私は、毎朝愛息ジョニーと散歩に出かけます。そして、出会う人出会う人とあいさつを交わします。ときどき、「交わす」のではなく、こちらが一方的にあいさつすることもありますが…。
先日、高校生とその「あいさつ」について 議論になりました。私たちは「あいさつをしよう」と教えられ、彼らは「あいさつをするな」と教えられて育った世代です。議論が巻き起こるのです。そして、彼の結論はこうです。「大人は自分たちで『あいさつをするな』と子どもたちに教えておいて、今度は『あいさつをしない』と怒る。変わらなければいけないのは子どもではなくて大人だ。」
先日来、シニアの生徒さんと「松阪市政」について語ることが増えました。松阪が私より若い新市長を迎えて1年が経ったからです。シニアの方がある機会に、「1年経ったのだから2年目は、雑務を副市長に任せて、是非広くなった松阪を歩いて周り、市民の小さな声を拾って下さい」というような趣旨のことを市長に申し上げたところ、「忙しいから無理です」との返事だったというところから始まったお話でした。この市長、「まっさかを変えなあかん」とどこぞで聞いたことのあるフレーズを捩ったコピーで「改革」や「しがらみのない政治」を旗印に昨年当選し、子どもの医療費の無料化、副市長2人制、借金時計など今までには松阪になかったものを採りいれようと頑張っています。そして個人的にはとても良い方であることはわかっているのですが、市長として、私にはなんとも薄っぺらい印象のある市長なのです。
この二つの話…私には共通点が見えます。人と人とのつながりが軽視されているという点です。確かに、変わるべきは大人です。そして、おそらく誰の手を借りても、政治の改革など、地方自治の改革など短期間で成し遂げられるものではありません。経験のない市長を育てるのも市民なのでしょう。
「あいさつ」は人のつながりの入り口です。「しがらみ」は人々の絆でもあるのです。
「しがらみ」を断つ…聞こえは良いのですが、「しがらみ」は本当に断つべきものなのでしょうか。しがらみを断つのではなく、うまく利用することはできないのでしょうか。
「しがらみ」とは、<1>水の勢いを弱めるため、川の中の杭を一定の距離に打ち並べ、柴や竹などをからみつけたもの、<2>まとわりついて、引き止めるもの。関係を絶ちがたいもの(大辞林)だそうです。<2>の意味でもある「まとわりついて、引き止めるもの」として捉えれば、英訳すると「obstacle」ですが、「流れを弱める」ものや「引き止めるもの」は、人生においても、社会の流れにおいても必要なものだと私は思います。ただ、正しいと信じることを貫く信念があれば、「しがらみ」を役立てることができると思うのです。
私は「自分にも厳しいけれど、人にも厳しい」とよく友人から言われます。それは、私には「しがらみ」が多くあるからです。自分にも他人にも厳しくないと、そのしがらみを乗り越えて、信念を通すことができないのです。また、おそらく、生徒たちにとっても私は、そんな大人ではないかと思います。でも、私は、「厳しい」=「優しい」だと信じていて、今、子どもたちはそれを迷惑だと思っていても(おそらく思っているでしょう)、そこにある「優しさ」に、いつか彼らが、自分で気がついてくれればよいと思えるから、この仕事を続けられるのだと思います。
最近、いろいろな報道や人々の発言を聞いていて、「自分に甘く、人に厳しい」人の多さに面食らうのは、そんな私だからなのでしょうか。そして、子どもたちの言動はその大人たちのあり方に大きく影響を受けているようです。「大人が悪い」と批判する子どもたち…まるで自分たちは関わりがないかのように「今の子どもたちは…」という大人たち…自分たちの足元が揺らいでいて、それを揺らしているのが自分たちだと気がついてほしいと思います。国が悪いと叫ぶ市長も、与党が悪いと主張する野党も、政治が悪いと信じている国民も、本をただせば、皆同じ、日本国民であることを、そして、市長を選んだのも、国会議員を選んだのも、今の制度を作り上げたのも、自分たちであることを今、社会の大人たちには気がついてほしいと思います。先日見ていたテレビの視聴者からの意見に「国民を越える政治家は生まれない」というものがありました。すべて私たちの責任です。自分の足元から、作りなおしてみませんか。そして、子どもたち、大人が悪かろうが、彼らの責任であろうが、次を担うのは自分たちです。大人のせいばかりにしていて、気がつけば、自分たちの乗っている船、国が沈没したら困るのは君たちです。私たち大人は、逃げ切ることもできなくはないのです。(-_-;)
今年は、受験生が多いせいか、気がつけば2月も半ば…。あっという間に過ぎた1ヶ月半を振り返ると、子どもたちに申し訳なく思うことが多くあります。それと同時に、私がするべき仕事がまだまだたくさんあることに、気付かされている毎日です。
そして、いつものように最後になりましたが、連載の皆さん、今月もありがとうございました。新年の特大号の発行が20日であり、2月が短い月であるため、3月まではドタバタの締め切りとなりますが、次々と届く原稿に、圧倒されながらも(自分の原稿ができていないとプレッシャーに…(~_~;))、感謝する日々です。ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。
(Y.K.)