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Point of View (てらこや新聞77号 海住松阪市議会議員による寄稿より)

今年の3月11日以前に、話が進みつつあった個人的なイベント計画があった。

それは、去年の春、夫婦で招かれ、アメリカのワシントンDCを訪れた際、1週間のあいだ、わたしと妻とをご自宅に滞在させてくれた、ヒラリー・クリントンさんと同い年の女性を、今度は日本にてお迎えするという話だった。

向こうでは、地元の地方議会の傍聴や、都市再生に取り組むシルバー・スプリングという町の職員からのヒヤリング、連邦議会内の議員オフィス訪問と議会見学等々、正味5日間の旅の中に、こちらからのリクエストをすべてかなえてもらう、ちょっと個性的な旅を演出してもらった。そのお返しに、今度は是非、日本へというものだった。

その旅から1年ぐらいたとうとし、約束をたんに口約束としないため、facebookというインターネット上のコミュニケーションサイトを通して「いつ来る?」と話した。彼女が書いたサイトへの書き込みに、「日本の友人に日本に来るよう誘われているから、日本に行くことにしたよ」とあった。facebookには、彼女のワシントンの友人たちから、「それはいい。日本には、本当にすばらしい文化があるよ。成田まで格安で行く方法はこれだよ・・・」などと楽しい書き込みがあった。

「よし、いよいよだ」と、わたしも楽しみを膨らませた。ワシントンと比べ、松阪は日本の中の一地方都市にはすぎないが、わたしには松阪を中心とした5日や7日の旅に対する期待には十分こたえる地域資源があると自負している。

実は、わたしが30代のころ、4か月ほど旅したヨーロッパで出会ったイギリス人が松阪に訪ねてきたことがある。かれには松阪ばかりでは申し訳ないので、京都、奈良へ行ってきたらと勧めたのだけれども、京都に1泊だけしてまた松阪に戻ってきたので驚いたことがある。かれは山登りが好きだった(初めて会ったのが、オーストリアのインスブルクの山の上だった)から、まず、伊勢山上に登った。大小さまざまな岩をよじ登ったり降りたりする中世の修験の修業の場を大変気に入ってもらえた。街の一番高い見晴台のような所に上るのが好きだったから松阪公園に上った。イギリスでかれの家に泊めてもらったとき、案内されたのが400年ほど前のシェークスピアの生家だったから、松阪が誇る「鈴屋」や松阪商人の館を、イギリスの田舎のパブを楽しませてくれたから松阪のパブを・・・などと、過ごした。けっこう、わたしは、そんなことをして国内外を問わず、友人をもてなすのが好きである。

いまのわたしは30代ではなく50代前半となった分、前より一層、松阪や伊勢を主体に県内の見どころ、体感しどころがたっぷり詰まった旅を演出する自信を深めつつある。

そんな楽しい構想を膨らませつつあったところへ、「3・11」が起きた。
アメリカからはわたしたち夫婦の安否を確認するメッセージが届いた。海外で報道される日本列島は、どう見ても小さく、東日本沿岸が津波に襲われれば、太平洋岸の列島全土がすっぽり深刻な影響を受けているように見える。三重は大丈夫だと知らせると心からホッとしてくれた。しかし、その後の日本を覆った不安(いまも本質には変わらないし、ある意味、深刻化している)から、心が浮き立つようなことは控えるようになりがちで、気持ちの中でもいろいろなことが沈滞していく自分があった。おそらく、彼女の側にも日本の置かれた状況への配慮もあっただろうし、こちらも「放射能とか気にするかもしれないなあ」とためらいがあって、「来て」と呼ぶにはためらいがあった。

そんなふうに時がたっていたある日、クリスさんの自宅に配達される現地紙「ワシントン・ポスト」の一面の左上に、「なでしこジャパン」が、アメリカ代表に勝利した様子を伝える写真と記事がでかでかと載った。
「ワシントン・ポスト」の第一面を飾った「なでしこ」の写真は、喜びに満ちあふれ、駆け出している選手たちの写真だった。

「日本に行くよ!」彼女からメッセージが届いたのは、そのニュースのすぐあとだった。

(T.K)
by terakoya21 | 2011-08-24 18:54 | 旅日記

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