カテゴリ:不思議な宣長さん( 38 )

不思議な宣長さん (てらこや新聞101号 吉田館長のコーナーより)

第二十五話 「県居」ってどう読むの?

和歌子 7月5日、賀茂真淵先生と宣長が出会った「松阪の一夜」の日に、浜松市の県居小学校に行ってきました。

らん 浜松って静岡の? ウナギの町だ!「アガタイ」ってあの鈴屋の軸に書いてある字ですか。

和歌子 「アガタイノウシ」、賀茂真淵先生のことです。浜松は、町を歩いていると、意外と鰻屋さんが少なくて、ヤマハや河合楽器と、今は音楽の町という印象ね。

らん 県居小学校は授業ですか。

和歌子 4年生5年生と、6年生、二つに分けて「松阪の一夜」のお話し。特に君たちの小学校の名前にもなっている「県居(あがたい)」先生、つまり、賀茂真淵先生はとっても偉い人だったんだよと言うことと、人や本との出会いのすばらしさをお話ししてきました。

らん 反応はどうでしたか。

和歌子 県居小学校は、校名に「あがたい」と真淵先生の号がついているだけに、真淵についてはみんなよく知っているの。でも、教科書には本居宣長しか出てない。ちょっと自信がなくなっているところに、宣長も偉いけど、真淵先生はもっと偉いという話だから、みんな熱心に聞いてくれました。

らん 浜松に行ってサービスしてきたのですね。

和歌子 違います。リップサービスではありません。真淵の偉さは、宣長さんについて考えるほどによく分かってくるの。

らん どんなところが偉いのですか。

和歌子 宣長の才能を、一瞬で見抜いたところ。また、宣長が気をつけなければいけないところが分かった点ね。

らん 宣長さんが気をつけないといけないところというのは何ですか。

和歌子 宣長は賢いから、全部分かったような気になってしまう。わかるかな。自分の頭や能力を過信する。

らん 秀才にありがちですね。

和歌子 でも、それではだめだと自分で気がついたから、真淵にぜひ会いたかったのよ。

らん 真淵先生も天才でしょ、宣長との違いって何ですか。

和歌子 宣長は何でも知っている。でもそんな知識、証拠やデータだけでは、人の心は分からない。特に古代は、今とは食べるものも着るものも、人生観も違うでしょ。

らん 真淵先生は、古代の人の心を知る方法が分かっていたのですか。

和歌子 そうなの。でも、それは高度なテクニックで、簡単に伝授できるわけではありません。宣長の才能や適性などを見ながら、慎重に指導していかないといけないの。だから宣長と真淵先生は手紙を熱心にやりとりして、特に宣長の質問や意見を聞きながら、真淵先生は、ふんふん、これは大事なところだからしっかり教えないといけないなとか、厳しく叱ろうとか考えて、上手に指導してくれたのよ。

らん すごいね。

和歌子 宣長は古典研究の天才だけど、真淵は人を育てる天才だったのよ。適当に隙も見せるしね。

らん 隙があるのですか。

和歌子 けっこう隙だらけ。言ってることが変わるし、お酒を飲んだら楽しくなるしね。

らん 隙のない先生は、弟子が困ります。

和歌子 なぜ私の顔をじっと見るの。私も隙がありますよ。

らん いえ、逆です・・ところで、小学生に真淵さんを教えるのは大変そうですね。

和歌子 そうね。たとえば宣長さんなら、お医者さんをこの松阪の町でやってたよとか、鈴が好きだったとか、家が残っていたり、『古事記伝』35年かけて書いたよとか、まだ子どもたちにも入っていきやすいけれど、真淵先生は浜松に生まれて、京都で長く勉強して、江戸で有名になった人だから、ゆかりの地もばらばらだし、家は戦争で燃えちゃったし、史料も残ってない。代表作も ? という感じですね。  ところが。

らん ところが、どうしたのですか?

和歌子 県居小学校では戦前から現在まで60年以上もずっと県居教育という、真淵先生に関わるカリキュラムを工夫して続けているのです。先生方の創意工夫で、環境問題まで真淵先生と結びつけて、低学年でも、高学年でもなにかにつけて真淵先生と接するのです。その中でも一番すごいのが、真淵先生が作った歌を1年から6年まで毎朝歌うという行事です。

らん ずっと続いているのですか。

和歌子 ずっとです。

らん 覚えちゃいますね。

和歌子 もちろん。子供だからすぐに覚えます。2カ月ごとで歌を変えるそうですから、一年で6首、真淵先生の歌が記憶されるわけね。

らん 百人一首を覚えるみたいだ。真淵先生の歌は、と聞かれたらぱっと答えられるってすごいなあ。宣長さんの歌なんか一つも出てこないよ。

和歌子 何首も歌を声に出して詠んでいると、知識としてだけでなく、歌のリズムが身についてくるのよ。

らん リズムですか。

和歌子 五七五七七で言葉をつなぐと歌になると思っていませんか。歌は、和歌でもAKB48でも、リズムと調べです。

らん 普通の言葉と歌の違いですね。

和歌子 そうです。 だから、子どもたちは真淵先生の歌を覚えると、歌のもつ独自のリズムが身についてくるのですよ。 こういう風に詠むと歌になるんだと言うことが、つまり韻文と散文の違いが分かってくるのね。

らん 効果有るのですね。

和歌子 現実的な効果もありますよ。たとえばどこかで短歌の募集をしていると、県居小学校生が投稿してきた作品はレベルが高いそうです。

らん 入選するんだ。

和歌子 可能性はとても大きいですね。 でもそれ以上に、覚えることが大事ね。また、歌や詩を覚えると、自分で文章を書くときでも、リズムが出てきて、テンポ良く書けるはずです。
いろんなものを覚えておくと、いろんなシーンで役に立ちますよ。

らん 私もこの夏には何か覚えよっと。

和歌子 がんばってね。若い時に覚えたものはいつまでも残っているからね。

*「てらこや新聞」101号は、2013年8月20日に発行されたものです。
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by terakoya21 | 2013-09-11 00:15 | 不思議な宣長さん

本居宣長記念館からのお知らせ(てらこや新聞100号より)

~ 本居宣長記念館からのご案内 ~

「松坂の一夜250年記念 宣長の世界」と言う入門書(A5サイズ60ページ)が、もうすぐできます。昨年夏も、「宣長ってどんな人」という入門書を出しました。とても好評で、7500冊がまたたく間に無くなりました。

今回は、宣長さんの「すばらしい出会い」がテーマです。

表紙はちょっと夏向きのスリラーな感じですが、中は《宣長ワールド》全開!

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宣長の描いた地図や、お中元などいただき物のリスト、15歳の女の子が 書いた短冊(みさとさんと言います。2ヶ月もかかって、両親と今の熊本県山鹿市からやってきて、『古事記伝』を写しました)また、文字鎖(もじぐさり)という言葉遊びの作品など、珍しいもの、面白いものがいっぱい載っていますよ。

本居記念館で、無料で配布しています。

「『宣長の世界』下さい!」とカウンターで声を掛けてください。

「寺子屋かめい」さんでも手に入ります!

本居宣長記念館
夏の企画展「パールネットワーク  ―鈴屋訪問―」
開館時間:午前9時から午後4時30分     休館日:月曜日・年末年始
住所:〒515-0073  三重県松阪市殿町1536-7
http://www.norinagakinenkan.com/index.html
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by terakoya21 | 2013-08-06 07:30 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞100号 吉田館長のコーナーより)

第二十四話 碑が動く!?

和歌子 今年は賀茂真淵先生と宣長が対面した「松阪の一夜」から250年ですね。

らん この出会いで宣長さんが『古事記』研究を決意したとても重要な一夜だったのですね。ただ一度の対面でも、人生の決定打になることがあるという話でしたね。

和歌子 その舞台となったのが日野町です。

らん 駅からの道と交わる交差点近くの場所ですよね。c0115560_8282786.jpg

和歌子 カリヨンプラザですね。

らん カリヨンは、組み鈴でしたよね。

和歌子 宣長の鈴の連想ですね。そこに250年の今年、少し動きがあるの。

らん 何ですか、動きって?

和歌子 今までも「新上屋跡」という碑が建っていたんだけど、小さいし、また近くに山桜や説明板まで建てていただいたので、逆にわかりにくくなっていたの。そこで、記念館に移設していた大きな「史跡新上屋跡」碑と、おまけで初代の碑も(実は私が初代と呼んでいる碑は、初代のコピーかもしれない)もとに場所に移すことになったのよ。

らん ・・・・

和歌子 なぜ碑をいくつも造るのかわからないって顔に書いてあるね。

らん 碑って造ると高いのに・・どうしていくつも造るの。

和歌子 大人の事情よ。一番最初は、1940年今から73年前に市民の手で建てられました。

らん ふむふむ

和歌子 ところがその場所に大きなビルが建ち、お店になりました。スーパーマーケットのオークワですね。

らん あそこのオークワがあったら便利ですね。

和歌子 新しいお店を造る時、こんな大事な場所なのに小さな碑ではかわいそうだと、大きな碑を建ててくださいました。

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らん 初代の碑がいらなくなった。

和歌子 そこで記念館に運び込まれました。ところがそのあと、市内の各地に本陣だとか馬問屋の跡という石柱を立てることになり、新上屋もその石柱になりました。ちょうどオークワも店を閉じて、別のビルになるときだったので、好都合だったの。

らん それで今の三代目が建ったのですか。じゃあどうして今度碑が動くのですか。

和歌子 ある方が記念館に見学に来て、碑を見ていて、これって日野町のあったらいいのにとつぶやかれ、それがきっかけになったのよ。

らん つぶやいたのはとても偉い人ですか。

和歌子 偉い人ではないけど、すぐに自分の思いを人に伝え、何とか実現しようという前向きな人でした。

らん すばらしい。でも、碑って石ですよね。重いのに存外簡単に動くのですね。

和歌子 そうですね。今回はとんとん拍子で進みました。ところで、不思議な話だけど、石碑って意外と簡単に動くのよ・・

らん ちょっと怖い話ですか。夜中に場所が動いているとか・・

和歌子 ではないんだけど、たとえばね、黒田町の和歌山街道と熊野街道への分岐点の大きな道標があるんだけど、道を広げるときでしょうね、もういらないと捨てられて、といっても立派な石なので、別の 目的で使用されていたの。長い時間が経ち、それをある人が見つけて、もらってきて松阪歴史民俗資料館の庭に建てたの。時代が変わって、地元の人も大切なものであることに気づき、返してくださいといって、今の場所に移転したのよ。c0115560_834498.jpg

らん だんだん分かってきた。碑というのは実用品ではないから、いらない人にはいらない。しかも大きいからじゃまになる。でも立派だし、石だから腐りもしないし、燃やすわけにも行かない。捨てられても、どこかに残っているんだ。

和歌子 そうなのよ。新上屋の碑も、実はオークワの撤退時に廃棄され、丹生寺町の旧松阪市史編さん室裏に放置されていたの。その建物を取り壊すときに、またじゃまになって、それを聞きつけた記念館がもらってきたのよ。

らん 記念館って何でももらってくるんですね。

和歌子 博物館としての使命ですね。

らん 和歌子先生も拾ってきたり、集めたりするの好きですよね。

和歌子 ・・・・

らん でも、二百五十年の年に、もとの場所に戻るのはとてもいいことで、これからも動かずにこの場所にずっとあるといいね。

和歌子 そのためには、松阪の人がこれを誇りにして語り伝えていくことが必要ね。石碑や道標は、存外簡単に行ったり来たりします、といいました。分からないとじゃまになる。廃棄されもする。
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by terakoya21 | 2013-08-05 08:35 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞98号 吉田館長のコーナーより)

第二十三話 その夜、何が語られたか その2

らん 1763年5月25日(今の暦では7月5日)の夜、場所は松坂日野町の旅籠「新上屋」の2階、薄暗いあんどんのもとで二人の男が低い声で語り合っている。何を話しているのだろう・・

和歌子 あの、ご想像中、申し訳ないのだけど、二人じゃないの。

らん えっ、「松阪の一夜」って、真淵と宣長の二人の対面じゃないのですか。他にもその場にはたくさんの人がいたのですか。

和歌子 実はもう一人、部屋の中にいたのよ。

らん 何してたの? いったい誰?

和歌子 尾張屋太右衛門といって新上屋の近くのお店の人よ。

らん なんだ、3人で賑やかに話していたのか、ちょっとイメージと違うなあ。

和歌子 静かに二人で語り明かしたことは間違いないのよ。

らん でも、いたのでしょ。尾張屋さん。

和歌子 一言も口をきかなかったそうよ。

らん なに、それ! 信じられない。何しにいったのですか。

和歌子 分からないけど、偉い先生が来ていて、宣長が会いに行くというのでついてきたみたい。

らん 笑っちゃいますね。ノコノコついてきたのはいいけど、○△☆※・・・?? わかんねー。

和歌子 もちろん、ついてくるくらいだから少しは関心というか、有名な人に顔つなぎして、なんて気持ちあったみたいだけど、結局、あまりに専門的な二人の話に乗れなかったのだと思うなあ。

らん 二人の話って、『古事記』についてですよね。

和歌子 そう、『古事記』は「読み方」が大切ということと、果たして読めるかと言うことですね。
らんさんなら『古事記』は奈良時代だとか、日本には文字がなかったとかいう一通りの知識はありますね。

らん 余り自信はないけど、教科書に出てくるくらいは知っているつもりですが・・・

和歌子 学校とか教科書が出来て、基礎知識が共有されるようになったけれど、それまでは果たしてどの程度知っていたのか分からないわね。

らん 『古事記』なんていつの本か分からない、と言うことですか。

和歌子 たとえば太右衛門さんが、おい宣長さんよ、『古事記』ってなんだっけ、と小さな声でたずねたら、和銅5年元明天皇の時代に出来た本だと教えてくれる。西暦があると、和銅5年は712年だな、鳴くよウグイスは平安京だ、ええっと710年。確かそうだ。この時に平城京ができたのだから、おお、奈良時代の初めか、となりますね。でも西暦がないから、古いと言ったってどのくらい古いのか分からない。ましてや何で読めないのか分からない。

らん 話をするのって結構難しいんだ。

和歌子だから勉強しなさいって言うのよ。それ何? わかんない。でもおいしいよ、と言うような会話なら別に知識はいらないけどね・・・

らん 難しくって太右衛門さんは居眠りしてたかもしれないね。

和歌子 かもしれないわね。

らん 前回、二人が『古事記』の話をして、そのためには『万葉集』を読みなさいという真淵さんの指導があって、通信教育があるよと真淵さんから提案された、という和歌子先生のお話でしたが、それ以外にもどんなことが話されたのかな。

和歌子 確かなのは「歌」の話ね。

らん SONG、歌う歌?

和歌子 和歌ね。

らん 歌を詠みなさい、ということでしょうか。

和歌子 この日は25日、松阪の新町にある樹敬寺で嶺松院歌会が開かれる日でした。宣長はそれが終わったあとに、新上屋にいってますから、おそらくどんな歌を詠むのかなと真淵先生に聞かれて、今日詠んだのはこんな歌ですと言ってお見せしたら・・

らん なかなか良い歌だねとほめてもらった、

和歌子 とはいかない。こんな歌ではだめだ。『古事記』を読むためには、万葉風の歌を詠みなさいと言う指導があったはずよ。

らん 「万葉風」って、和歌にもスタイルがあるのですか。

和歌子 和歌の歴史は長くて、流行もあるし、しかも歌人にとっては命がけのことだから、歌風というスタイルの問題はとても重要だったのよ。

らん 歌人の世界も難しいんだ。

和歌子 歌人の世界と言ったって、平安時代は貴族の時代でしょ。貴族はみんなが歌人みたいなものだから、とても大事なことですね。

らん 宣長さんの歌風は、どんなのですか。

和歌子 歌風は大きく二つに分かれて、古風と近風があります。古風は万葉風。近風は『古今集』以降となります。近風にもさらに区別がありますが、宣長は「近風」しかも『新古今集』風が最高だと考えていました。実際に詠んだのは『古今集』風ですね。

らん だからだめなんだ。

和歌子 そうね。 それとその夜に話されたもう一つの大切なことは、勉強の心構えです。

らん 勉強の心構え、すごいなあ。ぜひ聞かせてください。

和歌子 これはとても大切な話だからしっかり聞いてね。、と言うところで今日は終わり。話の続きは今度ね。

らん なんだつまんない。
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by terakoya21 | 2013-05-27 09:08 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞97号 吉田館長のコーナーより)

第二十二話 その夜、何が語られたか その1

和歌子 イチゴは苺ではありません。一回という意味です。一期と書きます。イチエは一会です。一回の出会いです。この人と会うのは今日が最初で最後だ。一生に一度だけだと言う気持ちで心を込めて対応するということですね。

らん 出会いは大切にということですね。

和歌子 意味がわかるとすてきな言葉でしょ。

らん 真淵先生に会った時の質問をきちんと考えていたっておっしゃったけれど、何が語られたのですか。

和歌子 その疑問について、いろいろな人がいろいろと述べています。

らん どんなことですか。

和歌子 もちろん核心は当然『古事記』ですね。それは間違いがないですね。次に、『万葉集』についての質疑応答の約束ですね。これも間違いがないですね。

らん 『古事記』ってご存じですか、なんて聞くわけないですよね。

和歌子 もっとつっこんだ話でしょうね。どうやったら読むことが出来るか、その延長線上で、真淵先生は、まず『万葉集』を勉強しなさいと教えたのでしょうね。

らん 『万葉集』とか『古事記』について、よくわからないのですが・・・

和歌子 専門的な話になるけど、 両方とも奈良時代に出来た本で、その頃はひらがなもカタカナもないので漢字で書いているという共通点がありますが、

らん 前に聞いたかな?

和歌子 「全ての道は『古事記』に通じる」の時にも話したことなので繰り返しになりますね。『古事記』と『万葉集』の大きな違いは、『万葉集』は五七五七七という歌で、一方の『古事記』は、稗田阿礼が語った語り、つまり散文と言う点ですね。もう一つの違いは、『万葉集』は長い間、みんなが苦労して読んできた蓄積があるけど、『古事記』はそれがないという点です。

らん だれも『古事記』を読まなかったのですか。

和歌子 「読み」方が、それまでの人と宣長とでは違ったのです。

らん だんだん難しくなってきた。

和歌子 すごく難しいことだから、結論だけ言うね。『古事記』の内容は、漢字で書かれた本だから、見ていたら何が 書いてあるか、何となくわかります。たとえば「素兎」とあれば、飾り気のないウサギかな、とかね。でも宣長は、『古事記』って稗田阿礼が語ったんだろ。なら、意味も大事だけど、まず読み方じゃないかと考えたの。意味はその次だとね。

らん なるほどなあ。何かわかる気もする。

和歌子 これが画期的なことだったの。真淵先生にそのことをお話ししたの。そしたら、真淵先生は感動したの。私も同じことを考えていたのじゃよ、とね。

らん 後出しじゃんけんみたいな感じだけど、ほんとに真淵は考えていたのかな。

和歌子 少なくとも、宣長の言ったことはすぐに理解できたし、そのためにこの青年、つまり宣長ね、が何をするべきかもわかったの。

らん すごい。

和歌子 日本古典の最高権威で、宣長が見込んだだけのことはありますね。

らん その結果が『万葉集』を読みなさいですか。

和歌子 『万葉集』を勉強することで、古語について勉強しなさいということですね。

らん はい、何となくわかりました。

和歌子 問題はその次です。勉強するのなら、手紙で教えてあげるよと言う約束を取り付けたところが大切ですね。

らん 手紙?

和歌子 そう、今の通信教育ですね。

らん 真淵さんはどこに住んでいたの?

和歌子 江戸、今の東京ね。

らん 江戸と松坂の間で通信教育が始まったのですね。ところでそれ以外には何か話があったのですか。

和歌子 それについては、次の時にお話ししましょう。
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by terakoya21 | 2013-04-28 10:02 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞96号 吉田館長のコーナーより)

第二十一話 素敵な出会いを創出する

らん 今日は「松阪の一夜」について教えてください。この前のお話しでは、「一夜」は「ひとよ」と読むということと、ちょっと気になったのですが、ラッキーな出会いと言うだけではないよ、ということだったかな。

和歌子 そうね。もちろん出会いは幸運だったけど、その前に宣長さんはちゃんと準備しているのよ。

らん 準備ってなんですか。

和歌子 まず、少し時計の針を戻して、28歳の時です。

らん 「松阪の一夜」が34歳だから6年前ですね。

和歌子 そうです。宣長は5年間の医者の勉強を終えて松阪に帰ってきました。

らん すぐに開業したのですか。

和歌子 帰ってすぐですね。ちょうどその頃、江戸で出版されたと言う本を友達から見せられたのです。それが賀茂真淵の『冠辞考』だったの。

らん「カンジコウ」って何の本ですか。

和歌子 「冠辞」は冠、つまり頭に載せる言葉。「あず(づ)ま」と言う言葉の上には、「鳥が鳴く」、「奈良」は「あをによし」とか・・

らん 「青丹よし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり」は分かりますが、「あずま」は何かしら。

和歌子 東のあずまです。

らん 東ではいつも鳥が鳴くのかな?

和歌子 つまり慣用的に上に付くのが枕詞ですが、これを賀茂真淵は「冠辞」と読んで注釈したのです。

らん その本を読んだのですね。

和歌子 それで真淵先生ってすごいと思って、宣長の行動が開始されるのです。

らん 最初に何をしましたか?

和歌子 賀茂真淵先生ってすごいからぜひ会ってみたいとあちこちで言いました。

らん なぜかしら。

和歌子 情報を集めるためには、先ず自分の関心事を知ってもらわないといけないでしょ。

らん なるほど。賢い。

和歌子 それと大事なことは、焦らないこと。待っている。

らん すると引っかかってくるんですね。釣りみたい。

和歌子 餌をまいておいて辛抱強く待つ。すると、ある日松阪の本屋さんから、賀茂真淵さんがうちの店にいたよと言う連絡があったんです。

らん すごい。待っていれば来るんだ!

和歌子 伊勢は神宮があるから、思いがけない人が来るのよ。

らん 地の利を活かしているね。

和歌子 それでも4年近くかかったかしら。

らん それで会いに行ったのですね。

和歌子 ところがもう既に真淵先生一行は出発した後だった。

らん ええっ、会えなかったのですか。

和歌子 松阪のはずれ、徳和くらいかしら、そのあたりまで追いかけていきましたが、結局一行を見つけることが出来なかったのです。

らん きっと伊勢に行ったんだから帰りを待てばいいですね。

和歌子 そうなんです。宣長は真淵先生一行の行動を予測して、次の手を打ったのです。つまり宿屋さんに連絡してもらうように頼んだのです。

らん 宿屋が日野町の新上屋ですね。カリヨンビルの所ですね。

和歌子 よく知ってるね。

らん それ位は知っていますよ。山桜の木が植わっています。

和歌子 しばらくしたら、新上屋さんから連絡があって、やっと「松阪の一夜」となったのです。偶然の力もあったけれど、よく考えると、まず真淵先生という自分の師と仰ぐ人を選び、情報を集めながら辛抱強く待って、連絡があればすぐに動く。それでも遅くって、会えなかったけれど、だめだからと落胆せず次の手を考える。

らん 偶然だけど偶然ではない。

和歌子 もう一つ重要なことは、真淵先生に会った時の質問をきちんと考えていたことが大切ね。

らん あこがれの先生にお会いできて、ボク感動しました・・ではだめですよね。
和歌子 旅行中、しかも67歳と当時としては高齢だからきっと疲れておられるはず。ほんの僅かな時間しか会えない。でもその時間で先生から必要なことは学び取らなきゃいけない。できれば、これからの約束も取り付けたいしね。

らん だから、一瞬で先生の心を射止める必要があるんだ。面接ですね。

和歌子 素敵な出会いには準備が必要って言う意味、わかった?

らん 待ってるだけじゃだめなんだ。

和歌子 ところで、今年は「松阪の一夜」から250年。

らん ちょうど250年なんですか。すごい。

和歌子 4月7日、宣長まつりの夜7時から、日野町新上屋の跡で「松阪の一夜」の話があるから、一度行ってみたら。

らん 日曜日ですね。メモ、じゃなくってちゃんと準備しておきます。

和歌子 チャンスは一度。一期一会です。

らん イチゴ?苺?イチエ?


056.gif宣長まつり
松阪が輩出した偉大な国学者 本居宣長を讃え行われるまつりです。
お茶会など宣長にちなんだイベントが催されます。
日時:平成25年4月7日(日)
場所:松坂城跡(松阪公園)松阪市産業振興センター、カリヨンプラザ

詳しくは…観光協会のホームページから「宣長まつり」のポスターをクリックして下さい!056.gif
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by terakoya21 | 2013-03-24 17:48 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞95号 吉田館長のコーナーより)

第二十話 幸運は自分で作るもの

らん 宣長さんと賀茂真淵先生の生涯にたった一度の出会いの話っていいですよね。私もそんな出会いがあるかな。

和歌子 その出会いを「松坂のひとよ」と言いますが・・・

らん 「松坂のいちや」ではないのですか。

和歌子 今は「ひとよ」と読みます。でも、「いちや」でも間違いではありません。

らん あいまいですね。

和歌子 この「松坂の一夜」は、ずっと昔は教科書にも載っていた有名なお話しですが、その時、教壇に立っていた先生におたずねしたら、「いちや」と教えていたと証言されました。当時の模範授業のテキストには「ひとよでも、いちやでもよい」とあります。

らん 困りますね。

和歌子 原作者の佐佐木信綱さんは、有名な歌人です。歌人なら訓読みのほうがふさわしいだろうと、後世の人が「ひとよ」と読むようになったようですね。信綱さんがはたして「ひとよ」と考えて書いたかどうかは確証がありません。ずっと後になって、出版された『松阪』と言う本には信綱さんの随筆がのっていて、そこでは「ひとよ」とふりがながありますが。でも最初から、「ひとよ」と態度を明確にしていたら、混乱はなかったでしょうね。

らん信綱さんは、子どもが読むのじゃ、いちやで宜しかろう。どうせ一夜漬けで勉強するのじゃろうから、なんてね。

和歌子 きっとそんな感じだと思いますよ。

らん 音読みと訓読みは難しいですね。

和歌子 宣長さんの理屈で行くと、原則として古代は訓読みですが、なかには不自然な感じがするものもありますね。

らん どんなのがありますか。

和歌子 例えば『古事記』は「コジキ」でしょ。宣長さんは「フルコトブミ」と読む可能性を指摘しますが、『古事記伝』の中で、作者の太安万侶は音読で読めばいいと考えていたと推測しています。『日本書紀』はどう読むか分かる?

らん 「日本」は「ヒノモト」ですか。

和歌子 これは「ヤマトブミ」ですね。では、「俗人」、「宮殿」、「識者」、

らん「識者」ってなんですか。

和歌子 知識人とか有識者って新聞に出てくるでしょ。

らん どう読むのですか。

和歌子 「ヨノヒト(俗人)」、「ミアラカ(宮殿)」、「モノシリビト(識者)」ですね。

らん 本当に昔の人は訓読みしてたのですか。

和歌子 私たちの祖先はしゃべる言葉しかもってなかった。たとえば空から降ってくる白くて冷たい「ユキ」、それを記録しようとすると、漢字の「雪」が近いので「雪」と書いたわけです。だから私たちの祖先が持っていたボキャブラリーにある言葉は訓読みできるはずです。それがたとえば複合語になったり、漢語として作られた言葉を無理に和訓に訳すと不自然になりますね。

らん そうなんだ。

和歌子 松阪に阿形町と言うところがあります。

らん 大足町の近くですね。

和歌子 アガタと読みますが、もとは役所である「県(アガタ)」があったそうです。アガタと訓読みしていたので阿形という漢字を当てたのでしょうね。駅部田は駅はウマヤ、その近くというので付いた地名ですね。ヘタのヘは岸辺のヘですね。タは方向を表すそうです。

らん 柿のヘタ?

和歌子 ほっぺたもそうですね。

らん 頬の近くかな。何かわかりますね。マエノヘタもマエペッタにした方がかわいいですよ。

和歌子 いいアイデアね。でも、何かヒトヨかイチヤかの話になってしまいました。よかったかしら。

らん 本当は、今日は宣長さんのようなラッキーな出会いが私にもあるといいなと思っていたのですが。

和歌子 その話なんだけど、宣長さんの幸運は、自分の工夫と努力で引っ張ってきたのよ。例えば「松阪の一夜」も確かにラッキーな出会いなんだけど、その裏には宣長さんの情報収集と素早い行動があるのよ。らんさんも十分に情報を集めて、分析して・・・

らん 私の出会いはだんだん遠くなっていきそうです。


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「てらこや新聞」の原稿にはなかったのですが…先日ちょうど頂いた「鈴もなか」の箱に「松阪の一夜」の絵が載っていたので…ここに載せておきます。

「賀茂真淵」ってかっこいい名前だなぁ~と幼い頃、お茶の先生にこの「松阪の一夜」のお話を聞いたとき思ったのを覚えています。

吉田館長の御好意でこの連載も気がつけば20話。私の幼い頃からの憧れの人が「本居宣長」さんでもあり…保護者の方もあえて、「鈴もなか」を下さったのではないかと…そのお心遣いを大変嬉しく感じています。

…てらこや新聞も来月で、発行開始から8年目を終えます。

これからもどうぞよろしくお願い致します。

なお、18話までのお話は…

カテゴリ「不思議な宣長さん

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by terakoya21 | 2013-02-25 14:16 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞94号 吉田館長のコーナーより)

第十九話  いつも若い?

らん おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

和歌子 お正月はいいものでしょ。

らん すべてが新しくなる気持ちですね。

和歌子 いろんな民族でよく似た考えがあるけど、日本には、お正月は若返る時期だと信じていました。

らん 和歌子さんのお名前みたいですね。リセットするんですね。

和歌子 そう、まさにリセットよ。昔はお正月の早朝に井戸から汲む水を「若水」と 言いました。

らん その水を飲むと若返る?

和歌子 その通り!

らん そんなこと信じてたんだ。

和歌子 「を(お)ち水」とも言って月の神様が持っていたのよ。 『万葉集』にも出てくるのよ。

らん わかった。お月さんは消えてもまた出てくるからだ!

和歌子 そうね。ニコライ・ネフスキーには『月と不死』と言う本もありますが、宣長さんも『玉勝間』で、「をち」はもとに返ることだと書いています。「をち」は若々しくて元気がいいと言うニュアンスもあるのよ。

らん 「越智」さんという先生もお見えですが・・・

和歌子 とてもよい名字ですね。「亀井」さんも、その水を飲むと若返る不思議な井戸を持っていたのかな。

らん 昔話の中に、不思議な泉ですが、その水を飲み過ぎて赤ちゃんになった、いじわるなおばあさんがいました。

和歌子 「をち」と「をと」とは言語学的には同根、つまり、もとは同じ言葉だとされています。

らん そうなんですか?「おと」って男って言う意味じゃないんですか。

和歌子 それでは「おとめ」は説明できないでしょ。「男(おとこ・をとこ)」も、「少女(おとめ・をとめ)」も、若い力を持っている「子」、「女(め)」と言う意味なんです。

らん 意味があるんですね。若くなければ男ではない!

和歌子 ところで今年は出雲大社も伊勢の神宮も遷宮です。

らん お詣りしましたが、そんなに古くなってないようですが、なぜ新しくするのですか。

和歌子 神道には「常若(とこわか)」という考えがあります。字の通り、常に若いことです。若返ることです。「常若」は、言葉としてはそんなにさかのぼれないのだけど、神道の根底には古代からこの考え方が流れています。だから、一定年度で造り替えるのです。

らん ぜいたくですね。

和歌子 神道は「清浄」ということもきびしく守ります。

らん 常にきれいでなきゃいけない。たしかにどこの神社もシンプルで、なにか清々しいですね。

和歌子出雲大社は60年だけど、伊勢は20年に一度で、ちょうど技術の伝承にもなるしね。ところで、宣長さんは神宮に関心を持って詳しく調べています。なぜかわかる?

らん 神様が居るからでしょ。

和歌子 20年に一度という制度を式年遷宮と言います。このことが決められたのは685年天武天皇の時でした。

らん 天武天皇と言えば・・ 『古事記』だ。

和歌子 その通り。『古事記』を作ろうと考えた方です。その天皇の時から原則として20年に一度、前と同じように造り替えているわけだから、わかるはね。

らん 天武天皇のときのまま、ですか。タイムカプセルみたいだ。

和歌子 神宮は古代の世界を今に伝えているのです。宣長にとって本を読むとは、その情景を頭の中でヴィジュアルに再現することだって前にお話ししたかしら。『古事記』でも同じです。
本当に600年代のままかどうかとか、『古事記』はさらに古い世界を描いているとかはあるけど、でも『古事記』世界を思い描くときに、神宮が一番参考になると言うことは間違いがないのよ。

らん ところで、今年のテーマは何ですか?遷宮とか伊勢ですか。

和歌子 今年は、250年がキーワードです。

らん ?

和歌子 賀茂真淵と本居宣長が出会った「松阪の一夜」も、本居宣長の長男・春庭さんが生まれたのも、有名な「もののあはれ」説が出来たのも全部1763年、つまり250年前のことなのよ。

らん 「松阪の一夜」はわかるけど、春庭さんって有名な人ですか。「もののあはれ」って何ですか。

和歌子 次回から、少しずつお話ししましょうね。伊勢や遷宮とも関係が出てくるはずです。
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by terakoya21 | 2013-01-31 10:02 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞93号 吉田館長のコーナーより)

第十八話  お餅はいかが?

和歌子 寒いですね。クリスマスもあるし、お正月の準備で忙しい季節ね。

らん 宣長さんの家でも正月のお餅は搗(つ)いたのですか。

和歌子 43歳の時の日記に、「23日、餅つきなり。例年なら26日だが、今年は妻勝が出産を控えているので、今日搗いた」と書いてあります。

らん 何でも書いてるんだね。

和歌子 前にも話したかわからないけど、自然にというか、リズミカルに すべて事が運んでいくの。だから、よし書こう、なんて構えないで、自然に手が動き、机に向かって書くの。

らん ペッタンペッタン、お餅も出来たぜ、フンフンフン、なんて鼻歌まじりで書くのかな。

和歌子 鼻歌はともかく、でもそんな感じね。仕事が終わったら、これは記録する必要あるかどうかを瞬時に判断して、さっさと書く。

らん 迷う前に行動だ。

和歌子 勉強でも同じね。

らん 宣長さんは自分で搗いたのかな。

和歌子 そこまではわからないけど、おそらく「おとこし(男衆)」という男性の手伝いの人が何かあると本居家に来てくれるので、そんな人に頼んだのでしょうね。宣長さんが杵を持って搗くのは、ちょっと  イメージと合わないでしょ。

らん 前に子供会でお餅をつきました。あの音って好きです。

和歌子 宣長さんは72歳のお正月を和歌山で迎えます。お殿様への講釈と新年の挨拶のために、前年から出かけていたんだけど、宿舎の隣の家からお餅つきの音が聞こえてきて、はやく松阪に帰りたいなあとつぶやいています。

らん つぶやいたことまで残っているのですか。

和歌子 つぶやきは歌で残っています。

らん 歌って和歌ですよね。和歌はつぶやきですか?

和歌子 つぶやきとか、ささやきとか、その歌によるけど、大声で叫ぶものや、公式発言ではありませんね。

らん 宣長さんの詠んだ歌を教えてください。

和歌子 もちひつく 隣の音も ふるさとの いそぎ思はす 年の暮れかな

「もちひ」はお餅、「いそぎ」は準備ですね。

らん あの音聞いて食べたいなと思ったのかもしれませんね。

和歌子 でも食べる前に、先ず鏡餅を作ります。驚く無かれ、鏡餅を何個作ってどこにお供えするかまで全部記録しています。

らん 信じられない。驚くなって言う方が無理です。

和歌子 鏡餅をお供えするのはご主人の仕事。つまり宣長さんの仕事だから、年末に家を留守にするときのために、間違っちゃいけないから書いておいたのよ。

らん 鏡餅って一個じゃないんですか。

和歌子 神棚さまにお供えする鏡餅は27個。これは小鏡です。仏壇にお供えするのは、中鏡(中くらいの大きさの鏡餅)が13個。小鏡は24個。だけど余裕を持って中鏡は16,7個、小鏡は70個くらいは作っておきなさいと指示しています。それと・・

らん まだあるんですか?

和歌子 「いずれも、ずいぶんていねいに作ってお供えしなさい」 搗きたてのお餅は熱いからちぎって粉の上にポイッと投げるのは仕方ないけど、後はていねいに丸めて形を整え、心を込めて飾りなさい。

らん はいはい。

和歌子 少し前まで、松阪の町には小さな鏡餅を神棚さんや仏壇にたくさん並べてお供えする風習がありました。

らん たくさん作るのも大変だけど、書くのも、いくらテンポよく書きますよと言われても、信じられない。

和歌子 宣長さんの記録を紹介すると、みんなびっくりしますね。細かいところまで手抜きがない。でもね、どんな細かいところでも、見えないところでもきちんとするのが、日本人の特性だったのよ。今は変わったけどね。

らん 日本製品が外国で人気があったのはそのためですね。

和歌子 職人さんも、工場で働く人も、品質とは関係なくてもきちんと仕上げる。ましてや学者ですからね。

らん 一切、手抜きや妥協はしない。

和歌子 『古事記伝』はそんな人が、心を込めて書いた本だから、今も読まれ続けているのよ。今日は時間がないからこれで終わるけど、次は、昔、松阪にあったお餅の博物館の話をしてあげる。

らん お餅を食べながら聞きます。

和歌子 では、よいお年を。お餅の食べ過ぎには注意してください。
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by terakoya21 | 2012-12-23 07:00 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞92号 吉田館長のコーナーより)

第十七話 15歳の宣長少年

らん 宣長さんが15歳の時に書いた『赤穂義士伝』見てきましたよ。すごかった。

和歌子 覚えて書いてきたって言う話ね。

らん 本当なんだね。お寺で聞いた話を家で紙に書いたって。聞いてた けど、信じられなかった。

和歌子 「ワスレ」って所々に書いてあったでしょ。

らん あった、あった。でもほかの所はみんな覚えているんだ。小さい字でびっしり書いてあったよ。昔の人は子どもでもすごいね。

和歌子 らんさんは、赤穂浪士の討ち入りの話は知ってる?

らん 殿様の敵討ちをした家来の話でしょ。

和歌子 江戸城で吉良上野介に意地悪された浅野内匠頭が、刀で斬りかかったけれど、殺せなくって、逃げられたの。城内で刀を抜くとは何事だと、浅野内匠頭は切腹させられたの。

らん 意地悪した方も悪いけど、刀を抜くのもいかがかと、らんは思いますが。

和歌子 でも武士の世界は、主君の敵は家来が討つの。

らん それで47人の家来が吉良上野介宅に討ち入りし、敵討ちしたのね。年末になると、第九と忠臣蔵、必ずやってますね。

和歌子 雪のなかの討ち入りシーンも宣長さんの「赤穂義士伝」には詳しく書いてあるのよ。

らん 一番有名な場面ですね。

和歌子 ちょっと読んでみますね。

「高ヂャウチンハコトゴトクヒケテ、ヘイヨリミツカンヲヲビタタシクホリ出ス、タウ中ノ者共コレヲ以テノンドヲウルヲシケル」

分かるかな。

らん 何となく。

和歌子 騒ぎを聞きつけた隣の土屋主税の家から、何事だ、と高提灯を立てて照らしたけれど、敵討ちだと聞いて、高提灯を全部片付けた。その代わり、塀よりミカンをおびただしく放り込んでくれた。闘争中の者は、これを食べて渇いた喉を潤しました。

らん ミツカンはミカンね。ミカン食べながら刀で斬り合いをしていたんだ。語り口も面白いね。わくわくしながら聞いたのがよく分かるなあ。

和歌子 日本人はこの話が大好きね。討ち入りがあったのは、元禄15年、1702年。この話がみんなに知られるようになったのは、1748年の『仮名手本忠臣蔵』だったの。

らん 宣長さんはいつ聞いたの。

和歌子 1744年よ。

らん じゃあ『仮名手本忠臣蔵』より前ね。余り知られてなかったのかしら。

和歌子 松阪新町の樹敬寺で宣長さんが聞いたのは、まだ流行になる前の、珍しい話だったはずね。

らん 松阪の人も大喜びでしょうね。

和歌子 当時のお寺は、いまの文化会館やカルチャーセンターみたいに、有名人がやってきたり、新しい 話が聞ける教養と文化の最前線だったの。

らん 「てらこや」もそうですよね。

和歌子 お寺では、手習い教室が開かれているところもありました。明治になったら、村のお寺は、学校になったのよ。松阪の地図を見て。観光マップでいいから。ほら、大きなお寺が多いでしょ。

らん 来迎寺、樹敬寺、清光寺、養泉寺、初午の岡寺さんは、継松寺と言うんだ。

和歌子 岡寺山継松寺ね。松阪に大きなお寺が多いと言うことは、文化や教育が盛んになるとても大きな要因だったのよ。

らん それにしても、大人に混じって聞いた話を覚えて帰ってくるなんて、宣長さんは子どもの頃からすごかったんだね。

和歌子 暗いお寺の本堂ではメモもとれないから、全身を耳にして、

らん 全身が耳になるの!

和歌子集中して、ということよ。忘れたら終わりという緊張感で話を聞いていたの。らんさん、出来るかな。

らん ・・・
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by terakoya21 | 2012-11-29 11:56 | 不思議な宣長さん

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