てらこや日誌
2008年 07月 17日
昨夜、保護者の方からのメールを読んでから、このことが頭から離れません。やる気も、危機感も、自分で持つもので、他人がぎゃぁ、ぎゃぁ言ったところで始まらないのは事実ですが・・・
義務教育に通う小中学生には、先生も親も「するべきことができない場合」「するべきでないことをする場合」に口を出すべきだと私は、考えます。
ただ、出しすぎに注意することが大切で・・・このさじ加減が難しいのですが・・・
・・・放任と放置は違います。もちろん、口を出しすぎないこと以外に、成長に合わせて、控えていくことも必要です。
だから・・・口を出すことも、手をかすことも・・・さじかげんが難しい・・・
寺子屋では、基本的に・・・勉強だけではなく、日常態度についても
「言うべきことは言う」
「叱るべきときは叱る」
「するべきことはさせる」
ことにしています。
そうして、生徒に先生って「いじわる」「うるさい」「きびしい」と言われると
「この仕事は、あなたたちに嫌われてなんぼの商売」 と開き直ることにしています。
・・・というのも、私は、彼らに好かれるためにこの仕事をしてはいません。
彼らの将来、そして、日本の将来に役立ちたいと思ってこの仕事を続けています。
・・・ということは、彼らに嫌われたところで、彼らの将来に役立つということは、してもらわないと、言っておかないと・・・私の仕事には意味がありません。
・・・今、嫌われても、何年か経って、「あ、これがあの先生の言っていたことか」と気が付いてくれたり、「あのときはむかついたけれど、あとで役に立った」と言われることが私の誇りであり、喜びです。そして、毎年、何人かの卒業生が寺子屋を忘れず顔を出してくれる・・・
それが、私の楽しみです。
すでに今年も、「帰省したら顔を出しますね」「お手伝いすることありますか」と声をかけてくれている卒業生がいて・・・
彼らの顔が見られる夏休みが目前に迫り・・・楽しみにしているところですが・・・
なんだか、最近、嫌われることを恐れて、子どもたちに言うべきことを言えない大人が・・・子どもたちの周りに増えているような気がして・・・そして、それを「放任」だとか「個性を生かす」だとかきれいごとでうまくごまかしているような気がして
残念です。
「嫌われ」て困るのは誰ですか。・・・子どもではなく大人ではないですか。
私たちが嫌われても、子どもたちに伝えるべきことを伝える・・・
「厳しい」と「やさしい」は反義語ではありません。
昨日のメールをいただいて、私は、いつも厳しいけれど、優しい先生でありたいと思いを新たにしました。
このメールを下さった保護者の方は、私と同じ意見を持ってくださっていて・・・とても心強く思いました。そして、私も頑張って、この保護者の方を出来る限り、支えたいと思っています。
(Y.K)