人気ブログランキング |

<   2011年 09月 ( 38 )   > この月の画像一覧

てらこや日誌

普通って何だろう?

今日は、元寺子屋生の保護者の方と、
現寺子屋生の保護者の方と3人でランチに行きました。

そして、私が考えさせられたのが

「普通であること」

の意味・・・。

寺子屋を始めて12年目ですが、
私の「普通」は、多くの人にとって
普通ではないことを思い知っています。

かと言って、多数決で「普通」が決定されるわけでもなく・・・

自分にとっての『普通』を見つけることが
大切なのかなとも思います。

わが子を思う親御さんの気持ちも
生徒たちのことを考える学校の先生の気持ちも
痛いほどわかるような気がするけれど

私たちの立場はやはり「社会側」
将来、社会に出て行く子どもたちの姿をいつも
見つめながら、これからも努力をしたいと思っています。

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-09-30 17:03 | 日記

Hello, everyone! (てらこや新聞78号 コタニさんのコーナーより)

みなさん、こんにちは。このコーナーでは、私コタニが「お茶と茶道」の世界を紹介しています。2回連続でお休みしていましたが、今月号から元気に再開です!第4回目もどうぞ最後までお付き合いくださいね。

第3回では、織田信長や豊臣秀吉、千利休といった人物とお茶との関わりについて触れました。今回はその後のお話です。

精神面を重視した利休の茶、それを受け継いだのは彼の弟子たちでした。その中でも特に熱心で優れていた7人の名前を挙げましょう。

古田織部(ふるたおりべ 1544-1615)
細川三斎(ほそかわさんさい 1563-1645)
高山右近(たかやまうこん 1553-1615)
蒲生氏郷(がもううじさと 1556-1595)
牧村兵部(まきむらひょうぶ 1545-1593)
芝山監物(しばやまけんもつ ?-?)
瀬田掃部(せたかもん 1547-1595)

いかがでしょう?すでにご存知の名前もあったのではないでしょうか。

彼らは、みな武人でありながら茶人としても活躍したため、武将茶人と呼ばれます。また、後の茶道の世界では、彼ら七人をまとめて「利休七哲(りきゅうしちてつ)」という名で呼ぶようになりました。

「織部焼」で有名な古田織部は、茶道具に当時としては斬新なデザインを取り入れ、その作品は現在でも高く評価され、大切に保存されています。そして、蒲生氏郷は、松阪で知らない人はいないはず!ですよね。ご存知ない方のために、説明すると……氏郷は、松坂城とその城下町を作り上げ、現在の松阪の基を築いた人物です。秀吉の命により会津若松へと移ったのちも、千家との関わりは深く、徳川家康とともに千家の再興にも力を注ぎました。

家康により天下統一がなされ、江戸時代(1603-1868)に入ると、大名たちはこぞって茶の湯を行うようになりました。中でも、小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579-1647)、金森宋和(かなもりそうわ 1584-1656)、片桐石州(かたぎりせきしゅう 1605-1673)などの大名たちは、茶の湯にそれぞれの美意識を取り入れていきました。こうした江戸初期の茶の湯は「大名茶(だいみょうちゃ)」と呼ばれています。

茶の湯が、武家必須の礼法として大名や武士の間に大きな広まりをみせる一方、利休の茶は千家の子孫によって一般庶民へと伝えられていきました。

利休の死後、長男の千道安(せんのどうあん 1546-1607)と次男の千少庵(せんのしょうあん 1546-1614)は京から追放されます。道安は飛騨へ移り、少庵は会津若松にいる蒲生氏郷に預けられました。1594年、秀吉の怒りがとけ、千家の再興とともに、二人が京へ戻ることも許されました。そして、利休の実家にあたる堺千家を道安が、利休の旧宅茶室居を移した京千家を少庵が継ぐことになりました。

その後、少庵の子で利休の孫にあたる千宋旦(せんのそうたん 1578-1658)が千家(京千家)を継ぐことになります。宋旦は幼い頃から大徳寺で禅僧となるための修行に励んでいましたが、父の少庵を助けるために還俗の道を選びました。その後、宗旦はどの大名にも仕えることなく、わび茶をさらに徹底した「茶禅一味(ちゃぜんいちみ)」を唱え、現在まで続く千家茶道の基を築きました。

今回のレポートはここまで。千年以上の時を経て今に伝わる「お茶・茶道」、利休の茶を受け継ぐ人物がたくさん登場しました。第4回目のレポート、出来具合はいかがでしたか?ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせくださいね。

では、次回をお楽しみに…
See you soon♪

参考資料
茶道文化検定公式テキスト-茶の湯がわかる本- 茶道文化振興財団監修  淡交社 2008.9.27
学校茶道(初級編) 千宗室監修 (財)今日庵制作 2003.1.1
裏千家HP キッズページ
by terakoya21 | 2011-09-29 14:01 | Hello, everyone

スポーツのススメ (てらこや新聞78号 荒木先生のコーナーより)

~ 36th Ypao-Two Lovers 8.6M Ypao Beach Park ~

グアム恒例のマラソン大会である「イパオマラソン大会」に出場しました。

実はランニングは大嫌い。しかし、いつの間にか数km走ることが苦痛ではなくなってきたため、思い切って参加を決意しました。初のマラソン大会が海外だなんて、ちょっと贅沢だねと妻と話しつつ、内心はアップダウンのあるコースに不安がいっぱいでした。

大会コース概要としましては、グアムのタモン湾沿いにある【イパオ公園】から【ホテルロード】を経由して【恋人岬】で折り返しスタート地点に戻ってくるというコースです。グアムを旅行された方ならお分かりかと思いますが、ホテルロードはビーチ沿いにリゾートホテルが立ち並ぶ美しい街並み、そしてホテルロードの左右は起伏が強い坂道となっています。全長8.6マイルのコースです。

ちなみに1マイルは1.6kmなので、8.6マイルは13.76kmになります。

日本の慣れた道では15km程度走り込んでいましたが、初めて走るコースでしかも大勢の外国の方に混じって、いつものペースで走ることができるのか、それが難題でした。

そこで今回私が購入した秘密アイテムは、心拍計です。胸にモニターを装着して心拍を計測し、専用の腕時計にリアルタイムでデータが送られます。なんとこのモニターはGPS機能も付いており、走行距離も連動して見る事ができます。

つまり、「1kmを時速何キロメートルで走っているか。」を瞬時に知ることができ、またそれを「どの程度の負荷(心拍数)で走っているか。」を把握することができるという優れもの。記録は蓄積され、後で振り返り、パソコンでデータ管理することも可能です。

さて、早朝4時30分にイパオ公園で大会エントリーをし、5時30分スタートでした。

集まった参加者は、現地グアムマラソンクラブの面々や、私のような旅行者も合わせて300人超。まだ暗い中、ノリノリで一様にとても楽しそうでした。「みんなー!マイクがバナナを持ってきてくれたぜー!」と主催者が発表すると「イエーイ!!」と拳を高く振り上げて喜ぶ。給水をしてくれるエイドチームの方々も、何故かノリノリでした。通りに観衆がいたわけではないのですが、それでもエイドチームに随分励まされ何とかゴールにたどり着くことができました。

モニターによると、全体としていつもよりややハイペース気味ではあったものの、時々ペースダウンをして体力の回復を図ったり、一定の心拍数を維持して走るよう努めたりと、思考しながら走る楽しみを得ることができた有用なアイテムでした。そしてゴール後の参加賞には、マイクのバナナを美味しくいただきました。

結果は31位!インターネット上に順位が公開されますので興味がある方は覗いてください。

今回、初めてカーボローディングというエネルギー貯蓄法を実践してみました。これについてはまた次回。

(K.A)
by terakoya21 | 2011-09-28 14:02 | スポーツのススメ

お知らせ

秋期開講講座

小学生対象英語講座
<小学6年生> 
松阪市立中学校入学予定者対象

入学金 10,000円(寺子屋生兄弟姉妹入学金5,000円)

水・金曜日 6:00 ~ 6:50  50分授業 週2回 月授業料 12,500円 
(寺子屋生兄弟姉妹11,500円)

☆ アルファベット、ローマ字の習得や英語での簡単なあいさつ、自己紹介を習得することから始めます。アルファベットの 読み書き・英単語60~70個の習得・1日のあいさつ・名前、年齢、誕生日、好きなスポーツ、色、通っている学校などの自己紹介の習得が主な目標です。また、DVDなどを使ってリスニングの練習、日本語作文指導をできる限り採り入れた授業となります。
☆ 2012年1月より中学校の授業準備を始める予定です。
☆ この学年のクラスのご案内は今年度最後のご案内となります。

秋期講習 

中学2年生 数学講座  基礎   
入学金10,000円 (寺子屋生入学金不要)

日程:10月・11月・12月 
金曜日 6:45 ~ 8:00
75分授業 全9回  28,000円 (教材費込み) (寺子屋生17,000円)

☆ 方程式、文章題を中心に復習します。
☆ 時間が許す限り一次関数、一次関数の利用にも進みます(次回のテスト範囲です)。

セントヨゼフ女子学園受験応援講座&
高校生長文読解力強化クラス ご案内中!

寺子屋かめい
tel/fax 0598-21-0148  email: terakoya@poppy.ocn.ne.jp
お電話での問い合わせは火曜日から土曜日の14時以降でお願いします。

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-09-27 13:58 | 開講クラス紹介

上越だより (てらこや新聞78号 下西さんのコーナーより)

高橋あめやと十返舎一九

上越の土産物の決定版の一つは、「粟(あわ)飴(あめ)」や「翁(おきな)飴(あめ)」など関連の商品です。「粟飴」とは、餅米で作った水飴のこと、そして「翁飴」とは粟飴を使ったお菓子です。「粟飴」のルーツを訪ねると、高橋あめや(高橋孫左衞門商店)にたどりつきます。高橋家は、松平忠直に仕える武士でしたが、福井から主家(松平光長)に従って当地へきました。主家没落後、町人になって、寛永2(1625)年飴屋を開いたとのことです。創業400年近い老舗中の老舗で、当代の孫左衞門さんは、14代目だそうです。
c0115560_17592041.jpg
餅米を原料にしているのに「粟飴」というのは、もともとは「粟」で作っていましたが、寛政2(1790)年に4代目当主により、原料を餅米よる水飴の製法が考えられました。「アメ色」と呼ばれる琥珀色の水飴です。しかし、名前は「粟飴」のままにしたとのこと。今も、「高橋あめや」さんでは、口伝の飴作りが行われているそうです。
「粟飴」の食べ方は、割り箸に巻き付けてなめるのが一般的で、砂糖が使われていないので後口がさっぱりしています。ほかに、大根を「粟飴」に漬け込んで作る「あめ湯」は、だいこんのエキスが出て、のどの痛みに効果があると言われています。

c0115560_180188.jpg8月2日、旧北国街道に面した上越市南本町3丁目、「高橋あめや」(国の登録文化財)を訪ねました。本日の目的は買い物ではなく、お店の2階にある「お宝」を見せていただくことです。江戸の戯作者(げさくしゃ)・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)は、高橋家に立ち寄り、幾日も滞在しておりました。『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』が出版され、すでに成功をおさめていた文化11(1814)年、会津・信濃・北陸の取材旅行の途中に越後高田も訪れました。宿泊の御礼に、一九は自画賛を残していました。また、のちに書いた書物(『方言(ほうげん)修行(しゅぎょう)金(かねの)草鞋(わらじ)』・『滑稽(こっけい)旅がらす』)の「高田」の記事には、「高橋あめや」の繁盛ぶりをさりげなく盛り込んでいます。現在、お店で包装紙に使われている絵柄は、『金草鞋 第八編』から転用したものです。

c0115560_1803869.jpg十返舎一九(1765年~1831年)の青年時代を描いた小説に、『そろそろ旅に』(松井今朝子(まついけさこ)著)があります。駿府(静岡)の下級武士の長男として生まれた重田(しげた)与(よ)七郎(しちろう)貞一(さだかず)が、小田切土佐守様(大坂町奉行)を慕って仕官すべく江戸から大阪に赴く場面から、物語は始まります。大坂で無事仕官できたものの、武士をやめ、大阪の大商人の娘の入り婿となり、人形浄瑠璃の台本を書くのを手始めとして、ついには物書きの道に入るべく江戸に旅立ちます。松井さんの物語から、一九が生きた時代を知り、一九の人となりを知り、一九の人生を想像することができました。エピローグで、松井さんは次のように述べています。

若いときから、好奇心の赴くままに、どこへ行こうが、何をしようが、だれといっしょに暮らそうが、そのつどそこに馴染んでいるかに見せながら、時がくれば何もかもさらりと捨てておさらばできた男は、いうなれば永遠の旅人だったのだろう。(略)辞世はまさしく人を喰った狂歌である。
この世をば どりゃお暇(いとま)と 線香の 煙と共に 灰(はい)さようなら


「一九は馬面だったのですかね。調子のいい人だったみたいですね。」
「高橋あめや」の奥さんと、一九談義に花が咲きました。松井今朝子さんは、一九の顔を「馬面」と書いていたからです。高橋さんによると、一九が武士をやめ、江戸の日本橋界隈に住み、物書きになったころ、「高橋あめや」は同じく日本橋本石町に支店を出していたそうです。「一九は客として飴を買いに来ていたかもしれない。」と、奥さん。

c0115560_181778.jpg
十返舎一九の書いた『東海道中膝栗毛』は、弥次さん(弥次郎兵衛)北さん(喜多八)が東海道を旅するどたばた道中記です。「膝栗毛」とは、馬に乗る(栗毛の)旅ではなく、足で歩く(膝が栗毛)旅という意味です。出版の評判をみながら、道中がだんだん延び、お伊勢参りをしてから、京に上ることとなります。

田辺聖子著『「東海道中膝栗毛」を旅しよう』で、主人公の弥次・北たちを「とにかく厚かましくって図々しくって、ケチで助平で、人倫に悖(もと)ることを平気でやってーつまり人間の裡(うち)なる、悪しき部分を、モロ露呈(ろてい)する、けしからんおっさんお兄さんたち」といい、しかし、「おどけた道化」「人を笑わせつつ」「悲しみがある」とも書いています。

どじ話・だじゃれ・お尻やおしっこなど、下品な話が満載の本がなぜ売れたのでしょか。

その理由は、町人も読み書きのできる人が増えてきた時代であることや、町人も暮らしを楽しむ経済力がついてきたことにもあるようです。

『東海道中膝栗毛 五編下』では、弥次さん北さんは伊勢神宮に行く途中、松阪に一泊しています。松阪の宿を出る時に詠んだ狂歌は、次のようなものです。

鳶(とび)も輪に なりて舞ふ日ぞ たび人のおどり出たる 松坂のやど(歌意 早朝鳶が輪を描いて飛ぶ晴天に、旅人も心うれしく宿からもおどり出たのは、松坂踊りならぬ、松坂の宿だった。―小学館『東海道中膝栗毛』より)
by terakoya21 | 2011-09-26 18:01 | 上越だより

休日日誌

ゆっくりと・・・

過ごす休日にしています。
金曜日辺りから頭痛の気配があり、
薬を飲みながらの授業となっていたので、

今日は、この火曜日から三重高でテスト期間が始まり
来週はセントヨゼフ・・・
そして・・・と続いていくことを考えたら、
明日の英会話までに
頭痛を治したいので

今日は、まったり過ごす休日になっています。
すでに1週間の買出しを終えたので、
今日は早く寝たいと思っています。

(Y.k)
by terakoya21 | 2011-09-25 19:53 | 日記

てらこや日誌

卒業生の訪問

私は、学び舎の素晴らしさは、卒業生によって支えられていると思います。
だから、自分も、自分が卒業した学校に恥じない人間にならなければ・・・
と思いながら、生活をするようにしています。

そして、今週は、寺子屋の評判も、
そんな卒業生の素晴らしさに支えられているという思いを
新たにする1週間でした。

日曜日の食事会から、まだ1週間経っていないということが
信じられないくらい忙しく、あわただしく、
大変な1週間でしたが

今日、来月からお手伝いしてくれるという
元寺子屋生の地元の大学に通う3年生の女の子の訪問と
先日初めてのアメリカ旅行へ出かけた
現在首都圏の大学に通う大学1年生からのメールで

寺子屋を支える卒業生のありがたさを実感しながら気分よく週末を迎えられそうです。

伝説の元アシスタント君が、生徒への対応に試行錯誤の日々を続け
疲れきっていた私に、数年前かけてくれた言葉があります。

「この塾のありがたみがわかるには5年かかりますよ。
でも、行っててよかったってぼくも思いましたから」

そう、教育は、すぐに成果が現れるものではなく、
子どもたちが成長して、その成果に満足できてくれればいいもの。

わかっているはずなのに、
やはり目の前の現実に途方にくれることが年々増えています。

と同時に、卒業生も増え、いろいろな形で、私たちの支えとなってくれていることに、
誇りを感じることができることも増えています。

彼らの成長と優しさに感謝しながら、
今週最後の授業にのぞもうと思います。

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-09-24 20:25 | 日記

食のあいうえお(てらこや新聞78号 川口さんのコーナーより)

く山雅治と六本木ヒルズに住む!という第二の人生を掲げている私ですが、私の周りにあまりにもファンが多すぎて、「やっぱりジョニーデップとハリウッドに住む!ということにするわ!夢はでかい方が良いし」と夕食時に家族(夫1人、息子2人)に伝えると、あきれた様子で次男がぽつりと「その方がファン、多いのと違うかな~?」と。

帰省中の長男を交え、最近では滅多に揃わない4人での夕食のひとときでした。

テレビを消して、会話をしながら、揃って食事をするのが理想。しかし、我が家はそれぞれの生活時間があり、なかなか難しいのが現状です。

皆さんは、いかがですか?

それでも、だれかと時間を合わせ、食事をし、他の時間も隣のキッチンに私がいることが、ほとんどです。会話が出来たり、姿が見えるという点では狭い家もいいものです。

夏場に食欲が落ちる人、落ちない人、これからは冬に備えて、身体を守るため食欲も増える季節を迎えます。と同時に、ウォーキングなど運動をしやすい季節になります。

“よく食べ、よく動く!”

私も心がけます。皆さんもご一緒に!!

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-09-24 13:45 | 食のあいうえお

寺子屋の日々 Days in Terakoya (てらこや新聞78号 亀井のコーナーより)

~ 残響 ~

8月の終わりに、土曜日にお休みをもらって、沖縄でのコンサートに行った。取り立てて、ファンというわけではないけれど、私も好きな歌手だったので、ファンだという旧友につきあった。

コンサート会場に向かうタクシーの中、運転手が一言・・・「こんな暑い日にあんなに人がいるところで、コンサートに行くより、CDを買って、家でビールでも飲みながら聞いたほうがいいんじゃない?」・・・ファンでなければ、ごもっともな意見だ。それでも、ファンでなくても、コンサートはコンサートで、CDで聴くサウンドとは違い、今回の私の疲労とストレスの溜まった身体には、良い骨休めでもあり、心の休養にもなるコンサートだったと思う。そして、彼が予想以上に歌とギターがうまかったので、コンサート自体を、私も十分楽しんで、行ってよかった満足した。けれど・・・やっぱり私は、こういうノリは苦手だと自分の性格を再確認して帰ってきた。

42歳にもなった人がスポットライトとともに駆けずり回り、その人の一挙手一投足に、総立ちの観衆から悲鳴とも聞こえる歓声があがる・・・そして、その歓声をあげている人たちも、結構いい年である・・・。私は、これだけ上手に、甘い声で歌い、やさしく、ときに激しくギターを奏でる美男子には、落ち着いて歌っていてもらい、自分は座って目を閉じて聴かせてほしいと思った。総立ち芝生席の観衆が、彼が近くを通ると岸に打ち寄せる波のように、そちらに向かっていく姿に、かなり身体も心も引いて見ている自分に気がついた。

ときどき、どんな場面でもイヤになるほど 落ち着いて、冷静でいる私は、アメリカでも、アジア人にも関わらず、年齢相応、もしくは上にみられていたことを思い出した。そして、それでも快適だった彼の国の生活を・・・。

何でも、横並びで、皆と同じようにすることがいつも「善」であるかのようなこの国で、教育制度が行き詰っているな・・・と感じてもう、10年余り。皆がいろいろなスタイルで、本当の意味で平等に享受できる教育はないのだろうか・・・なんてコンサートの途中でも、考えてしまう私は、かなりの職業病だとも再認識した。

そして、彼の姿を追うほどのファンではない私は、曲を聞きながら、観衆の中でのマンウォッチングを楽しんでみた。斜め前のカップル、彼女が彼にコンサートの途中、グッズとビールを買ってくるように指示。それを素直に聞き、買いに行く彼・・・なかなか戻ってこなかったのだけれど、しばらくして、ビールと袋を抱え戻ってきた。その彼にねぎらいの言葉もなく、「milk tea(おそらく彼が聞きたいと言っていた歌)、もう終わっちゃったよ」と一言放ち、彼女はビールを飲み干す。飲み干して「もう、飲んじゃった、おいしかった」・・・

えぇぇぇ?????と私は内心叫び、驚きながら、こんな彼女は絶対いらない・・・そして、こんな彼女に従ってしまう彼氏はもっといらないと心の中で思っていた。

右横少し向こうにいたカップル。腕組みして、静かにリズムを取りながら、歌に、ギターに酔い、聴き入っている彼(夫?)にそっと後ろで寄り添っている彼女(妻?)らしき人・・・そこの空間だけ夕日に照らされて、流れている時間が違っているようにも見える平和な空間だった。このアーティストが彼は本当に好きなんだろうな・・・と見て取れる感じ。そんな彼と静かに歌を聴いている彼女。素敵だな。。。そして、私は、こんな彼とだったら、このコンサートに何度でも来たいと思うだろうなと思った。

そして、私もときどきイヤになるノリの悪さも、職業病ともいうべき社会の分析癖や情熱も、ときどき生徒たちにも呆れられる陽気さも・・・おそらく、これらがなければ出会わなかった恋人、友、寺子屋スタッフを含む周囲の人々がたくさんいることを見ても、隣にいた友人も、私がノリの悪いことや、皮肉屋であることなどこの20年で、十分知っているはずなのに、コンサートに誘ってくれていることを考えても・・・この性格も悪くはないのかもしれない。

♪ だって心はもうわかっている
自分らしくってこと
素直に生きること

ただそれだけで良いはずなのに
それが一番難しい生き方
なんて無情・・・♪
(福山雅治 明日の☆SHOW)より


友人によると、彼は芸能人だから、営業的にどちらが得かを考えてファン層に合わせているだけで、ファンも、おそらく多くの人たちが、内心引いていながらああいう場面ではキャーキャー言っているんだという。・・・ということは、そのノリについていけない私が一番、幼く青いともいえるかもしれないけれど、ますます私は次も絶対ああいうノリにはついていくことはないなぁ~と思いながら、その日の滞在先のホテルへと向かった。

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-09-23 16:47 | 寺子屋の日々

中国案内(てらこや新聞78号 吉田さんのコーナーより)

中国では大学に入ってすぐに携帯電話を買った。

中国では殆どの人がプリペイド式の携帯電話を使っている。

私の中国での携帯電話第一号は、カラーで当時にしては新機種の部類に入る少し“良い物”を買った。
そして別売りになっている電話番号が内臓されたSIMカードを買い使える様になる。

少し大きなお店に行くと、契約書や身分証明書の提示が必要の場合もある様だが、そんなお店で購入したことはない。

先ほど携帯電話第一号といったのは、実は私は大学生活の中で携帯を3回買い換えているからである。1回は故障で、2回は失くしてしまった。

無くしたといっても、証拠はないけれど友人は皆、口をそろえて恐らく盗難だろうという。

携帯電話の盗難はよくある話で、盗られた物は中古の携帯屋にならぶことになる。

第1号は買って一ヶ月もしないうちに失くしてしまった。

第2号は中古屋さんで購入した。第1号と比べると少し古い機種になるが、カラーの折り畳み式で悪くなかった。第1号の教訓もあってか割りと長く使うことができたが、油断をしてしまったのか有る日行方がわからなくなった。

第3号も中古で白黒にした。一昔前に流行った型らしい。スライド式の機種で少し年季が入っているが、日本ではなかなかないデザインだったのでそれに決めた。

しかし、年季が入りすぎていたのかすぐに動かなくなってしまった。

最後になる第4号は、中古にしては綺麗だが、白黒で携帯電話という物が普及し始めた当時のデザインではないだろうかと思うぐらいのシンプルな物にした。

この第4号は私の管理がよかったのか、旧式すぎて相手にされなかったためか、大学生活の最後までを共にした。

卒業して帰って来た後は使い道がなくなってしまったけれど、愛着が沸いてしまい未だに引き出しに眠っている。

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-09-22 15:19 | 中国案内

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


by terakoya21
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る