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中国案内 (てらこや新聞77号 吉田さんのコーナーより)

現代の日本では、災害時や計画停電などにならない限り、停電になることはほとんどないと思います。そして私は大学生まで停電というのを経験したことがありませんでした。

大学時代に経験したものも停電というよりも、電気を使い果たしてしまった。という方が正しいかもしれません。
というのは、すべてのお家がそうではないのですが、中国では電気を先払いで買う仕組みのところがあります。持っていった代金分ICカードにチャージをしてもらい、家のメーターに差し込むという仕組みです。

住み始めた当初は前の住居者の残していった電気があったため何の疑いもなく生活をしていました。しかし、当然それも長くは持たずある日の夜、居間で友人と寛いでいる時、突然電気が消えてしまいました。停電だと思った私達はどうしていいのか分からず、とりあえず大家さんに電話をして相談をしてみると、電気切れということが分かり、そして電気は今からでは買えない時間だということでした。

その日は仕方がないのでいつもより随分はやい就寝になりましたが、真っ暗の中お風呂に入り寝支度をしたせいかぐっすり眠れました。

あの時は次の日の午前には電気を買いに行き、すぐ部屋に明かりが戻りましたが、何が起こるかわからないと思う今日この頃、備えあれば患いなしで気をつけたいと思います。

(M.Y)
by terakoya21 | 2011-08-31 19:08 | 中国案内

始まりました

稲刈りが始まりました。

松阪周辺(少なくとも我が家の周辺)では、例年ならお盆の前後で田んぼの様子がガラリと変わってしまうので、今年は少し遅めです。

昼間はコンバインの音が聞こえ、夕方になると籾殻を焼く香りがただよってきます。

こうやって書き出すと、何だか「のどかでほのぼの」とした感じですが、そうでもありません。

アレルギー体質の私は、春はスギ・ヒノキ花粉に、秋はこの稲刈りのチリに悩まされるのです。
春先の黄砂ほとではありませんが、車の表面はザラッとなり、洗濯物を干す場所も限られてきます。

しかし、今年は、新米をはじめ、秋の実りを素直に喜べない地域があるというのが日本の現状。

新米を口にできるありがたさ……しっかり噛みしめたいと思います。
by terakoya21 | 2011-08-29 11:45 | 日記

今日は

「気象予報士の日」だそうです。
(今日も昨日に引き続き、同じ書き出しです。)

1994年の8月28日に第1回気象予報士国家試験が行われたことにちなんで決められたとのこと。

近年の異常気象、気象予報の難しさは増す一方で、果たす役割は大きくなっているように思います。

少し話はそれますが……
数年前、毎週のように同じクラス生徒から「先生、明日って晴れますか?」とたずねられることがありました。

その度に「私は、お天気のお姉さんでも、予報士でもないから、わかりません。……お昼の天気予報では晴れだったと思うけど……」
などと返すことが多かったのですが、生徒のほうも懲りることなく、私との問答を繰り返しました。
(我ながら、なんてつれない先生だろうと思います。)

そして、あるときからは「先生、明日って…」と言ってしまってからハッとして、
「明日は体育があるんです。」「あさってに試合があるんです。」「何となく、聞いてみただけです。」
とたずねた理由を慌てて付け加えるようになりました。

このような現象は「成長」と呼んでいいものでしょうか……
(その頃には、私のほうも出勤前の天気予報を一応は確かめるようになっていたように思います。)

ちなみに、明日(29日 三重県中部)の予報は「晴時々曇」です。
by terakoya21 | 2011-08-28 20:30

今日は

「『男はつらいよ』の日」だそうです。

1969年の8月27日、『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開されたのが由来だそうです。

48作にも及ぶ長編シリーズとなっていますが、その始まりは映画ではなくテレビドラマだそうです。

「だそうです」と続いてしまったのには理由があります。
……私は今までに『男はつらいよ』を観たことがないのです。

もちろん、「生まれは…」という決まり文句も「フーテンの寅さん」の姿も知ってはいます。が、本編を通して観たことがありません。

一度は観てみたい映画の一つです。

しかし、初心者として、48作もあるの中から一体どれを選ぶべきか……
もし詳しい方にきいてみれば、それぞれの好みによって意見が分かれそう……
そして、最後には「48作全部観なさい」と言われそう……

などと、勝手な想像をしています。

……私が「男はつらいよ」を鑑賞する日は、もう少し先になりそうです。
by terakoya21 | 2011-08-27 10:03 | 意見

休暇報告?

私だけお休みを・・・

いただき、今日から2泊3日の予定で沖縄に行ってきます。
ブログ更新は、携帯からできる限りしようと思っていますが・・・

もしお休みをしてしまったら、ごめんなさい。

今日27日は、午後早くに沖縄到着後、
福山雅治さんのコンサートに行くため
おそらくホテルに着いたころには
更新できなさそうなので、
12時を少し回ったところで
ブログを更新してから、就寝することにしました。

明日は、朝早いので、そろそろ寝たいと思います。

台風が近づいているのが心配
29日に無事帰宅できることを、皆さんも祈って下さい。

ゆっくりと楽しんでこようと思います。

谷さん、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-08-27 00:27 | 日記

上越だより(てらこや新聞77号 下西さんのコーナーより)

糸魚川のバタバタ茶

8月3日(水)、直江津駅からおよそ30分間、JR北陸線上りの列車に乗って、糸魚川(いといがわ)市へ行ってきました。糸魚川駅近くにある県史跡「相馬(そうま)御風(ぎょふう)宅」(糸魚川市大町)にて「バタバタ茶」を体験するためです。「バタバタ茶の会」の有志の人々は、6月から10月にかけて、第一水曜日にバタバタ茶の振る舞いを行っています。

c0115560_15342789.jpg「バタバタ茶」の手順は次のようなものです。
抹茶茶碗よりちょっと深めの、口がすぼまった形の茶碗に、耳かきに2杯くらい塩を入れます。そこへ煮出した番茶を少量入れます(三口くらいで飲める量)。夫婦(みょうと)茶筅(ちゃせん)といって二本の茶筅がくっついたもので、勢いよくバタバタ混ぜます。膝の上で茶碗を抱え込むように持って、「一の字」を書くように茶筅を動かします。すると、白い泡が立ってきます。抹茶の茶筅と違って、穂先が長くて、筆のように軟らかくなっています。
この場合の番茶とは、「麦茶」「ほうじ茶」「煎った大豆」「お茶の花」「カワラケツメイ」を使います。これらを混ぜた茶葉を1時間くらい煮出し、ベースになる「番茶」を作ります。この材料と配合は家によって違うようです。
c0115560_1535110.jpg「お茶の花」「カワラケツメイ」は、蒸して乾燥させます。「カワラケツメイ」とは、はじめて聞く植物名でしたが、マメ科の薬用植物で、「強壮」「利尿」「鎮咳」などの薬効があるとのこと。「お茶の花」は、生家の近くにお茶の木があり、白い花を見たことはありましたが、飲用になるとは知りませんでした。(余談ですが、小学生のころ、全校生徒が「お茶の実」を集めて、学校図書館の書籍費をかせぎだしましたっけ。)
この日、囲炉裏のまわりに「バタバタ茶の会」のおばさんたちが集い、お客を招き入れます。泡立ったお茶と、キュウリやミョウガの漬け物・キャラ蕗・大福豆などの手作りのお茶請けが振る舞われました。お客は、数名ずつですが絶え間なくありました。おばさんたちは、子供のお客には「絵日記に書いてね。」「かわいいね、いくつかね?」といいながら、バタバタ茶を作っていきます。興味津々の私には、昔の「バタバタ茶」の楽しみかたなどを教えてくださいました。糸魚川でも、狭い範囲で伝承されてきたもので、後世に伝えるべく努力されています。

c0115560_15353474.jpg
「バタバタ茶」という言葉を始めて知ったのは、大学の茶道部に在籍?していたときでした。そして、30年以上経過した今日、本物の「バタバタ茶」を体験できるとは……。
熊倉功夫著『茶の湯の歴史 千利休まで』には、
ボテボテ茶は、民俗であるからいつ頃からはじまったか分からない。村の寄り合いで客をもてなす一種のスナックであろうが、いまではごくわずかな人々に楽しまれるにすぎなくなった。  (中略)こうした習俗を振り茶とも呼ぶ。振り茶は全国に広く分布しており、現在残っている所では沖縄のブクブク茶にはじまり、……鹿児島……松山……富山県のバタバタ茶、新潟にもその姿を残している。
島根県松江では、「ボテボテ茶」と呼ばれ、それが地方に広まってのではないかと言われています。「ボテボテ茶」は、この泡立てたお茶にさらに、好みの具、例えば、豆ご飯とか赤飯・山菜・漬け物等を適当に混ぜて飲むというか食べたようです。

c0115560_15355985.jpg会場になった相馬御風宅の主、相馬(そうま)御風(ぎょふう)さんとは、1883(明治16)年糸魚川に生まれ、糸魚川で1950(昭和25)年に死去しました。詩人・歌人・作詞家・文芸評論家・良寛研究家という肩書きで紹介されますが、早稲田大学に入学(19歳)のころから詩人・文学者として東京で活躍していました。ところが、大正5年(33歳)に突如14年間の東京生活を捨てて郷里に帰ります。彼は、精神的苦悩から健康を損なうようになって、糸魚川に戻り、以降東京に行くことはなかったそうです。
そのときの心境を『還元録』に表して、文壇では賛否両論の意見が飛び交ったそうです。
北国の淋しい海岸町の、焼け跡に建てられた小さな自分の家への移転は、私達一家族には殆どそれが何のためになされたことであるか解らぬほどに、突然な事件であった。けれどもこの殆ど予期しなかった事件は、私達一家のものに少なからぬ幸福を与えた。(略)これまでに覚えなかった謙遜な、平静な、健康な、ゆったりとした気持ちが、私の全存在を浸潤したように覚えた。(略)

彼は生涯に500曲以上の作詞をしていますが、多くが校歌です。資料によりますと、新潟県内の校歌158、県外は72校の校歌、三重県でも「鳥羽水産学校」「四日市女子高校」の校歌が御風によるものです。そして、もっとも有名な校歌は「早稲田大学」の校歌「都の西北」でしょう。他に童謡や歌曲を約200曲も作詞していますが、その代表作は、「春よ来い」でしょうか。(大正12年 広田龍太郎作曲)
春よ来い 早く来い / 歩きはじめた みいちゃんが / 赤い鼻緒の じょじょはいて /
おんもへ出たいと 待っている
春よ来い 早く来い / おうちのまえの 桃の木の / つぼみもみんな ふくらんで /
はよ咲きたいと 待っている
「おんもへでたい」は、よちよち歩きができるようになった幼児が、家の中だけでなく、外で歩いてみたいという気持ちと、雪が消えて外で遊べる、という雪国の人ならではの心情が表れていて、「春を待ちわびる」切ないまでの思いと、喜びが感じられます。

相馬御風は「バタバタ茶」についても関心を持っていたそうで、私はこの場所で「バタバタ茶」をいただきながら、御風にとっても故郷の味だったのだろうと確信しました。
by terakoya21 | 2011-08-26 15:37 | 上越だより

へぇ~

赤ちゃんが乗っていますのマークの意味を初めて知りました

ネットコラム - エキサイトニュース

私も初めて知りました。

無謀運転も、あおることもしない運転手である私も、
この記事の筆者と同じように「だから?」って思いを持っていました。それは、
そういうステッカーを貼っている人に、安全運転の方をあまり見かけないからです。

「だから、急いでます」なのか?とか
「だから、好き勝手に運転します」なのか?
「だから、そこ、のいて」って言っているの?という運転の人や
子どもをチャイルドシートに乗せていなかったり、
乗せていても携帯電話のメールをしていたり、
電話で話していたり・・・

というのをよく見ます。

あおられて、先に行ってもらったら、そのステッカーが後ろに貼ってあるなんてことザラです。

本当の意味を聞いても

「あ、だからレスキューが必要な可能性が高いの?」とイヤミを言いたくもなるほどです。

ステッカーよりまず、チャイルドシートの徹底や
無謀運転をさける心がけをして、まずレスキューのお世話にならない運転をしてほしいと思います。
もちろん、安全運転をしていても、もらい事故はありますから
ステッカーは貼った方がよいってことにもなるのでしょうけれど・・・

おそらく、あまり良く思わない人が多いのには、
このところ、「子ども」を免罪符のように使う方が
増えているからだとも思います。

毎日、子どもたちと接していて思います・・・

子どもだからって、全てが許されるわけではない。
子どものことだからって、全てが許されるわけではない。
そして、この子どもたちも必ず大人になるのだということ。

子どもを乗せています

なんてステッカーを貼っているのに、
自分がその配慮のない運転をしている大人を見て
子どもたちが育つのです。

そして、子どもだから許されることも、
大人になったら許されない。
子どもたちの成長に必要な失敗を、
大目に見る心は大人の側には必要ですが、
ダメなことはダメと伝えていかなければ
結局、後から困るのは、子どもたちです。

子どもたちのことを考えてのステッカーなら、
それを貼る大人たちに・・・
その子どもたちが育つ社会や他の人々への配慮をまず
お願いしたいなと思います。

本当は、なぜ勉強をするのかで書くつもりだったのに・・・
この記事に気がいってしまったので、また、新聞の記事か、来週以降に書けたら書こうと思います。

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-08-26 09:05 | 意見

不思議な宣長さん(てらこや新聞77号 吉田館長のコーナーより)

第六話 むずかしいところは後回し

和歌子暑さも忘れる程面白い本はありましたか。

らん私は、お父さんが買ってきた『乾燥標本収蔵1号室 大英自然史博物館 迷宮への招待』(NHK出版)が印象に残りました。書いたのはフォーティという三葉虫の専門家。動植物の標本から分類、生態と、ロンドンにある自然史博物館を舞台に、次から次へと面白い話が出てきます。でも、色々変わった動物もいるけど、一番ヘンなのは博物館に勤めている学芸員だっていうことがよく分かりました。

和歌子難しくなかった。

らんすごく面白かった。それとちょうどその本を読んでいる時、松阪の郊外のある博物学の先生にお会いすることがありました。書斎には、カエルや三葉虫の化石、古代の水の入った化石や、昆虫の入った琥珀。

和歌子ジュラシック・パーク!

らんそう、でも蚊ではなかったけど。アルマジロやワニの剥製や珍しい植物がどっさり。二つの世界が重なって、暑さと云うより、難しいってことを忘れて夢中で読みました。

和歌子とてもいい経験をしましたね。宣長さんが『古事記』を研究する時に一番大切にしたことは、その情景を頭の中に描くこと。『古事記』には、イルカやクラゲも出てきます。でも宣長さんは見たことがない。どんな姿かな、大きさはどれくらいかと情報を集めてその様子をイメージするの。

らん宣長さんの頃に自然史博物館があったらずいぶん喜んだでしょうね。

和歌子そうね、でも単純に言えない所が宣長さんの不思議な所だけど、それはともかく、らんさんは、難しい所があったけど読んでいったと言いました。これは宣長さんも大切なことだって言っています。『うい山ぶみ』と言う学問入門書の中で、一つ一つの言葉の意味を考えるよりも、分からない所はそのままにして読んでいくのがよい。と教えています。また、最近、三重大学のお医者さんから、乗馬に夢中ですという近況報告がありました。その中で先生は、宣長さんの

書(ふみ)見るに けはしき道は よきてゆけ またき心の 馬つからすな

(本を読む時にはわからないところや難しい所はよけて行きなさい。読み始めてすぐから意欲―心の馬とはここでは読もうとする意欲のことです―が、なえてしまう、つまり元気がなくなってはいけません)

と言う歌を引いて、「馬という動物に、こつこつと我慢し物事を続ける性質や精力を見ていたことが分かりました。ますます、馬が好きになりました」と書いてありました。宣長さんの言いたいのは、難しい所や言葉はとばして、とにかく全体を読んでみる。するとまた分からない所が分かることもあるのです。特に言葉の意味はそうですね。

らんお医者さんって宣長の歌まで知ってるんだ。それの方が驚きです。

和歌子私も驚きました。

らんそういえば、宣長さんもお医者さんですね。
by terakoya21 | 2011-08-25 14:12 | 不思議な宣長さん

てらこや日誌

祝 40 

24日は、現在産休中の竹川先生の40歳のお誕生日

初老・・・じゃなくて、「不惑」の年です。

毎年、その日先生が出勤されている限り、
寺子屋では、生徒たちにケーキが振舞われますが、
今年は、残念ながら、欠席・・・

というわけで、生徒たちにケーキということはなかったのですが・・・

講師陣は、勝手に、主役なしの誕生日会を授業後してしまいました。

c0115560_144683.jpg


竹川先生にも同じ写真を写メールで送ったところ

「笑っちゃいました。お祝いしてもらっていると思っています」

と返信をもらいました。

ただただケーキを食べる口実?にしてしまった感がありますが・・・
生活に潤いは必要

そして、アシスタント&谷さんのケーキを口にしたときの
笑顔が・・・何よりです。

竹川先生の40歳の1年が幸多い年となることを祈りながら・・・

職員たちの笑顔を糧に・・・


私は、25日、26日の私にとっては今年最後の夏期講習を乗り切りたいと思います。

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-08-25 01:08 | 日記

Point of View (てらこや新聞77号 海住松阪市議会議員による寄稿より)

今年の3月11日以前に、話が進みつつあった個人的なイベント計画があった。

それは、去年の春、夫婦で招かれ、アメリカのワシントンDCを訪れた際、1週間のあいだ、わたしと妻とをご自宅に滞在させてくれた、ヒラリー・クリントンさんと同い年の女性を、今度は日本にてお迎えするという話だった。

向こうでは、地元の地方議会の傍聴や、都市再生に取り組むシルバー・スプリングという町の職員からのヒヤリング、連邦議会内の議員オフィス訪問と議会見学等々、正味5日間の旅の中に、こちらからのリクエストをすべてかなえてもらう、ちょっと個性的な旅を演出してもらった。そのお返しに、今度は是非、日本へというものだった。

その旅から1年ぐらいたとうとし、約束をたんに口約束としないため、facebookというインターネット上のコミュニケーションサイトを通して「いつ来る?」と話した。彼女が書いたサイトへの書き込みに、「日本の友人に日本に来るよう誘われているから、日本に行くことにしたよ」とあった。facebookには、彼女のワシントンの友人たちから、「それはいい。日本には、本当にすばらしい文化があるよ。成田まで格安で行く方法はこれだよ・・・」などと楽しい書き込みがあった。

「よし、いよいよだ」と、わたしも楽しみを膨らませた。ワシントンと比べ、松阪は日本の中の一地方都市にはすぎないが、わたしには松阪を中心とした5日や7日の旅に対する期待には十分こたえる地域資源があると自負している。

実は、わたしが30代のころ、4か月ほど旅したヨーロッパで出会ったイギリス人が松阪に訪ねてきたことがある。かれには松阪ばかりでは申し訳ないので、京都、奈良へ行ってきたらと勧めたのだけれども、京都に1泊だけしてまた松阪に戻ってきたので驚いたことがある。かれは山登りが好きだった(初めて会ったのが、オーストリアのインスブルクの山の上だった)から、まず、伊勢山上に登った。大小さまざまな岩をよじ登ったり降りたりする中世の修験の修業の場を大変気に入ってもらえた。街の一番高い見晴台のような所に上るのが好きだったから松阪公園に上った。イギリスでかれの家に泊めてもらったとき、案内されたのが400年ほど前のシェークスピアの生家だったから、松阪が誇る「鈴屋」や松阪商人の館を、イギリスの田舎のパブを楽しませてくれたから松阪のパブを・・・などと、過ごした。けっこう、わたしは、そんなことをして国内外を問わず、友人をもてなすのが好きである。

いまのわたしは30代ではなく50代前半となった分、前より一層、松阪や伊勢を主体に県内の見どころ、体感しどころがたっぷり詰まった旅を演出する自信を深めつつある。

そんな楽しい構想を膨らませつつあったところへ、「3・11」が起きた。
アメリカからはわたしたち夫婦の安否を確認するメッセージが届いた。海外で報道される日本列島は、どう見ても小さく、東日本沿岸が津波に襲われれば、太平洋岸の列島全土がすっぽり深刻な影響を受けているように見える。三重は大丈夫だと知らせると心からホッとしてくれた。しかし、その後の日本を覆った不安(いまも本質には変わらないし、ある意味、深刻化している)から、心が浮き立つようなことは控えるようになりがちで、気持ちの中でもいろいろなことが沈滞していく自分があった。おそらく、彼女の側にも日本の置かれた状況への配慮もあっただろうし、こちらも「放射能とか気にするかもしれないなあ」とためらいがあって、「来て」と呼ぶにはためらいがあった。

そんなふうに時がたっていたある日、クリスさんの自宅に配達される現地紙「ワシントン・ポスト」の一面の左上に、「なでしこジャパン」が、アメリカ代表に勝利した様子を伝える写真と記事がでかでかと載った。
「ワシントン・ポスト」の第一面を飾った「なでしこ」の写真は、喜びに満ちあふれ、駆け出している選手たちの写真だった。

「日本に行くよ!」彼女からメッセージが届いたのは、そのニュースのすぐあとだった。

(T.K)
by terakoya21 | 2011-08-24 18:54 | 旅日記

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


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