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上越だより (てらこや新聞40号 下西さんのコーナーより)

美術館便り

絵を描くことは、苦手です。いや、嫌いと言った方がいいかもしれません。子供の頃、「見たままを描きなさい。」と言われて、「そういわれても形がとれない。立体を平面に写し取るにはどうすればよいのか。」と漠然と思っていました。そんな思いは、何十年も経った今は確信を持って、「できません!」と言い切れるほどです。

苦手と言いながらも、美術についての忘れられない思い出があります。

小学校高学年の時、校長先生が美術の専門家でした。父親がPTA会長だったからか、姉と私に特別に油彩画を教えてくださったことがありました。画用紙ではなくキャンバスに風景を写生し、絵の具を塗っていた……。目の前にある建物の形を描くのは自信がなかったのですが、青々と茂る草は、私でも描けると、キャンバスの下半分を草で埋め尽くしました。ところが、校長先生は、「この草はじゃまだ。」とおっしゃって、絵の具を削り取り、小屋の色に変えてしまわれました。子供心に、「私の描いた絵はどこ?」と思いました。

校長先生は普通、授業などしませんが、ある日、6年生を対象に絵の描き方をレクチャーされたことがありました。小学生時代のことなど40年以上昔なので、もうほとんど忘れているのですが、このレクチャーは、未だに忘れられません。

「教卓の上に花がいっぱい入った花瓶があります。これを、どう描くか。」というのが、この日のテーマでした。当然、わたしたち生徒は、花瓶の形をなぞり、幾種類かの花を、花びらの形を写すという作業をしました。しかし、先生の指導は、形を写す上手なやり方を教えてくれなかったのです。

「花の周りには、花が発散する匂いがあり、空気がある。青い花には青の空気が、花の輪郭を越えて、漂っているはず。それを感じて描きなさい。形にとらわれる必要はないし、塗り絵のように色をきっちり塗る必要もない。」

絵は苦手なのに、この校長先生の話は、ずっと頭のどこかにあります。それでも、絵を描くことは上手になりませんでした。

上越市には、高田公園(高田城址で私の住宅の近く)の中に、「小林古径記念美術館」があります。平成14年に、これまであった「上越市総合博物館」を改築し、増築して、博物館と施設を共有する市立の美術館ができました。

美術館の名前になった小林古径(1883~1957)とは、上越市出身の日本画家です。現在日本で最も有名な画家の1人、平山郁夫も師と敬慕するほどの人です。

美術館(博物館)は、名称の変更だけでなく、多くの古径の作品、中でも模写や素描などをまとめて購入し、また寄付を受け「上越コレクション」ができました。

さらに、市は東京にあった古径の住宅が解体されたのを買い取り、博物館の隣、高田城・二の丸跡に移築し、庭園を整備したのは、美術館建設に先立つ平成10年のことです。古径邸は、二階建て数寄屋造りで、吉田五十八の設計に、岡村仁三という宮大工が建築に携わったそうです。和風建築の価値は、私には十分に説明できませんが、しっとりと落ち着いたたたずまいと、周囲の景観がマッチしています。これからの季節、美術館のある高田城址(公園)の外堀は、蓮の花に埋め尽くされます。

これまで、美術鑑賞は専ら泰西名画で、日本画は関心がありませんでした。したがって、古径の名前を恥ずかしながら知りませんでした。しかし、数年に一度の特別展で、古径ゆかりの作家の展覧会があり、奥村土牛・小倉遊亀・平山郁夫などの日本画を直接見ることができました。古径によって、日本画の世界に導かれたと思います。

小林古径の大規模な展覧会が、平成17年に京都国立近代美術館で行われたとき、「上越コレクション」も展示されました。なんだか晴れがましい気分で、展覧会を見ました。そして、沸き起こったきたのです、古径ってすごいんだ!!

私はこの展覧会で、「竹取物語絵巻」が一番気に入りました。かぐや姫が月に帰るシーンは、特に天人とはかくや、と思わせる華やかさがあります。

「絵が苦手」な私は、しかし美術館に行くのはとても好きです。実物だけが持つオーラというか迫力を感じたくて行くのかもしれません。
by terakoya21 | 2008-08-03 21:47 | 上越だより

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