寺子屋の日々 ~Days in Terakoya ~(てらこや新聞2023年4月号 かめいのコーナーより)
2023年 05月 29日
~ The limits of my language mean the limits of my world. 私の言葉の限界は私の世界の限界である。 ~
ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言葉です。
新しい年度が始まる。3月、県立高校後期選抜入試の日から、私の中で、高校受験生は次の学年にバトンタッチ。春期講習で復習や予習を始めた。
この学年には、2人、小学3年生の頃から寺子屋に通っている生徒がいて、その生徒たちを筆頭に私の秘蔵っ子たちなのだけれど、彼らの能力はなかなか、学校の先生や保護者の方々には伝わっていないようだ。だから、今年度の私の高校受験にかける意気込みは、今まで以上となるだろうと、思っている。
そして、彼らの春期講習での一幕を今回はご紹介して、大人たちに子どもたちのためにできることを考えてほしいと思う。
英文の中に出てきた developing countries。 少し難しい単語や決まった言い方は、大概、注釈がついているのに、このときはついていなかったので、訳してもらう前に
「developing countriesは発展途上国という意味です。」
と、伝えた。2回ほど繰り返して伝えてみた。それなのに、訳があたった少年が、developing countriesを前に困っている。・・・はて? と思いつつ、
「私、さっきその意味は言ったよね。」
と、いうと、クラスメイトたちも一緒に「え?」という反応を見せて、今度は、添削ヘルプについてくれていた講師たちまで
―えぇ? と声を出した。
クラス全体がわからないというので、しかたなく私は、もう一度
「developing countriesは発展途上国という意味です。」と言った。
すると、彼らの反応は、、、「あぁぁ、それは聞いたな。」というものだった。
そこで、初めて気が付いた私が、疑問を口に出してみた。
「もしかして、『発展途上国』という言葉がどういう意味なのかわからないの?」と、、、。
すると、返事は「聞いたことがない」だった。
「うそだろう?」と内心思いながら・・・
授業後、いろいろな原因を考えて、さまざまな対策をしてみようと、改めて考えた。
―今、子どもたちが「漢字」を使わなくなっている。文字を書かなくなっている。
そして、その漢字を使わないことは、漢字の意味はもちろん、文字についてじっくり考える時間をも子どもたちから奪っている。そんな日常の中で、話を聞きながら、頭の中で文字に置き換え、漢字に変換し理解するというプロセスがなくなりつつあるのではないか、と私は考えた。
だから、子どもたちの中に、「項目」や「用語」、言い回しが定着していかないと感じることが増えている。
「今、学校ではどこを勉強していますか」という質問をすることがよくある。子どもたちのその質問への返事に、違和感を覚えることが増えている。
例えば、数学の場合、生徒の返事が「x,yの式、求めたり、グラフ書いたりするとこ」であったり、「円のとこ」だったりするのだ。そして、その返事に、私たちが「あぁ、一次関数ね。」とか「円周角のところ?」などと応えれば、「わからん」とか「そんな感じの」とか言われてしまうのだ。
私が、この仕事を始めて3年目から算数や国語(当時は読書)の授業を始めたのだけれど、それは、高校生が、文のつながりを理解して漢字を使い分けたり、theyが「それらは」なのか「彼らは」なのか「彼女らは」なのかを訳しわけたりすることができないのに危機感を覚えたからだった。
それから、20年―状況は悪化の一途、そう感じている。
その原因の1つに、学校の国語以外のテストで漢字を使って間違っていたら×の問題も、ひらがななら〇という奇怪な仕組みも見え隠れする。昨年の秋に入塾してきた中学生は、日本語でする解答や訳文にひらがなが多すぎると指摘する私たちに、「漢字は国語のテストに使うものだから」と言い放った。
そして、そのひらがなも、ときどき間違っているという有様だ。
もしかすると、今はほとんど手で書かないのだから、選べたらいいじゃないか、という大人もいるのかもしれないー。だけれど、ほとんどインプットのない状態で、正しく選べるはずもない。
「今日、逝きます」というメールを生徒からもらったことがある。
その前後のやり取りがなければ、心配になるメールだけれど、「どこへ行くつもりなのか」と受け取ってつぶやいたのを覚えている。そして、ひらがなばかりで書かれた訳文は、もはや、もう一度、翻訳し直さなければならない外国語のようだ。
目の前の子どもたちが私たちが伝えることを、今すぐできるようにするのが教育の目的でも、子育てのゴールでもない。でも、いつか彼らが何かに気づいたときに、わかる、または将来彼らが何かを理解するきっかけになってくれることを願って、今伝えておくことが、教育であり、子育てだと私は思っている。
子どもたちが子どもたちのペースで成長をしていける環境を整えるためにも、小さなことに見えても、国語の授業やテストの時以外に、漢字を使わなくてもいいという環境には、断固として反対したい。漢字を使えないことが、日本人の大切な能力を削ぎ落とすことは、目に見えてあきらかだと、この23年の経験から感じている。
言語の限界は、世界の限界なのだから。
(Y.K)