カテゴリ:不思議な宣長さん( 38 )

Message (てらこや新聞128号より)

~本居宣長記念館の吉田館長からMessage をいただきました(*^_^*)~

『てらこや新聞』で楽しみに拝見しています。
いつも、何かしら発見がありますが、
今回嬉しかったのは
『負けんとき ヴォーリズ満喜子の種まく日々』
という本の紹介。

ヴォーリズを支えた笑顔の魅力的な奥さんについて関心があったので、早速買ってきて読んでみます。

ヴォーリズとの出会いは、一昨年、近江八幡に行ったとき。
バームクーヘンが美味しいよと教えられて、
なるほど食べたら美味しくて、町を歩きながら
きょろきょろ見回していたら、
おまけみたいにヴォーリズがやって来ました。

ラ コリーナが出来て、藤森照信の建築が面白くて、
何度か人を連れて行くたびに、
私の中でだんだんヴォーリズの存在が大きくなっていったのです。

そんな中で、内田樹の『最終講義』という文庫本を読み、うなりました。

神戸女学院大学を退職されるときの最終講義などを集めた本で、
余り期待もせずに読み始めたのですが、
面白い。

まず、
「武士は用事のないところには出かけない」
という武道の師・多田宏の言葉に感心しました。

ぶらぶら歩く文化信奉者の私には、新しい発見  でした。

打つ手がなくなった患者に、
「臨兵闘者皆陣列在前」
という九字を切ってみた
池上六朗という医者の話。
でもこれで、患者である女子高校生の 原因不明の硬直が解けたというのだから驚きです。

さらにひっくり返るほど仰天したのが、
「ヴォーリズの建物というのは生き物のようなものだ」
に始まる、
「校舎が人を作る」という発想です。

これは、かめいさんのような教育者からは当たり前のことかも知れませんね。

私も少し考えたら納得できました。
でも、当たり前のはずのことなのに、
松阪の小学校や中学校の校舎ってみな同じでつまらないですよね。

内田さんのことばを借りると、
ヴォーリズの建物は、
けっこう暗くて、仕掛けがあって、扉の向こうに何がという、わくわく感があるのだそうです。

「暗がりを抜けて、思いがけず明るいところへ踏み出すときの目眩のような感じを、身体的実感として繰り返し経験させることが、学びの場には不可欠だということを、ヴォーリズは直感的に理解していたのではないか」

平城京や平安京など中国をお手本にした時代は いざ知らず、
江戸時代の日本の建築には、シンメトリ-とか全体眺望がきくような所が少なくて、
廊下の角を曲がると思いがけぬ空間が拡がっていて、
趣向をこらした庭やらふすま絵があったりするものです。
たとえば江戸城など、記念館にも図面がありますが完全な迷路です。
(ところで何で宣長はこんなものを持っていたのでしょうか?)


それが明治になって、西洋化というか機能主義、効率主義に支配されて、
建物も町もすべてがつまらなくなってしまいました。
ル・コルヴィジェのような美意識があれば、機能的でシンプルでもいいのですが、
考えのない建物は御免です。

今、本居記念館はリニューアルの計画を策定中ですが、
わくわく感がある改修が出来ればと思います。

また楽しい記事を載せてください。楽しみにしています。
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by terakoya21 | 2015-12-13 08:30 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞112号 吉田館長のコーナーより)

第三十三話 「苦労」ではなくて「工夫」です

らん新しい展示が始まりましたね。 「ホンと!宣長」 タイトルの「ホンと」はシャレですね。 

和歌子 どちらか言うと、掛詞に近いかな。

らん 掛詞ってシャレのことですか。

和歌子「立ち別れいなばの山の峯に生(おう)るまつとし聞かば今帰り来ん」

らん 百人一首です!

和歌子 行平の歌ですが、宣長さんの訳では「今此方(私)は京を立ちて別れて因幡国(鳥取県)へ下るが、その国の因幡山の峯に生えてある松の名の通り、そなたが此方待つと聞いたなら、直に又帰ってこうわさて」です。

らん 訳の方が難しい!「こうわさて」ってなんですか?

和歌子 宣長さんの頃の京都の言葉のようですが、松阪の言葉なら、「帰ってくるわさ」かな?

らん 「帰ってきますよ、すぐに」という感じですね。

和歌子そうね。鳥取転勤になってもう会えないね。たけど、待ってるわ、という一言さえあなたから聴けたなら、仕事も辞めて、すぐにでもあなたのもとに帰ってきますよ。 さて、この歌には掛詞が二つあります。

らん 「待つ」と「松」。

和歌子もう一つは、「因幡」の「いな」。「往(い)ぬ」と言う言葉があるけど、知ってるかな。行ってしまうとか、去るという意味だけど、ここでは、「往なば」、つまり、因幡に行ってしまったならばもうお別れだけど、というニュアンス。長くなったけど、これが修辞法としての「掛詞」です。上から下へ一つの言葉が別の意味でつながっていくの。

らん ここは「本」と「本当」ですね。

和歌子上から下という流れではないから、だじゃれですね。

らん 宣長さんは和歌も訳してるんだ。

和歌子歌の持つ雰囲気とか、微妙な意味合いは訳するのが一番という 考えを持っていました。

らん それはわかります。

和歌子さっきの訳は『古今集遠鏡』と言う本に出ていますが、「遠鏡」は 望遠鏡。『古今集』の世界をのぞく器械なのです。『古今集』を現代語訳することで、当時の歌人の心の細かなところまで、つまり微妙な心のひだがくっきりとわかるはずですよと言う意味ですね。

らん 過去が見えるってすごい発想ですね。そうだ、和歌子さんは前に、『古事記伝』は『古事記』が伝承された7世紀後半の声を聴く器械だと 言われましたね。宣長ってどこかエンジニア的発想があるのかな?でも普通に考えたら、本好きの文系ですよね。 

和歌子そうね。不思議ね。では今回の展示です。まず、BOOKの「本」。本に始まり本に尽きといっても過言ではない本居宣長(もとおり のりなが・1730-1801)の人生。その「本」の中(ふみの森)に本当の宣長を捜すと言う意味で、「ほんと(本当)!」という二つの意味を込めています。

らん いつも静かに本を読んでいるおとなしい子どもだったんだ。 

和歌子家は木綿商です。周りはお父さんやおじいさんみたいな立派な商人になって欲しいと期待したでしょうね。

らん でも期待を見事に裏切る。

和歌子お母さんが、商売の方には才能が無くて、本を読むことくらいしか能がないので、医者にすることを決意したと語っています。読書好きというより、それ位しか取り柄がない困った子どもだったようです。

らん どんな本を読んでいたのですか 

和歌子手に入るものは中国や日本を問わずに片っ端から読んでいたそうです。今回の展示では14歳の時に写した「円光大師伝」(浄土宗の開祖法然上人の伝記です)とか、同じ年に編集した『新板天気見集』が出てますね。

らんすごいなあ。今の中学生とはレベルが違いすぎるなあ。昔の人は、犬や猫みたいに早く死んじゃうから成長が早いのかなあ。

和歌子でもお百姓さんみたいに肉体労働の人は別だけど、武士や町人はけっこう長生きですよ。驚くような話も残っているけど・・

らん やっぱりすごいんだなあ。

和歌子また15歳の時には、赤穂義士討ち入りの話の聞き書きも作っています。

らん それは聞いた気がする。

和歌子宗教書から実用書、歴史に文学と、まさに乱読ですね。でもそのなかで、生涯を決定づけた本として、次の5冊が挙げられます。『二十一代集』 『古今集』に始まる、勅撰和歌集です。勅撰集ってわかりますか。天皇の命令で  編集された歌集ですよ。『後撰集』、『新古今集』など代表的な歌集が入っています。宣長の和歌や言葉の研究のベースとなった本です。『源氏物語』 宣長は北村季吟の『源氏物語湖月抄』で読みました。『古事記』 712年、稗田阿礼の語りを太安万侶が記録。現存最古の歴史書です。

らん 勅撰集に源氏と古事記、すごい本が出てきますね。

和歌子あと二つが、契沖と真淵先生の本です。『百人一首改観抄』は契沖の著作で。百人一首の注釈書です。『冠辞考(かんじこう)』賀茂真淵著。枕詞の辞典です。

らん 今回の展示はそんな読書の系譜をたどるのが目的ですか

和歌子もちろん「本」と宣長の出発点は、読んだ本や影響を受けた本ですからそれも展示しますが、それだけではありません。本と宣長にまつわるいろんな話をご紹介します。そこで一番大事なポイントがあります。「出版」です。

らん どうして「出版」なのですか。

和歌子さっきの大事な本。

らん 生涯を決定した本ですね。

和歌子あの5点に共通するのは、全部出版されていたということです。

らん 本屋さんで売っていたんですね。

和歌子これはとても大切です。それまでは写本しかないわけだから、所蔵者も限られる。

らん 松阪のような町では目にすることも難しそうだな。

和歌子出版物として刊行されていたから読めた。その体験を活かしたのです。

らん 今みたいにコピーもないしね。全部写すのも大変だ・・・

和歌子さて宣長は、古典研究者としても超一流ですが、実は研究成果を〈出版+α〉という形で発信した功績を見逃すわけにはいきません。学問は個人の趣味や道楽ではない。公開され、自由に討議され、そして絶えず更新されるものだ。学問の未来は明るい。宣長はこれを信じて実践した人です。

らん 未来に希望を持つ宣長さん!

和歌子明るいのです。その明るい宣長の登場で、日本の学問研究は一気に風通しが良くなり、
近代に向けて大きな一歩を歩み出す頃が出来たのです。

らん 急に話が大きくなった気がする。

和歌子実体験に基づいて、本は出版しないといけないなと考えて、実践したら、なんと、〈学問の流通革命〉を起こしちゃったのです。

らん 苦労したんだ。

和歌子宣長さんの意識としては、苦労と言うより、工夫ですね。

らん 苦労じゃなくて工夫。いいなあ。

和歌子この、〈学問の流通革命〉のために宣長は、理論武装やネットワークの構築などあらゆる手段と工夫をしますが、今回はその中心となる《出版》をテーマに選びました。内容については次の時におはなししますね。
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by terakoya21 | 2014-08-23 09:38 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞111号 吉田館長のコーナーより)

第三十二話 東京に生まれたかった?

らん お久しぶりです。お忙しそうですね。

和歌子5月は東京の原宿や、福島県郡山とか山形県天童市とかいろんな所に出かけました。帰ってきたら次の展示替えの準備です。

らん 原宿っていいな。らんもついていけば良かったなあ。

和歌子別に買い物に行ったわけじゃなくって、夕方、買い物を済ませて帰る人たちに逆行するみたいに、レストランに直行。宣長さんのお話をしてきました。 でも集まってきた人の中には、竹下通りでアクセサリー店の方とかお見えになりましたよ。

らん レストランでお話なんですか? やっぱりオシャレだなあ。

和歌子医食同源という、食べる健康というようなお店が東京にはたくさんあって、その中の一つですね。

らん でも、どうして宣長さんなんですか。あっ、わかった。今展示している、宣長さんはお豆腐が好きだったと言う話ですね?

和歌子宣長さんの健康論についても話の最初に少し触れましたが、テーマは、宣長さんのやったことで、今の時代のヒントになることはないかということですね。

らん よくわかんないなあ。

和歌子宣長さんの主張はシンプルですね。基礎が大事だとか。目標を持って努力しなさいとか。

らん 誰でも言うことですよね。でも、それを実行したところがすごいって前に和歌子さんから聞きました。

和歌子その実行するときの工夫なのよ。言ってることはごく当たり前のことだけど、でも、もう少し詳しく見ていくと、それを実際に行うためにいろいろな工夫をしているの。

らん 体験者だから語れる話ですね。

和歌子らんさんは松阪生まれだけど、たとえば東京に生まれた方が良かったなんて思わない?

らん いつも思ってます。生まれる場所間違えちゃったかな、なんて。

和歌子昔からそういうことを思う人はいるのよ。特に何かやりたいことがある人は真剣に悩むのね。

らん どうすればいいんですか。

和歌子市内のある高校生だけど、僕らは松阪に生まれたことで、東京の高校生に比べて損をしているんだ、と言っているのを聞いた人が、その人は、今、その東京の渋谷あたりで活躍している丸川さんというデザイナーなんだけど、「違うんだなあ」と言うの。

らん そうかなあ。

和歌子たとえば、今はどんな仕事でも英語が必要でしょ。

らん はい。よくわかってますが・・

和歌子だから、東京の高校生が、東京に生まれて損したな。アメリカやイギリスに生まれたらよかったのにと考える。

らん わかった、上を見出したらきりがないんだ。

和歌子 違うのよ。逆に考えるの。東京に、あるいは松阪に生まれて得したなって。そうでしょ。ミラノとか京都でもいいや、自分の街の特性が明らかだと、英語では損しているけど、別の面で得してる。デザイナーが言うのは、みんな気付いていない自分の街の特徴を見つけたとしたら、すごく武器になるよって。

らん宣長さん、松阪のガイドブック作ってるもんね。

和歌子 それと医者の勉強で京都に住んだり、伊勢でもしばらく生活しているし、江戸、東京ね、でも一年間暮らしているから、松阪の町が客観的に見えたのよね。こんど大判や小判が出てきた長谷川家など松阪商人も、主人は松阪にいて、番頭さんたちが江戸で商売しているけど、これも繁栄が続くポイントかもしれないの。あえて中心から外れていることのメリットを活かすのよ。

らん 難しいなあ。

和歌子 この町のいいところ、売りを自分で一つでも発見して、たとえば  こんな景色が見えるよ。すてきなお店があるよという私の自慢を一つでも二つでも見つけるのよ。

らん それなら出来そうだ。

和歌子まずそのあたりからはじめて、伊勢や津の友達に自慢してごらんなさい。この他にも、地図と年表を使った情報処理の仕方とか、いっぱい今でも役に立ちそうな事をしているから、そんな話をしてきたの。

らん 東京では、宣長さんだけじゃなくって、いろんな話が聞くチャンスがあるんですよね。

和歌子 いろんなところでいろんな会が開かれてる。コンサートや演劇もだけど、こんなこれまで接点がなかったような人や世界の話を聞いて、自分の世界を広げるの。その中から、新しいアイデアを生み出してくのよね。

らん やっぱり東京に生まれたかった!

和歌子本で読めるじゃない。

らん でもライブの方が絶対面白いって。ぜったい東京に住む!
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by terakoya21 | 2014-07-12 11:27 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞108号 吉田館長のコーナーより)

第三十一話 ノートを作る
和歌子 前回は17歳の宣長さんが何に興味を持っていたかということを話しました。

らん 最初の発見! 日本と中国は文化の構造が違う。次の発見 日本の文化伝統は1000年間変わりなし。日本の文化の中心は「京都」だ。それと、京都の文化の代表が「和歌」で、宣長さんはそれぞれに関心を持っていくんですよね。

和歌子 らんさんも、耳にたこができるくらい、みんなから言われたりしてると思うけど、若いときにはいろいろ興味を持つことが大事よ。

らん 興味は持つけど面倒だし、すぐ忘れちゃいます。

和歌子 面倒なのは困るけど、せっかく興味持ったんだから、そのテーマと仲良く、少していねいにおつきあいしてあげて。

らん 忘れっぽいしなあ。

和歌子 むかしお茶を習っていたときに、お師匠さんから、若いうちに習ったことは体のどこかで覚えているものよ。年を取ってから新しいことを始めようと思ったら、ものすごくパワーがいるし、それが面倒で結局何もできなくなるものよ。一度でもそれを習っていたら、ハードルは低くなるものよ、といわれました。らんさんは、年寄りになるなんて想像できないでしょうけどね。

らん なんか続く秘訣ありますか。

和歌子 好きなことを無理せずにというのが基本だけど、一つおすすめ。

らん何かな?

和歌子手作業よ。自分で本を作る、というと大変だけど、ノートを作るの。でも、まずテーマを決めて、次はタイトル。後は自由だけど、原則として手書きか切り抜いて貼る。普通のノートじゃないぞ、私の著作だという意識を持つためにも、少しノートにもこだわったらいいかもしれないわね。

らん ふーん 楽しそうだけど。

和歌子 宣長は17歳の時に京都に興味を持ったでしょ。まずノートを作るの。

らん どんなノート?

和歌子 紙は少し厚めで、第1冊目は、たて20センチ、よこ16.5センチ。各冊で大きさは異なります。ページ数は62ページ(31丁)です。

らん 何冊かあるの?

和歌子6年間で、6冊。

らん 結構なヴォリュームだ。

和歌子たとえば50音順とか、地域別で編集し直したら、京都の百科事典にもなりそうな充実した内容で、字数はざっと計算すると40万字。

らん原稿用紙1000枚・・・

和歌子 たて1.2メートル、よこ2メートルの日本地図を書く位だから、書いて書けないことはないけどすごいね。

らん 真似できない。

和歌子 でも、そこまでいかなくても、らんさんしか作れない本にすればいいのよ。

らん ノートくらいなら作れるけど・・

和歌子 だからタイトルを付けて、出来ればインデックスを付けるとか工夫すればいいのよ。宣長さんの場合、そのノートのタイトルが、『都考抜書』、トコウバッショ、また「京志」。タイトルの文字も飛白体という変な字体よ。

らん 難しそう。でもタイトルはレタリング少しやったから描けますね。ところで何を書いたのですか、宣長さん。

和歌子 京都に関係することなら何でも。ガイドブックや『続日本紀』、『平家物語』、お坊さんの伝記とか、京都に関係することは片っ端から写していったのよ。

らん でもそれだけじゃないんですよね。和歌にも関心持っていたし・・

和歌子 和歌のノートもあるのよ。『和歌の浦』って言う名前で、最近第5冊目が見つかったけど。

らん これも何十万字というすごい量ですか?

和歌子『和歌の浦』はそんなに多くないわね。

らん 和歌より、京都の方に関心があったということですか?

和歌子 必ずしもそうではなくて、『都考抜書』は京都の知識を集めること、つまりノート作成が目的で、もう一方の『和歌の浦』は、和歌について考えたり、また歌を実際に詠むためのノートという違いから差ができたのかもしれませんね。

らん でも、たとえば『都考抜書』が百科事典にもなるくらいの内容なら、もし、宣長さんがパソコン持っていたら、入力したんじゃないかな。和歌子先生は、手書きって言ったけど、手書きにこだわることはないんじゃないですか。

和歌子 そうも考えられるけど、手書きという手作業によってしか得られないものがある気がします。実は、この二つのノートは、『和歌の浦』第5冊目、

らん 最近発見された本ですね。

和歌子 そう。それ以外は、書いて終わり、つまりそれ以後、使われた形跡は余りないのよ。

らん 役に立たなかったんだ・・

和歌子 書くこと自体が、あるいは書くことでしか獲得できないものを宣長は手に入れたのだと思うの。だから直接ノートは開かなくても、頭に入っているの。

らん 確かに書くと頭に入るような気がしますよね。キーボードよりも・・

和歌子 私は、これも「知の通過儀礼」、通過儀礼ってわかる?

らん ?

和歌子 大人になるための通らなければいけない関門。たとえば日本だと昔は元服、今は成人式とか、厄年とか・・

らん 岡寺の初午さんだ。

和歌子勉強や学問というより、自分で調べて考えていける大人になるためのトレーニングだと思います。

らん 開かなくても、それなりに役に立つんだ。

和歌子 だから、本当に役に立つ使うためのツール、自分のデータベースね、そんなノートは、自分のテーマが確定してから作ればいいのよ。実はそれが『和歌の浦』第5冊で、これが5冊目で終わるのは、スタイルを一新して、次は国学者・ 本居宣長のノートとなるからなのよ。

らん その後もノート作りは続くんですね。

和歌子 50歳くらいまでは作っているわね。

らん それからは・・

和歌子 本を書くことが中心、つまり吸収や編集時代が終わって、発信時代に入ったのよ。

らん そうか、ノートは知識を吸収して、編集するものなんだ。

和歌子これは宣長さんとは関係のない話だけど、英文学者で高山宏という超変わった人がいるの。東大駒場の助手時代に、研究室の蔵書50,000冊をリストアップして、その内容や必要箇所を書き抜いた4,000枚以上の紙の山があるの。「ビブリオマシーン」と呼ばれていて、これは更に増強されて、高山さんの研究活動の源泉となるんだけど、松岡正剛さんに生前贈与されたの。つまり、主題が明らかで、検索自在なんだけど、ノートを作った時にすでに勝負は決まっているのね。

らん すごいなあ。でも私も自分のノートを作ってみます。宣長さんや高山さんの真似はできないけど。

和歌子手書きでね。

らん はい。
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by terakoya21 | 2014-04-11 12:10 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞107号 吉田館長のコーナーより)

第三十話 17歳の少年は何を考えていたか

和歌子 17歳から2年半、今で言えば高校生時代を宣長さんは家の中ですごしました。

らん ふつう、その年頃の人は寺子屋に通うのですか?

和歌子 もう、修学期は終了していますから、仕事をするか、またはその見習いでしょうね。

らん じゃあ、外に出てもあそぶ相手もいませんね。

和歌子
らん 宣長さんはそんなことはしなかったの?

和歌子 19歳の時に一ヶ月の京都大坂見物をしています。

らん けっこう長旅ですね。

和歌子 この旅についてはまたお話ししますね。朝鮮通信使を見たり充実した旅だったようです。私は、宣長さんの修学旅行と呼んでますけどね。

らん お稽古ごとは?

和歌子弓を習ってますね。あとお茶も少し習ったようです。

らん お茶は、あの利休さんの茶道ですよね。

和歌子茶の湯ですね。

らん でも弓道は意外ですね。気分転換かなあ。

和歌子 もっと若いときには謡曲を学んだり、また19歳の時には浄土宗の五重相伝という短期間での修行もしていますね。いろいろ試みますが、この17歳から19歳までの約2年半という「モラトリアム」で特に大事なのが、

らん モラトリアムってなんですか?

和歌子 社会人としての役割を担うまでの猶予期間ですね。もう子どもではないけれど、でも大人でもない、そんな時期を指す言葉ですね。

らん ごめんなさい。そのモラトリアムの時期で特に大事なのはなんですか。

和歌子 二つあってね、一つは歌への関心。歌っておもしろそうだけど、もうちょっと深く知りたいなあ。そう いう気持ちがわき起こってきたこと。もう一つが、京都へのあこがれね。

らん 日本地図を書いたり、その前には中国の皇帝の系図を書いたりしているけど、いろいろ関心持つんですね。

和歌子ずっと後だけど、宣長さんは、私は儒学や仏教だけでなく宇宙や動植物、芸能まで何にでも関心を持つと友達に言っていますね。確かに何にでも興味を持ってるわね。

らん でも、決して飽きっぽいわけじゃないんでしょ。

和歌子きっちりと自分のものにしていきますね。一つやるたびに世界が広がっていきますね。

らん宣長さんは古典研究家だから、和歌はわかるけど、京都はただ行きたいなあ、だけ?

和歌子京都を征するものは、日本文化を征する。

らん

和歌子日本文化の鍵を握るのが「京都」だという意味です。

らん 宣長さんが言ってるんですか。

和歌子いえ、私が言っている。

らん なんだ。

和歌子 もう一度整理しますよ。15歳の時に、4000年間に及ぶ中国の皇帝の系図(神器伝授図)を写した。これで日本と中国は違う国だということがわかった。16歳から17歳の一年間、江戸に行った。おじさんのお店に世話になっているので、きっと商売の 見習いでしょ。商売にはむいていないことを痛感して、お父さんやお母さんの期待を裏切ったことを自覚しました。

らん 初めての挫折だ・・

和歌子大きく成長するためには、挫折も大事なのよ。17歳、日本地図(大日本天下四海画図)を描いてみました。江戸と松阪の往復で、日本という国の広さとか地名、道などに関心を持ったのでしょうね。
また京都の百科事典(都考抜書)を作り始めました。日本の歴史はなんと言っても京都が舞台になことが多いので、京都の歴史と地図を合わせると。理解は一層深まりますね。また、京都周辺図(洛外指図)も写しています。

らん 歴史に関心を持つんですね。

和歌子日本だけでなく、どこの国でものその国の特徴は歴史に明らかなんですね。

らん あの人はどんな人か知りたかったら、過去の行動や会話を知ると参考になるようなものですね。

和歌子 そうね。まず日本の地図を頭に入れて、そこから歴史の勉強を開始すると、すっきりわかる。また京都は1000年間都でした。中国の細かく移り変わる漢とか唐とかいう王朝と違って、  日本は幕府は代わっても天皇家とお公家さんはそのまま。つまり文化の担い手は代わっていないのよ。そのことに気づくの。では、変わらなかった文化の中心には何がある?

らん 天皇とお公家さん?

和歌子そう。そしてその人たちが守ってきたのが「歌」だったのよ。

らん 歌はそんなに大事なんですか。

和歌子これは宣長さんにとっての大問題となることだけど、歌、和歌といってもいいでしょうね、それは人と人のコミュニケーションの手段だったのよ。

らん 歌があるから人々は結ばれるの?そう言えばネアンデルタール人は歌で会話したって聞いたことがある。

和歌子それは似てるけど違うような気がするなあ。脳の構造の問題だと思いますけど。ともかく、人と人を結ぶ和歌だから、社会の頂点にいる天皇やお公家さんは、和歌を大切にしたのですよ。

らん ふーん

和歌子繰り返すね。最初の発見!日本と中国は文化の構造が違う。次の発見 日本の文化伝統は1000年間変わりなし。その文化伝統の中核は「和歌」でしょ。『万葉集』には天皇から兵隊、あらゆる階層の歌が集められていますが、世の中を支配する天皇は歌を通して人々の喜びや悲しみを知ったのです。

らん 天皇陛下も歌をお詠みになりますよね。

和歌子 今も1月には宮中歌会が開かれますね、皇族はもちろん、全国から集まった歌の代表作を天皇皇族が聞かれるのですよ。ずっと前の話だけど、宮中歌会の選者を務めた香川進さんという歌人とご一緒したとき、天皇陛下(昭和天皇)はね。土臭い歌がお好きなんですよ、ときいたことがあります。たとえば、モグラ退治のためにお百姓さんが肥たごをひっくり返して叩くという歌にとても興味をお持ちになったそうですよ。

らん ひっくり返して叩くとどうなるの。

和歌子土の中に音が響くんじゃないかしら。

らん モグラはうるさいから逃げていく。

和歌子きっとそうでしょうね。

らん なるほど、何となく宣長さんの関心の推移がわかってきたような気がします。

和歌子 今日はこれまで。続きはまた来月ね。
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by terakoya21 | 2014-03-16 11:11 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞106号 吉田館長のコーナーより)

第二十九話 アイデアは読書の中から生まれる? 後編

前編←前編はコチラから

らん いくと、どうなるのですか?

和歌子 『源氏物語』の世界が開けてくるの。

らん 『源氏物語』の舞台が京都だというのは分かりますが、和歌も関係あるのですか。和歌って短歌ですよね。知り合いのおばさんが短歌で入選したとか騒いでいるけど、『源氏物語』はもちろん、本とは無縁の生活をおくってますよ。

和歌子 そこが、和歌と短歌の違いの一つでもあるんだけど・・・和歌はたとえば奈良時代や平安時代までは、貴族社会ではコミュニケーションの手段だったの。

らん コミュニケーションって、会話ですか。

和歌子 そう。特に人と人が想いを伝えたり、心を通い合わす時に歌が詠まれたのよ。

らん 貴族だけですよね。

和歌子 平安時代になると特権階級の専有物になるけど、それ以前は身分に関係なく歌われていたのよ。

らん お姫様とか貴公子だけじゃないんですか。たとえば漁師やお百姓さんに歌が詠めるんですか

和歌子 『万葉集』にはあらゆる身分の人の歌が入っていますよ。歌というのは、言葉を知っている人なら誰でも口ずさむものよ。また仕事するときに調子を合わせたりするために、自然に発生するのよ。

らん でも五七五七七じゃないですよ。

和歌子 ところがね、口ずさむときに、あるいは調子よく歌うときには、自然と節が付いてくるものなの。たとえば何かの標語でも口調がいいのは七五調が多いのよ。

「飛び出すな、車は急に、止まれない」

らん へえー

和歌子 そのことをはっきりと言ったのが、実は宣長さんなのよ。歌は、人々の生活から自然発生的に生まれてきて洗練されていったの。その中でも、王朝貴族社会に入っていったものは和歌になり、民衆の中で育っていったら民謡や労働歌、三味線歌やちょんがれ、そして現在の演歌やフォーク ソングになるのよ。

らん ちょんがれ?宣長さんはそんなことも考えていたんだ。

和歌子 和歌の本質や変遷を考えているの。その一番最初が部屋の中の二年間半という時間なのよ。

らん ところで、『源氏物語』と和歌の関係ですけど・・・

和歌子 和歌が生活の中で息づいていた宮廷社会を舞台とした『源氏物語』は、各シーンは、たくさんの歌で物語が展開し、また彩られます。この物語に歌は全部で何首出てくると思いますか。

らん 見当も付きません。

和歌子 795首です。

らん 多いですね。

和歌子 たとえば『古今集』が1111首だから、ちょっとした歌集くらいありますね。しかも歌の誕生する場面が描かれているから、この物語は和歌の本でもあるし、実際に歌人の必読書とも言われていたのですよ。その扉が開かれたのが、17歳から19歳までの時期だったのです。今日は長くなったのでこのあたりにしますが、次回はもう少し具体的に17歳からの一人でのもの 学びについてもお話ししますね。

らん それと和歌と短歌の違いや、歌についてももっと教えてください。

和歌子 あわてないで。順を追って説明しますね。
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by terakoya21 | 2014-01-29 11:20 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞106号 吉田館長のコーナーより)

第二十九話 アイデアは読書の中から生まれる? 前編

和歌子 おめでとうございます。

らん 先生、おめでとうございます。

和歌子 お正月はいかがでしたか?

らん 退屈と思っている内に、いつの間にか終わってしまいました。

和歌子 退屈しちゃダメよ。
らんさんのお家の雑煮のお餅の形は丸かな四角かな。おすましかな、お味噌汁かな。
何でも面白いことを探していかなきゃ。
映画監督でね黒澤明という人がいるの。「七人の侍」とか、「羅生門」なんかで高く評価されているけどね。

らん 「羅生門」って芥川龍之介だ。

和歌子 そうそう、「羅生門」は芥川の作品をいくつか、たとえば「薮の中」とかを、アレンジして作った作品なのよ。その黒澤監督がね、「アイデアは記憶力だ」と言っているの。

らん そうなんだ。ぱっとひらめくものかと思った。

和歌子 自分の考えやアイデアは、実はまったくゼロから作ったり、無から生まれてくるのじゃなくて、材料を組み合わせたりして、自分なりの、また全く新しい関係を見つけることで生み出すのよ。

らん お風呂で発見した人もいるよ。

和歌子 セレンディピティーということもあるけど、考え続けるから発見があるのよ。でもまず、しっかりその材料を仕込んでおかないと、たとえばらんさんが新しいお店を開いても、すぐに売る商品が無くなってしまうと困るでしょ。本を読んだり、いろんなものを見るのは、材料を仕込むためでもあるのよ。

らん 独創的なアイデアでも、素材があるのですか。

和歌子 「編集」ですね。面白い組み合わせを見つけることの方が、ゼロからの発見より効率的だし、実は 役に立つのよ。そんな「編集」による小発見の積み重ねが、大発見につながるのです。

らん 初めてバットを持って打席に立ち、代打逆転満塁サヨナラホームランなんて無いですよね。

和歌子 宣長さんだけど、江戸のお店で一年を過ごして帰ってきました。きっとおじさんから、お前さんには商人は無理だね、というところでしょうか。

らん 商人失格の烙印を押されたみたいなものですね。

和歌子 松坂に帰ってきて宣長さん(17歳)は家に閉じこもります。

らん 引きこもりですか。

和歌子 お母さんや親戚の人から、「江戸から一年で戻されるなんてかっこわるいわね。外を歩かないで頂戴!」なんて言われたのかもしれませんね。

らん かわいそうだなあ。

和歌子 でもそこは宣長さん、それを奇禍として、自分の世界の構築に踏み出します。

らん なんて前向きなんだ。

和歌子 落胆しない、あきらめないのが宣長さんの流儀。何とかなりますよ。

らん すばらしい・・

和歌子 まず、幅が2メートル、高さ1・2メートルの日本地図を作成し、それからは京都のことを調べて百科 事典を作ったり、和歌に関心を持ったりと、材料の仕込みに奔走します。

らん 奔走、走り回る。家の中で走り回るのですか。

和歌子 もののたとえです。旧宅の奥の間、八畳がおそらく宣長のお城ですね、その中でぐるぐる廻る。

らん 「気になるあの娘の想いは廻る ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる」

和歌子 歌?

らん 相対性理論です。アインシュタインじゃありません。

和歌子 ?

らん どれ位の期間、部屋に閉じこもっていたのですか。

和歌子 19歳の秋まで。2年半位ね。

らん 長いのかな、短いのかな?

和歌子 15歳までにもいろんな勉強をしているけど、特にこの期間の蓄積は、国学者としての活動と直結していきますね。

らん レベルが高いのですか。

和歌子 この2年半で重要なことは、まず最初に、「日本」という国のレベルで考えるという態度が芽生えた ことね。次に、「和歌」と「京都」に興味を持って深めていくと・・・

つづく…

つづきは明日掲載の予定です。
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by terakoya21 | 2014-01-28 14:44 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞105号 吉田館長のコーナーより)

第二十八話 調べて、きちんとまとめて、残す

らん 宣長さんの作った松阪のガイドブックには何が書かれていますか?

和歌子 この前お話ししたことと重なるけど、まず町の歴史ですね。この町、つまり松坂の前身ですが、もとは松ヶ島にあった。今の平生とか名残あたりだと書き始められます。

らん 平生って平生町?

和歌子ちがう、ちがう。国道23号線沿いの町平生町とか、新松ヶ島町あたりね。名残の天神と呼ばれる神社が国道の近くにありますね。そのあたりにある、丸の内村はお城の曲輪(くるわ)です、と書いてあります。

らん 曲輪ってなんですか。

和歌子 お城の構造のことで、簡単に言えば城内ですね。この構造もかんたんなものや、ずいぶん複雑なものがあります。

らん つまり丸の内村はお城の跡と言うことですね。

和歌子 今は、松ヶ島町の中に丸の内という地名が残っていますね。実はこの所には数文字の空白があって、「○○築之(○○これを築く)蒲生飛騨守○○。移当境(当境に移す)」と書いてあります。

らん ○が空白ですか。

和歌子 そうよ。この空白から、宣長が自分で調べて書いたことが分かるでしょ。

らん ああそうですね。でも、今ならどんな文字が入るのですか。

和歌子 難しいけど、松ヶ島城はもともと北畠具教がお城を築いたのが始まりだから、
「北畠氏これを築く。蒲生飛騨守天正十六年当境に移す」かな。

らん 北畠ってだれですか。

和歌子 国司(こくし)といってこの土地を治めていた人です。織田信長に滅ぼされました。

らん 「国司」は歴史で聞いたことがあります。天正16年は?

和歌子 1588年です。松坂城が出来て、町(今の松阪)が出来た年ですね。

らん 和歌子先生でも分かることを、宣長さんは知らなかったんだ・・

和歌子 今はあらゆる情報がある時代だから簡単に検索できるけど、それも宣長さんたち昔の人が、調べてデータや基礎資料を作ってくれたおかげなのよ。

らん 『松坂勝覧』が最初のガイドブックだと言われた意味がやっと分かりました。

和歌子 取材して書くというスタイルは実はもっと前から宣長さんの中で確立していたようで、お話ししたかなあ、13歳の頃から書き始めた宣長さんの「日記」は生まれた日のことから書いてあるのよ。

らん すごいなあ。

和歌子 誰もが体験していて記憶できないのが、生まれた時と死ぬときだけど、・・ごく稀に生まれた日のことを記憶しているという人もいるけどね、宣長さんは、取材して、その中から大事なところをピックアップして書いているのね。

らん それも、「日記」というより、立派な本ですよね。「調べて、それをきちんとまとめる」そして、「大切に残す」私も真似しよっと。

和歌子 すばらしい! 町の歴史の次は、距離が書いてあります。京都から29里16丁(約120キロ)江戸からは107里半(約430キロ)大坂から43里(約170キロ)山田(伊勢市外宮あたり)から5里(約20キロ)宇治(伊勢市内宮あたり)から6里(約24キロ)

らん 1里は約4キロメートルね。昔の人は一日どれ位歩いたのかしら。

和歌子 宣長さんは『葛花』という本の中で、一日に4合、5合のご飯を食べて、10里の道を歩くことは可能 だが・・と書いていますね。

らん 一日にご飯を4合も、一人で食べるなんて、すごい大食漢だ!私の家では3人家族で一日に2合炊くかなあ・・

和歌子 昔はパンも食べないし、おかずも少ないからね。
らん でも一日40キロも歩くなら、おなか空くから、それ位食べるのかなあ。

和歌子 宣長さんの往診記録によれば、一番遠くは内宮まで行っているから、もし歩いたとしたら・・・

らん 宇治の内宮は24キロでしたよね。

和歌子 そうね、往復で50キロかなあ。

らん 考えられないくらい歩くのですね。歩かないで駕籠に乗っていったらお金がかかってしまうから、足が出ますよね。

和歌子 また『松坂勝覧』にもどると、距離の次は、歴代の城主。これはきちんと書かれていて、歴代の御城代や奉行は初代だけが記されています。そして神社、仏閣と続きます。

らん 場所と名前がかかれているのですね。

和歌子 あと、お祭りの時には参詣客が多いことが記されていて、ちょっと目を引きますね。

らん 初午や祇園祭でしたか・・
和歌子 牛頭天王、これは今の八雲神社ですが、「6月7日から14日の夜まで毎夜祇園とて参詣多し。群集する」とあります。祇園祭ですね。愛宕権現、これは今の竜泉寺にあった神社ですが、「毎月24日、近在より参詣おびただしい」、近在だから町の周囲ですね、そこからもお詣りに来る。白粉町あたりにあった浅間大明神も、5月晦日には参詣が多いとありますね。この二つの祭りは失われた風景です。

らんきっと屋台も出るのでしょうね。

和歌子 縁日ですからね。ふだんの日は一生懸命に朝から夜まで働いているから、こんなお祭りは楽しみだったはずですよ。そうそう、今も子どもたちの楽しみとして残っている「山の神」も書いてありますね。

らん 宣長さんも子どもの頃はきっと心待ちにしていたのかな。ほかの友達と遊んだりしたのかなあ。

和歌子 どうかしらね。

らん その他には何が書かれていますか。

和歌子 この前にお話しした、町の構造があって、近在名所と言うことで周辺の名所が挙げられています。朝田寺とか香良洲神社 妙楽寺などいくつもありますよ。たとえば、香良洲神社は周辺の松林がいい景色だと書いていますね。

らん 遊びに行ったことがあるのでしょうね。

和歌子 大きくなってからだけど、京都に居たときはお祭りや賑わいがあるとついふらふらと出かける一面も持っていたから、きっと出かけたでしょうね。

らん 実体験もガイドブックには反映されているのでしょうね。「私のふるさと松坂よ、さようなら」か・・でもすぐ帰ってきますよね。

和歌子 無理だったのよ。

らん なぜ?

和歌子 当時、江戸店(えどだな)、つまり松坂の商人が江戸で開業しているお店では、
使用人は、たとえプライベートな時間でも、本は読んではいけませんという規則があったようです からね。

らん むちゃくちゃな規則ですね。でも宣長さんは、使用人ですか?お金持ちの御曹司ですよね。

和歌子 完全な使用人ではないけど、お世話になったおじさんの店では、使用人みたいなものね。だから読書は無理だったと思います。

らん 本が大嫌いなアンナだったら大喜びだね。

和歌子 ・・・
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by terakoya21 | 2014-01-05 15:26 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞104号 吉田館長のコーナーより)

第二十七話 松坂のガイドブックを作る

らん 16歳、今なら高校生だけど、宣長さんが作ったガイドブックの話ですね。

和歌子 一番最初の著作ですね。

らん 赤穂義士伝や天気予報の本も著作みたいだけどそれは数えないんですね。

和歌子 オリジナリティーという点では、このガイドブックが、「作者・宣長」と堂々と名乗ることができる本ですね。

らん でも、ガイドブックでしょ。作者っていうのもちょっとオーバーじゃないですか。私だって、小学校の時、修学旅行に行く前に奈良や京都のガイドブック作ったことありますよ。

和歌子 ごもっともな質問です。でもね、らんさんの奈良や京都のガイドブックは、参考書があって、また行く前に書かれたものでしょ。

らん もちろん。

和歌子 宣長の『松坂勝覧』は、まず宣長が町の住人だった点に大きな特徴があります。

らん ああそうか。

和歌子 自分の目が見て、耳で聞いて、足で歩いた記録ですね。

らん まだ疑う。ほかの松坂のガイドブックを再編集したんじゃないんですか。

和歌子 おそらく、松坂のガイドブックとしては、歴史上最初のものかもしれませんね。

らん 参考書はなかったんですか。

和歌子 無いでしょうね。益軒は京都や大和という当時から観光地となっている場所のガイドブックを作りましたが、だって、江戸時代、松坂に観光に来る人がいるとも思えないし、松坂に住んでいる人には必要ないですものね。

らん おいしいお店なんかが載ってれば別ですけどね。

和歌子 江戸や京都の町なら、もう少ししたらグルメ本も出てくるけど、宣長さんの十代の頃にはね・・

らん 何年ですか、16歳って。

和歌子 延享2年(1745)3月26日にできました。

らん 270年くらい前ですね。では、どういう目的で作ったのですか、宣長さんは。

和歌子 発想とかスタイルは、前回お話ししたように、この時期、宣長さんが愛読して、また憧れていた「貝原益軒」さんの影響でしょうね。益軒は儒者で、医者。また今のハウツー物の先駆けのような本をたくさん書いたっていったでしょ。この人に、「何々勝覧」という、京都や大和(奈良県)など各地のガイドブックがあるの。それがヒントになったんでしょうね。

らん でもどうして住んでいる町のガイドブックなのかなあ。

和歌子 そこが宣長さんの不思議なところだけど、二つの理由が考えられます。

らん 一つは?

和歌子 宣長さんが江戸に行く日が近づいてきたのです。

らん 宣長さん、江戸に行くんですか。

和歌子 お父さんが亡くなって、読書三昧の生活を続けるのも限界で、江戸で商売の修行となったんでしょうね。

らん 商家の跡取り息子ですものね。

和歌子 次に松坂の地を踏めるのはいったいいつのことだろうか、と自分の生まれ育った町、大好きな松坂を記録にとどめようとしたのかな、と考えることができますね。

らん さよなら松坂か、フーン。もう一つは?

和歌子 自分の住む町を分析すると言う目的です。

らん それの方が宣長さんらしいな。

和歌子 ハンディータイプ小冊子なんだけど、内容は、松坂の略史に始まり、縦横の
通り別に各町を紹介、続いて近在の名所、神社、仏閣を簡略に記述しているの。

らん ??

和歌子 つまり町を歴史的に、空間的にとらえようとしているのよ。

らん 難しい。

和歌子 この町はいったい誰が作ったのかな。どんな歴史を歩んできたのか。之が最初のテーマ。次に、町の構造。魚町、中町、平生町とかいろいろ町があるけれど、どういう配列なのかを、縦にはこのようだ、横はこうだと分けて整理をしています。

らん 地図見た方がわかりやすいね。

和歌子 でも、地図を見てそんなこと考える?

らん そうか。

和歌子 話は飛ぶけど、『古事記伝』には一枚も図が入ってないのよ。図で説明した方がわかりやすいこともあるけど、でも図を使わないの。

らん なぜ?

和歌子 図解は説明がわかりやすくなるけど、問題点があります。

らん なにかしら。

和歌子 わかったような気になることです。

らん それよくわかる。

和歌子 つまり、図解する人はよく考えて、工夫を凝らして図を作成しますが、見ている人は、図が良くできていれば良くできているだけ、わかったような気になるのでしょう。

らん なるほど。地図を見ても町の構造なんて考えないですね。

和歌子 文字で表現すると、頭の中で図解するという作業で、問題点がよくわかりますね。

らん 少しわかったような気がします。でも、すごいね。そんなこと考えるなんて。ところで歴史と町の構造以外には何が書かれていますか。ガイドブックだからお店の情報もありますか。

和歌子 さすがにお店の名前はないですけど。次回は何が書かれているかをお話しします。
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by terakoya21 | 2013-12-05 13:49 | 不思議な宣長さん

不思議な宣長さん (てらこや新聞103号 吉田館長のコーナーより)

第二十六話 本好きの少年

和歌子 読書の秋ですが、今日から宣長さんと本の話をしてみます。

らん 宣長さんと言えば、本ですか。

和歌子 鈴とか桜とか和歌とかコンペイトウなど好きなものがたくさんある宣長さんですが、やはりその72年の生涯は「本に始まり、本に終わる」人生だと言えますね。

らん 本居宣長じゃなく、本と宣長ですね。

和歌子 ?

らん つまらないことですから気にしないでください。子どもの頃から本好きだったんでしょ。

和歌子 お母さんは、「跡つぐ弥四郎、商ひの筋には疎くて、ただ書を読むことをのみ好めば、今より後、商人となるとも、事ゆかじ……」と子どもの将来を心配したと『家のむかし物語』に書いてあります。

らん 弥四郎は宣長のことですか。

和歌子 少年時代の名前ですね。木綿商人の子どもとして生まれた宣長ですが、本ばかり読んでいました。

らん 何となく目に浮かぶなあ… そんな子どもっているよね。

和歌子 家は裕福だから、お父さんが元気なら、宣長も安心して本が読めたんだけど、11歳の時にお父さんが急に亡くなって、お母さんはどうしようと不安になってきたのですね。

らん 苦手だと言っても、一応は商売の修行をしたんですよね。

和歌子 それはもう少し大きくなってからよ。15歳までは、謡曲を五十一番習ったり、おそらく貝原益軒の本を読んだりしていたの。

らん 謡曲って何ですか?

和歌子 能の台本よ。薪能って知ってるでしょ。

らん かがり火のところで、無表情な面をつけて、重そうな着物を着て、ゆっくりゆっくり動くあれでしょ。

和歌子 面はメンではなくオモテと言います。幽玄の世界と言われる、日本の代表的な舞台芸術ですが、その台本の謡本を51冊習ったのよ。

らん 読書と関係あるのですか。

和歌子 そりゃそうよ、だって芝居の台本だもの。

らん ああそうか、ロミオとジュリエットとかハムレットもそうだ。井上ひさしのもそうね。

和歌子 謡曲は一つ一つは短いけれど、日本の古典や中国の歴史のエピソードが題材に選ばれていて、特に古典世界への基礎教養としてはとても便利な入門となったはずよ。

らん それを全部で51も習ったんですね。…… エキケンって誰ですか?

和歌子 貝原益軒と言って、福岡の偉い儒学者です。でも物知り博士でもあって、たくさんのハウツー本やガイドブックも書いているの。

らん ふーん

和歌子 『養生訓』という健康法の本や『大和俗訓』なんて人生の生き方の本は今も読まれているのよ。

らん そんな本を読んでいたんですか。

和歌子 おそらく宣長の家にはそんな本しかなかった可能性もあるのよ。

らん お父さんはあまり本を読まなかったの?

和歌子 証拠はないけど、そんな感じがしますね。江戸に義理の兄さんはいるのだけど、その人は本を読んでいた形跡があるの。お父さんが、目が 良くなるまでは読書は避けたらいいねと手紙で書いているのよ。

らん …でも本を読む兄さんは江戸住まいだから、読もうとしてもまわりには実用書しかなかったんですね。

和歌子 あとは謡曲のお師匠さんに謡(うたい)を習うかね。ああ、そうだもう一つ忘れていた。お寺で説経を聞くとか、本を貸してもらう手もあったわ。

らん お寺だから仏教関係ですね。

和歌子 15歳の時には「赤穂義士伝」を聞いて家で紙に書いているでしょ。

らん そうだ、思い出した、お坊さんの語りを全部記憶して帰ったんだ。小さな字で、たまに「ワスレ」って 書いてあるのを見た!

和歌子 益軒本でも読む人は多いけど、宣長少年はそれをまねして自分で本を書いちゃうのよ。

らん オオッ、それはすごい!残ってるんですよね、その本。

和歌子 14歳の時の『新板 天気見集』は、観天望気といって風や雲の動きから天気予報をする本だけど、実は益軒本からのダイジェストです。

らん リメイクかな。

和歌子 再編集本ね。

らん それが14歳、今なら、中学生でしょ。書いたこともだけど、そんな本まで残しているってすごい。

和歌子 すごいよね、全部残しているなんてね。でもね、もっとすごい本があるのよ。16歳の時の『松坂勝覧』よ。この本については次回お話ししますね。すごい本よ、期待してね。
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by terakoya21 | 2013-11-05 08:09 | 不思議な宣長さん

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