不思議な宣長さん(てらこや新聞79号 吉田館長のコーナーより)
2011年 10月 23日
らんこの前は、宝塚古墳の船形埴輪の話でしたね。
和歌子船形埴輪と『古事記』、宣長の山室山の奥墓には共通することがある。それが、「魂の行方」なんですね。
らん死んだらどうなるのかと言うことですね。なんで宣長さんはそんなことを考えたのですか。
和歌子宣長さんがこの究極のテーマに挑むようになった、そこに至る過程について、お話ししましょう。ところで、宣長と言えば、何ですか。
らん『古事記伝』!
和歌子かなり無理してるわね。
らん本当なら「鈴」がぱっと思い浮かんだけど、先生の気迫に負けました。
和歌子それを言うなら、『古事記伝』にかけた宣長の気迫です。35年ですよ。
らんもし書き始めたときに子供が生まれたら、35歳ですものね。
和歌子実際、『古事記伝』執筆に着手したのが35歳だとすると、その前年に長男の春庭が生まれているの。だから完成の年には、春庭さんは36歳になってました。
らん質問!いま、「執筆着手が35歳だとすると」と言われました。「だと」ということは、本当のことはわからないということですか。
和歌子実はそうなの。宣長という人は、何かを始めた日が分からないことが多いのよ。
らん意外ですね。宣長さんは記録魔だって聞いたことがあるのに。
和歌子記録魔だったことは事実だけど、たとえば『古事記伝』でも、 起筆の日は分からないのよ。
らんどうしてかな?
和歌子宣長は、大変長い助走期間があるので、どの時点を以て開始と するかが自分でも分からないのが本当のところだったみたい。 というか、余り意味がないと思っていたのかもしれません。
らんへえー・・
和歌子突然思い立って、よし『源氏物語』を講釈しようとか、『古事記』の注釈書を書こうと決意したわけではなくって、たとえば『古事記伝』執筆も、賀茂真淵との対面「松阪の一夜」がきっかけではあっても、それは最期の一押しなの。宣長さんが『古事記』を京都の古本屋さんで買ったのは27歳の7月。それを読みながら一生懸命に考えて、つまりそれが助走でしょ、その中でいろいろ調べて考えて徐々に志が固まってきたというのが真相なのよ。だから大事業ほど、始まった日がわからないのよ。
らんそうなんですか。ちょと驚きですね。
和歌子今は、校合(きょうごう)といって『古事記』の本文を決める作業が終わった35歳のお正月を以て、一応、『古事記伝』の執筆開始としていますが、原稿を書き始めた時期はもっと後かもしれないという説もあります。
らん「校合」ですか。
和歌子昔の本は、みんな人が手で書き写して伝わっているから、書き誤りや、時には自分の都合のいいように書き直したりするの。江戸時代になって、本が印刷されるようになっても、そのもとの本が写本だから、信用出来ないの。『古事記』も同じ。だから、いくつかの写本を集めてきて、一番原型に近いと思われる本を作るのよ。研究はそこから始まります。
らんすごく素朴な質問ですが、『古事記』って誰の本でしたっけ。
和歌子太安万侶(おおのやすまろ)が稗田阿礼(ひえだのあれ)の話を書き記した本で、奈良時代、712年の成立よ。
らん来年が1300年目ですね。成立して。
和歌子そうよ。
らん安万侶さんが書いた原本は残っていないんですか。
和歌子江戸時代までの古典で原本が残っている本は、先ず無いでしょうね。すっごく特殊な本だけど空海さん、弘法大師の『三教指帰』(さんごうしいき)は自筆本が残っているけど、これは例外中の例外。 まず絶対無いでしょうね。
らん紫式部の『源氏物語』とか・・
和歌子『源氏物語』の原本どころか、これが紫式部の自筆だなんていう字は一つも無いと思うわ。
らんそんなものですか。
和歌子そんなものです。