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2019年 04月 30日 ( 1 )

宇治だより (てらこや新聞164-167号 下西さんのコーナーより)

宇治だより⑤
「芭蕉と蕪村のえにし」の巻

一昨年の7月、母が92歳で亡くなりました。最期の4年は、病院で過ごしたものの、徐々に体力が衰え、 歩行はおろか会話もできなくなり、枯れるように逝きました。母は若い頃から俳句を趣味としており、同人誌に投稿したり、NHK学園の俳句講座を受講したりしておりました。遺品の中に俳句手帳を見つけ、遺作の一部を遺稿集「蝉時雨」と題して、まとめました。親不孝な娘の罪滅ぼしのつもりで、四十九日の法要に間に合うように、気持ちを込めて。


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 句集名の『蝉時雨』は「(せみ)時雨(しぐれ)訃報(ふほう)届きたる後も」 から付けました。ちょうど母の通夜・告別式の折の私の心境をも言い当てていました。

母の句を詠みながら、その場所も情景も心情も思い当たるのに、まねして作ろうと思っても、全くできません。母の脳内には「俳句を成すためのアプリ」が備わっているかのようです。黛まどか・茂木健一郎著『俳句脳』(角川新書)に出会い、母も俳句脳を獲得したのだと 確信しました。


 その著書の中に、黛まどかさんの「俳句は祈りの詩」であり、「思いを述べないで祈る」のであり、「余白に祈りが込められている」の一節に出会ったとき、ああそうだと、思わずうなずきました。母の句を詠んだときに感じる切なさは、その「祈り」に触れたからでしょうか。


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京都市左京区一乗寺才形町に、松尾芭蕉(1644~1694)・与謝蕪村(1716~1783)ゆかりのお寺、金福寺があります。

金福寺の境内には、茅葺屋根の「芭蕉庵」があり、蕪村の墓もあります。蕪村は荒廃していた「芭蕉庵」の再興に寄与しました。安永5(1776)年、61歳のときです。このころには、夜半亭という結社の後継者として 名を成しており、「芭蕉庵」にても写経社の名で句会を開いておりました。

大谷晃一著『与謝蕪村』(河出書房新社)で、蕪村の人生を学びました。大谷さんの見解がすべてではないでしょうが、蕪村が具体的な「姿」として起ちあがってきました。勝手に作っていた蕪村のイメージ、例えばひげ面蓬髪で、ヨレヨレの着物を着て…ではない姿が。

父と母が主人と使用人の関係だったこと。「与謝」が母の故郷の地に由来していること。出身地の大阪(毛馬)を離れ(16歳ころ)、俳諧と南画のつてで関東・東北を放浪し修行したこと。借金を返すために絵をかきまくったこと。蕪村にも家族がいたこと(42歳で所帯を持つ)。娘を溺愛したこと。花街の女性と老いらくの恋もあったこと。芝居が好きで、花街にも出入りしていたこと(当時、島原などは文芸の行われる場所でもあった)。

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金福寺では、蕪村ゆかりの品々を見ることができました。『洛東芭蕉庵再興ノ記』で芭蕉庵の由来と再興した志を述べた文章に接し、「耳目(じもく)(はい)(ちょう)こゝに玉まく芭蕉庵」の句に、全身(耳目肺腸)で芭蕉庵が新しくなった喜び(「玉まく」が初夏の季語で丸まった若葉が伸びようとしている様子)を感得しました。『奥の細道画巻』は、芭蕉の『おくのほそ道』に芭蕉の旅姿を俳画として書き加えた絵巻物です。この『奥の細道画巻』は人気があって、しばしば注文に応じては描いて、生活の糧にしていたとか。

 金福寺を訪ねたのは、5月の下旬、青葉の美しい境内、まさに玉まく頃でした。芭蕉庵からは京都の市街地が遠望できました。


同じく一乗寺辺りには、楠木正成軍と足利軍が激突した折の  「大楠公戦陣碑」、宮本武蔵ゆかりの史跡「一乗寺下り松」、詩仙堂、曼殊院、狸谷不動などもあり、京都市の中心部からは外れた場所ですが、見所いっぱい、歩いて楽しめるモデルコースでもあります。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入南側辺りが蕪村の終焉の地です。祇園祭の最中の7月13日、当地を訪ねました。蕪村終焉の地の駒札は、美しい格子戸の商店(呉服屋かな?)の前にありました。祇園祭協賛の商談会があるのか、人の出入りが多く、華やいでいました。近くには「船鉾」「伯牙山」「岩戸山」の山鉾が並んでおりました。

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 ちょうど「船鉾」の曳き初め(試し曳き)のイベントに遭遇しました。 この曳き初めだけは、一般の人にも開放されるとのこと。船鉾は、鉾の上に囃し方などすべて乗り込み、音頭取りのソーレの掛け声とともに、本番さながら、8トンを越える鉾が動きました。新町通を四条通りまでの400メートルほどを動かしました。曳くといっても、運動会の綱引きのように力を込めて曳く必要もなく、大勢の人とこの幸運を楽しみました。

船鉾は17日の山鉾巡行にあわせ、11日から鉾を組み立て初め、工芸の粋を集めた懸想品といわれる装飾(船首に木彫の(げき)・側面に天水引・後ろに見送り)が施されていました。


by terakoya21 | 2019-04-30 08:30 | 新聞164-167号

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