寺子屋とともに Time with Terakoya (てらこや新聞100号 かめいのコーナーより)

~ Society 社会 2 ~

*「てらこや新聞」100号は 2013年7月15日に発行されました。

さあ、今年も夏休みが始まります。今年は、もう6月の初めから生徒たちのコメントにこの話題が出ていました。

「夏休みの宿題」―夏休みの宿題に限らず、「宿題」というものが、いつからこれほど後回しにされ、「クラブ」や「旅行」よりも後に置かれる存在になったのだろうかと考えさせられることが多くなってきました。確かに、私の時代でも、いや、母の時代にも―いつの時代にも「夏休みの宿題」を最後の1週間、いや、3日、もしくは1日で…終わらせようと必死になる子どもたちはいたのです。でも、それは、「当たり前」でもなければ、言い訳に「クラブ」や「旅行」を出してはいけないことを皆、知っていましたが、今は、それが当然であるかのように、大人も子どもも口にします。

自分たちも通ってきた道―けれど、そのとき大人たちは、どのように私たちに接してくれていたでしょうか。 「私たちもそうだったから、仕方がない」というように、子どもたちを見捨てたのでしょうか。一見「優しい」ように見える今の大人たちの子どもたちへの対応が、子どもたちから学ぶ機会を奪っているように思うことが増えています。それに気がついてほしいと―7年前の夏休みに私は次のように書いています。

夏休みの宿題

毎年、子どもたちは夏休みを心待ちにしているだろう。しかし、「あそこへ行った。」「ここに行きたい。」と陽気で楽しい話題に始まり、終盤に向けて、「宿題が・・・」という話に変わり、段々と子どもたちの顔は暗くなっていく。

私は、毎年夏休みに入るとすぐ、生徒たちに、「宿題は 終わった?」をあいさつのように言うようにしている。それは、意地悪でもいやみでもなく、中学一年生からそれをすると、2年生では8月半ばを過ぎると自分で 「これ教えてほしい」、「作文を見てほしい」、「宿題をしに早くきてもいいか」など 自主的に尋ねてくる生徒が数名でも出てくるようになるからだ。しかし、作文や感想文の手助けまではできても、ポスターや自由研究の手助けは私たちにはできないから、彼らが9月1日に寝不足で 登校しなくて済むようにはなかなかならないようだけれど・・・。8月31日の授業と自習で、なんとか英語や数学、作文を仕上げても、「まだポスターがある」などと言い、肩を落として帰っていく生徒を見送り、「頑張って!」と言いながら、私は笑うしかない。こればっかりは、自業自得としか言いようがないので、面白くもあり、悩みの種でもある。子どもたちは毎年、この経験から少しずつ自分で計画を立てて勉強することを学んでほしいと願うばかりだ。自分で計画を立てること、そしてそれを達成することが学力向上、そして、社会で生き 抜くための一番効率の良い勉強法だ。夏休みはそれを学ぶ絶好のチャンスだと思う。

おそらく、私が自分の子どもの時代を棚に上げて言っていると思った人が多いだろうけれど、期待に添えなくて申し訳ないが、私自身は一度も宿題やテスト勉強のための徹夜や夜更かしをしたことはない。「幼い頃から『石橋をたたいて渡る』かわいくない子だった」とか「夏休みの修羅場をしらないなんて、人生の楽しみを知ら ない」とか言われたこともあるけれど、私はただ、宿題を寝不足にならないとできないほど残していろいろなことを楽しめる子ではなく、寝不足で始業式に立っていられるほど体力もなかっただけである。

しかし、宿題やテストを残して楽しむ気持ちを共有できなかった私も、自慢にはならないが、世間で言われているところの「真面目」な学生だったことはない。ただ、集中力があり、勉強の要領だけはよかった。それも、今になって「なぜか」を考えてみると、「規則正しい生活」と「朝食」のおかげだったと思う。私は、高校を卒業 するまで九時就寝、六時前起床を続けた。朝寝坊での遅刻も、乗ると決めた電車に乗り遅れることもなかった。

そして、朝食はdinnerだった(dinnerは英語で「夕食」ではなく、一日のうちで一番豪華な食事のことをいう)。ゆっくりと朝の一時間半を朝食、ニュース、父との会話、お弁当の準備、時間があれば洗濯に費やし、その後、ゆっくりと学校へ向かった。

学校に着いたら、しっかりと目覚めていて授業中寝てしまうことなどなかった。26歳まで学生生活を続けていた私だけれど、授業中居眠りをしたことなど一度もなかった。高校までは9時間近く睡眠をとっているのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、大学院では睡眠時間は短くても比較的規則正しい生活を心がけていた。我が家では母の方針で休みでも朝8時までには起きないと朝食はもちろんのこと昼食もなかった。しかも、夜9時に寝る私は、朝は普段と同じような時間に目が 覚める・・・。だから基本的に夏休みは、普段なら学校にいる時間帯を友達や兄姉と遊ぶ時間に充てても、十分宿題をする時間があったのだ。

おおげさかもしれないけれど、今、子どもたちと接して、そして友人たちと話をして、やはり「規則正しい生活」と「朝食をとること」が「学力低下」や「下流社会」の解決策に思えてならない。私が成功例というわけではないけれど、私はそのおかげで、「学力低下」とは無縁の生活を してきたし、「下流社会」には生きたくないという誇りを持って毎日を過ごしている。

だから、夏休みに子どもたちには是非、「規則正しい生活」をし、「朝食」をとって、宿題を早めに終わらせる努力を促していきたい。確かに、8月末の夏休みの修羅場を経験することは、「酒の肴」にはなるだろう。しかし、それが当たり前という社会はやはり、いろいろなことにルーズになっていく気がしてならない。修羅場を潜り抜ける経験と手段は、もっと大人になってからでも学べることだ。夏休みの宿題の意義はそんなことを経験させることではないだろう。(第16号 平成18年8月 「寺子屋の日々」より)

―日頃の宿題でも、「忙しくて」とか「クラブの試合があった」だとかを言い訳にしてこない生徒や、「したけど置いてきた」などということを信じてもらえると思っている生徒や、子どもが宿題を「しなかったこと」を断りにいらっしゃる親御さんに、私は、首をかしげずにはいられません。

子どもたちの課題には、いろいろな意味があります。たまに忘れることも、失敗することも彼らの人生の糧になります。そのことに、大人たちは気がつき、できる限り、厳しさを忘れないでほしいと願っています。厳しさは、「優しさ」の反義語ではありません。厳しさの反義語は「甘さ」です。そして、その「甘さ」は長期的に見て「優しさ」にはなりえず、またその代償を払うのは子どもたちです。少しずつで構わないから、自分たちで計画を立て、勉強する姿勢を子どもたちには身につけてほしいと願います。そのためには、できる限りのサポートを続けたいと思っています。

(Y.K)
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by terakoya21 | 2013-08-17 20:00 | 寺子屋とともに

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