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I Love Books! (てらこや新聞145-146号 竹川のコーナーより)

BOOK82吉永南央

「まひるまの星 紅雲町珈琲屋こよみ」
(文藝春秋)

今回ご紹介する本も、以前ご紹介したことのある本の続編です。「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズの第5弾です。


紅雲町という地方都市で、コーヒー豆と和食器を扱うお店「小蔵屋」を切り盛りしているおばあさんのお(そう)さんが主人公です。

誰にでも分け隔てなく接するお草さんですが、町内で避けて通る一角がある…というのが、今回のお話のポイントです。

お草さんの亡きお母さんと大の仲良しだったうなぎ屋の女性店主が、どういう理由かはわからないものの仲違いをし、それ以来お草さんも、そのうなぎ屋さんのある一角を避けて通るようになり、なぜだか苦い思いが胸の中でチクチク痛む…気になるけれど、長年の仲違いの理由もお母さんが亡くなっていることで聞けず仕舞い、かといって、女性店主に聞くこともできず…なかなか解決の糸口を探すことができずにいます。

そんな中、小蔵屋の敷地に山車蔵を移転する話が持ち上がり、その話と並行して、避けていた町内の一角と避けていた人たちと関わることになり、町内全体に関わるある事実にお草さんが気付いていく…というお話です。

おばあさんのお草さんが、真実を知りたくて、体力以上の力を発揮するときには、まるで少女のような純粋さです。けれど、なかなか一筋縄ではいかない人との関係で、精神的にはかなり疲労が蓄積されます。

淡々と物語は進んでいきますが、しみじみと心に染みるのは、お草さんの人生経験や人生観が投影されているからだと思います。派手さは全くないけれど、ずっと心に余韻が残るような、感慨深い内容です。

昼日中に星は見えないけれど、「まひるまの星」が輝く、心を満たしてくれる…その正体が一体何なのかは、ぜひ本を読んでみてほしいと思います。

( K.T.)



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by terakoya21 | 2017-06-26 15:34

まえがき (てらこや新聞145-146号より)

Like Father, Like Son. 子は親を映す鏡 ~


子どもたちは私たちの鏡―と大人に語りかけることが増えています。

子どもがやる気がないとか、勉強しないとか、遊んでばかりいるとか…少し深呼吸をして自分を見直してみると、子どもたちも変わっていくのではないか―と感じます。

大人の我慢する姿を見て育つ子どもたちは、必ず我慢強くなります。大人が 本を読み、勉強する姿を見て育てば、子どもたちは自然に読書をするようになり、勉強をする人に育ちます。そう、思いませんか?

Y.K


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by terakoya21 | 2017-06-25 16:23

あとがき (てらこや新聞143-144号より)

「てらこや新聞」143-144号の発行です。連続の合併号で申し訳ありません。そんな中、忘れず原稿を送ってくださる連載のみなさんに感謝いたします。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

さて、「寺子屋かめい」は、201736日に17周年を迎え、無事、18年目に入りました。少しずつ、いろいろな方にご理解をいただけるようになり、忙しく、また充実した日々が続いています。

が、一方で、どんどんと英語嫌い、英語苦手な生徒が増えているようにも思います。ただ英語が苦手、英語が嫌いというよりは、全体的に勉強は面倒くさく、英語は難しいものという固定観念を強く持った大人と子どもが増えているようにも思えます。

2017年度も、新しい小学1年生を受け入れていますが、彼らの様子を見ていると、もともとから「学ぶこと」が嫌いな子どもも、文句ばかり言い、すべてを人のせいにする子どももいないことを改めて、確認します。

「勉強が嫌いな子ども」も「無気力な子どもたち」も、社会が作り上げていくものなのです。大人が、「無理」、「無駄」という言葉を繰り返し、「忙しい」が言い訳になると思い込み、また、人の心を思いやり、受け止める余裕を失っている社会で育つ子どもたちは、気が付けば、学ぶことから遠ざかり、気力を失っていくように思います。

子どもは私たちの鏡です。

彼らが、勉強が嫌いだったり、無気力だったりするなら、私たちも何かに無気力であったり、日々の学びを大切にしていないのかもしれない―そう思って、深呼吸して、反省し、子どもたちに今、伝えるべきことを伝えられる大人でありたいと思います。

「大器晩成」 -Great talentsmature late

彼らの大きな才能、能力が長い時間をかけて開花していく準備をしている間、その開く日を信じて待つこと、そして、今、伝えるべきことを伝えることが、私たちがいなくなったときでも子どもたちが、私たちの社会を受け継ぎ、幸せに暮らすための過程には、必要であることを忘れずに・・・18年目の歩を進めていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

(Y.K)



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by terakoya21 | 2017-05-14 08:30 | 新聞143-144号

Howdy?! (てらこや新聞143-144号 竹川のコーナーより)

~ 何気ない言葉 ~

先日、息子が結膜炎になった。

かかりつけの小児科の先生は、物腰も優しければ、話し方も接し方も穏やかで子供に合わせてくれるので、息子はこの小児科の先生が大好きだ。痛い注射も我慢できるし、風邪などで診察に行く度に「また来たよ~(*^o^*)」と満面の笑みで挨拶している。

結膜炎で診てもらった眼科の先生は、小児科の先生よりもお年を召した年配の男性で、眼光鋭く少しぶっきらぼうで、子供向けに声音を変えてくれるようなこともなく、大人でも「ちょっとコワイかも…」と思うくらいなので、子供にとっては尚更かもしれない。

小児科で診察してもらう時は、大体どんなことを診られるのか、息子もわかっているから安心しきっているが、違うお医者さんではどんなことをされるのかわからず、不安の塊だったのだろう。診察の台に顔をのせて、後ろから看護師さんに  ガシッと頭を押さえつけられた地点で、内心「もう帰りたい…」と思ったはずだ。診察するため先生がライトを目に当てるだけなのだが、眩しいのが嫌いな上、 どんな痛いことをされるのか…という不安からか、 思わずギュッと目を閉じてしまいがちだった。

「頑張って大きい目を開けてよー」と先生に何度も言われ…ボソッと息子が漏らした言葉は…「サッサとしてください」。

使い方や使う状況は間違っていない。間違ってはいないが、年上の相手、先生に言うべき言葉ではないということまでは、まだまだ理解できない5歳児…顔から火が出る思いで、私は心の中で「それなら、 キミがサッサと大きな目を開けなさいよー」と毒づいた(。 ̄;)

私が普段、息子を急かすときには「はよ(早く)してー」と言っているので、きっと 幼稚園かどこか他のところで「サッサと」という表現を聞いてきたのだろう。改めて、普段の何気ない言葉に気をつけようと心 新たにした瞬間だった。

昨年、緊張の面持ちで幼稚園登園を始めた息子は、この4月、年長クラスになる。幼稚園生活にもすっかり慣れて、元気に登園し、先生やお友達との関係からいろいろな成長を見せてくれている。実際に、一年前と今とでは、かなり成長したと思う。どんどん吸収できる、いろいろなことを学べるというのは、 なんて清々しくて素晴らしいことだろう。

何か新しく学ぶことよりも忘れてしまうことの方が多くなっている私とは対照的だけれど、教えるべきことは伝える努力を惜しまず、子供の成長に寄り添っていきたいと思う。

(K.T.)


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by terakoya21 | 2017-05-08 08:30 | 新聞143-144号

Bonjour! (てらこや新聞143-144号 谷のコーナーより)

現在地... where amI???


車を替えてから、以前よりカーナビを使う回数が増えた。説明書をじっくりと読み込むことはなかなかできずにいるが、電話番号や名称を入力して目的地までのルート検索はできるようになった。


初めての場所に向かう時、あらかじめ所要時間がわかるのは安心材料の一つになる。何度も通っている道から少しそれて寄り道したり、うっかり道を間違えてしまった時でも、「現在地」のボタンを押せば自分がどの位置にいるのかが地図上にすぐ示され、簡単にルート修正ができる。


長期的な取り組みをしているときや組織の中の一人として動くとき、自分の位置を把握することは大切だ。時には遠くばかりを見すぎて足元が見えなくなることも、途方に暮れて前を向けなくなることもある。そんな時「現在地」ボタンが押せればいいのにと思う。きっと、俯瞰してみる力、この先どう動けばよいかを冷静に判断できる力が、私にはまだまだ足りないからだろう。


 目下取り組んでいる事柄については、現在地のほかに、この先に待ち構えている危険地帯や渋滞情報、ついでに迂回ルートがあるのなら、ぜひ知りたいと思う。しかし、もし人生が地図のように広がっているとしたら、寄り道が本当に寄り道かはわからないし、私は今どこにいてどこへ向かう途中なのかは、知らないほうがいいのかもしれない。




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by terakoya21 | 2017-05-07 08:30 | 新聞143-144号

中国案内(てらこや新聞143-144号 吉田さんのコーナーより)

最近、私の周りでは語学の勉強し直しブームらしい。

英語か中国語の勉強し直しを始めるという友人が一人ではなく同時期に数人いて、その友人同士につながりはなく、こうも同じようなことを言われると私まで何かはじめた方がいいのではという気分になってくる。

中国語の勉強はほそぼそながら続けている(細すぎて勉強とは言えないと言われそうな位だが)ので私も英語の勉強をしなければいけないのかと思ってきた。

お金はあまりかけたくないし、できるだけ楽しく勉強したいということで、とりあえずYouTubeで人気のありそうな英語のレッスンチャンネルを一日一回を目標に見ることにした。

はじめは、ふんふんなかなか楽しいぞと思いながら見ていたのだか、次第に楽しさがなくなっていき最後には見なければいけない…という感覚が増していき、いつのころからか見なくなっていた。

中国語はひとつでも多く単語を覚えたい、そして覚えるごとに一つまた知識が増えたと、嬉しくなるが、英語はなぜか覚えなければならないという感覚になってしまう。

英語は分かるようになりたいが、分かるようになるまでの過程を楽しめていないことに気がついた。

中国語はある程度理解ができる段階まできているからであろうか?しかし、勉強を、はじめた当初も割と楽しめていた記憶はある。やはり何事も興味をもち楽しめれば続けられるのだろう。英語にも興味がなかったわけではないのだが、その興味はいつの間にか中国語にむけられていた。新年度、まずは昔もっていた英語への興味を取り戻す努力からしたいと思う。


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by terakoya21 | 2017-05-06 08:30 | 新聞143-144号

上越だより 最終回(てらこや新聞143-144号 下西さんのコーナーより)

「高田公園の四季」

2月4日(土)高田公園内にある小林古径邸の敷地内にて、「小林古径邸キャンドルナイト」が開かれました。高田城二の丸跡にある古径邸(アトリエ・庭園を含む)に、雪で行灯や灯籠を作って、古径邸に雪の夜の風情を楽しもうという趣向でした。

日本画の巨匠・小林古径(1883~1957)は上越市出身。『新潟の美術』(毎日新聞社)の冒頭に次のように評されています。

……古径芸術における、その独自の厳しい線描、清澄な色調、強靭な造形性、それでいて馥郁と漂う詩情は、まことに近代日本画の一つの頂点……


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古径邸は吉田五十八(1894~1974)の設計、宮大工の岡村仁三が棟梁を務めて施工されたもので、木造二階建て数寄屋造りです。大田区南馬込にあった住宅は、平成5年に解体されましたが、平成7年その部材を上越市が買い取り、平成10年移築・復元され、平成13年完成しました。そして、その価値が認められ、平成17年に国の登録有形文化財に登録されました。

キャンドルナイトは、16時から19時まで開催されました。今年は、小雪でしかも当日は、春のような陽気で、準備が大変(有難迷惑?)だったと思いますが、雪行燈に導かれた経路を辿る庭園は趣深く、普段は見られない風情でした。建物の中に節分のしつらいがあり、季節に合った絵が飾ってありました。もっとも気に入ったのは、雪見障子ごしの雪景色。切り取られた風景は不思議な、深い青の世界で、これぞ雪見障子という体験ができました。薄暮から宵にかけての時間の微妙な推移を感じることができました。来訪者の多くがカメラを片手に珍しい光景を切り取っていました。珍しく晴天になった夜空には、月齢8の半月と金星も見ることができました。

古径邸復元にともなって、従来の上越市立総合博物館内に、「小林古径記念美術館」(平成16年から)が併設されていました。が、今後数年で、この併設状態が解消されます。上越市立総合博物館は改修され 「上越市立歴史博物館」になり(平成30年7月リニューアルオープン)、古径邸敷地内に新たに「小林古径記念美術館」が新設される予定です(平成32年オープン予定)。

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高田公園は、高田城(徳川家康の六男・忠輝の居城)の跡地に作られた約50haの広さの公園です。明治40年に旧陸軍が入城し、一部の堀を埋めるなど作り変えたその形が、現在の公園の土台になっています。

高田公園にはいろいろな施設があり、様々な目的で親しまれています。

城址ですから、お堀や土塁のほかにも、天守閣にかわる建物である「三重櫓」が復元されていて(平成5年)、内部にはお城関係の展示もあります。

子どもたちが遊べる芝生の広場もあり、滑り台・ターザンロープ・ロープネットジャングルジムなどの遊具もあります。

自然科学としての面では、野鳥がすみかにし、お堀では、水鳥・白鳥もやってきますので、探鳥会もできるます。植栽も豊富で、季節の花が楽しめます。

博物館(美術館)や、ブロンズプロムナードがあり、芸術系のニーズにも応えています。高田図書館があり、小川未明文学館も併設されていますから、文学や教育面でもカバーしています。

陸上競技場や野球場・テニスコートもあり、外堀に沿って遊歩道が整備され、スポーツの面でも高田公園の施設は充実しております。

「お城稲荷」「忠霊塔」という祈りの場もあります。

私は、高田公園のすぐ近くに、四半世紀ほども住んでおりました。が、この3月、夫の定年退職を機に、ここを離れることになりました。四季を通じて高田公園を見て、公園でのイベントにも参加してきました。高田公園の四季の、私のお気に入りを紹介しましょう。

春はもちろん桜。公園内には4000本もの桜があるそうで、ライトアップされた夜桜はとみに有名ですが、 昼間の桜もお堀(水)と桜、遠景の雪山と桜の取り合わせは、高田ならではのものです。私のお気に入りの  スポットは、松と桜が混在したお堀沿いの道です。舗装もしていない、自動車も通らない、花見の喧騒も届かない狭い道ですが、野鳥の声を聴きながら緑とピンクのアーチをくぐるとき、春が来たことを実感します。

夏は蓮。お堀が盛り上がるように咲くハスの群生は東洋一といわれています(外堀の19ha)。明治4年から植えられたというハスは当初は食用でしたが、現在はもっぱら観賞用で種類も本数も豊富です。観桜会ほど派手ではありませんが、7月下旬から8月中旬まで開催される「上越はすまつり」は遠方からの愛好家を増やしています。


近年、突然変異の珍しい咲き方のハス「双頭蓮」(一本の茎から花が二つ)「並てい蓮」(一輪のハスの花の中に二つの花托をつける)を見ることができました。

秋は紅葉。公園通りにはイチョウが数本あります。春の芽吹きのころ、薄緑の小さい葉っぱが出てくるのを見るのも楽しみですが、イチョウ色はやはり「をかし!(すばらしい)」。イチョウに交じってカエデが、アクセントカラーを添えます。また、桜の葉っぱの色の変化が、秋の深まりを知らせます。お堀の水面にモミジが映り込むのも「あはれなり(いい感じ)」。

冬は六花、つまり雪。雪は美しいけれど厳しく、冷たいけど懐かしさを運んでくれます。一晩に50cm以上積もると、暮らしに不便というほかありませんが、積雪から守るために施された「雪囲い」は、雪がないと「わろし(風情がそがれます)」。

高田公園は、いろいろなイベント会場にもなります。昨年・一昨年の秋には、クラシックカーのレース、  「ラ・フェスタ・ミッレミリア」の中継地点となりました。通常は車両立ち入り禁止区域にクラシックカーが続々入ってくる光景は壮観でした。堺正章や近藤真彦など有名人も参加していたので、次々登城する車両(多くがオープンカー)に興奮し、「三重櫓」とクラシックカーの取り合わせにミスマッチの極致?をみました。

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現在、高田公園では、今年7月中旬完工、9月から供用開始に向けて、「厚生産業館(仮称)」の建設が進められています。鉄筋コンクリート造り、三階建て(延べ床面積4997㎡)で、中には多目的ホール、公民館、こども施設などが設置されます。

前述の上越市立博物館が「上越市立歴史博物館」になり、時代に応じた系統立てた展示を目指すことになります。そして、その目玉になるのが、謙信愛刀で国宝の「太刀無銘一文字」です。刀の刃文から「山鳥毛」(山鳥の産毛を並べたような模様)という号がつけられています。購入代金3億2000万円に市民の賛否が飛び交っております。

高田公園は、これから数年にかけて施設の改修が 続き、大きく変わろうとしています。



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by terakoya21 | 2017-05-05 08:30 | 新聞143-144号

BROADアイ (てらこや新聞143-144号 小野さんのコーナーより)

フェイクニュース

今年の流行語になりそうなこの言葉「フェイクニュース」(偽のニュース)。

火をつけたのはアメリカのトランプ大統領です。CNNやニューヨークタイムズなどのメディアはウソばかり流していると批判する時の決まり文句です。自分もウソをついているのに平然としたものです。振り回されるのは新聞読者やテレビ視聴者。もう何を信じていいかわからないですね。

かつてニュースは、新聞社やテレビ局のプロの記者がお伝えするものとして一定の信頼を得ていました。誤りも多いですが誤った場合は訂正します。そのニュースの舞台がインターネットに移りました。多くの人がネットでニュースを見るため、新聞社やテレビ局は自社ニュースをネットにも掲載します。ところがネットは誰もが情報を発信できる場でもあるので、出所不明な情報や間違っていても訂正されることのない有象無象のニュースも出回り、ウソとホントが混在するようになりました。

皮肉なことに、テレビ局自身が情報収集をネットに頼るようにもなりました。もはや現場に行ってカメラに収めたものだけがニュースでなく、一般の人がスマホで撮りネットに掲載したものをテレビ局が許可を得て放送に使うのです。映像が本物かどうかを判断するのが大変です。例えばテロ事件が起きて、あたかもその場にいた人が「爆発の瞬間」として掲載したかのような映像が、じつは関係ない過去の事件の映像だったとか、合成画像だったとかいうこともあります。まんまと騙されるケースも…。

インターネット時代の「ウソかホントか」論争。トランプ大統領はいいところ突いているんです。


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by terakoya21 | 2017-05-04 08:30 | 新聞143-144号

I LOVE BOOKS! (てらこや新聞143-144号 竹川のコーナーより

BOOK80柏井 壽 「鴨川食堂 おまかせ」
(小学館文庫)

BOOK81近藤史恵「マカロンはマカロン」
(創元クライム・クラブ)

今回ご紹介する本は2冊とも、以前ご紹介したことのある本の続編です。

まず「鴨川食堂 おまかせ」の方から・・・。以前にご紹介したのは「鴨川食堂」という本だったのですが、今回ご紹介する  「おまかせ」の間に、「鴨川食堂 おかわり」と 「鴨川食堂 いつもの」という2冊が刊行されています。どの本も全て同じ展開になっているので、順番に読んでいかなくても楽しめると思います。

京都の東本願寺近くにある、看板もないため一見すると食堂とはわかりづらい鴨川食堂には、いつも人生に迷いを持った人がやってきます。鴨川食堂には板前をする鴨川流と、思い出の食を探すという探偵事務所の所長である流の娘こいしがいます。探してほしいという食はおにぎりや味噌汁、マカロニグラタン、豚の生姜焼きなど、特別な料理ではなく日常よく口にする食ばかり・・・しかも、かなり断片的なキーワードしかなく、見つけ出すのは難しいのでは…と思われるのですが、どれも見事に見つけ出されます。思い出の味とともに 訪れるのは、苦い思いや今は叶わぬ思いなど、懐かしさと切なさが混在します。流の語る言葉がじんわり心にしみる一冊です。

もう一冊「マカロンはマカロン」の方は以前ご紹介した「タルト・タタンの夢」「ヴァン・ショーをあなたに」の続編です。

お話の舞台になるのは商店街にあるビストロ・パ・マルという小さなフレンチレストランです。事件といえるほど大げさなものではないけれど、日常のちょっとした疑問や謎を、ぶっきらぼうな三船シェフが、訪れる客の表情や仕草、会話の端々からヒントを得て謎解きをしていくというお話です。

どちらの作品も、人生のほろ苦さを美味しい料理で包み込むやさしさが味わえます。

( K.T.)



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by terakoya21 | 2017-05-03 08:30 | 新聞143-144号

寺子屋の日々~Days in Terakoya~(てらこや新聞143-144号 亀井のコーナーより)

~ Before Learning English…

~ 英語を学ぶ前に ~

昨年11月と今年の3月に「作文発表会」に招待していただき、そこで、「英語より前に日本語を」というテーマでミニ講演をさせていただいた。

寺子屋は36日に17周年を迎え、18年目に入ったけれど、私は相変わらず英語への過度の 期待と憧れと闘い続けている。そして、講演の機会に原稿を書き、講演への反応を聞いて気が付いたことがある―。

このままでは本当に英語嫌いが増え続ける。  そして、日本語もまともに操れない子どもたちがたくさんできる。そうしないために…

「英語は、道具である」「英語を学ぶのにはわけがある」ことを、大人はきちんと説明してほしい。

私は、父に「英語は道具だ。英語習得は最終目標ではない」と言われ続け、だから、「英語の先生になるなら、英語以外の言葉を1つ以上学ぶこと、 そして教育学部には行くな」と言われていた。

だから、英語習得は通過点、私の英語学習の目標は英語習得ではなく、アメリカに行き、青い目の金髪のイケメンに出会うことであったり、NBA選手と出会うことであったりというおばかさんの夢から「コミュニティ センターのような塾経営」というちょっと変わった夢まで続いていくことになる。

一方で、英語は、日本語と同じく、世界中に何千とある言語の1つでしかないこと、大人はきちんと認識してほしい。

英語はできたら有利、できなければそれまでであること、きちんと子どもたちに伝えてほしい。

そのうえで、英語を義務教育で教えている理由をゆっくりと子どもたちとともに考え、話し合ってほしい。

私たちにとって、特別な言葉は、日本語だけ。 けれど、英語ができると有利なのはなぜか。それを教えられて学ぶのと、それを知らずにただ、漠然と必要だから言われるままに学ぶのでは、壁にぶつかったときに子どもたちが出せる力が違う。

英語は、もともとどこで話されていた言葉で、今は、どこで、どのように話されているのか、そして、なぜ、義務教育で英語を学ぶことが必要になったのか…。

言葉は、文化とともにあり、その文化をある程度理解しないと「使う」ことはできない。

昨年のサミットのために三重県に足しげく通っていた外交官の友人が、伊勢神宮を各国から来る人びとに伝える言葉を、知恵を出し合って考えているというような話をしていたけれど・・・英語を知っているだけでは、何にでも、どんなときでも英語が自由自在に使えるわけではなく、相手に伝えるべきことを吟味し、言葉を選び、使うことができるためには、幅広い知識と経験が必要である。英語への知識とともに、それがあってこそ、「英語を使うことができる」という―

日本の文化や社会を外国語で伝えることの難しさは、同じように、外国語の文化や社会を私たちが知ることの難しさをも伝えていると思う。そして、外国語を学ぶことは、その文化や社会を知る窓口であることを忘れないでほしいと思う。

Y.K



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by terakoya21 | 2017-05-02 08:30 | 新聞143-144号

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


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