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寺子屋の日々 Days in Terakoya (てらこや新聞67号 亀井先生のコーナーより)

~この国が目指すものvs 私が目指すこと~

私の友人も、生徒たちの多くもよく知っている話かもしれないけれど、私には高校時代、本当に嫌いな先生がいた。その先生の授業になると、気分が悪くなり、彼女の授業がある日は、欠席することも多く、登校していても授業の前や途中で保健室に行くほど嫌いだった。「あと3回授業を休んだら、単位はやれない」と12月に宣告を受けたこともある。

そして、なんとその先生の担当科目は「英語」だった。

私は、ずっと「英語」が好きだった。そして、言うまでもなく「英語」が得意だった。けれど、どうしても、この先生だけは好きになれなかった。その先生に面と向かって「私はあなたの英語の実力を認めている。けれど、あなたの努力の仕方が気に入らない。だから、最高の成績はやれない」と言われたとき、私の返事は「私には、私のやり方がある。それを変えなければならないなら、学年1番の成績はいらない。3番目(そのとき1番が2人いたので、私は3番目の成績に甘んじていた)で十分」だった。今、考えれば、彼女の存在が私の実力の基礎にあるのは疑いのない事実なのだけれど、私には、私なりに彼女を好きになれない理由があり、今もう一度、彼女に同じことを言われても、おそらく私は、同じ返事をするだろうと思う。そして、当時、私の目標には、彼女の母校以上のレベルの大学に入学すること…そして、彼女を見返してやることが含まれるようになった。

そんな意地っ張りの私は、このところ毎日のように、生徒たちの言動に首を傾げる。

生徒たちは、いろいろと私たちに反論をするのに、その言動に意地やプライドが感じられないのだ。また、成績が良いことや、真面目に物事に取り組むこと、そして、必死になることが、まるでかっこ悪いことであるかのように振舞い、みんなと同じであることがいかにも正しいかのように行動することが、許せないと思うことがある。

そして、不安になる。この国は、どこへ向かおうとしているのだろうかと。

私は、おそらく、良いことばかりではなく、恥ずかしいことも、悪いことも人並みにして、40歳を迎えようとしている。そんなに立派な人生を歩んできてはいないかもしれないけれど、少なくとも自分の人生に満足している。そして、思う…。今を精一杯生き、満足している人々のほとんどが、自分がとる行動には、責任が伴うことと、その責任を楽しむ術を知っている人々だと。だから、そんな人々は、自由に見えるのだと。

一方、自由だというのは、しがらみがないとか、好き勝手できるという意味ではない。責任があるから、自由なのである。そして、意地とプライドがあるから、輝けるのだ。

今、子どもたちと話をしていると、苦しくなる。議論になっていかないし、彼らの話は袋小路に向かっていく…出口が見えない。彼らに覚悟がないから、自由がない。質問は「どうしたらいいと思う?」なのに、「○○すれば?」というと、「それは嫌」「あれは無理」「これは無駄」…自分がどうしても成し遂げたいことがあれば、嫌も無理も無駄もないはずだから、この時点で私は、かなり苛立ってくる。

そして、先日、高校生たちの模試の点数が悪かったという話に、口を挟み、今の若者は何をしたいのかと…自分がとても年をとったように感じた。600点満点のテストで、いかに自分の点数が悪いかを、はっきり点数は言わないものの、自慢しあっているようにしか見えない彼らだったが、基準が300点…つまり5割だったので、「考え方がおかしい」と口を挟んだのだ。自分が実力をつけたいなら、テストは、どんなに難しいものでも、満点を目指して受けるもの…全力を尽くすもの。そうでなければ、自分の本当の実力はわからない。なのに、最初から、同じ学年の人々が受けるという基準で作られているテストが「難しいから」と言い訳をし、むしろ高得点をとるほうがおかしいと言わんばかり…。それが、松阪でも上位の進学校の生徒たち・・・とくれば、私たちも教え甲斐ってものがなくなる…。そんなこともお構いなしに、まるで自分たちが物事を一番知っているかのように語る生徒たちに、辟易した。

彼らは何を目指しているのだろうか。

と…一方で、失敗を許されないと思い込む環境にいつも置かれている彼らに同情する。

自分の点数が悪いことの言い訳をいっぱい持っている今の子どもたちだが、他人には厳しい。しかし…自分には甘い。それは、失敗が許されない環境に子どもたちが置かれているからだと思う。言い訳をして、自分の失敗を小さくしようと試みる…そして、自分はまだましだと思い込むために、他人を下に置く。私は、この姿勢に、現代の日本社会の甘えの 構造が見えるようでならない。

少なくともその甘えの構造は、私の目指すものとは違っていて、この国が目指すべきものでもないと私には思えてならない。

一方、この高校生たちと話をした後、私の思いを普段よく理解しようと努めてくれている1人の生徒が、私の憤りを察したのか、授業後「先生、僕はちゃんと上を見て頑張りますから」と声をかけ、 しばらく談笑してから帰っていた。そうだ、こういう心を持つ若者を、寺子屋で一人でも多く育てることが私の目指すものの1つである。毎日でも、気がつけば、ぶつぶつお小言を言う私だけれど、彼のような生徒の優しい心遣いにいつも救われていて、そんな心に感謝の念を抱き、それを忘れることができないから、やはり目指すものを追い続ける努力はやめられないと思う。

(Y.K)
by terakoya21 | 2010-10-31 22:27 | 寺子屋の日々

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