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上越だより 「ヨーロッパ編」 (てらこや新聞110号 下西さんのコーナーより)

「プラハの春」を想う

プラハに約2ケ月を過ごしましたが、渡航前には、チェコ共和国やプラハについての知識はわずかでした。ミュシャのポスターとか、ボヘミアングラスとか、テニスのナブラチロワの出身地だとか、「おお牧場はみどり」という歌のふるさとだとか……。

c0115560_20152072.jpg10歳のころ東京オリンピックで、チェコスロバキアの女子体操選手チャスラフスカ選手が個人総合で金メダルをとりましたので、子供心に、「チェコ」はチャスラフスカの住む国でした。中学で、世界の地理を学習して、チェコスロバキアが東欧というグループに属し、ソ連の影響下、共産主義の国だということを知りました。15歳のころ、その東欧から聞こえてきたニュースは「プラハの春」。その20年後に、ベルリンの壁崩壊に続き、東欧諸国がソ連の呪縛から離れ、チェコスロバキアでは「ビロード革命」と呼ばれる動きがあったこと。(ちなみに、1993年の元旦を期してチェコとスロバキアは解体し、それぞれ独立しました。ビロード離婚と呼ばれることも。)

渡航前に読んだ長編小説『プラハの春 上下』(春江一也著 集英社文庫)は、1967(昭和42年)年から1969年の、チェコスロバキアの民主化・改革運動の流れと挫折という歴史的事実を縦糸に、在チェコスロバキア日本大使館員である堀江亮介と、 東ドイツ出身でありながら反体制活動家カテリーナとの恋愛を 横糸に、紡がれています。社会主義の改革・自由化を目指した「プラハの春」がどんな経緯で起こり、つぶされて(民主化に逆行)いったのかが、克明に描かれておりました。
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「バーツラフ広場」は、北西から南東に伸びる広場で、長さ750m、幅60mという細長い通りで、高級ホテルやレストラン、ブランドショップや土産物店などが立ち並ぶ繁華街です。南端には「国立博物館」があり、広場の中ほどには、「聖バーツラフ(ボヘミア最初の王)の騎馬像」があります。観光客にとって、格好の写真撮影のスポットでもありました。週末には、食べ物の屋台が立ち、野外の居酒屋といった趣で、またクリスマス前には、クリスマスマーケットが開かれておりました。

しかし、この場所は、チェコスロバキアの様々な歴史の舞台となった場所でもあります。1968年8月20日、ソ連軍の戦車がこのバーツラフ広場に乗り入れました。

乱舞するヘリコプター、戦車、戦車、戦車、ヘッドライトの列だった。党中央委員会本部あたりは動き回る戦車や装甲車の交錯するヘッドライトに包囲されていた。高台にまで伝わってくる戦車群の轟音、空へ向けた威嚇射撃、まるで花火のように赤い閃光が飛んだ。このとき午前4時、プラハ中心部はほぼ完全に制圧されていた。黒々とした百塔の街のシルエットが涙にゆがみ、にじんでいった。(春江一也著『プラハの春 上下』より)

このソ連軍プラハ侵攻に対し、流血を回避したい市民は冷静に、しかし機知に富んだ対応をします。戦車のソ連兵に話しかけたり、食事を提供したり……

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人々の結束した行動は信じがたいことだった。亮介は感嘆した。アパートの郵便受けの名札や番号が消えてしまった。アパートの玄関の上にある番号標札もはずされてしまった。プラハ市内は幹線道路の大型道路標識がペンキで塗り潰され、あちこちにモスクワへ1800キロと書かれていた。バーツラフ広場の 市内案内標識も取りはずされた。交通標識の自動車進入禁止マークは、戦車進入禁止マークに変わっていた。(春江一也著『プラハの春 上下』より)

1969年1月16日、バーツラフ広場のバーツラフ騎馬像前で、カレル大学の学生ヤン・パラフは、ガソリンをかぶり、自ら火をつけました。「絶望の淵にある民族を解放するため、焼身自殺という非常手段を取ることにした……。8月を忘れるな!」と言い残して。ここには、現在、慰霊碑が建てられています。私が訪れた時にも、花と蝋燭が供えられていました。

小説『プラハの春』にゆかりのある場所として、「バーツラフ広場」のほかに、「日本大使館」(主人公・堀江亮介が勤める)、「カレル大学」(堀江が愛するエカテリーナがドイツ語の講師として勤務、焼身自殺したヤン・ パラフは文学部哲学科の学生)があります。

c0115560_2016301.jpg「日本大使館」は、マラー・ストラナ(小地区)にありました。18世紀に建てられた騎士の館で、「トゥルンバ 宮殿」と呼ばれていました。プラハ城の麓、南側に広がる歴史的建造物が立ち並んでいるところで、モルダウ(ヴルタバ)川に架かるカレル橋の近く、石畳の細い通路を歩いていて、日本大使館を見つけることができました。近くにフランス大使館もありました。

「カレル大学」は、1348年にカレル4世が創設した歴史のある大学です。旧市街(ストレ メスト)にありますが、大学の建物の全景が街並みに同化して、どこに大学があるかよくわかりません。大学本部のシンボルとしての「カロリヌム」(装飾出窓)は、通りからだれでも見ることができます。レストランや土産物屋が並び観光客が行き交う通りの、ドア一つ隔てた向こうが大学  構内。私はカレル大学の教授の案内で、「ドア」の向こうに入りました。文学部哲学科の中に、日本文学や日本史の研究室がありました。この部屋だけは、日本語の書物がずらっと並び、日本語の会話ができました。私にとっては、砂漠の中のオアシスのような空間でした。

1989年11月9日の「ベルリンの壁崩壊」を受け、チェコスロバキアでも「静かなことこの上なく、ビロードのようになめらかに展開した反共・民主革命」(春江一也著『プラハの春 』)の結果、共産主義政権は崩壊しました。11月から12月にかけてのことです。

そして、この「ビロード革命」の舞台の一つが、バーツラフ広場でした。

日本は島国なので「国境」を意識することは少ないですが(最近はともかく)、ヨーロッパ大陸の中央部に位置する「チェコ」では、14世紀中頃、神聖ローマ帝国の首都になったこともありましたが、ハプスブルグ家の支配下になったり、ドイツに編入されたりと、国の独自性が損なわれることがしばしばありました。チェコの国民性を小説『プラハの春』で次のように表現しています。

この国の人々が歴史を生き抜いてこられたのは、しなやかな勇気と信念が支えだったということがよくわかりました。小さな国とその民族が自らの存在を守り通すということは並大抵のことではありません。

by terakoya21 | 2014-06-08 20:17 | 上越だより

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