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Hello, everyone! (てらこや新聞81号 コタニさんのコーナーより)

みなさん、こんにちは。このコーナーでは、私コタニが「お茶と茶道」の世界を紹介しています。またまた2回連続でお休みをいただきましたが、元気に再開です♪第5回目もどうぞ最後までお付き合いくださいね。

前回では、千家茶道の基を築いた千利休の孫 宋旦の時代まで進みました。さっそく、その続きからスタートです!

宗旦の子どものうち、次男の一翁宗守(いちおうそうしゅ1593-1675)は官休庵(かんきゅうあん)、三男の江岑宗左(こうしんそうさ1613-1672)は不審菴(ふしんあん)、四男の千叟宗室(せんそうそうしつ1622-1697)は今日庵(こんにちあん)として茶の道を継ぐこととなりました。この「~庵、~菴」はそれぞれが営んだ茶室の名前です。しかし、それは各家元の号でもあり、屋敷や機構全体を指す言葉でもあります。また、官休庵は武者小路千家(むしゃこうじせんけ)、不審菴は表千家(おもてせんけ)、今日庵は裏千家(うらせんけ)という通称を持っていて、ともに3代目までを利休、少庵、宋旦と数え、「三千家(さんせんけ)」と呼もばれています。一般的には、この「~千家」という呼び方のほうが、広く知られているのではないでしょうか。そして、わび茶の精神やもてなしの心を大切にしている点はどの流派にも共通しています。

父の宗旦は生涯どの大名にも仕えることはありませんでしたが、宗守は高松松平家(現 香川県)に、宗左は紀州徳川家(現 和歌山県)、宗室は加賀前田家(現 石川県)に仕え、茶道指南役をつとめています。そのため、武者小路千家と表千家は14代目、裏千家は16代目に至る現在もなお、当時の仕官先には三千家とゆかりの深い茶室や道具があり、それらは大切に管理されています。もし、みなさんが旅行などで行く機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。

今回のレポートはここまで。そして、千年以上の時を経て今に伝わる「お茶・茶道」の世界を紹介してきたこのシリーズは、今回で最終回となります。第5回目のレポートやシリーズ全体の出来具合はいかがでしたか?ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせくださいね。

今回のシリーズ、コタニにとっては歴史の勉強の大切さや難しさ、おもしろさを実感するよいお勉強になりました。当初の計画では、夏休み前にはシリーズ終了を迎えているはずだったのですが、ついつい、休みがちに……いえ、お茶の世界にどっぷり浸かりすぎてしまいました。

では、また近いうちに…
See you soon♪

参考資料
茶道文化検定公式テキスト-茶の湯がわかる本- 茶道文化振興財団監修  淡交社 2008.9.27
学校茶道(初級編) 千宗室監修 (財)今日庵制作 2003.1.1
表千家HP   裏千家HP   武者小路千家HP
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by terakoya21 | 2012-01-18 15:06 | Hello, everyone

Hello, everyone! (てらこや新聞78号 コタニさんのコーナーより)

みなさん、こんにちは。このコーナーでは、私コタニが「お茶と茶道」の世界を紹介しています。2回連続でお休みしていましたが、今月号から元気に再開です!第4回目もどうぞ最後までお付き合いくださいね。

第3回では、織田信長や豊臣秀吉、千利休といった人物とお茶との関わりについて触れました。今回はその後のお話です。

精神面を重視した利休の茶、それを受け継いだのは彼の弟子たちでした。その中でも特に熱心で優れていた7人の名前を挙げましょう。

古田織部(ふるたおりべ 1544-1615)
細川三斎(ほそかわさんさい 1563-1645)
高山右近(たかやまうこん 1553-1615)
蒲生氏郷(がもううじさと 1556-1595)
牧村兵部(まきむらひょうぶ 1545-1593)
芝山監物(しばやまけんもつ ?-?)
瀬田掃部(せたかもん 1547-1595)

いかがでしょう?すでにご存知の名前もあったのではないでしょうか。

彼らは、みな武人でありながら茶人としても活躍したため、武将茶人と呼ばれます。また、後の茶道の世界では、彼ら七人をまとめて「利休七哲(りきゅうしちてつ)」という名で呼ぶようになりました。

「織部焼」で有名な古田織部は、茶道具に当時としては斬新なデザインを取り入れ、その作品は現在でも高く評価され、大切に保存されています。そして、蒲生氏郷は、松阪で知らない人はいないはず!ですよね。ご存知ない方のために、説明すると……氏郷は、松坂城とその城下町を作り上げ、現在の松阪の基を築いた人物です。秀吉の命により会津若松へと移ったのちも、千家との関わりは深く、徳川家康とともに千家の再興にも力を注ぎました。

家康により天下統一がなされ、江戸時代(1603-1868)に入ると、大名たちはこぞって茶の湯を行うようになりました。中でも、小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579-1647)、金森宋和(かなもりそうわ 1584-1656)、片桐石州(かたぎりせきしゅう 1605-1673)などの大名たちは、茶の湯にそれぞれの美意識を取り入れていきました。こうした江戸初期の茶の湯は「大名茶(だいみょうちゃ)」と呼ばれています。

茶の湯が、武家必須の礼法として大名や武士の間に大きな広まりをみせる一方、利休の茶は千家の子孫によって一般庶民へと伝えられていきました。

利休の死後、長男の千道安(せんのどうあん 1546-1607)と次男の千少庵(せんのしょうあん 1546-1614)は京から追放されます。道安は飛騨へ移り、少庵は会津若松にいる蒲生氏郷に預けられました。1594年、秀吉の怒りがとけ、千家の再興とともに、二人が京へ戻ることも許されました。そして、利休の実家にあたる堺千家を道安が、利休の旧宅茶室居を移した京千家を少庵が継ぐことになりました。

その後、少庵の子で利休の孫にあたる千宋旦(せんのそうたん 1578-1658)が千家(京千家)を継ぐことになります。宋旦は幼い頃から大徳寺で禅僧となるための修行に励んでいましたが、父の少庵を助けるために還俗の道を選びました。その後、宗旦はどの大名にも仕えることなく、わび茶をさらに徹底した「茶禅一味(ちゃぜんいちみ)」を唱え、現在まで続く千家茶道の基を築きました。

今回のレポートはここまで。千年以上の時を経て今に伝わる「お茶・茶道」、利休の茶を受け継ぐ人物がたくさん登場しました。第4回目のレポート、出来具合はいかがでしたか?ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせくださいね。

では、次回をお楽しみに…
See you soon♪

参考資料
茶道文化検定公式テキスト-茶の湯がわかる本- 茶道文化振興財団監修  淡交社 2008.9.27
学校茶道(初級編) 千宗室監修 (財)今日庵制作 2003.1.1
裏千家HP キッズページ
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by terakoya21 | 2011-09-29 14:01 | Hello, everyone

Hello, everyone (てらこや新聞76号 コタニさんのコーナーより)

みなさん、こんにちは。このコーナーでは、私コタニが「お茶と茶道」の世界を紹介しています。ひそかに楽しみにしていただいている方、ごめんなさい!コタニは、ただ今少し早めの夏休みを満喫中♪です。前回の続きは次回までのお楽しみにしていただき、今回はお茶会をご案内いたします。

今年も、8月6日(土)17時から、松阪市中心市街地(阪内川~平生町・九文堂まで)にて「七夕まつり・鈴の音市」が開催されます。コタニがご案内するのは、このお祭りの日にあわせて行われる、「七夕茶会」です。

七夕茶会
日時: 8月6日(土)17時~20時30分
場所: 柳屋奉善2階 柳屋ホール(松阪市中町1877)
呈茶券: 300円(会場受付にてお求めいただけます)

このお茶席は、椅子に座ってお菓子とお茶をいただくことのできる立礼席(りゅうれいせき)ですので、「お茶席なんて、行ったことがないから…」という方も、ぜひ気軽にお立ち寄りくださいね。

なお、会場付近は車両進入禁止(16時~22時)になります。大雨により「七夕まつり・鈴の音市(小雨決行)」が中止となった場合は、茶会も中止されるそうなので、ご注意ください!このお茶会についてもっと知りたい方は、谷先生に尋ねてくださいね。

では、次回をお楽しみに…
See you soon♪
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by terakoya21 | 2011-08-02 14:09 | Hello, everyone

Hello, everyone! (てらこや新聞75号 コタニさんのコーナーより)

みなさん、こんにちは。このコーナーでは、私コタニが「お茶と茶道」の世界を紹介していきます。74号ではお休みしてしまい、隠れファンの方々をガッカリさせてしまったとか、しなかったとか…… 今回は、日本史を語るには欠かせない有名人たちが登場します。第3回目もどうぞ最後までお付き合いくださいね。

前回でご紹介した村田珠光による「草庵の茶」、それをより簡素なものに改めたのが武野紹鴎(たけのじょうおう1502-1555)です。彼は、若い頃に京都で和歌や香、茶の湯を学び、心からお客様をもてなす精神を重視した「侘び茶」を始めます。茶の湯の場としては、それまでの書院式の四畳半座敷ではなく、農家風の建物に小さな囲炉裏を切った茶室が使われるようになりました。その後、紹鴎は戦乱の続く京都を離れ堺(現大阪府堺市)へ移り住み、侘び茶をさらに追求していきます。

この当時、自治都市であった堺では商人たちが力を持っていました。堺の豪商たちは禅宗や詫び茶の精神を受け入れ、それぞれの発展に大きな役割を果たしています。また、この過程において禅と茶の湯の結びつきはより強くなっていきました。

堺に生まれた千利休(せんのりきゅう 1522-1591)は、紹鴎の侘び茶の精神を受け継ぎ、その精神的な面をより重視する茶道を確立しました。彼は、幼い頃から茶を学び、17歳からは茶人の北向道陳(きたむきどうちん 1504-1562)、その後に紹鴎の弟子となります。

やがて、京都や堺の町衆の間に広まっていた茶の湯が有力武将たちの間にも広まると、利休は茶匠(=茶頭、茶の湯の指南役)として織田信長(おだのぶなが 1534-1582)や豊臣秀吉(とよとみひでよし 1537-1598)に仕えました。

先に登場した織田信長は、茶の湯を政治的に利用した人物の一人です。彼は、戦の戦勝品や買収品として有名な茶入れや中国の絵画などの名物茶道具を手に入れました。これは「名物狩り」と呼ばれ、信長はこれらの茶道具を用いた茶会を催しています。茶会には、商人たちも招かれ、名物道具でもてなしを受けました。また、よい働きをした家臣には茶道具を与え、茶会を行うことを許可しました。信長から茶会の許しを得ることは、家臣にとって大変な喜びだったようです。

 本能寺の変(ほんのうじのへん 1582)の後、天下を統一した豊臣秀吉もまた茶の湯を愛好し、茶会を催しています。中でも有名なのは、禁中茶会(きんちゅうちゃかい)や北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)です。
禁中茶会は、関白となった秀吉がそのお礼のため、1585年10月に禁中(=天皇の住居や政務の場所、御所)で正親町天皇(おおぎまちてんのう 1517-1593)へ茶を差し上げた茶会です。この茶会がきっかけとなり、茶の湯は公家の世界にも広がっていきました。

1587年10月には、九州平定と聚楽第(じゅらくてい秀吉の政庁兼邸宅)の竣工を祝うため、京都北野天満宮(きたのてんまんぐう 現京都市上京区)の境内と北野松原で大規模な茶会が行われました。拝殿の周りには四つの茶席が設けられ、招かれた諸大名や公家に黄金の茶室や名物道具が披露されました。当日は身分を問わず町人や百姓なども茶会への参加が許され、京都や大阪、奈良からも大勢の人が集まったそうです。
現在、北野天満宮では北野大茶湯の縁により、毎年12月1日に献茶祭(けんちゃさい)が行われています。また、その際に使用する碾茶(てんちゃ 抹茶の原料)を神前に奉献する御茶壺奉献祭・口切式(おちゃつぼほうけんさい・くちきりしき)が11月26日に行われています。

ちなみに、教科書でもおなじみの「千利休」という名前ですが、これは生まれたときからの名前ではありません。利休は、田中与四郎(たなかよしろう)として生まれ育ちましたが、大徳寺での禅修行を経て宗易(そうえき)と名を改め、その後に信長から祖父千阿弥の姓を与えられたことから、千宗易(そうえき)と名乗ることになりました。また、禁中茶会を催す際に商人の生まれである宗易が天皇へ茶を差し上げられるよう、秀吉が朝廷に願い出て「利休」という居士号(こじごう ※1)を賜り、ようやく「千利休」という名前が出来上がったのです。計算してみると、1585年から利休が70歳でこの世を去る1591年までは、六年間です。こんなに短い期間だったとは驚きですね。

今回のレポートはここまで。千年以上の時を経て今に 伝わる「お茶・茶道」、信長や秀吉も親しみ、政(まつりごと)にも利用していたのですね。第3回目のレポート、出来具合はいかがでしたか?ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせくださいね。

※1居士:出家しないで、仏教の修行に勤めた人のこと。
では、次回をお楽しみに…
See you soon♪

参考資料:
茶道文化検定公式テキスト-茶の湯がわかる本- 茶道文化振興財団監修  淡交社 2008.9.27
学校茶道(初級編) 千宗室監修 (財)今日庵制作 2003.1.1
裏千家HP キッズページ、大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」HP、北野天満宮HP
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by terakoya21 | 2011-07-14 15:27 | Hello, everyone

Hello, everyone! (てらこや新聞73号 コタニさんのコーナーより)

みなさん、こんにちは。このコーナーでは、私コタニが「お茶と茶道」の世界を紹介しています。72号から始まったばかりですが、第2回目もどうぞ最後までお付き合いくださいね。

さて、前回は奈良時代から室町時代初めにかけて、茶がどのように中国から日本へもたらされ、広まっていったのかをご紹介しました。今回は、室町時代に注目してみていきましょう。

室町幕府の三代将軍足利義満(あしかがよしみつ 1358-1408)の時代に中国(明)との貿易が始まると、多くの絵画や陶磁器などが将軍家の蔵に収められました。中国から伝来した染織品や道具は、唐物(からもの)と呼ばれ、その中でも茶道具の天目茶碗や茶入などは座敷飾りに用いられるようになります。

1378年、義満は現在の京都市上京区へ邸宅を造りました。この邸宅は室町殿(むろまちどの)や花の御所と呼ばれ、内部には会所(かいしょ)が設けられました。会所は、連歌やさまざまな芸能を楽しむ場として、文化的に、時には政治的に利用された場所でした。この頃からは、一部の上流階級を中心に、現在の茶事に通じる形式に沿った茶会が催されるようになっていきました。

将軍の身近につかえ、芸能に関するさまざまな仕事を任されていたのが同朋衆(どうぼうしゅう)と呼ばれる人たちです。庭園造りから唐物の選別・保管などに加え、茶会も彼らの仕事のひとつでした。

時代は移り、京都では東山文化が花開く時代を迎えます。八代将軍足利義政(あしかがよしまさ1436-1490)は、1482年に東山(現京都市左京区)の地へ東山殿(東山山荘)を造り始めました。翌年には彼自身も移り住み、禅僧などと交流を持つうち、書画や茶を楽しむようになりました。そして、同朋衆の能阿弥(のうあみ)からの紹介で村田珠光(むらたしゅこう 1423-1502)を奈良から招き、茶の湯を学びました。

珠光は禅寺の僧でしたが、京都で義政に茶を教えるようになると、自身は大徳寺(京都市北区)の一休宗純(いっきゅうそうじゅん 1394-1481)から禅を学びました。珠光は、「草庵の茶」の茶を 理想とし、簡素で落ち着いた禅宗寺院の茶に沿った茶法をつくりました。そして、それまでのぜいたくで華やかな茶会から、用いる道具も簡素化させて四畳半の狭い部屋で行う茶会へと改めていきました。

義政が茶を愛好しだすと、「茶を飲むこと」が一般の人たちにも流行し始めました。寺社の門前など人が集まる場所では、「一銭一服の茶(いっせんいっぷくのちゃ)」という茶売りが人気を集めました。やがて茶売りたちは門前から市中へと進出し、気軽に茶を楽しむことのできる茶店が登場しました。


今回のレポートはここまで。千年以上の時を経て今に伝わる「お茶・茶道」、室町時代に入り、ようやくコタニのような一般庶民にもお茶が広まったのですね。第2回目のレポート、出来具合はいかがでしたか?ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせくださいね。

最後になりましたが、ここでコタニからの72号の掲載内容について、お詫びと訂正があります。
① 源実朝の読み方が間違っていました。正しくは「みなもとのさねとも」です。
② 宣長まつりでのお茶席を「椅子に座る立礼(りゅうれい)席」とご案内しましたが、今回のお席は桜松閣の和室にて行われ、お客様には畳に座っていただきました。

コタニの言葉を信じてお越しくださった方は、驚かれたことでしょう……ごめんなさい。これからは「見直しした?」と谷先生から念押しされる前に、しっかりと確認しなくては!

では、次回をお楽しみに…
See you soon♪

参考資料:裏千家HP キッズページ
茶道文化検定公式テキスト-茶の湯がわかる本- 茶道文化振興財団監修  淡交社 2008.9.27
学校茶道(初級編) 千宗室監修 (財)今日庵制作 2003.1.1
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by terakoya21 | 2011-05-30 20:30 | Hello, everyone

Hello, everyone! (てらこや新聞72号 コタニさんのコーナーより)

みなさん、お久しぶりです。一年ぶりに登場のコタニです。谷先生からの連絡を受け、今年も記念特大号へはちゃっかり戻ってきました。

突然ですが、みなさんはふだん何を飲むことが多いですか?ジュース、コーヒー、炭酸飲料、お酒など、いろいろな飲み物がありますが、コタニはもっぱら「お茶」を飲んでいます。お茶と一口に言っても、緑茶、紅茶、ほうじ茶など、さまざまなお茶があります。そこで、今月から数回にわたって「お茶と茶道」の世界を掘り下げていきます。「え~、今さら?」と思ったあなたにも、「あ~、あの堅苦しそうな…」と思ったあなたにも、きっと新たな発見があるはず。どうぞ最後までお付き合いくださいね。

今ではすっかり当たり前の光景となった「お茶を飲む」ことは、中国で始まり世界各地へと広まりました。日本へはいつごろ伝わってきたと思いますか?なんと、今から千年以上も前なのです!日本には、奈良時代(710-749)に遣唐使や中国(唐)へ留学していた僧たちによって伝えられたと考えられています。当時、中国で飲まれていたのは、団茶と呼ばれる、蒸して乾燥させた後、臼でついてだんごのように固めた茶葉を粉末にして煮出したものだったそうです。

平安時代(794-1192)の初め、唐での仏教を学んだ最澄(さいちょう 767-822)は帰国の際に茶の種を持ち帰り、それを比叡山(ひえいざん 滋賀県大津市)のふもとに植えました。これが、日本での茶栽培の始まりと考えられています。その後、茶の木が各地へ植えられましたが、茶葉の質はいいものとは言えませんでした。やがて唐との国交が途絶え、良質の茶葉が輸入されなくなると、日本では茶を飲む習慣も廃れてしまいました。

その間も、中国では茶の質が向上し、それにともなって茶を点てたり飲んだりする際の作法ができあがっていきます。平安時代の末、日本と中国(宋)との国交が再開されると、日本から再び僧たちは中国へと向かいました。その中の一人、栄西(えいさい 1141-1215)は、宗での修行を終えると、日本へ「禅宗」を伝えました。また、持ち帰った茶や器具を使い、新しい茶の点て方(現在の抹茶とほぼ同じ方法)も伝えています。栄西が持ち帰った茶の実を栂ノ尾高山寺(とがのおこうざんじ)に贈ったことから、この地での茶栽培が始まりました。現在の京都市街北西にあたる栂ノ尾の土壌は茶の成長に適していたため、その栽培は盛んになり、やがて各地へと広まっていきました。それにともない、茶を飲む風習も再び見られるようになりました。

栄西は、薬としての茶の効能などを書物『喫茶養生記(きっさようじょうき)』にまとめ、源実朝(みなもとのさねとも 鎌倉三代将軍 1192-1219)に献上しました。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』には、ある日、栄西が頭痛に苦しむ実朝へ茶を差し上げたところ、実朝の体調はたちまち回復したという逸話が残っています。この頃から茶を飲む風習は禅僧から鎌倉の武士へと 広まりをみせ、茶に使う道具の輸入も盛んになっていきました。

室町時代(1392-1573)の初めになると、茶を飲む風習は武家や商人の間にも広まる一方で、茶は「ぜいたくな遊び」と考えられるようにもなっていました。武士の間では「闘茶」や「茶寄り合い」が流行します。これは、いくつかの産地の異なるお茶を飲み、どこのものかを言い当てる遊びです。豪華な食事とともに、金品を賭けて行われたこの遊びは、やがて幕府から禁止の法律が出されるほど流行したそうです。

今回のレポートはここまで。千年以上の時を経て今に伝わる「お茶・茶道」、その歴史は一回のレポートでは収まりませんでした。流行とは言っても、コタニのような一般庶民がお茶を飲むようになるのは、どうやらもう少し先のようですよ。初回のレポート、出来具合はいかがでしたか?ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせくださいね。

おっと、いけない!最後になってしまいましたが、コタニからのお知らせがあります。宣長さんのコーナーでも話に出ていた、4月3日に行われる「宣長まつり」では、お茶席(松阪公園内 桜松閣 10時~2時30分)が設けられます。

ここで出される「お茶」は抹茶ですが、立礼(りゅうれい)席という、正座してではなく、椅子に座ってお菓子とお茶といただくことのできる茶席です。「作法がわからないし…」という方も、お菓子やお茶のいただき方は決して難しくありません。その場できけば教えてもらえるので、ぜひ気軽に ご参加くださいね。「事前に教えて!」というあなたは、谷先生をつかまえてきいてみましょう!きっと優しく!? 教えてくれますよ。

では、次回をお楽しみに…
See you soon♪

参考資料
茶道文化検定公式テキスト-茶の湯がわかる本- 茶道文化振興財団監修  淡交社 2008.9.27
学校茶道(初級編) 千宗室監修 (財)今日庵制作 2003.1.1
裏千家HP キッズページ
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by terakoya21 | 2011-05-09 22:32 | Hello, everyone

Hello, everyone♪ (てらこや新聞60号 コタニさんのコーナーより)

みなさん、お久しぶりです。コタニです。一年以上のご無沙汰をしてしまいましたが、記念特大号が出ると聞いて、ちゃっかり戻ってきました。さて、今回取り上げるのは「オリンピック」です。「もう、十分に楽しんだからいいよ…」と思ったあなた、日本人選手やメダルにばかり気を取られていませんでしたか?スポーツに興味がある人もない人も、2年後、4年後、6年後の楽しみがちょっぴり増えるはず。どうぞ最後までお付き合いください!

開会式前から選手団帰国までの約1ヶ月間、日本でもテレビやラジオで試合の模様が連日放送されました。ウインタースポーツに疎いコタニも、日本語の実況と解説付きの放送を見るうちに、気づけばにわかファンになっていました。現地バンクーバーは、大いに盛り上がっていたようです。カナダといえば、英語圏の国。各会場の場内アナウンスは英語のはずと、耳をすませていると…… おぉ~聞こえてきました!「レディース エン ジェントルメン」 これはまさに、英語の“ladies and gentlemen”です!!んん?でも、その前にも何か聞こえたような…「マダム エ メシュー…???」この響きは、どうやら英語ではなさそうです。寺子屋生なら、ここまででもきっと「ピン!」ときたはずですが、ピンときていない人のために、ヒントを一つ。カナダの公用語が何語かを考えてみてください。

ヒントは役に立ったでしょうか?正解は、フランス語です。カナダでは英語とフランス語の二つが公用語とされています。先程の言葉は“mesdames et messieurs”というフランス語だったのですね。大まかに言えば、カナダの西側で英語、東側でフランス語が中心に使われているようです。ちなみにバンクーバーは、西海岸沿いに位置しています。カナダの公用語が英語とフランス語なので、場内にも二つの言語でアナウンスが流れていたのですね。そういえば、北京オリンピックでは中国語アナウンスが流れ、入場行進の順番も中国ならではの趣向でした。プラカードには国名が中国語(簡体字)と英語で書かれていましたね。「JAPON JAPAN 日本」と3つ。あれ?3つ!? JAPONはフランス語表記のばす…ということは、ここでもフランス語の登場です。中国なのに、オリンピックではフランス語が使われているのはなぜでしょう?どうもこのなぞには、オリンピックの長い歴史が関係しているようです。さっそく、その歴史をのぞいていきましょう!

オリンピックの歴史は古代ギリシャの時代にまでさかのぼります。古代ギリシャでは、各地で神事としてスポーツの祭典が行われていました。中でも、聖地オリンピアにははるか遠くからも参加者が集まり、盛大な祭典競技が行われました。このオリンピアでの競技会が、「古代オリンピック」と呼ばれるものです。私たちに馴染みのあるオリンピック競技大会は、古代オリンピックにならって考案されたもので、「近代オリンピック」と呼ばれています。ギリシャ発祥のオリンピックとフランス語…なぞは深まるばかりです…

時は移り、1894年6月。フランスの首都パリで万国博覧会が開かれました。同じ頃、パリ・ソルボンヌ大学でスポーツ競技者連合会の会議が開かれ、ある計画が可決されます。それが、オリンピック復興計画でした。6月23日、古代オリンピックにならった「近代オリンピックの開催と国際オリンピック委員会(IOC)の設立」が決定しました。この計画を唱えた人物は、ピエール・ド・クーベルタン男爵でした。彼はフランスの貴族に生まれ、スポーツ選手でもなければ、政治家でもありません。彼は若い頃から教育学に関心を持ち、イギリスやアメリカへ渡って教育現場を見て回り、大きな衝撃を受けます。当時のフランスの教育方針に疑問を持つ一方、スポーツ活動を教育に取り入れることによって、フランス社会に活気を呼び戻そうという思いを強めていきました。その後、世界各地を視察する中で、彼は国内の教育改革にとどまらず、より大きな視野での理想的な社会(世界平和)の実現を思い描くようになります。後に、それが国際的な競技大会の開催へと結びついたのです。

設立当初のIOC委員はたったの十数名でしたが、4年ごとに世界の都市が持ちまわりで開催することは、設立と同時に決定されました。近代オリンピックの基礎的な部分は、それ以来変更されることなく今日まで続いています。ちなみに、記念すべき第一回オリンピックは1896年4月にギリシャのアテネで開催され、欧米先進国の14ヶ国から約240名の選手が参加しました。

今や200を超える国と地域から選手が参加するオリンピック競技大会、競技以外でも共通のルールがなければまとまることは困難です。そこで、オリンピックの理念、開催地や出場選手の決定方法、大会運営の方法など、あらゆることに関して決まりごとが定められています。それらをまとめたものは『オリンピック憲章』と呼ばれています。この憲章に、なぞを解く大きな手がかりが隠されている予感…

ありました!!『オリンピック憲章』の第二章には、言語について書かれています。気になる、その内容はというと、「IOCの公式言語はフランス語と英語とする ※1」です。これに基づき、オリンピック憲章自体もフランス語版と英語版の両方が作られています。そして、「もし内容にズレが出てきた場合には、原則としてフランス語版を優先させる」ということも定められています。オリンピックとフランス語、ようやく結びつきました!!! オリンピック会場では、開催地の公用語に加え、公式言語である英語とフランス語が使われているということだったのですね。

しかし、「なぜ英語とフランス語なのか」という理由は、どうもはっきりしていないようなのです…フランス語に関しては、近代オリンピックの提唱者クーベルタン男爵がフランス人だったこと、19世紀初めのヨーロッパの教養人の間では、フランス語を共通語として話し合いがされていたことに由来すると考えられているようです。英語は、今や世界で最も普及している言語だからということでしょうか。ふぅ~。ようやく「答え」にたどり着きました!!オリンピックでフランス語が使われている理由を求めて、はるか古代ギリシャまでさかのぼるとは…なんとも長い旅でした。

バンクーバーに続くオリンピックは、イギリスの首都ロンドン(2012年夏季)、ロシアのソチ(2014年冬季)、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ(2016年夏季)での開催が決まっています。ロンドンの会場では、バンクーバー同様に英語とフランス語のみが使われますが、その後は「ロシア語、英語、フランス語」「ポルトガル語、英語、フランス語」のアナウンスや表示が飛び交うということですね。今から英語、ロシア語、ポルトガル語、フランス語を勉強すれば、オリンピックの楽しさ倍増間違いなし!!

最後に、みなさんはスポーツを「する派」か「見る派」だとすれば、どちらですか?トップ選手の超人的な技やパワーを見るたび、コタニは自分の運動不足を反省しています。そして、外国で行われる国際試合を見るときには、電光掲示板や広告、選手のユニフォームや応援の様子などもチェックします。企業のロゴを見つけて「どこの国の企業なのかな~」と思ったり、会場の盛り上がり方で「この競技が人気なのかな~」と思ったり、「あの選手の出身地は、あの国旗なのか~」と思いながら見るのは楽しいものです。最近のオリンピック放送は、日本人選手の結果ばかりに集中しがちなので、コタニとしてはそんな楽しみが減り、ちょっと残念です。世界中の人々が集まるイベント、もっとその雰囲気が感じられるといいのになぁ~と思います。みなさんも、次の機会にはぜひ試してみてください。

今回のレポート、出来具合はいかがでしたか?ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせくださいね。では、覚えたてのフランス語でお別れします。

À bientôt♪

※1原文
英語:The official languages of the IOC are French and English.
仏語:Les langues officielles du CIO sont le français et l’anglais.

参考資料:アテネからアテネへ 広畑成志著 本の泉社 2004.7.25
21世紀オリンピック豆事典 日本オリンピック・アカデミー編 楽 2004.3.8
オリンピックのすべて ジムバリー、ヴァシル・ギルギノフ著、舛本直文訳・著 大修館書店 2008.4.15
インターネットサイト(名称のみ) :国際オリンピック委員会(英語、仏語)
日本オリンピック委員会(JOC)
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by terakoya21 | 2010-04-20 14:43 | Hello, everyone

Hello, everyone♪ (てらこや新聞45号 コタニさんのコーナーより)

“Who knows what will happen tomorrow?”

みなさん、お久しぶりです。コタニです。冒頭の英文、高校文法クラスの寺子屋生に聞けば日本語訳はバッチリ♪のはずですが、念のため確認しておきましょう。「明日何が起こるかなど、誰がわかるだろう」ですね。つまり、明日のことは誰にもわからない。だからこそ、「もしも」のときへ備えは大切です。そこで、今回は大規模災害が起こったときに知っていると便利なサービスについて紹介します。

地震などの災害が起こると、被災地やその周辺に向けて多くの人が安否の確認・見舞い・問い合わせをしようとします。しかし、特定の地域に電話が集中して込み合った状態が続くと、消防や警察などの活動にも支障が出てしまいます。本当に緊急・必要を要する声が届かないのは、問題ですよね。そんな状況を回避するために電気通信事業者によって設けられるのが「災害用伝言サービス」です。これから紹介する3つのサービス全てに共通しているのは、電話番号を“key(=鍵、手がかり)”にメッセージの登録・確認をする点です。


災害用伝言ダイヤル「171」

これは、被災地内の一般電話、公衆電話、特設公衆電話などから「171」へ電話をかけ、自宅の電話番号を登録し、音声によってメッセージを伝えることができるサービスです。録音の可否は市外番号によって識別されますが、再生は全国どこからでもすることができます。暗証番号を設定すれば、特定の人たちの間でのみメッセージのやりとりが可能になります。

災害用ブロードバンド伝言板「web171」
“web”の名が示すとおり、これは、インターネット上に設けられる掲示板「web171」へアクセスし、そこでさまざまな伝言(テキスト、音声、画像)を登録・閲覧することができるサービスです。加入電話、携帯電話(090、080)・PHS(070)・IP電話(050)を含め、どの端末の電話番号でも登録が可能です。その電話番号を使えば、電子掲示板に書き込まれた伝言は全国・海外から検索・閲覧、追加登録をすることができます。

災害用伝言板
これは、インターネットに接続可能な携帯電話を使って利用できるサービスです。災害発生時には、各携帯電話会社が災害伝言板を開設し、被災者はそこへ自分の安否情報などを書き込むことができます。メッセージを書き込めるのは自身の契約している携帯電話会社の伝言板ですが、相手の電話番号がわかっていれば、自分とは異なる電話会社の伝言板に残されたメッセージでも見ることができます。


実際、これらのサービスが提供されるのは「災害が起こってから」です。「それじゃ備えにならないよ!」と思う人もいるでしょう。そこで、各携帯電話会社では、毎月1日に「災害用伝言板体験日」を設けています。その他、正月三が日(1月1日~3日、一部の会社を除く)、防災週間(8月30日~9月5日)、防災とボランティア週間(1月15日~21日)にも利用することできます。一番近い日は……正月三が日ですね。家族や親戚が集まる家庭も多いのでは?ここで、コタニからの提案です!! この機会に避難場所や連絡先の確認をしておくのはいかがでしょう?そのときには、紹介した伝言板もぜひ一度試してみてくださいね。
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by terakoya21 | 2009-01-13 18:47 | Hello, everyone

Hello, everyone♪ (てらこや新聞36号 コタニさんのコーナーより)

♬もうすぐ は~るですね~♬ あっ、失礼しました!! コタニです。

春、日本ではひな祭り、卒業・入学の季節、春はもうすぐです。花粉症の方々にはつらい季節ですが……

さてさて、今回は日本ではあまり知られていない「イースター(Easter)」を取り上げます。

イースターは日本では「復活祭」とも呼ばれます。その名の通り「ある人」の復活を祝います。寺子屋生には、「クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝うキリスト教行事の一つだ」というのは常識(!!) ですね。キリストは十字架に架けれ、その3日後に復活したとされています。つまり「ある人」とは、イエス・キリストのことです。

イースターは元々異教徒の春の太陽の祭りだったそうです。それがキリスト教布教とともに意味が変わり、広まったと考えられています。そして、現在では「キリストの復活を祝う、キリスト教最大の祝祭」となっています。イースター当日(Easter Day)には、教会ではキリスト復活を記念する礼拝が行われます。この日は多くの人が家族とともに一日を過ごします。また、イースターの前後に設けられる2~3週間の春期休暇はイースターホリデー(Easter holidays)と呼ばれます。

クリスマスは毎年12月25日と決まっています(=固定祝祭日)よね。しかし、イースターは「春分の日の以後、満月の後にくる最初の日曜日」と決められているため、毎年日付が変わります(=移動祝祭日)。……少しわかりにくいですね。例えば2008年の場合、日本では春分の日が3月20日で最初の満月が3月22日(土)なので、イースターは3月23日(日)になります。ちなみに2007年4月8日、2009年は4月12日です。

キリスト教が世界三大宗教の一つに挙げられるように、キリスト教徒は世界中に暮らしています。時差や季節(南北半球の違い)によっては、春分の日にずれが生じてしまいます。「春分の日自体、毎年変わるのでは???」と気付いたあなたはするどい!! 実は、キリスト教では祝祭日に関して、春分の日を3月21日に固定して計算しているのです。


大事なことを言い忘れていました!! イースターは、一日で完結する祝祭ではありません。イースターの前後はキリスト教において特別な期間といえます。

イースター前にはレント(Lent:四旬節)と呼ばれる期間があります。日曜を除くイースター前日までの40日間、人びとは摂食したり祝い事を避けたり懺悔を行ったりして節制した生活に努めます。レント初日はキリストが断食し、荒野での苦行を始めた日とされ、灰の水曜日(Ash Wednesday)という名が付いています。レントの間でも特にイースター直前の一週間には特別な儀式や行事が続きます。

さらに、レント直前の3日間にはカーニバル(carnival:謝肉祭)という祝祭があります。レントの間、人びとは肉、卵、油、乳製品などを控えなければなりません。カーニバルは、レントの前に 人びとが豪華な食事を食べて、仮装行列やパレードで楽しむ華やかな祭りです。中には1週間も続くところもあります。ブラジルのリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)やニューオリンズ(New Orleans)のカーニバルは有名ですよね。

カーニバル最終日は、懺悔の火曜日(Shrove Tuesday)と呼ばれます。イギリスでは、パンケーキ・デー(Pancake Day)という別名もあり、その名の通りパンケーキを作る日です。これはレントに入る前に家に残っている卵や牛乳などを全部使い切るという意味もあるようです。地域によってはパンケーキ・レース(pancake race)が行われます。このレースでは、決まった服装をした女性たちがフライパンを片手にパンケーキをひっくり返しながら走ります。

またフランスではこの日をマルディグラ(Mardi gras:肥ゆる火曜日)と呼び、クレープを食べる習慣があります。

次にイースターの風物詩を紹介します。

今までイースターは知らなかったけれど、イースターエッグ(Easter egg)を見たことのある人は多いのではないでしょうか。イースターエッグとは、殻をきれいに彩った卵です。イースターの時期には贈り物や飾り物として好まれます。中世にはイースター前に野鳥の卵をとることを禁止する期間が設けられていたため、禁止が解かれると人びとが一斉に卵を探して食したそうです。それがイースターエッグの由来ではないかと言われています。

お店には卵やウサギの形をしたチョコレートが並びます。なぜ卵とウサギなのかと言えば、卵は新生や生命の象徴で、それをイースターウサギ(Easter rabbit / Easter bunny)が運んでくるという言い伝えにちなんでいるからです。また、ウサギはたくさんの子を産むため、昔から多産や繁栄のシンボルとされていることも関係しているようですよ。

イースターを祝う家庭には、卵を使ったいろいろな楽しみがあります。これらは地域によっても異なるようですが、ここでは簡単に紹介します。ちなみに、アメリカではホワイトハウスの芝生が開放され、市民がそこで遊ぶのが毎年の恒例となっています。

・エッグハント(egg hunt) …家の中や庭に隠した卵を探す遊び。
・エッグレース(egg spoon race) …スプーンにのせた卵を落とさず、誰が一番早くゴールするかを競う遊び。
・エッグロール(egg roll) …丘や坂の上から卵を転がし、距離を競ったり杭の間を通過させたりする遊び。


また「イースターエッグ」は、別のものを指すこともあります。
コンピュータの業界では、「イースターエッグ」がソフトウェアやウェブページに一目ではわからないように隠されているメッセージや機能などを意味します。開発者や製作者が隠したイースターエッグを探すのは、庭に隠された卵を探すのと同じようなわくわく感が味わえそうですね。ただ、これを本当に楽しめるのは大人、しかもパソコン上級者のみのようです。

今回のレポート、コタニの好みと独断でついつい食べ物や遊び情報が多くなってしまいました。出来具合はいかがでしたか?ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせくださいね。

もう少し暖かくなったら、コタニも「イースターエッグ」ではなくて、「つくしや春の山菜」を採りにでかけようかな…… ♬は~るよこい は~やくこい♬
See you♪

*お断り*
一言にキリスト教と言っても、地域や教派によって祝祭の日付や儀式、それらの持つ意味は 異なっています。資料と紙面の都合上、今回は主に西ヨーロッパと北アメリカにおけるイース ターを取り上げました。

参考資料:
イギリス祭事カレンダー 歴史の今を歩く 宮北恵子・平林美都子著 / 彩流社
英語タウン(カルチャー) http://www.eigotown.com/culture/culture.shtml
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by terakoya21 | 2008-03-23 11:46 | Hello, everyone

Hello, everyone♪ (てらこや新聞32号 コタニさんのコーナーより)

介助犬育成の初の専門施設 愛知・長久手町に09年春

Excite エキサイト : 社会ニュース

みなさん、お元気ですか?7ヶ月ぶりの登場、コタニです。今回は人間ととっても長い付き合いの動物「犬」のお話。犬派のみなさんはもちろん、猫派や金魚派のみなさんもどうぞお付き合い下さい。
一口に「犬」といっても、チワワ、柴犬、ダルメシアン……さまざまな犬がいますね。これから紹介するのは、そういった犬の「品種」ではなく「お仕事」です。

「犬の仕事」と聞いてあなたは何を思い浮かべますか?身近なところでは「家を守ること」、つまり家の門番や留守番が挙げられますね。また、警察犬や災害救助犬のように優れた嗅覚を活かした仕事もあります。警察犬のように、特別に訓練されて人間と一緒に働いている犬はワーキングドッグ(=作業犬)と呼ばれます。
さて、あなたはワーキングドッグに含まれる「補助犬」を知っていますか?“No”というあなたも「盲導犬」なら聞いたことはあるのでは?実は、盲導犬も「補助犬」の一種なのです。2002年10月に施行された身体障害者補助犬法によると、盲導犬、介助犬、聴導犬の三種類が「補助犬(正式には身体障害者補助犬)」として定められています。すべてに共通しているのは、身体に障がいをもつ人の生活を助ける仕事を持っているということです。
補助犬は日常のいろいろな場面で活躍しています。次に、一つ一つをもう少し詳しく説明いたしましょう。

盲導犬 (もうどうけん)
盲導犬は視覚障がい者、つまり目の不自由な人が目的地まで安全に歩けるようにサポートします。彼らの主な仕事には、道路の端を歩く、段差や角の手前で止まって知らせる、障害物を避ける、近くの目標物まで導くなどがあります。
盲導犬は白(あるいは黄色)のハーネスという胴輪をつけています。彼らの動きの変化がハーネスを通じて信号や曲がり角、階段といった情報となりユーザー(=使用者)へ伝えられます。盲導犬は、目的地までの道順をカーナビのように誘導するわけではありません。道順はユーザーがあらかじめ頭に入れ、盲導犬からの 情報を元に経路を確認しながら盲導犬に指示を出しています。

介助犬 (かいじょけん)
介助犬は肢体障がい者の日常生活をサポートします。肢体障がい者とは、手足の不自由な人のことです。彼らの代表的な仕事は、物を持ってくる、物を拾う、緊急時の連絡手段の確保です。他にも車椅子を引っ張る、スイッチを押す、着替えの補助など、それぞれのユーザーの身体能力や生活スタイルに合わせた仕事があります。人間による介護が必要なときにヘルパーを呼びに行くことも大切な仕事の一つです。

聴導犬 (ちょうどうけん)
聴導犬は耳の不自由な人(=聴覚障がい者)へ音を知らせるのが仕事です。聴導犬は自らの判断で動けるようになる訓練されます。このことはユーザーの指示に従って動く盲導犬や介助犬と異なる特徴です。彼らの日常的な仕事は、目覚まし時計や家電タイマー、ドアベルや電話の音など生活に必要な音を聞き取り、使用者へ知らせることです。
また、警報機の音や赤ちゃんの泣き声を知らせたり緊急時に助けを呼びに行ったりと、ユーザーやその家族が危険に巻き込まれるのを防ぐのも彼らの大切な仕事です。さらに、ユーザーには、聴導犬を連れていることで聴覚障がい者の存在を周囲へ示すことができるという効果もあります。


現在、世界中の犬の品種は数百に及ぶとも言われています。その中には、習性や性格的傾向、体格などの面で補助犬に向いている品種があります。盲導犬や介助犬の多くが大型のゴールデンリトリバーであるのもその結果。では、その品種ならどの犬でも補助犬になれるかというと……そうではありません。
まず、補助犬に必要な条件は心身ともに健康であること。一般的に補助犬は、生後2ヶ月から約1年間、一般家庭で育てられます。この期間は規則的な生活や社会性を教え、補助犬としての適性の有無を見極める大切な時期と考えられています。このことからは、人を含めほかの動物と友好・信頼関係が築けることも大切な要素といえますね。一才を過ぎると訓練犬(候補犬)としてそれぞれの養成施設へ移り、さまざまな訓練と試験を重ねます。この期間に身につけた動作一つ一つが、ユーザーの生活をより快適で安全なものにしていくのです。

もし町中で犬に出会ったら、あなたはどうしますか?散歩中の犬なら声をかけたり、触れたり、食べ物をあげたりするのもコミュニケーションの方法ですね。しかし、仕事中の補助犬には集中力の妨げの原因となり、危険につながる場合もあります。「手伝いましょうか」、「危ないですよ」、「触ってもいいですか」などの一言は、まず補助犬ユーザーに伝えてください。
日本ではまだまだ普及割合も認知度も低い補助犬たち、彼らの悩みの種は周囲の理解・協力が得られにくいこと。2003年からは、公共施設や交通機関だけでなく、ホテルやデパートなどでも補助犬の立ち入りを断ることが原則として禁止されています。しかし、衛生面や安全面の問題から自由に出入りができない場所も多いのが現状です。補助犬はペットではありません。ユーザーの身体の一部です。補助犬ユーザーが安心して利用できる場所を増やすには、施設側の協力だけでなく、その施設を利用する人びとの協力も欠かせません。特に、補助犬歓迎のポスターやステッカー(*1)を入口に貼っている施設では、補助犬の働きをそっと見守ってくださいね。


ところで、てらこや新聞に登場する犬といえば?……もちろん、ジョニー君ですね。彼は、番犬でもあり癒し犬、そして亀井家のみんなに愛されている家族の一員です。ジョニー君と同様に、補助犬もユーザーやその家族にとっては大切な家族であり、精神的な支えなのです。

ちなみに、コタニが補助犬について調べるきっかけとなったのは、市内中学一年生が使っている英語の教科書です。この中には聴導犬美音(みお)とユーザー松本さんの生活が紹介されています。この機会に、後に記した英単語(*2)もぜひ覚えておいてください。

今回のレポート、出来具合はいかがでしたか?ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせくださいね。コタニも働く犬たちを見習って、少しでもみなさんの役に立つ情報をお届けしたいと思います!

See you again♪

*1 ステッカー (厚生労働省のサイトより)
*2 ワーキングドッグ、作業犬:working dog
  補助犬:assistance dog 盲導犬:guide dog
 介助犬:service dog / partner dog 聴導犬:hearing dog
  番犬:watchdog 愛玩動物、ペット:pet

*お断り*
障害の「害」という漢字の使用には不快感を持つ人もいるという指摘を受けました。一人でも多くの方に最後まで目を通していただくため、法律上の名称以外は、すべてひらがな表記にしました。

参考インターネットサイト(名称のみ)
財団法人 日本盲導犬協会、社会福祉法人 日本聴導犬協会、社会福祉法人 日本介助犬協会、
いろんなところで会おうね。ほじょ犬 (厚生労働省)、有馬もとの補助犬(アシスタンス・ドッグ)講座、
はたらくわんこハウス、聴導犬・美音とゆかいな家族~松本ファミリー雑記帳~

参考文献
障害者補助犬法を知っていますか 有馬もと著 / 大月書店
犬にはわかる 介助犬トレーニング 矢澤知枝著 / 誠文同新光社
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by terakoya21 | 2007-12-04 18:47 | Hello, everyone

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