不思議な宣長さん (てらこや新聞100号 吉田館長のコーナーより)

第二十四話 碑が動く!?

和歌子 今年は賀茂真淵先生と宣長が対面した「松阪の一夜」から250年ですね。

らん この出会いで宣長さんが『古事記』研究を決意したとても重要な一夜だったのですね。ただ一度の対面でも、人生の決定打になることがあるという話でしたね。

和歌子 その舞台となったのが日野町です。

らん 駅からの道と交わる交差点近くの場所ですよね。c0115560_8282786.jpg

和歌子 カリヨンプラザですね。

らん カリヨンは、組み鈴でしたよね。

和歌子 宣長の鈴の連想ですね。そこに250年の今年、少し動きがあるの。

らん 何ですか、動きって?

和歌子 今までも「新上屋跡」という碑が建っていたんだけど、小さいし、また近くに山桜や説明板まで建てていただいたので、逆にわかりにくくなっていたの。そこで、記念館に移設していた大きな「史跡新上屋跡」碑と、おまけで初代の碑も(実は私が初代と呼んでいる碑は、初代のコピーかもしれない)もとに場所に移すことになったのよ。

らん ・・・・

和歌子 なぜ碑をいくつも造るのかわからないって顔に書いてあるね。

らん 碑って造ると高いのに・・どうしていくつも造るの。

和歌子 大人の事情よ。一番最初は、1940年今から73年前に市民の手で建てられました。

らん ふむふむ

和歌子 ところがその場所に大きなビルが建ち、お店になりました。スーパーマーケットのオークワですね。

らん あそこのオークワがあったら便利ですね。

和歌子 新しいお店を造る時、こんな大事な場所なのに小さな碑ではかわいそうだと、大きな碑を建ててくださいました。

c0115560_831684.jpg


らん 初代の碑がいらなくなった。

和歌子 そこで記念館に運び込まれました。ところがそのあと、市内の各地に本陣だとか馬問屋の跡という石柱を立てることになり、新上屋もその石柱になりました。ちょうどオークワも店を閉じて、別のビルになるときだったので、好都合だったの。

らん それで今の三代目が建ったのですか。じゃあどうして今度碑が動くのですか。

和歌子 ある方が記念館に見学に来て、碑を見ていて、これって日野町のあったらいいのにとつぶやかれ、それがきっかけになったのよ。

らん つぶやいたのはとても偉い人ですか。

和歌子 偉い人ではないけど、すぐに自分の思いを人に伝え、何とか実現しようという前向きな人でした。

らん すばらしい。でも、碑って石ですよね。重いのに存外簡単に動くのですね。

和歌子 そうですね。今回はとんとん拍子で進みました。ところで、不思議な話だけど、石碑って意外と簡単に動くのよ・・

らん ちょっと怖い話ですか。夜中に場所が動いているとか・・

和歌子 ではないんだけど、たとえばね、黒田町の和歌山街道と熊野街道への分岐点の大きな道標があるんだけど、道を広げるときでしょうね、もういらないと捨てられて、といっても立派な石なので、別の 目的で使用されていたの。長い時間が経ち、それをある人が見つけて、もらってきて松阪歴史民俗資料館の庭に建てたの。時代が変わって、地元の人も大切なものであることに気づき、返してくださいといって、今の場所に移転したのよ。c0115560_834498.jpg

らん だんだん分かってきた。碑というのは実用品ではないから、いらない人にはいらない。しかも大きいからじゃまになる。でも立派だし、石だから腐りもしないし、燃やすわけにも行かない。捨てられても、どこかに残っているんだ。

和歌子 そうなのよ。新上屋の碑も、実はオークワの撤退時に廃棄され、丹生寺町の旧松阪市史編さん室裏に放置されていたの。その建物を取り壊すときに、またじゃまになって、それを聞きつけた記念館がもらってきたのよ。

らん 記念館って何でももらってくるんですね。

和歌子 博物館としての使命ですね。

らん 和歌子先生も拾ってきたり、集めたりするの好きですよね。

和歌子 ・・・・

らん でも、二百五十年の年に、もとの場所に戻るのはとてもいいことで、これからも動かずにこの場所にずっとあるといいね。

和歌子 そのためには、松阪の人がこれを誇りにして語り伝えていくことが必要ね。石碑や道標は、存外簡単に行ったり来たりします、といいました。分からないとじゃまになる。廃棄されもする。
[PR]
by terakoya21 | 2013-08-05 08:35 | 不思議な宣長さん

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


by terakoya21
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る