人気ブログランキング |

上越だより (てらこや新聞79号 下西さんのコーナーより)

「寺町」

子供のころ、お寺は催し物会場でした。春に巡回している「伊勢獅子舞(ししまい)」を見たのが、近所のお寺の境内でした。早春の風物詩「初午(はつうま)の厄(やく)落とし(継松寺)」の縁日もお寺の境内でした。露天で、「猿はじき(災いをはじき去る、の語呂合わせ)」の縁起物や「粟おこし」を買ってもらうのが楽しみでした。また、中学生のころ、お寺の奥様(姉の友人のお母様)から生け花を習っていました。教室はお寺の本堂でしたが、果たしてそこに仏様がいらしたか記憶にありません。

上越市には、寺町があります。以前金沢の寺町に住んだことがありますが、上越市の寺町は、金沢のそれよりもっと集約的で、つまりお寺がひしめき合っています。上越の寺町は、南北2㎞足らずに二筋(表と裏)の通りがあります。現在、寺町2・3丁目では浄土真宗(36ヶ寺)・曹洞宗(10ヶ寺)日蓮宗(7ヶ寺)浄土宗(6ヶ寺)真言宗(4ヶ寺)時宗(1ヶ寺)と、宗派はまちまちです。どうしてこのような町の形ができたのか知りたくなりました。

「寺町まちづくり協議会」(寺町2・3丁目の63ヶ寺で構成)は、平成7(1995)年設立したNPO・ボランティアセンター登録団体です。この団体が編集したガイドブックに『寺院めぐり 高田寺町界隈寺院ガイド』があります。その前書き「寺町へのいざない」には、次のように寺町を紹介しています。
c0115560_17401895.jpg……上越市のシンボル高田城は、慶長19(1614)年徳川家康の六男松平忠輝公の居城として築かれ ました。築城にあわせて城下町の整備も行われ、儀明川の西側に寺院を集中させました。これが寺町の始まりといわれています。……寛文5(1665)年の  地震で大被害を受け……現在見られる寺町のまち並みは、当時の高田城主松平光長によって、新たに復興されたものと考えられています。今でも、63ヶ寺もの寺院が甍を連ねており、通りを挟んで二列に整然と配置される寺町の景観は、たいへん珍しい寺院群として全国にも他に例を見ないものです。……

8月26日「寺町寺院めぐり」(寺町まちづくり協議会主催)があり、「高安寺(こうあんじ)」「善行寺(ぜんぎょうじ)」の2ヶ寺を見学しました。残暑厳しい時節にもかかわらず、百名近くの参加者がありました。この寺院めぐりは、平成10年から始まったそうで、毎年2,3ヶ寺を見学するとのこと。

「高安寺」は、上杉謙信の祖父長尾(ながお)能(よし)景(かげ)が開基した(1480年)曹洞宗のお寺です。ここでは、この寺院の歴史的な意味について、特に上杉(長尾)家や春日山との関係までさかのぼって説明がなされました。

「善行寺」は、日蓮宗の寺院です。1537年、結城(茨城県)で創建されてから、上越に移るまでの沿革史を聞いた後、「加持(かじ)祈祷(きとう)」をしていただきました。住職の西山要耕さんは、総本山久遠寺(くおんじ)において、100日の荒行(あらぎょう)(一日2食の白粥、睡眠3時間程度、水行と読経三昧)を経験された方でした。「加持祈祷」は初めての経験でしたが、この荒行を経験した人しかその資格がないと聞いて、神妙な面持ちで臨みました。

『源氏物語 葵の巻』には、出産間近の「葵の上」の出産の無事を祈る「加持祈祷」を行っていたところ、「葵の上」に取り憑いた生き霊(いきりょう)(六条御息所(みやすどころ)の霊)があぶり出されるという、おどろおどろ  しい場面があります。「加持祈祷」という言葉に、このようなイメージを持っていたのですが、現代の「加持祈祷」からは、何かしら「力」を感じ、「勇気」をもらったように思いました。そればかりか「福銭」もいただきました。荒行の場におかれていた和紙でお賽銭を包んだものです。財布に入れて魔除けにしています。

田中正さんの著書『よも山集め話 越後高田の寺町』は全600ページにおよぶ労作ですが、「はじめに」には、このような記述があります。

……高田寺町の落ち着いた雰囲気とその景観が気に入り、徘徊の回数を重ねるうちに寺の魅力に ひかれ、思いつくままに住職さんを尋ね、快く迎えていただきました。あれこれ話を聞き巡るうちに、上杉謙信とゆかりの毘沙門(びしゃもん)の惣(そう)時寺(じじ)や日(にっ)朝寺(ちょうじ)、親鸞の浄(じょう)興寺(こうじ)や常(じょう)敬寺(きょうじ)、石山(いしやま)合戦(かっせん)の本誓寺(ほんせいじ)、松平(まつだいら) 忠(ただ)輝(てる)と善導寺(ぜんどうじ)、松(まつ)平光(ひらみつ)長(ちょう)と天(てん)崇寺(そうじ)をはじめ、時宗(じしゅう)称(しょう)念寺(ねんじ)が新田義貞と有縁の寺であったり、石田  三成の末裔とみられる檀家が門徒(もんと)浄(じょう)国寺(こくじ)にあるなど、日本歴史に直結する寺町寺に、懐古の思いが いよいよ高まります。……

寺町はその後、戊辰戦争(1868年)後の会津藩捕虜(1745名)の預かり所となり、大正4年の寺町大火(31ヶ寺を焼く)を経験し、太平洋戦争時には、疎開者の受け入れ先になるというふうに、さまざまな試練をくぐってきました。現在、このような町の形を維持しているのが奇跡のように思われます。寺町の寺々が、一(ひと)塊(かたまり)になって歴史の荒波を乗り越えてきたのでしょうか。寺を支える越後の人々の信仰心の厚さゆえでしょうか。

c0115560_17404641.jpg10月2日には、65寺社参加の寺町まちづくりフェスティバル(寺町まちづくり協議会主催)が行われました。時雨がちのあいにくの天候でしたが、いつもと違う「寺町」のにぎわいがありました。各寺が門戸を開放し、宝物の一般公開をする寺もありました。また、「ガイドブック」の他に「御朱印帳」をいただき、寺々を巡って御朱印を(無料あるいは寸志で)もらうという企画がありました。スタンプラリーのようで、お寺を訪れるきっかけになる良い趣向だと思いました。もちろん私も6ヶ寺の御朱印をいただいてきました。

(T.S)
by terakoya21 | 2011-11-05 17:41 | 上越だより

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


by terakoya21
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る