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不思議な宣長さん (てらこや新聞105号 吉田館長のコーナーより)

第二十八話 調べて、きちんとまとめて、残す

らん 宣長さんの作った松阪のガイドブックには何が書かれていますか?

和歌子 この前お話ししたことと重なるけど、まず町の歴史ですね。この町、つまり松坂の前身ですが、もとは松ヶ島にあった。今の平生とか名残あたりだと書き始められます。

らん 平生って平生町?

和歌子ちがう、ちがう。国道23号線沿いの町平生町とか、新松ヶ島町あたりね。名残の天神と呼ばれる神社が国道の近くにありますね。そのあたりにある、丸の内村はお城の曲輪(くるわ)です、と書いてあります。

らん 曲輪ってなんですか。

和歌子 お城の構造のことで、簡単に言えば城内ですね。この構造もかんたんなものや、ずいぶん複雑なものがあります。

らん つまり丸の内村はお城の跡と言うことですね。

和歌子 今は、松ヶ島町の中に丸の内という地名が残っていますね。実はこの所には数文字の空白があって、「○○築之(○○これを築く)蒲生飛騨守○○。移当境(当境に移す)」と書いてあります。

らん ○が空白ですか。

和歌子 そうよ。この空白から、宣長が自分で調べて書いたことが分かるでしょ。

らん ああそうですね。でも、今ならどんな文字が入るのですか。

和歌子 難しいけど、松ヶ島城はもともと北畠具教がお城を築いたのが始まりだから、
「北畠氏これを築く。蒲生飛騨守天正十六年当境に移す」かな。

らん 北畠ってだれですか。

和歌子 国司(こくし)といってこの土地を治めていた人です。織田信長に滅ぼされました。

らん 「国司」は歴史で聞いたことがあります。天正16年は?

和歌子 1588年です。松坂城が出来て、町(今の松阪)が出来た年ですね。

らん 和歌子先生でも分かることを、宣長さんは知らなかったんだ・・

和歌子 今はあらゆる情報がある時代だから簡単に検索できるけど、それも宣長さんたち昔の人が、調べてデータや基礎資料を作ってくれたおかげなのよ。

らん 『松坂勝覧』が最初のガイドブックだと言われた意味がやっと分かりました。

和歌子 取材して書くというスタイルは実はもっと前から宣長さんの中で確立していたようで、お話ししたかなあ、13歳の頃から書き始めた宣長さんの「日記」は生まれた日のことから書いてあるのよ。

らん すごいなあ。

和歌子 誰もが体験していて記憶できないのが、生まれた時と死ぬときだけど、・・ごく稀に生まれた日のことを記憶しているという人もいるけどね、宣長さんは、取材して、その中から大事なところをピックアップして書いているのね。

らん それも、「日記」というより、立派な本ですよね。「調べて、それをきちんとまとめる」そして、「大切に残す」私も真似しよっと。

和歌子 すばらしい! 町の歴史の次は、距離が書いてあります。京都から29里16丁(約120キロ)江戸からは107里半(約430キロ)大坂から43里(約170キロ)山田(伊勢市外宮あたり)から5里(約20キロ)宇治(伊勢市内宮あたり)から6里(約24キロ)

らん 1里は約4キロメートルね。昔の人は一日どれ位歩いたのかしら。

和歌子 宣長さんは『葛花』という本の中で、一日に4合、5合のご飯を食べて、10里の道を歩くことは可能 だが・・と書いていますね。

らん 一日にご飯を4合も、一人で食べるなんて、すごい大食漢だ!私の家では3人家族で一日に2合炊くかなあ・・

和歌子 昔はパンも食べないし、おかずも少ないからね。
らん でも一日40キロも歩くなら、おなか空くから、それ位食べるのかなあ。

和歌子 宣長さんの往診記録によれば、一番遠くは内宮まで行っているから、もし歩いたとしたら・・・

らん 宇治の内宮は24キロでしたよね。

和歌子 そうね、往復で50キロかなあ。

らん 考えられないくらい歩くのですね。歩かないで駕籠に乗っていったらお金がかかってしまうから、足が出ますよね。

和歌子 また『松坂勝覧』にもどると、距離の次は、歴代の城主。これはきちんと書かれていて、歴代の御城代や奉行は初代だけが記されています。そして神社、仏閣と続きます。

らん 場所と名前がかかれているのですね。

和歌子 あと、お祭りの時には参詣客が多いことが記されていて、ちょっと目を引きますね。

らん 初午や祇園祭でしたか・・
和歌子 牛頭天王、これは今の八雲神社ですが、「6月7日から14日の夜まで毎夜祇園とて参詣多し。群集する」とあります。祇園祭ですね。愛宕権現、これは今の竜泉寺にあった神社ですが、「毎月24日、近在より参詣おびただしい」、近在だから町の周囲ですね、そこからもお詣りに来る。白粉町あたりにあった浅間大明神も、5月晦日には参詣が多いとありますね。この二つの祭りは失われた風景です。

らんきっと屋台も出るのでしょうね。

和歌子 縁日ですからね。ふだんの日は一生懸命に朝から夜まで働いているから、こんなお祭りは楽しみだったはずですよ。そうそう、今も子どもたちの楽しみとして残っている「山の神」も書いてありますね。

らん 宣長さんも子どもの頃はきっと心待ちにしていたのかな。ほかの友達と遊んだりしたのかなあ。

和歌子 どうかしらね。

らん その他には何が書かれていますか。

和歌子 この前にお話しした、町の構造があって、近在名所と言うことで周辺の名所が挙げられています。朝田寺とか香良洲神社 妙楽寺などいくつもありますよ。たとえば、香良洲神社は周辺の松林がいい景色だと書いていますね。

らん 遊びに行ったことがあるのでしょうね。

和歌子 大きくなってからだけど、京都に居たときはお祭りや賑わいがあるとついふらふらと出かける一面も持っていたから、きっと出かけたでしょうね。

らん 実体験もガイドブックには反映されているのでしょうね。「私のふるさと松坂よ、さようなら」か・・でもすぐ帰ってきますよね。

和歌子 無理だったのよ。

らん なぜ?

和歌子 当時、江戸店(えどだな)、つまり松坂の商人が江戸で開業しているお店では、
使用人は、たとえプライベートな時間でも、本は読んではいけませんという規則があったようです からね。

らん むちゃくちゃな規則ですね。でも宣長さんは、使用人ですか?お金持ちの御曹司ですよね。

和歌子 完全な使用人ではないけど、お世話になったおじさんの店では、使用人みたいなものね。だから読書は無理だったと思います。

らん 本が大嫌いなアンナだったら大喜びだね。

和歌子 ・・・
by terakoya21 | 2014-01-05 15:26 | 不思議な宣長さん

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