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不思議な宣長さん(てらこや新聞78号 吉田館長のコーナーより)

第7話 船形埴輪と古事記と宣長と

らん  お盆が過ぎると夏休みもあっという間でした。
お盆がすんだ頃、なすびで作った馬が川の傍に置いてあったので、
なにって聞いたら、ご先祖さんが帰るのに使うのだって言われました。
ご先祖さんって、あの世とこの世、行ったり来たりできるのですか。

和歌子  宝塚古墳から出てきた船形埴輪は見たことあるでしょ。

らん  はにわ館で見ました。

和歌子  現存最古の歴史書『古事記』が出来たのはいつごろですか。

らん  奈良時代です。

和歌子  そう、712年です。来年が成立1300年になりますね。
宝塚古墳が出来たのが、5世紀前半だとすると、300年時間差があります。
ところで、山室山にある本居宣長さんの奥墓(おくつき)は知ってますか。

らん  行ったことがあります。

和歌子  ではこの三つに共通するものは何だと思う?

らん  船形埴輪と『古事記』と奥墓ですか。わからない。

和歌子  この三つは、死んだあとその魂はどこに行くのかという問題の回答なのです。
どうやらこの国に住んでいる人たちの魂はフワフワしていて、どこに行くのかわからないところがあったの。
仏教や儒教、キリスト教が入ってきて、かなり動かなくなってきたけれど、それでもまだ落ち着かないところがあります。

らん  魂ってどこに行くのですか。

和歌子  わかりません。でも宝塚古墳を造った人たちは、船形埴輪のような船で運ばれていくと考えたのでしょうね。

らん  ピラミッドの中にも船の絵が描いてがありますね。

和歌子  ツタンカーメンのピラミッドでも本物の船が入っていましたよね。
魂が鳥になったり、船で運ばれるというのは世界に共通するのです。
また、『古事記』には、死んだイザナミの命(ミコト)を訪ねて黄泉の国に行った話があります。そこは、とても気持ちの悪い国だったそうで、これは、古墳の中をのぞいた人の体験談だとも言いますが、宣長さんは違うと言います。
『古事記』には、ヤマトタケルの命が白鳥になって飛んでいった話はありますが、船で魂が運ばれる話はなく、古墳時代と魂の行方問題に、少し変化が生じているのかもしれません。

らん  300年の間に変わってきたのですか。
 
和歌子  その間には、儒教や仏教も伝わってきているから変化しない方が不思議ですね。

らん  宣長さんの「奥墓」はどうなんですか。

和歌子  宣長さんの学問の最終の目的は、実は日本人の魂の行方ではなかったかと思うの。
言葉やいろんなことを詳しく調べて、また古典を研究して、最期の大問題がこれではなかったか。つまり、自分の魂の行方について長い間考えた結果、「奥墓」を作ったのだから、「奥墓」の謎を解くと、『古事記』の中の、魂はどこに行くのかという問題も結論が出るはずです。

らん  すごい。でも難しいから私の理解をこえている。

和歌子  ちょっと難しいよね。
でもね、宣長さんはいろんなことを調べたけれど、それはすべて「私たちの心」の謎を解くためだったのよ。
人が安心して生きるためには、たとえば「死ぬ」ことへの不安を消すことが大事よね。
宣長さんの学問の目的も、本当はね、そこにあったのよ。

らん  イルカやカラスのことを調べていただけじゃないんだ。

和歌子  人が幸せに生きるにはどうすればいいのか。これは全ての学問の究極の目的だけど、
次から、宣長さんがそんな究極の問題に行き着くまでの話をしてあげますね。

らん  長い長い話になりそうですね。

和歌子  なるべく寄り道しないでさっさと行きましょう。

らん  道草を食いながらの方が良いです。
by terakoya21 | 2011-09-21 14:30 | 不思議な宣長さん

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