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寺子屋とともに Time with Terakoya (てらこや新聞120-121号 かめいのコーナーより)

~ Society 社会 8 ~

寺子屋創設5周年に合わせて発行を始めた「てらこや新聞」もいよいよ10周年を迎えました。今回の「寺子屋の日々」に書きましたが、33歳だった私が43歳になり、思いや情熱は変わっていないはずだけれど、年齢とともに「ためらい」と「経験」が、大きく私の言動への変化を及ぼしていると感じます。

熱意と思いは変わらないんです。

多分、人生の「経験」は「責任」の意識とともに、度量と度胸を付けるのだと思うのです。ただただ、少しずつ穏やかになったのかもしれません(^_^;)・・・たぶん。

そして5周年記念号を読み直しました。何に憤り、何に考え込んでいたのか、痛いほどわかるけれど、今の私にはこの文章は書けないな・・・と思ったりするわけです。

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~An Essay of Gratitude 記念号に寄せて~

今回は、寺子屋開設10周年、「てらこや新聞」  発行5周年、そして、60号記念号、また年度末ということで、トピックを挙げたらきりがなく、書き出しに困った。そこで、高専生アシスタントの卒業記念号でもあるので、彼の言葉から書き始めることにした。

「この塾のありがたみは、わかるまでに5年くらいかかりますよ。通っているときは厳しすぎて嫌なんですよ。」

私が悩み相談をしたときに、彼がなぐさめながらかけてくれた言葉だ。「5年か…」と谷さんとため息をついたが…彼も彼女も寺子屋開設年入学の生徒で、もう10年の付き合いになる。25年来の友人である竹川さんを除けば、どんな友人たちよりも、この10年の私の苦悩と喜びを知る人々だ。だから、彼や彼女がかけてくれる言葉には、なんとも言えない響きがある。毎日、矢の如く通り過ぎる時間を少し止め、私に深呼吸を促し、自分の哲学を忘れないように、原点を振り返らせてくれるかけがえのない人々である。

そして、先日この4月から社会人になる高専生アシスタントに、谷さんが「『今の小学生や中学生を教えるのは大変ですねぇなんて他人事のように言うけれど、あなたたちが社会に出て、会社で新人教育係くらいになる頃、入社してくるのが彼らだから、今放っておいたら、そのとき困るのはあなたたちよ』と高校3年生で寺子屋に通っていた頃、亀井先生に言われた」と言っているのを聞いて、ハッとした。すっかり忘れていたけれど、言ったことははっきりと覚えている。

そうだ、私は、社会は人のつながりで出来ていることを、そしてそのつながりの素晴らしさを、人々、特に子どもたちと分かち合いたくて、この仕事を選んだのだ。大切なことを忘れかけていたことに気がついた。

そして、今、そのつながりが危うい。少なくとも私にはそう思える。

「個性」「自分らしさ」「自己決定」などという聞こえが良く、一見きれいな言葉が、つながりの流れをせき止めているようにも見える。

「個性」「自分らしさ」「自己責任」という言葉で、大人たちは、子どもたちへの無関心をごまかし、自分たちの無責任さを隠そうとしているようにも見える。

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今、多くの子どもたちが、「あなたの思うように」「君のしたいように」と言われ、中学3年生で自分の進路決定を行っている。彼らの多くが半ば投げやりになるのも分かる気がする。それは、「あなたの思うように」「したいように」という言葉は、彼らの意思を尊重した理想の決断に思えるけれど、子どもたちから見れば、社会のことも何もわからないのに、社会に放りだされることを意味する。

今、子どもたちの受験だけではなく、勉強のお手伝いをしていて、ときどき子どもたちがかわいそうになる。子どもたちの多くが、成績のために勉強をし、何も身につけようとしないように見えることが多いからだ。

受験…さまざまな意見があるだろうが、私は高校受験も、大学受験も子どもたちが自分と自分の将来に向き合うとてもいい機会だと思っている。そして、定期試験も大切だと思う。けれど、点数のために勉強することは実りをもたらさない。今、勉強について大切なことが子どもたちに伝えられていないようで、悲しい。

勉強は自分のためにするものである。そして、それは、子どもたちの義務ではなく、権利だ。教育を受けさせる義務があるのは、大人たちで、子どもたちに受ける義務はない。しかし、与えられた権利をムダにしようとしている子どもがいかに多いかに気がついたとき、私は、塞ぎこみそうになる。

子どもたちの多くが、何か勘違いをしている。権利の主張は自分でしなければならないことを知らないようだ。「授業が面白くない」、「先生の説明が下手」「先生の考え方についていけない」…わかる努力を、ついていく努力を、自分たちはしているというのか。教科書など読んだことがない、または授業中寝ている人に限って、こういうことを言う傾向がある。与えられた権利を、行使するのは自分たちなのだ。

そして、大人たちが、何か大切なことを忘れている。大人たちには彼らに教育を与える義務があるのだ。彼らに課題を与えるのは先生という立場の人間だけがすることではない。

私は、この場で、保護者の方々にお願いしたい。子どもたちの進路は自分たちで決定するのが望ましいけれど、大人が彼らにきちんと自分たちの思いや考えを日頃伝えていないのに、15歳で人生の決断をすることがいかに難しいかを考えてほしい。学校や塾に、情報を求めることは必要なことだけれど、人生の「いろは」は、学校や塾だけで教えることは不可能だということを、親であるからには認識してほしいと思う。子どもたちが、自分たちの権利をしっかり主張するために、必要な心構えを説くのは、保護者の皆さんの役目だということを忘れないでほしい。

わが両親も、私が望めば「君の思うように」「あなたの好きなように」と私立中学への進学も、2度の 米国留学も、東京での学生生活も許してくれた。しかし、無条件に許されたわけではなかった。私は、中学進学時に「自分が選んだ学校なのだから泣き言は言うな」と釘を刺され、また、なぜ海外留学が私の人生に必要で、東京の大学には何を学びに行きたいのか、しっかり説明する義務を課されていた。当時の私は、サポートを受ける以上、それが当たり前のことだと思っていた。当たり前であることを日頃両親から教わっていたのである。両親に納得してもらうことは、難しいこともあり、面倒でもあった。しかし、納得してもらったあとの全面的な協力はメリットだし、説得する過程での発見は目の前の扉を開く鍵となった。目の前に見える市立中学校ではなく、私立中学に通う過程で、私は自らの選択が正しかったことを証明する力を得ていた。

子どもたちの心の空洞は、年々大きくなっているように思う。谷さんが寺子屋の長女なら、寺子屋の長男とも言える高専生アシスタントのご両親は、何も言わず私たちに彼を預けて下さったけれど、節目、節目に、彼の口からお父さん、お母さんの言葉が出ていた。彼の好青年ぶりと、ご両親の影に、この10年間私は何度救われただろうか。もちろん、同じことが谷さんにも言える。10年間、私がこの仕事が続けられたのも、彼らの心に空洞が見られないのも、ご両親をはじめ、彼らの周囲の方々のおかげである。私は、このような人々の思いを裏切らないようにこれからも精進したいと思う。そして、彼らにもそれぞれの分野で精進して欲しいと思う。

Thank you so much for everything!

(2010年3月 60号 「寺子屋の日々」より)

今の私なら、「勉強は自分のためにするものである」とは書かないかもしれません。確かに、勉強は自分のためにするものです。ただ、それだけではありません。自分が社会で自分の道を拓いていくためにするものです。そして、自分の受けた社会からの恩恵を、還元するのが、社会に所属する人間の役割です。権利はいつも責任を伴っています。

自分のためだけにしていることは、いつでも辞められる―けれど、自分だけではなく、自分の大切な人々のためにも、そして、会ったこともないけれど、自分の成長に善意と努力を寄せて下さる方々のためにもしなければならないことは、簡単にはやめられない。権利や自由はいつも責任がついてくる―私は、そのことをしっかりと教えてくれた両親をはじめとする多くの年長者の方々に感謝しています。

(Y.K)
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by terakoya21 | 2015-05-22 16:50 | 寺子屋とともに

寺子屋とともに Time with Terakoya (てらこや新聞118号 かめいのコーナーより)

~ Society 社会 8 ~

昨年は、「忙しい」ことを言い訳にして、ときどきサボってしまっていた「寺子屋とともに」のコーナー・・・しばらくは「特大号」に合わせての掲載になるけれど、今年もまとめていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

そして、今回私が選んだのは2年目の「新春特大号」の私のボヤキ。今も悩まされる「普通」と「微妙」という表現についてです。

普通が微妙? 微妙が普通? 微妙な普通? 普通な微妙?

今、子供たちは、「普通」という言葉をよく使う。この仕事を始めた当初、「先生は普通に恐い」と言われたことがある。アメリカから帰国してまだ1年半しか経っていなかったこともあり、私には、初めて聞く表現で、「普通に恐い」の意味がわからなかった(いまだによくわからない(>_<))。「普通に恐い」のが、どのように恐いのか。私は、「恐いのが普通くらいなのか、それとも私は、普通にしていても恐いというのか」とたずねてみたところ、後者だった。ただ、そのとき、彼らは、私が選択肢を与えたので、どちらかというとそちら・・・というように返事をしたようだった。

2006年、最後の英語クラスの生徒全員(この場合3人)が、懲(・)り(・)も(・)せ(・)ず(・)、宿題を忘れてきた。そして、単語テストに合格しなかった。そんな彼らに対して、将来の夢まではいかなくても、中学卒業後、皆が行きたいという高校に求めるものは何なのか、これから勉強していってどうするのかということについて話をした。そして、原稿用紙にその目標を書くという宿題を出したところ、「ぼくは普通でいい」から書くことはないと言った生徒がいた。・・・塾に通い、15問の単語テストを5回も6回もしても10点に満たない彼らが、宿題もしてこないことが、私には「普通」ではなかったが、常習的にそれをする彼らには「普通」らしい。そこで、そんな彼らの目標とする「普通」を説明するという宿題に変えた。

その結果は(この原稿の締め切りの時点で)まだ出ていないが、「普通」という基準は、その人の住む世界、考え方で違ってくる。私には、大学へ行くことも、9時に寝ることも普通のことだった。アメリカの大学院に進むことも、私には「普通」の選択だった。

一方、私にとって当たり前であることが他の人にとって当たり前ではないことに私は、中学生にもなったら気づいていた。門限6時は、私にとって普通のことだったが、友人には非難の的だった。しかし、9時に寝ることも、こんな大学に行きたいからと中学校を選んだことも、その大学に行くという目標も、勉強が好きであることも、親の言うことが脛をかじっている間は絶対であることも・・・私には、当たり前だったから、その為に努力することが、私には普通だった。だから、他の人が精一杯の努力をし、「普通」としているのであれば、その考えも行動も、尊重しうる、尊敬すべきものだと自然に思えた。

少なくとも自分が当然だと思ってしていることを尊重してほしい気持ちがあれば、相手のそれも尊重できるはずだろう。私の優しい友人たちは、門限6時という私の両親の決めごとに文句を言いながらも、一緒に従ってくれていた。

だれも、自分や自分を取り巻く社会が変だと思って行動してはいないと思う。だれも、自分が他の人とは違うと考えてはいないだろう。人と違うことがしたい、目立ちたいという人はいるだろうが・・・そう考えて行動している地点で、その人は凡人である。「普通」だと考えて行動して、人と違うことが出来る人が非凡人・・・いわゆる天才なのだと思う。

また、今、子供たちが「普通」と同じくらい使い、私を苛立たせることばが、「微妙」である。この仕事を始めた当初、やはりこの「微妙」ということばに面食らったことがある。なかなか課題に取り組もうとしない小学生に、「授業中にしなければ、宿題になるだけだから、私はかまわない」と前置きをして、「今、終わらせる?それとも宿題として家でする?」と尋ねたところ、うなりながら考えて出てきた彼の答えは「微妙」だった。そして、彼はその時間中、課題に取り組むことなく、うなっていた。課題の取り組み方がわからなかったわけはない・・・大文字で書かれた単語を小文字に書き換えてノートに写すだけだった。彼は、6年生で、しかも、彼のノートには、寸前に彼が書いた大文字と小文字が並んでいた。

国語辞典によると、「普通」とは・・・①「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。」②「たいてい。通常。一般に。」で、「微妙」とは・・・①「趣深く、何ともいえない美しさや味わいがあること。また、そのさま。」②「一言では言い表せないほど細かく、複雑なさま。また、きわどくてどちらとも言い切れないさま。」である。「普通に恐い」とは、「通常恐い」のか?それとも、「ごくありふれて恐い」のか?課題をしたくなかった彼は、家で勉強するのも塾でするのも、きわどくてどちらとも言い切れないほど嫌だったというのか・・・。

このような「ことば」の乱用は、聞こえの良いことばで、ごまかし、深く物事を考えない人が増えていることを表しているように思う。世の中で、実しやかに語られていることに、よく聞いてみるとおかしな話だというものは多々ある。今年、またも、こんなブツブツモードで最初のエッセイを始めてしまったが、やはり今年も、聞こえの良いことばを鵜呑みにしてだまされたり、躍らされたりしないように、深く物事を洞察するように心がけたい、そして、子供たちにも、呼びかけていきたいと思っている。何事も疑うのではなく、考えてから受け止めることを学んでほしいと思う。(寺子屋の日々 2007年1月 第22号より)

「普通に面白い」という表現は、「面白い」のか、「面白くないのか」・・・「微妙」だと思うことが多くあります(^_^;)。

(Y.K)
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by terakoya21 | 2015-02-14 14:56 | 寺子屋とともに

寺子屋とともに ~Time with Terakoya~ (てらこや新聞114号 かめいのコーナーより)

*てらこや新聞114号は 2014年9月20日に発行されています。

~ Philosophy 哲学 7 ~

9月―2012年9月20日に父が亡くなってから、2年が経ちました。三回忌法要が済んだ翌日、ふと目に留まった「てらこや新聞」の以前の記事―題名は「父」でした。私にとって、9月は父を想う月…そこで、そのエッセーをご紹介したいと思います。




先日、久々に会った友人の同僚は、彼女と同じ正規職員でありながら「やっぱり家族が一番、家庭が大切・・・」と言って子どもの学校行事やちょっとした病気で、仕事の時期なども考慮せず、欠勤、遅刻、早退、中抜けをする・・・しかも場合によっては、事前の連絡もなくそれをするらしい・・・。

私は・・・「家庭が大切」=「仕事が大切」だと考える両親の下で育った。だから、現代社会に増えつつあるこのような人が大嫌いである。社会における家庭のほとんどが、経済的な自立の上に成り立っている。家庭が大事、家族が大切だから、一生懸命働くのである。どちらをないがしろにしても、幸せな家庭生活は成り立たない。だから、「家庭が一番大切」なんて、当然のことをわざわざ口に出し、仕事に無責任な人は、何もかも中途半端で信用できない人だと私は思う。逆に言えば、何が理由であれ、仕事が中途半端な人は不幸なんだろうなと思っている。

そして、現代っ子たちの現状に思いを馳せてみると・・・おそらくそのような大人のいる家庭で育った子どもたちが、大人を尊敬できず、また、自分が何をしたいのか考えられずに悩んでいるように見える。そんな子たちに共通する点は・・・親の顔・・・特に父親の顔が見えないのである。実際の顔ではなく、父親、親のイメージがつかめないという意味である。

私の友人の多くを考えてみると、会ったことのないご両親でさえ、私の心の中でイメージがきちんと出来上がっている。毛深い、禿げている・・・太っている、痩せている、長身、背が低いなどの外見的な特徴などとともに全体のイメージが・・・。もちろん、会ってみたら意外な人物なのかもしれない。でも親、特に父親のイメージは、その人の育ってきた環境の中の柱-哲学を表わしていると私は思っている。

そして、「仕事が一番!」だから「結婚はしなくてもいい♪」なんて決して思っているわけではないのに今でも独身である(~_~;) 私の友人たちは、私も含め、ファザコンが多い。私はおそらくその中でも筋金入りのファザコンである。

私の父は、塾の経営者兼講師だった。彼は、午後1時に出勤する講師を出迎え、10時以降に帰宅した・・・9時に就寝が習慣だった私は、夜帰宅した彼を見たことはないので、正確には何時に帰宅していたかは知らない。9時に寝る私にとって、隣の建物から聞こえてくる父の授業の声が子守唄代わりだった。私は父が42歳のときの子である。私が小学1年生になった年に、彼は、50歳になった。だから・・・他の兄姉より、父に時間や心の余裕があり、甘かった・・・というのが定説になっているけれど・・・今振り返れば、私は、兄姉の中で一番努力して父との時間を作っていた。朝、自分で早起きをして、早く準備ができると父がスーパーカブで幼稚園まで送ってくれたが・・・約束が守れない日は決して送ってはもらえなかったから、早く準備をして待っていた。これが私の一番幼い頃の父との記憶である。

父は早朝4時頃に起きて、犬の散歩、その日の仕事の準備をし、朝ごはんを食べ、9時までにはもう一度床に着いていた。だから、朝の登校前と夕方私が帰宅した頃に昼食休憩の父との時間が私にとっては父と過ごす貴重な時間だった。別に父に相談したいことがこれといってあったわけでもなく、相談はやはり母にするものだったけれど・・・なぜか私は、その時間のために今から考えるとかなりの努力をしている。

そして、父も、限られた時間を子どもたちと過ごすことに一生懸命だった。日曜日は、翌日からの1週間のためにゴロゴロしていることが多かったが、10日から2週間という夏休み、冬休みをとるために振替の朝5時代からの授業もこなしていた(当時は部活動の朝の練習が7時からという学校が多く、朝7時前に塾の授業が終わり、クラブに行き、夕方には帰れるこの時間の授業は、意外にも好評だったようである)。そして、長期休暇に出かけた旅先で、夜は誰よりも先に寝ていびきを高々とかき、嫌われ者だったけれど、昼間は、昆虫採集や植物採集、水泳やスキーなどを子どもたちと一緒に付き合っていた。

以前見ていたテレビ番組で小泉孝太郎さんが、父である小泉純一郎元首相の話の中で「どんなに忙しくても、出勤前にキャッチボールをする時間を望めばとってくれた。」というような話をしていた。代々政治家という特殊な環境下、ご両親が離婚されている家庭で育ちながらも、健全な父子関係の中に育ったということが彼を好青年にしているんだなと、私は感じた。

そんな話を聞き、また、自分の中の親の存在を考えると・・・親が子どもに合わすばかりではなく、子どもも親との時間を大切にする努力がなければ、親の存在感なんて出てこないのではないかと思う。昔に比べ、多くのお父さんが学校行事にも参加し、子どもたちと休暇を過ごすのが当たり前であるかのようになっている昨今、今の子どもたちや親の世代は、不幸なことに、大人に子どもが合わせる小さな努力の仕方を知らずに育ってきたのではないか・・・と感じる。

お父さんやお母さんが働くのは、家庭の幸せを守るため。だから、子どもたちには、仕事で忙しくて、疲れて、ろくに話を聞いてくれない、ぼくたちを見てくれないとぼやく前に、自分がどうすれば親に話を聞いてもらい、見てもらえるか考えてみてほしい。私は、兄姉より早起きをした。多分、小泉孝太郎さんも、早起きをしている。

そして、お父さん、お母さんにも、子どもたちのことがわからないとか、「なんで、こうしてくれないのか」と嘆く前に、どうすれば、彼らと短くても充実した時間が過ごせるか考えてほしい。私の父は、少しだけ寝る時間を遅らせた。多分、小泉元首相は、少し寝る時間を削っていた。

疲れた体をおして、休みにどこかに連れて行くことよりも、日々の積み重ねが、大切だと思う。日頃、ほったらかしにしているのを、休日どこかに行くことだけで、取り返すことは絶対にできない。毎週日曜日に時間を作ったとしても、その1週間、子どもは確実に成長している。

今、子どもたちが、成長することを自分の選択だと感じられないでいるのは、確実に大人の側だけではなく、子どもの側の努力不足だと私は感じている。でも、この子どもたちは、努力の仕方を知らずに苦しんでいるようだ。こんな子どもたちに何かを手に入れるためには、直接関係がないように見える他のものに一生懸命取り組むことが人生では、必要であることを教えてほしい。それを教えるのは、親の役目だと私は思う。そして、その役目を果たしてくれた自分の両親に・・・今回は特に父に・・・感謝をしたい。

(2007年9月 てらこや新聞30号 寺子屋の日々より)

不思議な親子関係というか、親御さんが子どもさんに遠慮がちで、それなのに、すぐに「親子げんか」をし、「口をきいていない」という話を聞くと、私は思わず首を傾げます。43年目になっている私の人生で、母が口を聞いてくれないことがあったとしても、1回に10分に満たない時間―私はすぐに謝っただろうし、父が口を聞いてくれなかったことは私の記憶の中では2回だけ―1回は1週間、2回目は2日―どちらも、私の年齢は、20代半ば以降で、私が大人になってからのことです。

そして、不思議なことに―口を聞いてやらない親御さんも、朝ご飯やお弁当などを作ってあげているようなのです。わが母に何日か口を聞いてもらえないことが仮にあったとすれば、それは、朝ご飯もお弁当も夕ご飯も学校で必要ななにかも与えられないことを意味し―私は、それが、親子の関係で当たり前だと思っていました。また、学生に必要なことを何不自由なく与えられるのであれば、親御さんと口を聞かないことは、それほど痛くもかゆくもなくー外での時間を増やし、悪いことに引きずり込まれる可能性を高め、また、親御さんが言いたいことは伝わらないのではないかと私には思えます。

以前、中学生だった寺子屋の卒業生が、妹さんのことを結構悪く言う割には、妹さんたちは、お兄ちゃんが大好きで、宿題などもわからないと聞いているようだったので、突っ込んで聞いてみると―

「だって、おかんが、妹の面倒見ないと『お弁当抜き!』って言うから…」

なんて、照れながら言っていました。運動部で部活動をする、中学生だった彼にとっての「お弁当抜き」は死活問題…そして、そこを親御さんにしっかりと握られていることを認識している中学生―お家での親子関係の良さを物語るお話で、私の彼と彼のご両親への信頼はとても強いものです。

子どもの成長に親の存在は大切なものです。でも、親が子どもたちばかりに合わせるばかりでは、子どもたちに成長はありません。勉強も「わかりやすい」「たのしい」ということがこのところ最優先にされますが…そういう授業にするための努力は、先生ばかりがするものではありません。

子どもたちの学力低下や「やる気のなさ」は、決して子どもたちばかりのせいではありません。大人たちが、子どもたちの成長を「見守る」姿勢の改善をそろそろ真剣に考えてほしいと願っています。

(Y.K)
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by terakoya21 | 2014-10-16 09:47 | 寺子屋とともに

寺子屋とともに ~Time with Terakoya~ (てらこや新聞112号 かめいのコーナーより)

~ Society 社会 7 ~

このところ直接的に言う機会は少なくなった気がするけれど、私の仕事へのスタンスは、「生徒たちに『嫌われてナンボの商売』、好かれようなんて思ってこの仕事をしてはいない!」です。それは、私自身が成長する過程において、そういうスタンスで接してくれた大人が、最終的には本当に私のことや社会のことを想い、考え、そして広い視野を持って接してくれていた人々だと、大人になって振り返ればよくわかるからです。

そして、そんな大人たちの代表が、我が母でした。私は、そんな母について、21号―2006年のまとめに書いています。


みなさんは「Kiroro」の「未来へ」という曲をご存知だろうか。

♪ 
ほら 足元を見てごらん
これがあなたの歩む道
ほら 前を見てごらん
あれがあなたの未来 ♪

Kiroroさん『未来へ』の歌詞



と始まり、幼くて、嫌がったこともある母の教えと励ましを振り返り、その教えを持って「未来へ向かってゆっくりと歩んでいこう」という歌詞が続く。私は、この曲を聴くとき、自分の母を思い、うなずかずにはいられない。

26歳まで学生だったわりに、私は学校が嫌いな子供だった。月曜日から土曜日の午前中までの学校生活に疲れきり、小学3年生で剣道を始め、週に2回のスイミング、3回以上の剣道の稽古に明け暮れ、体と心が鍛えられるまで、毎週のように週末には熱を出し寝込んでしまうほどだった。

学校が嫌いな理由はいろいろあった。おそらく私を友人が多く、外向的な人間だと思っている人は多いだろうが・・・実は、私は、かなり根暗で内向的な人間である。今でも、1日に1度は、1人になる時間が必要だ。だから、毎日友達と会い、明るい自分を装うのがつらかったのかもしれない。体も声も大きく、強い子、頼れる人と思われ、すべてがその基準で回っていくのが気に入らなかったのかもしれない。女の子と遊ぶのが苦手だった。給食が嫌いだった。そして、何より本当はみんなバラバラなのに、「みんな一緒に」「みんな同じ」という言葉を発する先生も友達も、その人たちと一緒にする行動も嫌だった。

鼻が低く、そばかすばかりの私は、「キャンディー・キャンディー」の歌を毎日のように囲まれ、歌われたことがある。そして、5人兄弟の末っ子の私がつぎはぎのある体操着を着ていると、「おまえんちの塾、月謝高いくせに、親はケチか?」などと中傷を受けることもあった。

しかし、学校には行った。熱を出すのはほとんど週末だった。勉強が好きだった。自分がいろいろなことを学んでかしこくなることが嬉しかった。

そんな自分を振り返るとやはり、節目、節目で母に言われた言葉が思い出される。彼女の言葉は、きつかったが、的を得て、正しかった。

叱られた私が「だって、○○ちゃんもしてたから・・・」なんて言おうものなら、「じゃあ、あなたは○○ちゃんが死んだら死ぬの?」、何かがほしくて、「○○ちゃんも持っている」と言えば、「じゃあ、○○ちゃんちの子になれば?」と返された。徒歩1分ほどで行ける公立中学ではなく電車通学で1時間近くもかかる私立中学を選んだ私に、「あなたが自分で選んだのだから、雨が降ろうが、槍が降ろうが、私は、車で送ったりはしない。学校はお父さんがあなたに行ってもらっているのではなく、行かせてやっていることを覚えておきなさい。」と釘をさし、高校留学時には、「あちらのお母さんの言うことをしっかり聞くこと。お酒、たばこはもちろんのこと、ピアスも禁止・・・それだけはどんなことがあっても必ず守ること」を約束させた。

だから、私は「○○ちゃんがしてた、○○ちゃんが持っている」という理由で、何かを買ってもらったり、何かをさせてもらったりすることはなかった。電車通学をした6年余りの間、自分から車で送ってほしいとは言えなかった。体調不良以外での遅刻も、朝寝坊もなかった。そして、アメリカ留学の間、母との約束があるからとすべての誘惑を断った。

もちろん、母は、厳しいだけの人ではなかった。病気で学校を休んだ 翌日が寒ければ、必ず母の方から、送っていってあげると声がかかったし、学校で嫌だったこと、楽しかったことをよく聞いて、解決策を一緒に考えてくれた。そして、何より、彼女は私の実力を誰より信じていた。大学入試の朝毎回、「あなたのわからない問題はみんなもわからないはず。だから、気にせず出せる力を出し切ってきなさい。」というのが彼女の励ましの決まり文句だった。「そんなあほな」と思っても、やはり心強かった。ただ、毎回私の成功を喜びながら、「私の娘だもの、できが悪いわけがない」と付け加えることも彼女は忘れなかった。

私が、寝込んでしまうほど嫌いだった学校に、通い続け、大学院まで 志したのも、今の生活がそれなりに充実しているのも、「親への信頼」「親の期待」そして、「自分の夢」があったからだと思う。勉強をしたいという気持ちは、それを続けることで、私の夢につながっていた。

今、子どもたちを見ていると、それらすべてがそろっている子は少ないようだ。自殺をしても、殺人をしても、 たとえ、補導されただけでも、自分の夢が遠のいたり、無くなったりするー夢がなくても、自分のしたいことができなくなるーそして、人の期待を裏切ってしまうーということに気づかない、または忘れている子が多すぎる。期待する方が悪いという声も聞こえるけれど、子どもに期待しない大人なんておかしい。そして、一番大切な人たちを訳もなく悲しませていいはずがない。

しかし、この子どもたちの自覚の欠如は、すべて親または周囲の大人が信頼を得られていないところから   始まっているように思う。私は、何があっても自分の両親を信じている。今から考えると母は大嘘つきだった。姪を育てる姉も姪にひょうひょうと嘘をつく。だけど、私と同じように、おそらく姪も母親に指し示された足元の「歩む道」を迷うことはあっても進むだろう。そして、私は、その道を歩んできたことに後悔など一度もしたことがない。 嘘だったと知っても、母を恨んだことはない。それは、母が私のためについた嘘だったのだから。

子どもたちから信頼を得るためにすべきことは、決して無制限に、彼らの「自由」を許し、彼らの希望を聞くことではない、そして、「個性」は限られた環境の中で培われていくものだということを世の大人たちは、そろそろわかってもいいころではないかと思う。そして、子どもたちには、大人にも、同じように子どもであった時代があることに気づいてほしい。大人たちが分からず屋に見えるとき、彼らは、あなたたちを見ていないとか、愛していないからわからないのではなく、彼らも同じような経験をしたとき、とった行動やとらなくて後悔した行動をあなたたちに指し示しているのかもしれないと考えてみてほしい。

(第21号 2006年12月 「寺子屋の日々」より)

「無制限に彼らの自由をゆるし、彼らの希望を聞くこと」は、決して、彼らに本当の意味での「自由」や「夢」を 与えることはありません。制限や限りがあるから、彼らは自分たちの「目標」や「夢」を持ち、社会にも、自分の将来にも「希望」が持てるのだと思います。子どもたちの意欲や希望を奪うものがあるとしたら、親や周囲の大人の子どもたちへの「甘やかし」なのではないかと思う今日この頃です。

そして、つくづく、私が子どもたちに言う言葉は我が母の受け売りであることを実感する毎日です。

(Y.K)
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by terakoya21 | 2014-08-27 11:55 | 寺子屋とともに

寺子屋とともに (てらこや新聞111号 かめいのコーナーより)

~ Society 社会 6 ~

「てらこや新聞」を発行してから2年近くがたとうする23号にて…いつもと違う手法でエッセーを書きました。「オムニバスエッセー」-オムニバスとは「いくつかの独立した短編を集め、全体として1つの作品となるように構成したもの」(大辞泉・小学館)です。このときの私は、ただ、長くまとまった文章が書けなかっただけなので、1つの作品となるように構成されていたかは疑問ですが…その中の2つの短いエッセーを今回はご紹介します!

「学力ってなんだ??」

教育問題が取り上げられるとき、必ず出てくる言葉に「学力」がある。

私の理解では学力は学ぶ力・・・学習する力である。私が、子供たちの「学力」が低下していると言うときは、 この学ぶ力、学習する力が低下していると言っているつもりだ。しかし、勉強における学ぶ力だけを言ってはいない。人生日々勉強である。だから、私は、生活においての全ての学ぶ力を言う。このところ、その子供たちの人生における学ぶ力も低下しているように思えてならない。だから、危機感は、人より強いと思う。しかし、同時に、子供だけではなく、大人たちの学力低下も著しいとも思え、不安だったり、不満だったり・・・批判したり、反省したり・・・の日々が続いている。

人間は、新しいことを次々と学ぶだけではなく、 過去を振り返り、失敗から学び自らの発展を目指す動物のはず!? 言うは易く、行うは難し・・・か(-_-;)

ちなみに、大辞泉(小学館)によると「学力」は、 「学習して得た知識。特に学校教育を通して身につけた能力」。「学習」とは「人間も含めて動物が生後に経験を通じて知識や環境に適応する態度、行動などを身につけていくこと。」を含むらしい。

「Heaven helps those who help themselves.」

天は自ら助くる者を助く・・・。「神様は、他人の助けをあてにしないで自分で努力する人に力を与えてくれる(小学生のまんがことわざ 辞典・Gakken)」という意味だけれど・・・これは私が、最近、いろいろな嫌なニュースを聞くと思い出すことわざである。自殺した子供たちも、妹や夫に自分を否定されたとバラバラにしてしまった人たちも、このことわざの意味をしっかり考える余裕が与えられていれば、もう少し頑張れたのかもしれない・・・なんて、考えてしまう。正直者が馬鹿を見る世の中ではなく、信じ、まじめに働くものが報われる社会になってほしいと願う。

人は、1人では生きていないし、生きてはいけない。理由がなくても、近くにいる大切な人に触れてみるといい。暖かいと思う。そして、他人の顔を 良く見て欲しい。「情けは人のためならず」ともいう。自分でしたことは良いことも悪いことも必ず、自分に返ってくる。もう少し、自分と自分の周囲に目を向けてみて欲しい。2月はバレンタインデー、3月にはホワイトデーがある。クリスマスも、バレンタインももはや商業化されたイベントではあるが、それなりに盛り上がるのは、やはり、こんな機会を利用しないとうまく愛情を表現できない人が多い証拠ではないかとも思う。

「♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪」、苦もあれば楽あり、それが平々凡々と 過ぎていく人生の幸せなのかもしれない。四捨五入して40歳という年齢に達したせいか、最近妙に自分の生活がそれなりに幸せであることに気づき楽しくなってきた。(~o~)

(第23号 2007年2月 「寺子屋の日々」より)

7年と少し経った今も、同じようなことをやはり思うことがあります。私は、両親をはじめとする多くの人々に愛され―また、「学ぶこと」の大切さをしっかりと伝えてくれる大人に囲まれて成長しました。人並みに、「自殺」などということを考える思春期もありましたが、自分が死んだときの父母の悲しみを思い出せるだけの愛情を日々注がれていました。また、「学ぶこと」を怠けるために子どもたちが並べる屁理屈を笑いながら、さりげなく、「学び」へと導くすべを知っている機知に富んだ大人たちに助けられてきました。

そして、やはり思うのです。子どもたちの学力低下も、生きる力が弱っていることも、大人の力不足が原因だろうと…。次の世代を育てる大人として、自らを省みながら、これからも精進しようと改めて感じます。

(Y.K)
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by terakoya21 | 2014-07-16 10:14 | 寺子屋とともに

寺子屋とともに ~Time with Terakoya ~(てらこや新聞110号 かめいのコーナーより)

*てらこや新聞110号は 2014年5月15日に発行されたものです。


ブログ掲載が遅れ遅れになっていた今回の「寺子屋とともに」の記事です。

「相互理解」

最近の私が、何をするにも、何を言うにも、「キーワード」としているものですが・・・

「相互理解」は「議論」や「討論」の中では生まれません。「対話」が必要です。

長い伝統の中で培われてきた生活文化にも敬意を忘れず、自分たちの意見を少しずつ出し合い、少しずつ、皆が住みよい世の中になればいいな・・・と思う今日この頃です。

今朝のニュースを見て、少し加筆しようと思ったけれど・・・これくらいしか書けませんでした(*^_^*)

ま、私のいつものたわごとと思って読んでくださいませ。(*^_^*)



~ Society 社会 5 ~


私は、今世間でいうところの「アラフォー」にまだ入っているようだけれど…「婚活」という言葉にとても不快感を持ち、公がさも良いことかのように「街コン」などというものを支援しているニュースを聞くにつけ、どんどん、自分が老後を日本ですごすということを想像できなくなっています。

一方、ありがたいことに、まだ私に結婚をすすめ、仲介を買ってでようとしてくれる人たちがいてくださるのですが、私は、第14号の「寺子屋の日々」を書いた34歳のときと同じように、いつも恋(?)をしながら、自分の選んだ道を進もうとしています。それがたとえ、いばらの道であったとしても…。

一方で、今の若い子―当時の私の年齢に達している人々を含め―には、その選択が「いばらの道」であること、また、女が30を過ぎて独身でいることには、「得るもの」より「あきらめるもの」の方が多いことを伝えたいと思っています。そして、人生は「タイミング」次第であり、「選べる時間」は短く、また「自分で選ぶ」ということの 責任の大きさを知っておいてほしいと思います。また、「街コン」や「少子化対策」にお金をかけるより前に、政府にはするべきことがあると考えていますが…それは、またおいおい、お話しするとして…竹川先生の結婚する年のその月に、私が書いたエッセーをご紹介します。

ラブレター

岡山先生が結婚する。それを知ったある生徒に「先生、本当のところ、岡山先生に負けるとおもっとった?」と聞かれ、即答:


「思ってなかったさ。」


本当に先を越されるとは思っていなかった(笑)。しかし、20代後半まで自分が結婚することを想像すらできないくらい「夢」に夢中で、「結婚は良いよ」という友人を鼻で笑い、今でも変わらぬ夢を持つ私が以前と大きく違う点は、いつかは結婚したいと思っているということだけーそんな私が先を越されないわけがないだろう(笑)。

さて、この題名、書き出しで今回は・・・30代独身女性としての思いを書いてみようと思う。それは、少子化などにかこつけて言われる独身女性の「結婚しないわけ」や「子どもを産まないわけ」が私の現実とはかけ離れていると感じ、また、子どもたちを含む周囲の発言に傷つくことも多いからである。

私は今、恋をしている。恋は・・・「特定の異性に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。」(小学館・大辞泉)だそうだ。「切ないまでに」・・・と言われると自信はない(f^^;)が、強くひかれている人がいる。

私にとって「恋人」とは・・・ご想像の通り、「いつもそばにいて甘えさせてくれる人」ではない。自分に厳しく、他人に優しい、その人の存在がいろいろなことを可能だと思わせてくれる人が私は好きである。そして、相手もそう思ってくれれば言うことはない。その人を思いながら毎日を過ごすだけで、いろいろなものが美しく見え、楽しくなる。そして、希望を持って物事に取り組める-そんな人がいてくれるだけで嬉しい。物理的にいつもそばにいてくれることよりも、ふと気が付いたときに存在を感じることができるのが幸せだ。34歳にもなって1人、メルヘンに浸っているだけかもしれないけれど(笑)、最近、ようやく自分の求めている平安がわかってきた気がしている。

もちろん、いつかは「結婚」したい。

では、なぜ今も独身でいるのかといえば、そばにいなくても良いからでも、責任のある仕事をしているからでもない。いろいろな意味で、タイミングが合う人と合う時に出会っていないだけで、社会で言われているような難しい理由などない。

一方、今すぐ結婚しても、子どもを産むには・・・相手と「哲学」が合わなければ、躊躇するだろう。仕事と子どもを天秤にかけるわけではない。私には、職場の隣に「実家」という名の「託児所」がある。相手も働いていれば、経済的な余裕がないというわけでもない。そして、自分の子どもがいれば、もっとよく子どもの教育を理解できるのかもしれない。だから、私が結婚し、子どもを産むことは、公私共に良い点も多いと思う。なのに、私が子どもを産む選択をしないとしたら、それは、経済的理由でも、仕事上の立場でもない、社会への「希望」が問題なのである。希望のために、「哲学」が必要なのである。

ここまで読んで、多くの既婚者は言うだろう:「そんなことをいちいち考えていたら、結婚などできない。子どもなんて勝手に育つのよ。」。聞き飽きたが、もちろん、正しい意見だと思う。しかし、考えずにはいられない、そして、勝手に育った子どもに不安を感じる人も世の中にはいるのだ。

私が34年間で学んだ大切なことの1つは、人は1人では生きていない、生きていけないということ。だから、結婚や出産、育児はとても自然な営みだろう。でも、結婚しなくても、自分の子どもを産み育てなくても、人はいろいろな人を支え、支えられ生きている。

今、独身でいて、戸惑うことは何かというと・・・「あなたみたいに仕事ができると、結婚なんてしなくてもねぇ~」なんてわかったようなことを言ってくる人がいるかと思うと、「結婚はまだ?」と尋ねられたりすること。子どもたちには、「先生は恋愛なんて興味なさそう。」と言われたかと思うと、「何で結婚せんの?」などと聞かれる。人にはいろいろな生き方があり、その人それぞれの責任がある。そして、結婚もめぐり合わせがあり、子どもも皆が授かるものではないということも忘れないでほしい。環境が整えば、必ずコウノトリがやってくるわけではない。

結局、世の中、相互理解が足りないだけかもしれない。私は、私なりの精一杯の生き方をしているだけである。誰もがそうなのだ。勝ち負けなどない。(第14号 2006年5月 「寺子屋の日々」より)

若くて、勢いがあったんだなぁ~と思う反面、当時とあまり変わらない考えを今も持っている自分に、驚きます。

一方、私は、自分の生徒の女の子たちには、25歳までに結婚することを奨めます。そして、男の子には相手が25歳になるまでに決断するように言います。人生長いのです。今、不自由に見えても、早く結婚した方が、独身でいるよりも本当の意味で「自由」は多いはずです。―ずっと独身の私がいうのだから間違いないと思います。また「自由がない」と既婚でおっしゃる方々は晩婚の方々のはずです。よく、周りを見回して下さい(^_^)v。 そして、ほとんどの女性にとって―その考えが古いと言われようと、子どもが産めるということ以上の喜びはないと私は信じています。私は、26歳で学生を卒業して以来、28歳でこの仕事を始めるときも含めて、毎回人生の岐路に立つと…「私のしようとしている選択は、子どもを産み、育てるという社会で女性だけが担う役割に近づける意義のあることか」を考えます。そして、私は、自分で子どもを産むことをあきらめた反面、自分の仕事が それに匹敵まではしなくても、有意義な仕事だと考えています。

私は、まだ社会の「希望」にたどり着けていないだけかもしれないと思うこともありますが…。(^_^;)

また、社会の多くの方々に、これからの若い女の子たちのために、理解をお願いしたいのは、誰もが子どもを産むという幸運に恵まれるわけではないということです。また産める時期も短いのです。そのことを社会は理解した上で、女性たちの「選択肢」を語っていただければ…と願っています。
(Y.K)
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by terakoya21 | 2014-06-19 21:47 | 寺子屋とともに

寺子屋とともに Time with Terakoya (てらこや新聞109号 かめいのコーナーより)

~ Philosophy  哲学 8 ~

新学年度が始まり、ピカピカの一年生たちの誕生に目を細めるこの時期ですが…毎年―学年度が始まるとすぐに、中学生、高校生たちの自分の「時間」、スケジュールへの感覚の鈍さに、また今年も小言を言いまくる(?) 同じような1年が始まるのかとため息をつくことも多くあります。(-_-;)

寺子屋15年目、てらこや新聞10年目の今も、寺子屋7年目、「てらこや新聞」2年目当時と変わらぬ思いを、自分が持っていることに、苦笑しながら読み返した「寺子屋の日々」を今回はご紹介します。

1年の重み

新年度が始まった。皆さんは何か目標を立てただろうか。今回は生徒の学習態度、進路決定や就職活動を 観察して積もってきた思いを書くことにした。1年、心の片隅において、考えながら過ごしてもらえたら嬉しい。
私はいつも夢を持ち、長期的目標を頭の中で描き、短期的目標を1つずつ、つぶしながら過ごしてきた。その時々に挫折や計画変更、そして、思いがけない選択肢が目の前に現れることもあったけれど、それなりに夢に近づいてきている。そんな私は、今の子どもたち、若者を見ていて不満で、不安に思うことが多い。長期的視野に欠け、人生が一度きりで自分自身のものであることを知らない・・・わかっていない子どもたち、若者が多すぎる。今、多くの大人がそうで、彼らにそれを示せていないのが原因なのだろうが・・・。

私は、高校で1年留年している。また、大学院進学前に1年三重大学で講義を受けながら、奨学金申請や入学手続きをしたため、1年浪人している。その期間は、それぞれそのとき必要で、後悔はない。しかし、「たかが 2年、されど2年」。1年の重みをしっかりと 感じさせてもらった。

高校留学時、帰国後「留年」するか「進級」するかの選択肢を前に大いに迷った。1学年下でうまくやっていけるのかという不安、大学に早く行きたい気持ち、そして、人より遅れるイメージなどと留学の意義との間で大きな葛藤があった。しかし、出発前に「留年」を 決め、その1年を無駄には過ごせないと心に決めて出発した。

「機会費用」ということばをご存知だろうか。経済用語で、「ある生産要素を特定の用途に利用する場合に、それを別の用途に利用したならば得られたであろう利益の最大金額を指し、実際の生産額の費用とする概念。(小学館・大辞泉より)」である。つまり、私の高校留学なら、私の1年間を特定の用途(アメリカ留学)に利用し、 そこで知識や経験を得ると考えるとき・・・それにかかる費用は、留学の実費に加えて、別の用途 (日本で過ごす)で得られるであろう知識と経験も入ると考えるのだ。安いか高いか、有意義か無意味かは、その対価全体を考えて判断することになる。だから、留年すると決めた地点で、私は、より有意義な留学生活を送らなければ、私の1年も親の負担も高価で無意味になってしまうということだった。

その「機会費用」で考えると、「塾」に来る生徒たちの多くの態度だけを見ても、私の頭の中には「?」が浮かんでくる。「塾」に来るには、私の留学の例よりもっと単純明快で身近な対価(授業料)が付いてくる。しかも、その上に本来自分が自由に使えるはずの時間を費やしてきているのだから、授業料以上の対価をみな払っていると いうことになる。―「ドラえもん」が見られない・・・とぼやく生徒がいるが・・・まさに、「ドラえもん」で得られる楽しみも対価の1つに入るだろう。そうなると、その対価に見合うだけの知識や能力を身につけようという意気込みがほしい。果たして、その意気込みをもたせるのは、私たち、塾講師の役割だろうか。

もちろん、勉強の仕方、楽しさに加え、塾に来る意義を示し、日々努力するのが私たちの仕事である。しかし、「高い」、「宿題が多い」、「時間がない」と文句を言い続ける子どもたちの面倒を見ることは、私たちの仕事リストには入っていない。「塾」は学校と違い、通うか通わないかは任意の選択であり、「高い」と思えば、安いと感じられるところに行けば良いのだし、時間がなくて宿題もできない、もしくは毎授業眠いのであれば、来なくていい。ドラえもんが大切なら、ドラえもんを見ていれば良いと私は思うが間違っているだろうか。塾に来る生徒は、「来る」という選択をした時点で、宿題をする時間があるはずで、また、毎回眠い子は、睡眠時間を確保する努力を先にした方がいいだろう。

自ら塾を経営し、講師をしながら横柄な言い草だとお叱りを受けるかもしれない。しかし、「Time is money(時は金なり).」というように、本当に時間は貴重なのである。そして、自分の時間が貴重なら、人の時間も貴重であることがわかると思う。そう考える人が少ない中で「教育」に取り組むことがどんなに 大変なことかをこの6年間で思い知ったから、敢えて言うことにした。

もちろん、寄り道、道草、ボーっとする時間は必要だ。いつも、忙しなく働いているのも問題だろう。そして、私自身、留年、浪人そして、この仕事につく前に経験した仕事も学歴も全て今に繋がる貴重な時間だったと感じている。問題は、自分が決めた時間に決めたことをすることができるかどうか―何かをするに当たって、それが 自分の選択だと認識し、全力を尽せるかどうかである。

だから、浪人もいい、留年もいい、お金をためるためのフリーターもいいだろう。時には転寝(うたたね)も必要かもしれない。しかし、それは、自分が最善の全力を尽くして出した選択肢だろうか、本当に必要な時間だろうか・・・そして、次に繋がる一歩だろうか・・・じっくり考えて欲しい。1年は、アッという間に過ぎてしまうが、振り返ると・・・大変長い時間であることに気が付く。その1年をどのように過ごしたかは次の5年や10年に大きな影響を与えることにも なるのだ。塾の1時間も同じである。塾に来て1時間勉強したことが、もしくはしなかったことが、次の5時間、10時間、または、10日、5週間、10ヶ月に影響してくることにもなる。

ボヤく前に、今、すべきことをしてほしい。後悔先に立たず。しかし、たいていの場合、後悔は「してしまったこと」よりも「しなかったこと」により多く感じるということを覚えておいて欲しい。無駄に時間を過ごすということ、「しなかったこと」が多く出るということである。

まず、「取捨選択」という言葉を辞書で引いてみたらどうだろう。そして、自分の選択が本当に自分に必要か、また、今しなければいけないことかどうかを考える習慣をつけよう。(第13号 2006年4月 「寺子屋の日々」より)

あれから、8年…この原稿を書いていた当時ほど、肩に力が入ってはいない私ですが…「取捨選択」の意味…自分たちのできる、知っていることには限界があることを知ることの大切さ…年を取ればとるほど、子どもたちと 過ごせば過ごすほど感じる今日この頃です。

(Y.K)
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by terakoya21 | 2014-05-10 11:24 | 寺子屋とともに

寺子屋とともに (てらこや新聞108号 かめいのコーナーより)

~ Society 社会 4 ~

最近読んだ内田樹氏の「『おじさん』的思考」(角川文庫)に学校は本来「『学ぶマナー』を学ぶところ」なのに…というような趣旨のことが書かれていました。本当にそうだと思います。「学ぶマナー」、「学ぶ姿勢」づくりが学校―特に義務教育期間の学校で軽視されているのが、学力低下の原因の1つだと私は思います。そして、子どもが日常的に接する周囲の大人たちの「学ぶ姿勢」の大切さを忘れていると感じることが多くあります。

そして、「祝!!2周年!」という竹川さんの「まえがき」で始まる2007年の2周年特別記念号だというのに、 私はぼやいています…(-_-;)。

マナー違反?礼儀知らず?非常識? それとも、これも学力低下

この季節・・・寺子屋で私には、とても気になる生徒の行動がある。それは・・・花粉症の生徒が、自分用にティッシュを持たずに教室に来ることである。同じように、ひどい風邪をひいている生徒がティッシュを持たずに塾にやってきて、「ティッシュ下さい」と授業中に何度もいうことに私は、憤りさえ覚えることがある。もちろん、急に出てきた鼻水、不意の鼻血、そしてけが、よごれなどのために寺子屋にはティッシュが常備されている。

しかし、花粉症や風邪のように、一定期間続き、ただでさえ勉強の妨げになり、塾に来る前から予想できる自分の症状のために、毎日、毎回、他人のティッシュをあてにする思慮のなさと、神経の図太さに、私は、学力低下を感じずにはいられない。しつこいようだが、学力は、学習する力で、学習は、「環境に適応する態度や行動を身につけること」である。

考えてみてほしい。自分のつらい症状のために必要なものを他人が準備し、自分は忘れているという状況のおかしさを・・・。もし、私がティッシュを買い忘れ、今日は無いと言ったらどうするのか。だから、私は、もちろん、一度もお金をもらったことはないけれど、毎回、毎日のように「ティッシュ下さい」という生徒には、「1枚100円、ふつうティッシュは2枚組だから200円ね。いやなら、自分のティッシュを持ってきて下さい。」と言うことにしている。もちろん、たまに忘れてきたり、持っていたティッシュがなくなってしまったりという生徒には快くティッシュをさし出す。

思い出して欲しい。私たちが小学生だったとき、毎朝、お母さんに「ハンカチとちり紙、持った?」と声をかけられたことを・・・。小学生のとき、遠足や社会見学などの行事の持ち物欄には、「ハンカチ、ちり紙」があったことを・・・。社会生活を始めるにあたって、最初に 身につけ、学習することの1つが、「出かけるときには、ハンカチ、ちり紙をもっていくこと」なのである。それは、誰かが気が利かなくてタオルやティッシュを準備してくれないからではなく、自分のために、人に迷惑をかけないように自分が準備する社会でのマナーだからだ。

最近の公衆トイレには、乾燥機やペーパータオルがあり、そのために、ハンカチを持ち歩く必要がなくなりつつある。もちろん、寺子屋のトイレにはタオルがかかっている。しかし、ハンカチは、汗を拭くときも使う。ちょっとした汚れや濡れにも使う。アメリカなど欧米諸国では、ハンカチで鼻をかみ、洗濯して何度も使う(だから、アメリカではほとんどの公衆トイレにペーパータオルが準備されているのだと思う)。

以前、寺子屋の廊下に冷房が効いていなくて授業時間まで廊下で待っていた高校生が、「こんなに汗をかくなんて考えられない。先生、ハンカチ貸して。」と言ってきたので、タオルを貸したら、汗を拭き、そのまま返されたのに面食らったことがある。そして、その行動はおかしいと指摘したところ、「塾で汗をかくなんて考えられないから、ハンカチなんて持ってこない」と言われてしまった。冷房を効かせていなかった私たちが悪かったのかぁ・・・?!?!と驚きを隠せなかった。

ここまで読んで・・・細かいことをブツブツと言って、「せこい」と 思われた方も多いだろう。もちろん、私は、生徒たちが快適に勉強するために必要なものは、できる限り提供したいと思っている。提供する義務もあるのだろう。しかし、子供たちの将来のためにならないものは、なるべく提供したくないと思っているーそんなものに月々の授業料をいただいてはいない。冷房や暖房を効かせすぎないことも、その1つだけれど、ティッシュもそうである。子供たちが社会で生活していく上で、常識として身につけておかなければいけないことは、嫌われようが、せこく見えようが言い続けたい。ハンカチもティッシュも持ち歩かなくて、困るのも、みっともないのも生徒自身である。だいたい、花粉症で絶え間なく、鼻水がたれるのに、通塾中はどう対処しているのか・・・不思議でしょうがない。そして、学校には持っていっているものを、塾には持ってこないのか?

とにかく、子供たちには、「ハンカチもティッシュも持ち歩け!それがマナーだ」と言いたい。そして、保護者の皆さんには、「持ち歩かせて下さい。それが、マナーだと教えて下さい。」と是非お願いしたいと思う。(2007年3月 「寺子屋の日々」より)

最近は、「ティッシュ」について気になることは少ないのですが、「筆記用具」など勉強に直接影響のあるものを忘れてくる生徒、また、宿題を「半分してきました」「していないので、家に置いてきました」と堂々と報告する生徒などがいます。肘をつき、横を向き、立ち歩きながら授業を受けることをおかしいと思わない子どもたち―学校で学ぶことは、「知識」ではなく「知性」の方が大切なのです。そして、学校という場所は、子どもたちが社会的自立のための準備をするところだということを、忘れないでほしいと心から望みます。

9周年記念号によせて、敢えて、皆さんにあらためて考えていただくことをお願いしたいと思います。

(Y.K)
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by terakoya21 | 2014-04-16 13:45 | 寺子屋とともに

寺子屋とともに (てらこや新聞107号 かめいのコーナーより)

~ Philosophy 哲学 7 ~

みなさんは、どんなとき、季節の移り変わりと時の流れを感じますか。この仕事をしていると学校行事と子どもたちの肌の色で季節の移り変わりを、彼らの成長で歳月の流れを感じます。そして春は、別れの季節です。今年も、何人かの生徒が寺子屋を巣立っていきますが・・彼らと在塾生たちの新年度に向けて、贈る言葉として、3月号にエッセーを書くことが多くあります。今回は2月号ですが、来月号の9周年号を前に、振り返って「てらこや新聞」発行1周年号での「贈る言葉」をご紹介しようと思います。

卒業

私は、皆さんに、いつも「夢」とそれに向けての「目標」を持ってほしい。そして、周囲の者はそれをしっかりと 批評してほしい。良い点も悪い点も指摘してほしい。「目標」とは、「そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの」、「行動を進めるにあたって、実現、達成をめざす水準」(小学館・大辞泉より)である。大きな目標でなくていいから、実現、達成を目指す水準を決め、そこに行き着くように目印を作って、それを追ってほしい。夢実現のために目標は必要である。

兄姉を追いかけながら育ってきた私は、つい最近まで、「目標を立てる」ということは誰にでも自然にできる、いや、誰でも自然にしていることだと信じていた。でも、ふと見回せば、そうでもないらしいことに気が付いた。そして、目標と夢を混同している人が多いようだ。夢は、目標を立てながら実現させていくもので、夢と目標は 最終的に同じとなりうるが、実際は目標を1つずつ達成することで夢は実現するのである。

「夢」には、「睡眠中にあたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像」「将来実現させたいと思っている事柄」、「現実からはなれた空想や楽しい考え」、「心の迷い」「はかないこと。たよりにならないこと」(小学館、大辞泉より)などの意味がある。

「子どもたちが夢を持てる社会に・・・」などと言うことがあるが、このような場合の「夢」は2番目の意味で使われている。しかし、夢を持つことも大事だが、それを実現させる術(スベ)を持つことがもっと大切なはずである。多くの人が夢を実現させる術を持っていれば、夢を 持てる社会には自然となっていくはずだ。実現させる努力や術がない夢は、「現実からはなれた空想」でしかない。

そこで、「夢や理想は大きく、高く、目標は小さく、堅く」、そして、「夢は口に出せ!」と言いたい。そして、それによって大人から発せられる冷たい言葉には、反論する力を持ってほしい。大人の言葉は時に不理解で、現実的で、いやらしいかもしれない。でも、彼らは彼らなりに現実と戦い、辛酸をなめてきているのだ。そして、何より、どんな大人にも夢見る子ども時代があったのである。だから、彼らの言葉は、目標設定、夢の実現に役に立つはずだ。

私は、母に「保母さんになりたい」と言ったときのことをよく覚えている。「音符よめやんやんか。保母さんになるなら、ピアノ弾けやなあかんよ。」と言われ、即座に、断念。・・・その後の沖縄旅行で乗った飛行機で、フライトアテンダントを見て、「スチュワーデスになりたい」と言うと、やはり母に「乗り物酔いひどいのに、人の世話なんかできるわけがない。」と言われてしまった。もちろん、その一言で私の夢は木っ端微塵。私は、いまだに、♪を見ると頭が痛くなり、飛行機に乗ると気分が悪くなる。これを克服する術も知らなければ、克服しようという努力もしてこなかった。

しかし、物心ついたときから憧れ続けた父の後を継ぎ、塾を開くこと・・・そのための努力は人一倍してきたつもりである。また、進学、進路への両親の助言には、やはり耳を傾けてきた。そして、同じように、彼らの反対や苦言にも自分なりに対抗し、反論し、道を開く努力をしてきたと思う。

実現させたい夢のためなら、人はいろいろな努力や我慢をすることができる。他人にちょっと批判されたり、否定されたぐらいであきらめてしまう夢は、最初からはかない心の迷いでしかない。本当に実現させたいと思う夢は、どんなに大変でも、成し遂げる意気込みを持ち、達成させるものなのだ。

大学院進学を決めたとき、「お金のかかる娘やろ?」と母に言ったら、うなずいていた。そして、「保母さんを目指せば短大で、スチュワーデスなら専門学校でよかったのに、お母さんが、夢を砕いたのがそもそもの原因だからね。」と続けたら、笑っていた。すでに私は、母が私の幼い夢に対して発した言葉が、私自身、本当にしたいならまず何をすべきかを考えるために示された言葉であり、私は、本気で保母さんにも、スチュワーデスにもなるつもりはなかったことに気付いていた。

よく「~したいけど、無理やよなぁ~?」という質問をされる。私は「無理やな。」と答えることにしている。最初から、自分が無理だと思っていることの出来る人はいないし、私は、そんな人に手を貸すつもりもない。何が何でも「これがしたい」という言う人には出来るだけの援助をしたい。

大学受験のときに、父に「すべりどめを受けるなんて甘えたことを言っているくらいなら、大学など行かなくていい。」と言われた。すでに高校で1年留年していた私には、浪人の選択肢も与えられてはいなかった。18-9歳でそれを言われたとき、なんと非情な親だと思った。しかし、おかげで私が受けた大学は、私立と国立の第一志望+慶応大学だったが・・・それら、すべてに受かり、その経験とその後の体験で、自分の夢の実現は自分次第であることを学んだと思う。

皆さんには、他人になんと言われても貫き通したい夢をさがして欲しい。さがすために、出来る限りの努力をして欲しい。見つかったら、その実現のためには、くじけない強い意志と、精神力を養ってほしい。そして、周囲には、子どもたちを甘やかすのではなく、厳しく、しかし優しくサポートしてほしいと思う。無条件にいろいろなことをさせることが、必ずしもサポートではない。自由に責任が伴うように、夢や自分の幸せは与えられた条件の中実現していくものなのだ。

私の両親も周りの年長者たちも、厳しい人たちが多い。しかし、何かあったら、いつでも頼れるという信頼を 私はいつも持っている。その信頼が私を育てたのだと信じ、私自身、子どもたちにとって信頼される大人でありたいといつも思っている。

だから、卒業する皆さん、そしてまだまだ寺子屋に通っている皆さん・・・、「何かあったら、頼って下さい。でも、甘えないで下さい。そして、自らの生きる道は、自分次第であることをいつも忘れないで下さい。」
(第12号 2006年3月 「寺子屋の日々」より)

私は、子どもたちにはいつも厳しい優しさを持って、「友だち」のような存在ではなく、大人として接していきたいと思っています。それは、私が今まで育ってくる過程において、多くの大人たちがそうあって下さったように…

(Y.K)
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by terakoya21 | 2014-03-20 11:01 | 寺子屋とともに

寺子屋とともに Time with Terakoya (てらこや新聞106号 かめいのコーナーより)

~ Philosophy 哲学 6 ~

年始に、この春からアメリカに1年留学するという卒業生と会いました。そして、話をしている間に、気が付けば…自分の「いつか来た道」に思いを馳せていました。私は、父が英語の先生だったからか、幼い頃から父の英語塾で教えるアメリカ人、イギリス人の講師たちと触れ合う機会を与えられていたからか、はたまた母が変な人だったからか…理由はわからないけれど、自分が「留学する」ということに対して、一般的な学生とは少し違う考えを持って育っていたようです。そんなことを、19号で書いています。

井の中の蛙

黒い夜空、ぼんやりと光る一角に赤地に黄色のMの文字・・・それを夢心地で見ながら、ゆっくりと眠りに落ちた・・・そして、車に揺られながら2時間ほど眠ると、暗闇の中に小さな小屋と4匹の大型犬が現れた。

私のアメリカ生活の始まりだ。

「井の中の蛙大海を知らず」について書いた中学生の作文を読んで思い出した。中学生に「井の中の蛙大海を知らず」・「馬の耳に念仏」・「郷に入っては郷に従え」・「三人寄れば文殊の知恵」・「弘法も筆の誤り」の中から1つ選んで作文を書くという課題を出し、5人中3人が「井の中の蛙…」を選んだ。

同じ課題なら、私も「井の中の蛙・・・」を選ぶ。しかし、私の思考回路は10代のときから作文を書いた中学生たちとは少し違っている。純粋さに欠けていたのかもしれないが・・・人生の転機で、衝撃的なはずの米国生活を16歳で初めて経験したとき、私は、外国社会は日本と違っていて当たり前だと思い込み・・・アメリカと日本の違う点や新しいことに衝撃を受けたり、感動したりすることは少なかった。初めてアメリカの地を踏んだ日も、15時間に及ぶ苦手な飛行機旅行の疲れとホストファミリーに無事会えた安心感で、初めての外国などという感動もなく、私は、ヒューストンから留学先のシュレンバーグまでの車内で2時間眠り続けた。家に着き、1度目覚めはするものの、すぐまた床につき、翌朝ガラス越しの馬の鼻に驚いて起きるまで熟睡した。

一方で、私は、アメリカ人が日本人と、アメリカ社会が日本社会と同じであることを見つけて感動した。自分の英語が通じないことよりも、通じることに衝撃を受けた。

やはり、これも「井の中の蛙」が「大海」を知らなかった例だ。他に違う世界があることまでは理解していた「蛙(わたし)」も、自分の無知と「大海(アメリカ)」の魅力は思った以上に深いことに驚いた。そして・・・視野を広げ、新しい世界を見る 喜びを感じていった・・・。

留学前の私の「アメリカ」は、「青い目の金髪男性を含む親しみやすい人々のいる広がる大地の憧れの国」そして、留学先に決まった「テキサス」は、「サボテンとカウボーイの地」だった。しかし、実際のアメリカ・テキサス州には、親しみやすい人々とカウボーイ、広がる大地はあるけれど、金髪男性などいない、サボテンも車で何時間も走り、メキシコ国境付近まで行かなければ見られなかった。それでも、その地は十分素晴らしかった。何より、そこは留学生を珍しがりながらも、暖かく迎え入れる地域の人々が、平凡な生活を営む古里だった。松阪のように・・・。

また、高校生たちは普段、帽子をかぶり、ガムを噛むことが多かったが、 授業中は必ず脱帽し、ガムを口にしていることなど決してなかった。先生は厳しく、生徒たちは先生に敬意をはらっていた。
他方、「協調性」を強調しすぎ、個人の責任感を養うことの少ない日本の学校に比べて、アメリカの学校は、1人1人が「責任感」を持てば協調性がついてくるという考えの下、運営され、日本でよく批判されていた「個人主義」は、実際住んでみると、とても合理的で魅力的だった。そして、「一緒にいる」「一緒にする」ことを「協調性」と呼び、個人の責任を明確にしないまま、共同作業を推し進める日本のやり方にそれまで自分が持っていた違和感が初めて腑に落ちた。

「井の中の蛙大海を知らず」とは、「自分のせまい知識や見方にとらわれて、他にもっと広い世界があることを知らないこと」だ。人がそれぞれに体験する「大海」は様々だが、共通して言えるのは、世界が広がる・・・ということは時に苦痛を伴うけれど、そこから学ぶことがその苦痛以上に大きいということだ。私の10代でのアメリカ体験は「いろいろなことを知りたい」と・・・私のその後の進路を大きく変えた。「百聞は一見に如かず」というが、外の世界を体験することで学ぶことは概して素晴らしい。―知らなかったことだけではなく、知っていると思っていたことを改めて学び直させてもくれる。

一方、親御さんの立場からは・・・おそらく私の両親もそうだっただろうが・・・子どもが成長し、世界を広げていくことは、喜ばしく誇らしいことだけれど、「心配の種」を増やすことでもある。また、知らなかったことに無邪気に感動したり、驚いたりすることは、それを当たり前だと思い生活をしている人々には、失礼な行動と見えることもある。だから、子どもたちが世界を広げていく上では、いろいろな面から、物事を捉え、考え、様々な人に配慮をすることも忘れないでほしい。そのために、日頃の努力が必要であることを私は彼らに知らせたい。(第19号 2006年10月「寺子屋の日々」より)

「留学する」ということも、「英語を学ぶ」ということと同様に誤解があるのではないかなと感じることが多くあります。外国に行くことは是非奨励したいけれど、若者たちには、その前にしっかり考える姿勢を持ち、大人を説得する努力を精一杯してほしいと思います。「学習」はいつも「思いがけない結果」をもたらすものです。いろいろと考え、様々なことに配慮することに よって、その思いがけない結果は予想以上の良い結果をもたらし、また、少し気を抜いたり、甘えたりという心がその「思いがけない結果」を思わぬ 結果に変えてしまうことがあり、その違いは非常に大きいということを忘れないでほしいと思います。

見守る大人たちは、それをしっかり心に留めて、伝えるべきことは伝える、考えさせることはしっかり考えさせる―そんな心意気を持っていてほしいと思います。―私も経験者としてその心意気を忘れず、若者への助言、援助を続けていきたいと思います。

(Y.K)
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by terakoya21 | 2014-02-03 17:09 | 寺子屋とともに

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