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寺子屋の日々 Days in Terakoya (てらこや新聞61号 亀井先生のコーナーより)

~ スポーツ Sports ~

「あなたたちは、この高校に入学した以上、勉強もしっかりしなさい。そうでなければ、クラブ活動の意義もなくなる。」

先日、話をした高校生がクラブの顧問の先生に言われたという言葉だ。私が聞き取った形で書いたので、表現は違っているかもしれないが、こういう主旨の話だった。

私は、高校卒業まで学校が大嫌いだったので、学校の敷地内にいることを1分でも1秒でも短くしたくて、「クラブ」は「帰宅部」・・・実際はいくつかのクラブを「幽霊部員」として転々としていた。だから、クラブ活動というものを真剣にする人の気持ちも、「クラブ」というものの楽しさも知らない。そして、いつも、中学生、高校生たちと保護者の方々の言動を見ていて、ただ私が、クラブ活動の意義を理解しないだけなのかと自問自答を続けていたので、この言葉を聞いて救われた思いだった。

私は、クラブ活動はしていなかったものの、中学生の間は、足の手術後のリハビリに通いながらも、地元の連盟で、かなり積極的に小学3年生から続けていた剣道の稽古に参加していた。高校に入学と同時に、気まぐれにしか稽古には行かなくなったものの、留学準備に「華道」を習ったり、留学後はアルバイトをしながら、「料理教室」に通ったりしていた。小学生のときは、茶道、書道、剣道、水泳、絵画教室に通い、子ども会のドッヂボールチームにも所属していて、毎日忙しく活動していた。それでも、高校卒業まで9時就寝を続けていた。成績は一番というわけでは決してなかったけれど、どちらかというと良い方だった。勉強は好きだった。

だから、私は、クラブ活動に必死になる生徒にも、勉強ばかりする生徒にも、違和感を持っている。

寺子屋生ならよく知っているように、中学生、高校生にクラブ活動を中心に生活する生徒たちを見かけると私は、首をかしげ、文句を言う。「プロ野球選手になる」「プロサッカー選手になる」「プロスケーターになる」が夢であっても、どんなにその分野に才能があっても、中学生、高校生である限り、私には、クラブ活動を中心にした生活は、必ずやいつか、しわ寄せが来て、彼らの生活をゆがませていくと思えてならない。学生の本分は勉強である。先日読んだ、朝日新聞の記事の中で、高野連の会長さんもそう言っていた(朝日新聞3月2日)。学生野球憲章にも、「スポーツをやる者は、勉強もしなければならない」とあるらしい(毎日新聞2月25日)。

皆さんは、sportという英単語を辞書で引いてみたことがあるだろうか。そして、クラブ活動の意義、オリンピックの歴史や意義、プロスポーツの価値と存在意義を考えてみたことがあるだろうか。
英語のsportという単語の意味は「スポーツ、運動」以外に、「娯楽、気晴らし、楽しみ、慰み」「冗談、あざけり、笑いの種」という意味があり、動詞では「時間を浪費する」という意味がある。また、Yahoo!百科事典によるとクラブ活動とは「児童・生徒が、学年や学級の所属を離れ、共通の興味や関心に基づいて集団的に行う趣味的、レクリエーション的活動で、文化的な活動、体育的な活動、工芸的な活動からなる。」だそうだ。

私には、そんなスポーツもクラブ活動も人生の中心にはなり得ないものにしか思えない。夢中になることを決して否定しているわけではない。真剣にする、まじめに取り組む、夢中になることと、何かひとつのことを生活の中心にすることはかなり違う。一方、勉強は、人間にとって一生続くものである。だから、中学までの勉強や、自分で選んだ高校、大学での勉強に真剣に取り組めない人が、長い人生、成功するわけがない。

そして、健全な生活を送る健全な若者が、何かに夢中になるとき、全てのことに真剣に取り組めるものだと私は信じている。それが、恋であっても、真剣になればなるほど、全てのことに真面目に取り組めるようになるものだと思う。それが、「夢中」であり「真剣」である証拠でもある。

それが、顧問の先生の言いたいことだと私は思う。そして、その先生の言われることが正しいと私は信じている。

(Y.K)
by terakoya21 | 2010-05-08 21:34 | 寺子屋の日々

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