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あとがき (てらこや新聞38号 亀井先生のコーナーより)

遠足、体育祭、社会見学、修学旅行・・・新緑が美しく、いろいろな花が咲き、みずみずしい―――行事にはもってこいの気候が続く季節です。でも、一方で「五月病」という言葉があるように、4月に始まった新生活に少し慣れたようでもありながら・・・適応できない不安や不満がつのる時期でもあります。

そんなとき、皆さんはどうしますか。私は・・・5月にも何かを新しく始めてみるようにしています。今年は、ジョギング。2年前の5月1日に始めたジョニーとの林道散歩、やはり、去年のこの時期、歩く道を夏場は勾配のきつい峠までの道に変えました。そして、今年・・・峠が凍結する心配のある冬を越えて、また峠までの道に戻ったところ・・・去年はきつかった道のりを、今年はらくらくと登れることに気がつき・・・5月初めから、下り坂のみのジョギングを始めました。体の筋肉の不思議を感じながら、毎朝すがすがしい汗をかいています。

・・・と私はどちらかというと何か困難にぶつかったとき、自分を苦しめる方向に持っていくタイプのようです。一方で、少し負荷を軽減し、のんびりすることを選ぶ人もいるでしょう。それはそれで、他の人にその負荷を転嫁するという方法でない限り、良い方法で、私もそのように過ごせたら・・・・持病の痛みや苦しみも少しは減ってくれるのではないかと・・・ときどき羨ましく思います。一方で、私がそれをしたら、怠ける方向に向かい、かえって状況が悪化するであろうことも想像できるのですが・・・。

この自分に合った社会への適応法は、自分で見つけていくものでしょう。そして、それを一人一人が、自分で見つけていくために、大人は子どもに言うことだけ言ったら、見守る姿勢が必要なのだと、塾で毎日子どもたちと接していて、切実に感じます。

その中で、「言うことだけは言う」という大人の姿勢が大切だと思います。そして、その姿勢は、状況にもよりますが、最初は厳しいものであって欲しいと思います。私は、高校留学時と大学受験のときの父の言葉が忘れられません。そして、その言葉は、困難に立ち向かうときの私に合った助言であり、私の高校留学と大学受験の成功の鍵だったと今、思います。

私の高校留学の年、文部省(現文部科学省)の高校留学への対応が変わりました。それまでは留学後「留年」することが当たり前だったのですが、そのまま留学前の学年への「進級」が可能になったのです。それに対応して、私が通っていた私立高校でも、基準を設け、日本の成績に加え、向こうでの取得単位により進級を認めると方針が変わりました。しかし、「留年」することに戸惑いを感じていた私も、アメリカでも決められた科目を履修し、単位をとるということに疑問を感じました。そのとき、父は「アメリカ留学の目的は何かをよく考えて自分で決めろ」と・・・決断を私に任せました。そして私は、「留年」を決意しました。

大学受験前の12月・・・外国語学部に行きたいという思いと、「外国語学部」の現実の前でいわゆる「滑り止め校」が見つからずにいると・・・父は「夢に妥協するぐらいなら、大学などに行く必要はない。だから、滑り止めなどいらない。そして浪人も許さない。」と私に告げました。高校を留年していた私に「浪人」という選択肢がないことはわかっていましたが、「滑り止め」にお金を出す気はないという父に「なんて親だ」と思ったのも事実です。しかし、「自分を追い込む」ことで結果を出す私の性格からいうと、父のこの言葉は私を奮起させるのに十分でした。

子どもは、親が思っているほど弱く、単純な生き物ではありません。それは、大人がいつも強く、複雑な生き物ではないのと同じです。子どもは大人とのふれあいの中で憤り、考え、成長していくものだと思います。だから、大人はある程度子どもにとって憤りを持たれる存在であっていいのだと思います。また、そのような存在が、子どもたちに成長する隙間を与えるのでしょう。
そんな存在であるために、日頃、できる限り子どもたちと話をして下さい。どんなことに子どもが奮起し、どんなことで萎えてしまうのか。そして、問題解決のために、あまり手を指し延べないで下さい。今の子どもたちは、自分ですること、しなければならないことに気がつかないことが多くあります。それは・・・大人が手助けをしすぎるからです。少し、冷たく、厳しく、手を離してみてほしいのです。子どもは自ら解決策を見つけ出してくる能力を持っているのです。

一方で、大人たちは、子どもたちを「追い込んだ」とき、必ず、逃げ道を与えることが必要です。留学寸前に、父は「アメリカでしかできないようなことをいっぱいしてくるといい。成績ばかりを気にしなければならないのであれば帰国後の「進級」にたいした意味はないだろう」と私の決断を支え、大学受験の際を振り返ると必ず「信じていたから」と言います。その父の気持ちは、いつも私が安心して物事に取り組めた理由であり、今でも私の原動力です。

親御さんはもちろんのこと、社会の大人は、子どもたちの可能性を・・・いつも、どのような形であっても信じてほしいと思います。それが、子どもたちを健全に育てる一番大切な要素です。その信頼は、子どもたちを「追い込む」要素でもあり、子どもたちが安心して逃げ込める場所にもなります。

さて、今回のてらこや新聞では、私の五月病対策ではありませんが(^_^)、待ちに待った小野君のコーナーが再開しました。小野君、忙しい中の寄稿ありがとうございました。これからも楽しみにしています。(^_^)私は「若者=なってない」と考える大人がいる社会は健全な社会だと思います。そして、世の中には「そうじゃないのに!」と言いたくなる場面が多くあります。それでも、その悔しさは、自戒にも、力にもできるものだと思っています。また、もはやレギュラー枠を しっかりと埋めて下さっている下西さんのコーナーに、私は、毎回、自分の無知や怠惰を思い知らされながら、知ることの喜びを教えていただいています。ありがとうございます。

もちろん、ひとからげに連載の皆さんといつもまとめられている私の悪友と寺子屋職員の皆さんにもしっかりと感謝したいと思います。ありがとうございます。

皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします。

(Y.K)
by terakoya21 | 2008-06-20 15:36 | あとがき

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