どもたちは、「これを勉強する意義」や「役に立つかどうか」を何かを学習する前に、問うようになっています。

学校での勉強を含めて、幼いころや若い時の勉強のほとんどが、将来役に立つかどうかわからないから、勉強するものです。そして、今、役に立つかどうかわからないから勉強しないと判断することは、人生の多くとも5分の1ほどしか生きていない若者に、できるはずはないのです。

多くの場合、彼らが「役に立たない」とか「しない」と決めるものは、「めんどう」だったり、「したくない」ものなのです。「役に立つ」かどうかを考えるのではく、目の前のものを「役に立たせる」方法を考えられる 若者を育てていけるように努力を重ねたいと思っています。

これからもどうぞご理解とご協力をお願いいたします。
今月も最後になりましたが、連載の皆さん、いつも原稿をありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(Y.K)
by terakoya21 | 2017-01-03 08:30 | あとがき

あとがき (てらこや新聞138-139号より)

*「てらこや新聞」138-139号は2016年10月15日に発行されました。

「てらこや新聞」138-139号の発行です。 10月に入り、2学期の定期試験リレーが始まっています。

以前、数学の乗法公式や因数分解の範囲のテストを受けた後、娘さんたちが、

「お母さん、あの公式覚えていかな、あかんだんやって」

とお母さまに報告をして、お母さまは唖然…その報告をお母さまから聞いた私は、茫然(笑)…

幸い(?)彼女たちは、寺子屋の「英語講座」だけの受講生(笑)でも、彼女たちの英語の成績が伸びない理由が分かった気がしました。

「言われたこと」しかできない生徒が増えています。

…乗法公式を「覚えなさい」とあえて言われないけれど、公式というのは覚えるもの…という私たちの常識はもはや常識ではないのかもしれません。そして、「覚えなさい」と言われたとしたら、それはしっかりと覚えるけれど、「覚えるのみ」…それをどこに使うのか、使ったときの便利さに気付くことがない・・・という傾向が子どもたちの言動に顕著に出てきています。

子どもたちの公式を覚えるということとの最初の出会いは、「九九」といえるかもしれませんが、もうだいぶ前から、「九九」は覚えているけれど、使えない生徒がいます。

「ニイチガニ、ニニンガシ、ニサンガロク、…ニクジュウハチ」までいえるけれど…

2×9 =

の答えが出てこない・・・。でも、ニク? と読みあげると「あ、ジュウハチ」と言える―嘘のような本当のお話しです。

英語の13から19のスペルをするとき、13と15以外は、4,6,7,8,9にteenを付けるだけだよ…と言うと、「それ、はよ言ってよ、先生」と文句を言われる…最近始まったことではありません。

「言われたこと」しかできない生徒が増えています。

と、言っても、「言われたこと」が完璧にできるわけでもなく、成績が振るわない、そして、「先生がこう言ったのに」、「こんな問題出るなんて知らんだ」なんていう苦情が飛び出すのです。また、ほぼ完璧にできたとしても、学校のテストではそれなりの点数がとれるけれど、実力テストになると安定感がない…。

学習における工夫は、自分でするべきものです。「言われたこと」をしていても、成績が自分の努力に見合っていないのであれば、努力の仕方に問題があるのかもしれない―そう考えて別の見方ができるかどうかが、学校の成績に必ずしも反映しないかもしれないけれど、社会でしっかりと自分の足で立っていけるかどうかを左右していきます。

塾は、そういう助言をしながら、子どもたちの工夫の手助けをする場所だと、私は信じています。そして、この秋も、寺子屋の卒業生たちは、社会でしっかりと自分の足で立っていける若者に育っていると感じさせてもらっています。

子どもたちの周囲にいる大人の方々に、お願いです。子どもたちの学力低下は、自分たちの学力低下の鏡です。自分たちがきちんとできていたのであれば、自分たちの周囲の子どもたちは、きっとしっかりとできているはずです。そのことを心に留めながら、子どもたちの言動に心を配ってみてください。そして、批判する前に、彼らとともに、いまできることを考えてみてください。

新たな突破口が見つかるのではないでしょうか。

寺子屋かめいは、来年度を最後に外部からの高校生以上の入塾生の受け入れを停止いたします。もちろん、中学3年生まで通ってくれている生徒へは、ご希望をいただく限り、高校3年生の卒業まで対応させていただきます。じっくりと子どもたち1人1人と向き合って、彼らの選択肢を増やせる塾であるための決断ですので、どうぞご理解とご協力をお願いいたします。

さて、最後になりましたが、連載のみなさん、今月も原稿をありがとうございます。遅れがちの送付、また、こちらのスケジュールによる合併号の増加などご迷惑をおかけいたしますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

今月号は、卒業生のY君のコーナーが久しぶりに登場。これからもちょくちょくありそうな、予感がします❤ Y君、これからも どうぞよろしくお願いします。
(Y.K)
by terakoya21 | 2016-12-05 14:54 | あとがき

あとがき (てらこや新聞137号より)

*てらこや新聞137号は、2016年8月20日に発行されました。

「てらこや新聞」137号の発行です。今回は、久々に小野君から、そして、川戸さんからの2か月連続で原稿をいただきました。お二人から、物事の見方を変えてみると、新しく見えてくるものがあることを、改めて教えてもらったように思います。ありがとうございます。そして、相変わらず、発送が遅れがちなために特に連載の方々にはご迷惑をおかけしていますが、みなさん、今月もご協力をありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

さて、夏休みが終わりつつあります。もともと、大人にはあまりうれしくない夏休み、子どもたちにとってもこのところ年齢が上になればなるほど、「嬉しさ」の少ない夏休みとなりつつあるようで・・・気の毒に思うことがあります。

一方で、「休む」となったら、ダラダラと、またするべきことまで忘れて過ごす―休みになると「うっかり」の欠席が、予想をはるかにこえてあることに、ときどき首を傾げます。

「メリハリのある生活を」だとか、「規則正しい生活を」などという目標は、すでに「今は昔・・・」になってしまったのでしょうか。

生活の乱れ―

それは、子どもたちの学習の態度にも表れています。寺子屋は基本的に、複数人クラスでの授業―それに頻繁に堂々と遅刻する―。また、ほかの人が自分を待っていてくれるのに、集中して問題に取り組めない―。

学習の要は、「学習の姿勢」「態度」です。そして、その基本は普段の生活にあります。

朝起きる時間がいつかわからない。寝る時間を決めていない―生活のリズムが整っていないことは、学力に大きく影響を及ぼします。少々、ギリギリに起きて、慌てて学校へ行く生徒であってもかまいません。自分がどれくらいで学校や駅までたどり着くのか、何時までに学校や駅まで行きたいのかがわかっていて、逆算して自分で調節ができるなら、それは大きな問題ではありません。

が、中学生になっても、高校生になっても自分で起きることができず、自分だけのための課題やしなければならないことで、人を振り回し、また、人を巻き込むようなスケジュール変更を頻繁にしなければならない生活をしているなら、それは、「学力」に必ず現れているはずです。
今年の夏休みは、そんなことを例年以上に考え、実感する夏休みでした。

9月―学校の再開とともに、自分の習性や得手不得手を見つめなおして、自分たちのペースをつかむ努力をしてほしいと願っています。

私たちも、しっかりと夏休みの疲れを癒し、ペースを再確認したいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(Y.K)
by terakoya21 | 2016-10-03 08:30 | あとがき

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


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