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寺子屋の日々 Days in Terakoya (てらこや新聞26号 亀井先生のコーナーより)

まずは、己に克とう!

ブログを開設してから、いろいろな人の意見をインターネット上で読むようになった。そして、憂鬱になることが多い。それはなぜかと言えば・・・多くの人の意見が他への批判で終わっているからである。そして、私の日常の現実に目を移しても、同じような光景を見つけるからである。

そこで、私は、悩み、考える。前もって「授業でできなかったところが宿題になります」と言っても、だらだらと取り組み、多くが宿題になると怒り出したり、泣き出したりする小学生はまだまだ幼いからだと大目に見ても、予習や復習をろくにしていないくせに「学校の先生の説明が下手で、わからない」とぼやく中学生や、テストが思ったよりできなかったことに「出題の仕方が悪い」と悪態をつく高校生を見ると首を傾げ、思わず説教を始めてしまう私たちは・・・ただ、年を取っただけだろうか。

勉強は何のためにするのか。学校は何のために行くのか。そして、塾へは何を求めてきているのか。

勉強が好きという人は世の中には少ない・・・らしいが、勉強は自分のためにするものである。学校は勉強をするだけではなく、社会性を身つけるために行くのである。そして、塾は・・・学校での勉強を補うために自ら選んでいく場所である。

大人になった今だから簡単に言うが・・・自分が子供のころはどうだったのか!という意見もあるだろう。でも、不幸なことに、私は、基本的に自分のためにする勉強が好きだった。私は父の経営する塾にも大手の塾の冬期講習にも・・・自ら勉強したいと言って通った。中高一貫教育の私立も、自分から行きたいと言って選んだ。だから、・・・おそらく・・・今の子供たち・・・いや、一般的な子供たちの気持ちがわからないのかもしれない。

そして、大嫌いだった「学校」も・・・行くものだと思っていた。私は、協調性のない子だと言われ続けた。正義感が強すぎると非難を受け、正しいときも悪者にされる世界の警察を気取っていたころのアメリカのような子供だった。だから、学校ほど居心地の悪い場所はなかった。それでも、学校は自分のために行くべきところだと半ば諦め、それなりに楽しめればよいと思うことにした。本当に楽しんで通った学校は、大学の3年生以降と大学院だけだった。

けれど、少なくとも、「説明が下手でわからない」、「出題形式が意地悪な」先生や、「私たちの気持ちをわかってくれない」大人たちの存在は知っている。そして、その苛立ちや憤りを乗りこえて今があるのである。

その経験から1つだけ子供たちにアドバイスできるとすれば、「自分がどうしたいのか、何がしたいのかまずは考えろ!」ということになる。とりあえず、しなければならないとされていることをどうすれば楽にできるかをしっかり考える。そして、自分はその中でどうしたいのか。世の中には、「しなければならないとされていること」がたくさんある。それは、本来「しなければならない」のである。勉強も、通学も。「なぜしなければならないのか」を考えることも大切だけれど、「どうすれば楽にできるのか」を考えてみることも大切である。勉強はしたくなくても、した方があとの自分が楽なのだ。

「勉強なんてできなくてもいい」と言うのは 簡単だし、これも事実。だけれど、「できるに越したことはない」のも、「できた方がいい」のも事実。そして、一生懸命 努力して、成績が上がらないのと、何もしないで成績が低いのは全く違う。それは、成績というものが、学習した量や質を正確には反映し得ないからである。一流大学に行くことと、一流の人間になることは別のことである。

自分の人生である。選択肢は自分にある。いろいろ今しなければならないことがある。しかし、そのほとんどがこれから生きていく自分のためである。制度や周りの人やものが悪いといくら文句を言ったって、何も変わらない。変えたければ、変えられる力をつけなければならない。そして、今の制度や周りを変えられなくても、変えるためにも、やはり、自分が努力することが大切で、自分の「楽」への一番の近道なのである。

制度や他人を批判するのも良い、怒りや憤りをぶつけることも大切。だけれど、一通りそれをした後は、振り返って自己をも見直し、正す努力をすることが、自分にできる唯一のこと、そして一番大切なことだと子供たちには知っていてほしいと思う。             (Y.K)
by terakoya21 | 2007-05-25 23:07 | 寺子屋の日々

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