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カテゴリ:あとがき( 116 )

あとがき (てらこや新聞123号より)

「てらこや新聞」123号です。

気がつけば・・・1ヵ月が過ぎていて・・・慌てて何かの準備に追われる―今年は、そんなことがないように・・・と少し余裕をもっていろいろなことを始めたつもりだったのだけれど、結局最後の瞬間に、この「あとがき」も書き始めました。

今月(5月15日~6月15日)、私の頭に  ずっとへばりついていた言葉は

「謙虚さ」 

です。

Education is a progressive discovery of our own ignorance.(学びは、絶えず自分たちの無知を発見することである)(ウィル・デュラント アメリカ哲学者)


のはずなのに… 子どもたちの学習への態度は、まるで自分たちの知らないことはないかの如く・・・。そして、その子どもたちの様子に、すべては自分たち以外の何かの責任であると言わんばかりの社会の大人たち・・・。それぞれが、自分たちの無知と向き合えば、もう少し子どもたちの態度も、社会の在り方も変わるのではないかと…思う日々が続きます。

今回の「まえがき」に、 “Despair makes cowards courageous.” 「窮鼠猫を噛む」を選んだのも、そのためです。自然に追い込まれ、その危機を自ら克服できる子どもたちが少なくなったのも、大人たちの責任転嫁と、過保護のために、子どもたちが、若者特有の「劣等感」とそれを克服する経験を伴う過程を経験しなくなり、自分の位置や立場に根拠のない過剰な自信を持つようになった結果のように思うのです。

多くの場合、若者の持つ「劣等感」は、杞憂だけれど、ほとんどの人が感じるもので、その「劣等感」と闘い、克服する過程は、若者にとって大切な時間です。その期間に、子どもたちは、自分の位置や立場を知り、地に足を付けて、未来を組み立てていくのです。「学び」の基本にある「無知」と「謙虚さ」を否定する大人たちの言動が、その大切な時間を、彼らから奪い、彼らを苦しめているようにも見えることがあります。

All you’ve got to do is own up to your ignorance honestly, and you’ll find people who are eager to fill your head with information.(正直に自分の無知を認めることが大切だ。そうすれば、必ず熱心に教えてくれる人が現れる)


ウォルト・ディズニー氏の言葉です。その気持ち、心がけが大切であること、子どもたちに伝えてください。

一方で、6月、私は久々に習い事を始めてみました。何もかもが初めての体験で…褒められても自信が持てず・・・前途多難ですが、楽しさはいっぱいなので、これから体が動かなくなるまで続けられるといいな…と思っています。そして、私より若い先生方に、人との接し方、そして、「ほめ方」に、いろいろな気付きを与えられています。

「謙虚さ」をいつまでも忘れずに、吸収できることを吸収したいと思っています。

最後になりましたが、今月も、この「てらこや新聞」が発行できたことを、ご協力いただいたすべての方々に感謝したいと思います。ありがとうございます。10年経ってもなお、至らないことばかりですが、これからも  どうぞよろしくお願いいたします。

(Y.K)
by terakoya21 | 2015-07-12 09:50 | あとがき

あとがき (てらこや新聞122号 より)

「てらこや新聞」122号です。

先月10周年特別記念号を出したとき、このまま糸が切れたようになるのではないかと若干心配したのですが、今月も無事発行できました。ご協力いただいた方々に御礼申し上げます。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

Every cloud has a silver lining. 「待てば海路の日和あり」―

私は、とてもせっかちで、これでもか、これでもか・・・といろいろ試してみたくなる性格なのですが…このところの政府の「教育政策」と、子どもたちの勉強への取り組み方、そして、周囲の大人の対応を見ていると…そんな私も、息切れしそうになります。

もう少し、様子を見るために、待ってみませんか―と、そして、嫌なことやつらいことの裏側に光る何かを見つけられる心の余裕を持ちませんか―と声をかけたくなります。

教育―に携わる仕事をしていると、「いつのまにか」・・・子どもから青年に、青年から大人になっていく生徒たちから教わることがいっぱいあることに気づきます。そして、わが身を振り返り、自分が両親や周囲の年長者たちから与えられてきたものを再認識させられます。

そして、私が両親や周囲の人々から与えられてきたもっとも大切なものの代表は―「習慣」と、おそらく自らを省みることのできる「心」と「思考力」だと感じます。

それらをもう少し細かく見ていくと、「早寝、早起き、朝ご飯」の習慣から始まり、「自分の時間を管理する思考力」、「人を信じる心」です。

子どもたちの「私、朝起きるのが無理なんです。」という発言や、塾までの道のりや所要時間がわからない様子、試験日程や時間割、範囲がいつまでも把握できない姿、忘れ物を堂々と報告する態度、そして、学校や先生への不信感があらわになるような愚痴を見聞きしていると、その生活の基本的なことをさも簡単に身につけさせてもらったということが本当にありがたいことなのだと気づきます。

そして、ゴールデンウィーク中に、卒業生や同級生と話をし、連休明け、信号無視をしたり、角でぶつかりそうになったりしながら自転車を漕ぐ朝の高校生たちを何人か見かけながら、ハッとしました。

もしかして、世の大人たちは、朝はあわただしいのが当たり前、試験前に慌てて勉強するのは当然、受験生は長い間勉強するもの・・・だと思って、そのことに疑問を持つことはないのではないかと…。

私は、自分が上記の3つを人生の中で当たり前だと思ったことがないから、きっと不思議に思うのだと…。

朝の7時すぎから鳴る母の友人たちや大工 さんなどの職人さんからの電話や、暑くなる前にと庭の草むしりに励む母や、地域の出合いで精を出してくださる年配の方々の姿に、果たして、本当に私の考えの方がおかしいのだろうかと疑問に思うことが増えています。

“Judge a man by his question rather than his answers.”

「その人がどのように答えるかではなく、むしろ、どのような問いを発するかで、人を判断しなさい。」 (フランス人哲学者ヴォルテール)

自分の生活のあり方、行動の仕方が、本当に「当たり前」なのか・・・考えてみませんか。
(Y.K)

*てらこや新聞122号は、2015年5月15日に発行されました。
by terakoya21 | 2015-06-22 09:30 | あとがき

あとがき (てらこや新聞120-121号より)

「てらこや新聞」120-121合併号は、10周年特別記念号でもあり、11年目の最初の発行となります。寺子屋の15年とともに、この10年を支えて下さったすべての方々に感謝いたします。ありがとうございます。そして、次なる10年、また15年、継続の努力を続けていきたいと思っております。どうぞ、ご理解とご協力、そして、ご指導をこれからもよろしくお願いいたします。

この記念号を、「少年よ、大志を抱け!」のまえがきで始めましたが、15年前、今も昔も私の良き理解者でありつづけてくれる「Broadアイ」でおなじみの小野君が、私が塾を新設することを聞いて、原稿用紙に「『志』を持って、『志』を伝える塾に」とメッセージをくれ、私は、開設当初から「『志』と『絆』を大切にできる学び舎」という言葉を使ってきました。近代の日本を支えた地域教育の場であった、寺子屋などから始まる日本の塾は、そういう場所であったと信じていたからです。

一方、最近、「大志」とまではいかなくても、「志」や「信念」、「向上心」を持った子どもたちをあまり見かけなくなり、「寺子屋かめい」の15年目の2014年度は、「継続」の困難を感じる1年でもありました。

そんな中、友人のブログで、「志」と「夢」の違いを改めて教えてもらい、また、昨年度は、そんな私の苦悩を知ってか知らずか、とにかく、例年以上に教え子や卒業生との再会の1年となりました。

「志」の意味には、「相手を思いやる気持ち」というものがあります。「夢」は自分のために持つもので、「志」は人のことも考えた目標のことなのです。そして、再会した教え子たちが、皆、「志」を持って、人生のチャレンジを続けている―終わってみれば、そう感じられる、この上ない幸せを与えてもらった1年でもありました。

God doesn’t require us to succeed; he only requires that you try. (Mother Teresa)
神は、私たちに成功することを求めはしない。彼はただ、挑戦することを求めている。(マザー・テレサ)



16年目をスタートした 「寺子屋かめい」は、今年度、受け入れ態勢を強化して、次の15年に備えます。そして、10周年記念号と11年目の開始を合併号とした「てらこや新聞」も、次の10年に向けて、地道な努力を続けたいと思っております。

3月に、大学を卒業し、4月から大学院進学を決めた報告に来てくれた卒業生や、同じく地元の大学を卒業して、地元企業に就職を決めて 報告に来てくれた卒業生の訪問がありました。彼と彼女は、いろいろな意味で、私が大変多くの時間を過ごした生徒たちです。彼とは出会いから7年、彼女とは、出会いから12年となりました。

節目、節目に、忘れずに報告にきてくれる彼らのような教え子たちの姿に「継続の力」を与えられ、また、「志」のなんたるかを教えられます。

今回、メッセージを寄せてくれた卒業生も、しょっちゅう寺子屋に顔を出しては、私たちを救ってくれます。10年後、20年後も、気軽によってもらえる場所として存在できるように精進したいと思います。

皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。
(Y.K)
by terakoya21 | 2015-05-26 10:57 | あとがき

あとがき (てらこや新聞119号より)

040.gif*てらこや新聞119号は、2015年2月15日に発行されました。120号は、10周年特大号のため、120-121号合併号として、4月中旬に発行予定です。040.gif

寺子屋かめいは、来る3月6日に満15歳になります。そして、「てらこや新聞」は来月号で発行から丸10年となります。 

が・・・このところ、私の執筆のスランプが続いています。

今回の私のエッセーの題名に使った “Today is a gift.” という言葉は、もともと“Yesterday is history. Tomorrow is a mystery. Today is a gift. That’s why it’s called the present.” (昨日は歴史、明日は謎、今日は贈り物。だからそれは『プレゼント』と呼ばれる。)という言葉から来ています。

先日、子どもたちと接しているときに、ふと思い出した文章です。

子どもたちの時間の使い方があまりにもったいない気がしたのと、子どもたちの語彙の喪失に危機感を覚えることが多くなっていると改めて感じたからです。

今日は、神様からの贈り物である。だから、今を大切に生きよう!という気持ちが感じられず、ただ、今というときをやり過ごしてしまおう・・・というような姿勢で学習に臨んでいる生徒が増えています。

そして、「だからそれは『プレゼント』と呼ばれる」というくだり・・・英語のpresentには「贈り物」という意味の「プレゼント」以外に、「現在の」、「出席している」、「提示する」「贈る」など様々な品詞で、様々な意味があります。そして、「今日」という「現在」をpresentということから、この文章は成り立っています。・・・英単語でも、日本語の単語でも、1つの単語が表す意味は1つではなく、また、1つの意味であっても、発された時と場合で、ニュアンスが違い、受け取る人の年齢や、立場、そして心理状況でも、受け止め方は違います。

そのようなことに心を配る・・・その姿勢が、学習には大切です。そして、学習だけではなく、生活において、自分の人生を切り開いていく上でも大切なことです。

一方、子どもたちは、そのような姿勢をどこから学んでくるのでしょうか。

子どもは社会の鑑だと言われます。子どもたちの姿勢は、必ずや周りの大人たちの姿勢を映し出したものです。

子どもたちの心配りが足りないとすれば、今、私たち大人が反省をし、子どもたちの言葉が足りないとすれば、今大人たちの語彙が減っているのです。そして、子どもたちのやる気を削いでしまっているものがあるとすれば、私たちの不用意な言葉、そして、私たちの日頃の甘やかしが原因ではないでしょうか。

反省しきりの年度末…

けれど、その反省の機会も、神様から与えられた贈り物だとすれば・・・やはり、人生、捨てたもんじゃないのかもしれないと思う今日この頃です。

さて、いつものように最後になってしまいましたが、連載の皆さん、今月も原稿をありがとうございました。来月、10周年特大号です。気を引き締めて臨みます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(Y.K)
by terakoya21 | 2015-03-31 10:18 | あとがき

あとがき (てらこや新聞118号より)

*てらこや新聞118号は、2015年1月20日に発行されました。

今年も、大学入試センター試験が終わりました。このところ毎年、大学、高校の両方の受験生への対応をしながら、思うことがあります。

子どもたちが、高校、大学、そして学校に、何のために行くのであろうか・・・大人は何のために子どもたちを学校に送り出しているのだろうか・・・と。

今年度は特に、それを考えさせられる1年となっています。

私の好きな映画である “Good Will Hunting” (グッド・ウィル・ハンティング)で、数学の天才として生まれてきたけれど、家庭環境などの理由から同じような境遇の親友以外の人をうまく信じることができなくて、その才能を持て余しているウィルに、親友のチャッキーが言います。

“You’re sittin’ on a winning lottery ticket and you’re too much of a pussy to cash it in. And that’s bullshit ‘cause I’d do anything to have what you got! And so would any of these guys. It’d be a fuckin’ insult to us if you’re still here in twenty years.”


「お前は宝くじの当選券の上に座っていて、それを現金にする勇気がない腰抜けなんだ。あほらしいのは、お前が持っているもののためなら、オレは何だってやるってことだよ!他の奴らもみんなそうさ。20年たってまだお前がここにいたら、お前はオレたちを完璧に侮辱してるってことだ。」(愛育社 シナリオ対訳 グッド*ウィル*ハンティング 旅立ち 参照)

チャッキーは、ウィルの親友です。そして、彼の環境を理解し、彼との時間を楽しみ、大切にしながらも、この言葉を発します。ウィルが、自分の才能を持て余していることを知っています。

自分の位置を知り、その上で、自分のするべきことを考え、自分の特性を生かし、それを社会に還元する―それが1人1人の社会での役割であることをチャッキーは知っているのでしょう。

そして、ウィルはカウンセラーでもあり、いつしか心を許す数少ない人の1人になっていたショーンにも同じようなことを言われます。そして、自分の才能を受け入れ、自らの道を歩んでいきます。

今、子どもたちと彼らを取り巻く環境を見ていると・・・人は、自分の今いる位置や立場、特性を知らずして、次の道を見つけ、切り開いていくことは難しいのに、それを子どもたちが強いられ、また大人は子どもたちにそれを要求している・・・、そして、学校にも、高校にも、大学にもそれぞれの役割があり、そのときの風潮や気分に流されてはいけない土台があるはずなのに、社会はそれを求めようとしている・・・と感じます。そして、それが閉塞感、息苦しさにつながっています。

勉強は、一生続くものです。その「学び」の土台を中学、もしくは高校卒業までに築かないと、困るのは子どもたちです。子どもたちを愛する人々の導きが大切だとつくづく感じる今日この頃です。

さて、最後になりましたが、連載の皆さん、そして小野君、新春特大号への寄稿をありがとうございました。この3月に発行10周年を迎える「てらこや新聞」をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

(Y.K)
by terakoya21 | 2015-02-24 13:57 | あとがき

あとがき (てらこや新聞117号 より)

*てらこや新聞117号は 2014年12月15日に発行されました。

この新聞が発行される頃には、結果が出ているはずなのですが、私はこのあとがきを「衆議院議員選挙」―いわゆる総選挙の投票日に書いています。

選挙が公示されてから・・・高校生に「今、投票権があったら、どの政党に投票しますか」という質問をしてみました。返答は「投票しても変わらないから、行かない」という意見もあれば、「○○よりはましだから」など、周囲の情報の受け売りのような意見が多く、若者の「熱さ」と「明るさ」のなさに、私はかなり落胆しました。たぶん、私の方が熱く、軽い・・・と思います。

仕事の領域を超えているのではないかと思う「余分なお世話」をする姿に、「人の子のために、よくそこまで・・・」と、よく知人、友人に呆れられる私ですが・・・私は一見子どもたちのために見える多くの行動を、自分のために行っていると思っています。

「情けは人のためならず」

人にかける情けは、巡り巡って自分に戻ってくるもの。同様に、目の前に自分のできることがあるのに、それを怠ることは、巡り巡って、自分のもとに戻ってくるものだと思うのです。

今でも小学校、中学校の社会科の授業で先生方に教えられたことが、私の心に鮮明に残っています。「年金は、自分たちのためではなく、この国を支えてきてくれた高齢者のために払うもの」、そして、「公務員は、多くの人がしたくないけれど、誰かがしなくてはいけないことをしてもらうためにいる人たちである」・・・そして、税金は、自分たちの生活する国を支えるために払うもの―

子どもたちよ、自分たちの生活は、自分たちの力だけで成り立ってはいない―。多くの人々に助けられ、そして、支えられ成り立っている。そのことを忘れるな・・・と私の育ちの中で、寄り添ってくれていた大人たちは、いつも語りかけてくれていました。

「投票に行っても変わらない」

本当にそうなのでしょうか。そうやって、自分だけで物事が完結してしまうような思考を多くの人がするから「変わらない」のではないかと・・・私は思うのです。今すぐには「変わらないかもしれない」―でも、地道な努力を続ければ、変わることもあるかもしれない―そんな「希望」を持ち、自らの努力を続けることの大切さを・・・大人には、もっと気がついてほしい―そして、その希望を子どもたちに伝えてほしいと願わずにはいられません。

同時に、今年も、来年も、またその次の年も・・・私たちはその希望を伝えていく努力を惜しまず続けたいと思いを新たにする日曜日です。

さて、2014年最後の「てらこや新聞」の発行です。連載の皆さん、いつもお忙しい中、素敵な原稿をありがとうございます。

「寺子屋かめい」15年目、 「てらこや新聞」10年目のこの1年は、私たちの「継続」への「心意気」を試されるような出来事ばかりの1年でした。一方で、教え子たちに多くの力をもらう1年でもありました。2015年・・・15周年、10周年に向けて、これからも努力を続けたいと思います。

読者のみなさん、そして連載の皆さん、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
(Y.K)
by terakoya21 | 2015-01-21 09:58 | あとがき

あとがき (てらこや新聞116号 より)

*てらこや新聞116号は2014年11月15日に発行されました。

このところ、ときどき、ニュースなどで「子どもの声は騒音か」ということについて議論されるのを聞きます。

我が家にときどきやってくる小学生の姪っ子たち、現在小学2年生と5年生ですが、年老いた母と40代の兄と普段は生活をしていて、夜遅くまで仕事をしている私にとって、目覚めた瞬間から発せられる彼女たちの高い声は、ときどき「騒音」だなと感じるものです。岐阜の田舎の一軒家で育っている彼女らは、都会の子どもたちと違い、近所への配慮もそれほどいらないので、ま、さ、に、「騒音」のような声なのです。

けれど…姉も私も田舎の一軒家で騒音など気にしたことのない環境で育ち、幼いころから剣道をしていただけあり、天然のアンプリファイヤ-を持っているかのような大きな声を出して育ってきました。-今でも十分大きな声で、子どもたちには負けない勢いがあるという話も?!?!…おそらく、私たちも大人に同じように思われながら、育ててもらったのでしょう。だから、たとえば、大事なお話をしているとか、誰かが病気で寝ているとか、周囲に配慮すべき事情がない限り・・・「騒音」ではなく、「BGM」として聞き流すようにしています。

数年前に、寺子屋の近所の中学校での体育祭の前日、体育祭のプログラムを持って、先生が生徒を2名連れて「うるさくしてご迷惑をおかけしますが・・・」とあいさつに来られて、びっくりしたことがあります。寺子屋の隣が私の 実家ですが、幼いころから住んでいたその家では、昔から中学校のチャイムや喧騒はもちろんのこと、少し遠いところにある小学校のチャイムなども風向きや天候によっては聞こえる場所にあります。また、現在その中学校の体育祭が行われる市営グランドの音は筒抜け、日曜日など休日に行われるスポーツイベントなどの音は朝早くから聞こえ、 その一角には市営プールもあるため、夏場は毎日にぎやかです。

確かに-うるさいと言ってしまえば、うるさいのでしょう。立派な「騒音」になりえます。けれど、この「うるささ」は子どもたちの健全な成長に必要な音からくるものです。レストランや劇場などでの、場をわきまえず、それを注意しない大人の体たらくから発する「音」ではありません。その時と場合への区別、配慮をし、また、世の中「持ちつ持たれつ」そして、「お互い様」であることを心に…子どもたちの健全な育成が成せる社会であってほしいと願わずにはいられません。

さて、いつものように最後になりましたが、連載の皆さん、お忙しい中、原稿をありがとうございました。今年の「てらこや新聞」の発行も あと残り1回となりました。10年目の今年は、1号、1号に続けることのむずかしさを改めて実感し、皆さんに感謝をしております。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(Y.K)
by terakoya21 | 2014-12-28 09:21 | あとがき

あとがき (てらこや新聞115号より)

040.gif*てらこや新聞115号は、2014年10月15日に発行されました。
また、こちらのブログでの掲載には、115号の「英文法の底力」の記事が抜けています。挿絵の掲載方法が解決できましたら、のちほど掲載したいと思っております。
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もう今年も残すところあと2か月あまりとなりました。年々、月日の流れが忙しなく感じるようになったのも年のせいでしょうか。

また、毎年のように変化する気候のため、体がついていかないように感じるのも年のせいでしょうか(笑)。

少し前まで、生徒たちの肌の色や、学校行事で季節の移り変わりを感じていたように思いますが、学校行事も様変わり、子どもたちと共有できるものや感覚が減っていくようで、寂しいような、悲しいように感じることも増えています。

時代に合わせた変化や改革も時には必要ですが…残していきたい感覚やものも消え去っていくような変化の速度に―これも加齢のせいに してよいのだろうかと途方に暮れることがあります。

特に私たちは、英語という「言葉」を教える立場の人間です。子どもたちの語彙の貧しさと、また、それをごまかすように使われる新しい 言葉の弊害を毎日肌で感じます。

芸術の秋―行楽の秋、読書の秋が深まりを見せていますが、自然や芸術を愛で、書に親しみながら…子どもたちと実りのある会話を心掛けて下さい。そして大人として子どもたちに伝えるべきことを伝えてほしいと願っています。

さて、いつものように 最後になりましたが、連載の皆さん、お忙しい中、 原稿をありがとうございました。「駄菓子のあいや」コーナーでは 「クリスマスツリーの飴」が出てくるような季節になったことを実感しています。今年の「てらこや新聞」の発行もあと残り2回となりました。10年目の今年、続けることのむずかしさを改めて実感し、皆さんに 感謝をしております。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(Y.K)
by terakoya21 | 2014-11-26 09:30 | あとがき

あとがき (てらこや新聞114号より)

読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、行楽の秋、芸術の秋、文化の秋

秋は、いろいろなことのできる季節のようです。私は、相変わらず、もっぱら「読書の秋」です。

「忙しいのに、よくそんなに本を読む時間がありますね。」と時々言われるのですが、「時間」というのは作ろうと思えば、「時間がない」ということはないのだろうなと思います。もちろん、世界一周する時間や、宇宙旅行をする時間がないということはあるにしても…。日常のちょっとしたことをするのに、「時間がない」というのは、「時間を作る気がない」だけのことがほとんどです。

発想の転換―英語の表現で、a little を使うか little を使うか、a few を使うか fewを使うかで全く同じものが話し手や書き手の主観で表現できます。

瓶に入っている同じ量の牛乳を、ある人は
There is little milk in the bottle. (瓶に牛乳はほとんどない。)と表現し、

また、ある人は
There is a little milk in the bottle. (瓶に少しの牛乳が入っている)と表現する。

同じものを見ても、聞いても、肯定的にとるか否定的にとるかは…その人の心理的な状態が大きく影響を与えるわけです。

この夏、確かに私のスケジュールは忙しないものでした。そして、せっかくの休みも姪たちの相手や母の看病で終わっていました。けれど…逆に、姪たちがいなければ、もっと長い間行かなかったであろう、「鳥羽水族館」を訪れることができ、母が風邪を引いたのであまり出かけることのなかったお盆休みに、私は読みたかった本たちを読み切りました。(^_^)v 見方を変えると、かなり恵まれた時間を過ごしたことになります。
発想の転換が、今、子どもたちと子どもたちの周囲にいる大人に必要だと感じます。

「英語」を勉強するのはなぜなのか。「大学」に行くのはなぜなのか。そして―子どもたちに何のために勉強させているのか。また、「勉強」とは何なのか。

その答えを、大人たちが見失っている間に、子どもたちの置かれている環境は険しいものになっています。

大人たちがそれぞれに口にする言葉で、子どもたちが迷い、傷つき、悩み続ける―。そんな姿をよく見かけます。そういう子どもたちの親御さんたちとお話をすると共通して見えてくるのは、親御さんの「熱意」と「真面目さ」です。でも、その熱意も真面目さも、子どもたちのためである前に、自分たちのためであるように思えてなりません。それでも、健気に子どもたちは、お父さんやお母さんが自分のために言っていること、やってくれていること―と受け止め、頑張ろうとしている―。 そんな生徒が増えているように思います。

大人たちは、良かれと思って口にしていることが多いのですが…子どもたちは、それを受け止めるだけの経験も、知識もないことが多いのです。そして、時代の流れとともに、以前は「当たり前」であったことも、今はそうではないことも多く、また、突然「当たり前」であるかのように前に出てきた問題に…子どもたちは戸惑っているように見えることもあります。 少し見方を変えてみて、子どもたちの目の前の現実を見直してみてほしい、それと同時に、子どもたちに大人たちの見ている現実を少しずつ知らせていってほしいと願っています。

さて、いつものように最後になりましたが、連載の皆さん、ありがとうございます。私たちも日常の喧騒に流される生活が続いていますが、「てらこや新聞」発行から10年目の今年、寺子屋かめいも15年目を迎えています。少しずつ立て直しを図り、次なる挑戦に向けて準備を始めたいと思っております。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

そして、読者のみなさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(Y.K)
by terakoya21 | 2014-10-22 14:52 | あとがき

あとがき (てらこや新聞113号より)

040.gif* てらこや新聞113号は2014年8月20日に発行されました。040.gif

お盆休みの間に、「きみの友だち」(重松清著 新潮文庫)という題名の小説を読みました。帯に「友だちって何だろう?その意味をちゃんと知ったら、世界はもっと優しくなる。」とありました。そして、裏の「あらすじ」が、「私は『みんな』を信じない、だからあんたと一緒にいる―。」と書き出されていて、思わず買って読み始めました。

私も「みんな」を信じないで、学生時代を過ごしてきました。少数の仲の良い友だちがいればいい。友だちなんて少なくてもいい―そう信じて26歳まで学生生活を送りました。ときには、心無い中傷に傷つけられても―おそらく私も多くの人を傷つけてきたでしょう―「みんな」といることを出来る限り避けてきました。それでも、気が付けば、学生を卒業して20年近くが経つというのに、今でも何かあったら助けてくれる多くの人々に囲まれています。

私は、今でも、「みんなで頑張ろう!」なんていう人はあまり信用しません。それは、誰なのかはっきりしない「みんな」に基準を置く人たちは、自分の「責任」をとることがないからです。「みんなもそうしている」、「みんなが、していたから」という言い訳をして…。

そして、今、学生―特に中学生、高校生を教えていて、この「みんな」というマジックワードが子どもたちを苦しめていると感じます。別に「みんなに」好かれる必要などないのです。「みんなと」仲良くする必要はないのです。

一部の気の置けない友人と楽しく、ときには喧嘩をして、仲直りして過ごす友だちが「友だち」で…「私たち、友だちだよね」なんて確認する必要もない関係―そして何年か後に振り返って、笑顔になる―そんな関係が、後から振り返って、「友だち」なのだと私は思います。

なのに、大人が「みんなと仲良く」と二言目には口にします。そして、子どもたちは、その「みんな」から外れることを殊の外恐れています。その呪縛を解くことが必要だと思うことが増えています。

とても良い小説でした。一度読んでみて下さい。

さて、いつも通り、最後になりましたが、今月も連載の 皆さん、ご協力ありがとうございました。先日会った卒業生に「毎年同じこと言っとる」と言われましたが…今年は特に忙しい夏になってしまったために、20日発行にした今月号ですが…今年中に、やはり原稿は遅れがち…。今年度後半、なんとか、ペースをつかみなおしたいと思っています。

皆さん、これからもよろしくお願いいたします。
(Y.K)
by terakoya21 | 2014-09-28 14:39 | あとがき

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


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