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上越だより (てらこや新聞111号 下西さんのコーナーより)

「移動祝祭日」

もし若いときにパリに住む幸運に巡り合えば、後の人生をどこで過ごそうとも、パリは君とともにある。なぜならパリは移動する祝祭だから。(今村盾夫 訳)

この一節は、アメリカの小説家ヘミングウェイ(1899~1961)が書いた『移動祝祭日』の冒頭です。彼は 20代前半に新聞社の特派員として、また作家として、パリで生活していました。そして、その頃の思い出を 晩年にまとめたもので、彼の死後出版されたのが、『移動祝祭日』です。

上越だより (てらこや新聞111号 下西さんのコーナーより)_c0115560_11482038.jpgヘミングウェイは、モンパルナスやカルチェ・ラタン、サンジェルマン・デ・プレ一帯に生活し、在パリのアメリカ人作家(ガートルード・スタイン、フィッツジェラルドなど)や多くのアーティストと交友を深めていました。そのころ、パリの 美術界は、「エコールド・パリ」の時代を迎えていました。「エコールド・パリ」とは、「パリ派。第一次世界大戦後、繁栄と安定を回復したパリに来住した外国の美術家群」(広辞苑より)のことで、たとえば、シャガール(ロシア)・モディリアーニ(イタリア)・ピカソ(スペイン)、そして藤田嗣治もその一人でした。

ウディ・アレン監督の映画『ミッドナイト・イン・パリ』では、現代の小説家志望のアメリカ人ギル・ペンダーが、1920年代のパリにタイムスリップします。映画の中で、ヘミングウェイや「エコールド・パリ」の面々が闊歩しており、ギルが迷い込んだ場所の一つがセーヌ川左岸、モンパルナス付近でした。

12月9日、パリの北、アニエル・シュル・セーヌに滞在していた私たちは、地下鉄13番に乗り、蛇行しているセーヌ川を2回も横切り、一気に南下し、モンパルナス、カルチェ・ラタン、サンジェルマン・デ・プレ方面に足を運びました(ガブリエル・ペリ駅~モンパルナス・ビヤンヴニ駅)。

地下鉄のモンパルナス・ビヤンヴニ駅付近にモンパルナス・タワーがあります。モンパルナス・タワーは、59階建ての近代的なビルですが、地上210mの屋上からパリの街が一望できました。屋上からの風景は、グレーの濃淡で描かれているようで、色彩が乏しい印象でした。

まず、リュクサンブール公園を目指して、街歩きの始まりです。

リュクサンブール公園は、ルイ13世の母マリー・ド・メディシスの居城、リュクサンブール宮の庭園でした。ここは、多目的に楽しめる公園でした。リュクサンブール宮の一部である美術館に入ってもよし、建物わきの椅子に腰かけ、日向ぼっこもよし、新聞や本を広げてもよし、テーブルを囲んでチェスの対戦をするもよし、池の周りで憩うのもよし、開放的なイタリア風庭園を愛でるのもよし、マロニエの木陰で太極拳をするもよし。私たちは、街角のパン屋さんで買ったバゲットのサンドとブリオッシュの昼食を楽しみました。このパン屋さんは、パリ版「おばあちゃんのパン屋さん?」で、なかなかいいお味でした。

上越だより (てらこや新聞111号 下西さんのコーナーより)_c0115560_11501875.jpg遠くからでもドームが見えるパンテオンは、工事中で中には入れませんでしたが、ファサードには大きなクリスマス・ツリーが飾ってありました。パリ 大学(第Ⅰ・第Ⅱ)を見学し、学生街を歩きながら、サン・シュルピス教会、サンジェルマン・デ・プレ教会にたどり着きました。パリの街は、広場を中心に放射線状に道路が広がっていて、網目のようです。地図通りになかなか歩けなくて、ウロウロ、小路をジグザグ。現在地を見失うこともありました。そして、街歩きに疲れて休む場所が教会でした。

サン・シュルピス教会は、ノートルダム大聖堂に次ぐ、パリで2番目に大きな教会で、中央に祭壇があり、片側に大きなパイプオルガンがありました。教会の前には広場もありました。ここは、映画『ダ・ヴィンチ・コード』に登場した教会です。広い堂内には、我々のような観光客もいて、写真を撮っていました。が、買い物帰りの人、ベビーカーを押した若い母親、ビジネスマン風の男性が、椅子に座り手を組み祈る姿、あるいは休息する姿にも出会いました。教会の裏手に「MUJI(無印良品)」の店があり、なんだかうれしくなりました。ちなみに商品の表示は日本語でした。

上越だより (てらこや新聞111号 下西さんのコーナーより)_c0115560_11513828.jpgサンジェルマン・デ・プレ教会は、6世紀に創建されたという歴史のある教会です。ロマネスク様式の教会の前には、電飾で縁取られた屋台が並んでいて、クリスマスの風情に浸ることができました。

この日の街歩きの最後に、サンジェルマン・デ・プレ教会の向かいにあるカフェ「レ・ドゥ・マゴ」でコーヒーをいただきました。すっかり日が落ちた師走のパリは、昼間より幻想的になっておりました。

ヘミングウェイは、『移動祝祭日』の最終章をこのように結んでいます。

パリには決して終わりがなく、そこで暮らした人の思い出は、それぞれに、他のだれの思い出ともちがう。私たちがだれであろうと、パリがどう変わろうと、そこにたどり着くのが、どんなに難しかろうと、もしくは容易だろうと、私たちはいつもパリに帰った。……

私にとっても、パリの旅を思い出しながら文章をまとめている時間は、紛れもなく「パリを旅している」時間でした。パリに限らず、旅をすることは「祝祭日」なのだとも感じ、ヘミングウェイの「移動祝祭日」のネーミングの秀逸さを実感しました。

「もはや若くなくても、旅する幸運に巡り会えば、その体験は、その後の人生がいかなる状態になろうとも、人生に彩りを添えてくれるだろう。」Takako Shimon


   


≪参考文献≫『移動祝祭日』ヘミングウェイ著 高見浩訳 新潮文庫
『ヘミングウェイのパリ・ガイド』今村盾夫著 小学館
『地球の歩き方 パリ&近郊の町』ダイヤモンド社など
by terakoya21 | 2014-07-13 11:52 | 上越だより

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