カテゴリ:新聞141-142号( 10 )

Howdy?! (てらこや新聞141-142号 竹川のコーナーより)

~ 一日は一生の縮図 ~

この年末年始は、感染性胃腸炎にペースを乱されまくった我が家でした。

息子の冬休み開始早々、クリスマスの食卓を家族で楽しんだ深夜に息子がおう吐し、感染性胃腸炎になりました。おう吐そのものは 処方のお薬のおかげもあって一日で済み、数日で  元気にはなりましたが、お正月、主人の実家に帰省中に次は主人が感染性胃腸炎にかかり休日診療へ駆け込む…いつもとは趣のかなり異なる年明けとなりました。

主人の体調が回復した後、息子の冬休み最終日には私も胃腸炎になり、下痢とおう吐に苦しめられました。

家族全員が体調を崩す年末年始となり、いつものようなゆったり過ごすお正月ではなく、体調不良で 始まった新たな一年の幕開け。それが暗示するこの一年の行方は一体どんなものなのか…始まりが悪ければ、あとは這い上がるだけと捉えるか、始まりが悪いから、あともあまり芳しくない一年かもと捉えるか…考え方次第で一年に対する気持ちの持ち方もずいぶん異なります。

そんなふうに思っていた矢先に目にとまった言葉がありました。「一日は一生の縮図」という言葉です。一日一日の積み重ねが一生となっていく…その一日一日をどう過ごすのかということが、その人そのものに表れてくるのだろうと思います。

怒ることも泣くことも、そして笑うことも、その一日の中には含まれているはずです。一日を一生だと思って過ごせば、いろいろなことにもっとていねいな気持ちで向き合えるような気もします。

子育てやいろいろなことに悩み、日々の生活に追われ、気付けばあっという間に一日が過ぎていく… そんな毎日を過ごしてはいますが、「一日は一生の縮図」という言葉を少し立ち止まって思い返すときを意識しながら過ごしてみようかと思う今年一年…一日一日を大切に過ごそうと改めて思った言葉   でした。

(K.T.)



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by terakoya21 | 2017-03-11 15:24 | 新聞141-142号

BROADアイ (てらこや新聞141-142号 小野さんのコーナーより)

本当に、そんな言い方してるのか?

みなさん、こんにちは。しばらく登場していなかったので初めての方も多いでしょう。東京のテレビ局で国際ニュースを担当しています。

2016年はイギリスEU離脱、北朝鮮ミサイル、ベルギーやフランスや バングラデシュのテロ、リオ五輪、オバマ広島訪問、トランプ、パククネ、プーチン…重大な国際ニュースが目白押しでした。

国際ニュースが注目されるほどに私たちニュースの制作現場が気を遣うのが、外国語の日本語訳です。外国人の発言には日本語の字幕が出ますね。重要人物の注目発言はテレビ各局が同じ部分を切り取るので、日本語訳に違いが表れます。

ある日、私たちはアメリカ大統領選挙でヒラリークリントンの発言にこんな字幕を出しました。「討論会を見てくれたかしら?残り2回もこの勢いで行くわ!」。するとテレビを見ていたある大学教授から、「女性であることをことさら強調する伝え方に強い違和感を覚えた」と指摘を受けました。でも私たちは、正確であることと同時にその人のパーソナリティーやその場の雰囲気にできるだけあった日本語訳を心がけます。ヒラリーさんがしゃべったその場の雰囲気を見て、私たちはこの訳がピッタリだと思いました。

例えばドナルドトランプが演説で激しい口調で発言した際には「国境に壁を建てる!費用はメキシコに払わせる!」であって「壁を建てたいと思います。費用はメキシコに支払ってもらいます」という優しい表現ではありません。

ただ、黒人の発言だと乱暴な言い方になりがちで、白人だと「です、ます」調になりがち。ウサインボルトだと「俺は」と訳され、マイケルフェルプスだと「僕は」と訳される。これは紋切り型ではないかという指摘もあり、確かにその通りです。

あらためて胸に手を当てると、その人物のパーソナリティーに近づけようとしてやっていることが、視聴者に先入観を与えているとも言えます。国際ニュースを日本の視聴者にわかりやすく伝えようとするあまり、「良者と悪者」、「敵と味方」を押し出しがちです。同じことをオバマ大統領とプーチン大統領が言っても、かたや正義感に満ちて、かたや冷徹に描きがちです。

本当にそんな言い方しているのか?時々テレビを疑ってください。私たちも日々、よくよく考えながらお伝えしてまいります。


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by terakoya21 | 2017-03-10 11:40 | 新聞141-142号

Bonjour!


Learning Calendar


昨秋、寺子屋へカレンダーが届いた。年末の ご挨拶ではなく、出版社にお勤めの方からの贈物だった。四字熟語や難読漢字、日本のことわざや常識が、意味や用例と一緒に紹介されている。


いくらこういった類のものにひかれてしまう私でも、もし一度に何十個、あるいは毎日続けざまに出されればきっと早々にリタイアしてしまうだろう。しかし、二、三日毎ならその間に反復する回数も増え、少しは頭に入れることができるような気がする。


お正月休暇明け、年末の大掃除できれいになった寺子屋のロビーや教室を見まわし、どのカレンダーをどこにかけるかを決めた。1月中旬の今、それぞれのカレンダーに 厚みがあり、自身の存在をアピールしているので、めくり忘れることなく済んでいる。カレンダーの前で立ち止まっている生徒の姿もちらほらと目にするようになった。


大掃除や翌年のことを言い始めるころには、 どのカレンダーもずいぶんと薄くなっているのだろう。カレンダーをめくった枚数と比例するようにとはいかなくても、これをきっかけにして語彙や知識を増やしていきたいと思っている。






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by terakoya21 | 2017-03-06 08:30 | 新聞141-142号

寺子屋からのお知らせ Terakoya's Bulletin Board

“Yesterdayis history, tomorrow is a mystery, today is a gift, that’s why it’s calledpresent.”

「過去は歴史、未来は謎、今日という日は贈り物。だから「今」は「プレゼント」と呼ばれるの」

アメリカの歴史家であるアリス・モース・アールの言葉だそうです。

私の寺子屋かめいを創設時の夢は、コミュニティセンターのような塾を作ることそして、当初から時間が許す限り社会人の講座を開講しています。

それは、子どもたちが楽しそうに学ぶ大人たちを見ることのできる環境は、やはり子どもたちも自ら楽しく学ぶ努力ができる環境だと信じているから です。

わが父は、読書家で、勉強家でした。私はその父の背中を見て育ちました。そして、私は、5人兄妹の末っ子です。少し先の未来をいつも見て、自らの  未来を想像し、謎を解く努力ができる環境にありました。

過去は歴史、未来は謎 ― だけど、謎を解く糸口を歴史は私たちに残し、そして、謎は、いつしか「贈り物」になり、歴史になっていきます。

寺子屋かめいは、未来への小さな希望を少しずつ自分のものにして次へつなげるのが社会の営みだということを子どもたちに知らせる場所でありたいと願います。そのために、今年も社会人クラスを続けていきます。


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現在開講中の2クラス

まず 英語講座 月曜日1850 ~ 2000のクラスは現在センター入試の第六問の長文読解や高校生レベルの英文法に取り組んでいます。

多くの方が、センター入試レベルが難しいと考えておられるようですが、センター入試は高校英語の基礎レベルです☆ 学生時代英語が好きだったけれど、最近まったく触れていなくて、だいぶ忘れているわ(>_<)という方にお勧めのクラスです!

そして、後半の英語基礎クラス 

毎回、日本語と英語の割合は、73くらい・・・月に2回のクラスなので、その間の期間にしたことや起こった出来事を数行の英文にしてもらい、授業の最初に発表してもらいます。またその間に日記が宿題となります(^^

私が、大人の英語講座をし始めて気が付いたことが多くありますが

やはり、英語が難しいのではなく、英語への特別視と日本の文化の問題だなと、ここでも感じます。


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 外国語を学ぶことには二面性があると言われます。英語ばかりを見るのではなく、英語と日本語を照らし合わせて、違うことが当たり前であること、そして、不思議にも共通点があることを楽しむ―ことが外国語上達の秘訣です。また、その違いは、どちらも正しいものであることを忘れないでほしい・・・と願っています。

英語で「現在」のことをpresentといいます。そのために、最初に書いた名言が存在します。

英語も日本語と同様、人が使う言葉です。

その言葉を使う人々の文化へも思いを馳せてみませんか。(Y.K)



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by terakoya21 | 2017-03-05 08:30 | 新聞141-142号

Bonjour! (てらこや新聞141-142号 谷のコーナーより)

二代目

昨年、車を買い替えた。つまり、それまで乗っていた車を手放した。前の車は、あと3か月ほど経てば7年目を終えていた。初めて「マイカー」と呼ぶことのできる車だったが、3度目の車検まで半年を切り、自分の生活パターンと運転技術、そして今後の維持費を見直したことをきっかけに買い替えることに決めた。

初めて車を買った時の決め手ははっきり覚えていないけれど、ライフスタイルの変化とともに、当時とは優先順位が異なっているに違いない。この7年の間に、豊富とはいえないながら、運転経験や車についての知識は増えている。ただ車に乗っている姿をぼんやりと思い描いていた前回とは異なり、今回は生活のどんな場面でどんな風に使えるほうがいいのかなど具体的に考えられるようになっていた。


 とはいえ、候補を絞り込んでからも、あれやこれやと考え出せばキリがなかった。そうとわかりつつも、カタログ片手にあれこれと天秤にかけ続ける日が続いた。しかし、いざ購入車を決めてからはとんとん拍子で手続きが済み、マイカーとのお別れの日は予想以上に早く訪れた。

 そして今、一回りは小さくなった二代目のマイカーの座り心地がようやく体に馴染んできたところだ。何だかんだと気をもんだけれど、住めば都、いや、乗れば愛車だと思っている。


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by terakoya21 | 2017-02-25 11:44 | 新聞141-142号

中国案内 (てらこや新聞141-142号 吉田さんのコーナーより)


世の中には、教科書の内容を丸ごと覚えてしまう人や、一度見たものは忘れないという様な、私には天才としか思えない人がいるようだ。


その様な人たちの能力は、生まれもった才能なのか、努力して得た能力なのかどうかは分からないけれど、いずれにせよごくごく一般人の私はすごいなぁと思ってしまう。しかし、一般人でも、人が思っている以上に脳の機能はすばらしいという様なことも聞いたことがある。


年始に何気なくテレビを見ていた。それは有名な女優さんが懐かしの場所を訪れるというような内容だった。その場所はその女優さんの20年ほど前によく訪れた場所らしいのだが、はじめは全く当時を思い出せない様子だった。それが、いろいろな場所を巡っていくうちにすこしずつ記憶が蘇りはじめ、最後は芋づる式にどんどんと思い出した様子だった。


忘れていたと思っていても脳はちゃんと記憶しているのだなあと思った。


どうせ覚えても忘れてしまう…と諦めてしまわずに脳の能力に期待して今年も一語でも多く単語を覚えたいと思う。



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by terakoya21 | 2017-02-24 13:23 | 新聞141-142号

I Love Books! (てらこや新聞141-142号 竹川のコーナーより)

BOOK79原田マハ
「デトロイト美術館の奇跡」
(新潮社)

今回は何度かご紹介したことのある原田マハさんの、アートを中心とした小説です。

ゴッホやセザンヌ、マティスなど素晴らしい芸術家の作品を収蔵するアメリカのデトロイト美術館が、デトロイト市の財政難から存続の危機にさらされます。市民の暮らしを守るための資金を得るため、美術館収蔵の珠玉の作品群を売却しようとする計画が実際にあったそうです。市民の暮らしを守るか、前時代の遺物を守るか…全米を巻き込む論争は、ある男性の思いによって変わっていきます。実話をもとにした物語になっています。

挿絵のページも含めて100ページほどの本で、あっという間に読み終わりましたが、淡々と進むお話を読み終えた後は清々しい気持ちになりました。何の変哲もない、ごくごく普通の人の生活の中に美術館が寄り添い、「アートはともだち」と思える美術館との距離感が、私にはとても羨ましく思えました。

あっさり読み終わるけれど、じーんとあたたかな気持ちを読後には残してくれる…そんな一冊です。

(K.T.)


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by terakoya21 | 2017-02-23 08:30 | 新聞141-142号

寺子屋の日々~Days in Terakoya~ (てらこや新聞141-142号 亀井のコーナーより)

~ The real voyage of discovery…?~

~ 真の発見は…? ~

“The real voyage of discovery consists notin seeking new landscape, but in having new eyes.”
 (本当の発見は、新しいものをさがすことにあるのではなく、新しい視点を持つことの中にある)(マルセル・プルースト)

このところ、テレビでニュースを見なくなった。まったく見ないわけではないけれど、世の中の理論や理屈を聞いていると、希望を失いそうになるからである。

人の話を聞いて、「へぇ~」と感心した後、「果たして本当にそうだろうか」と考える姿勢を私はいつも持っていたいと思う。私は、大概、心を揺さぶる意見に出くわすと一晩以上考える。

でもさ、、

やっぱりさ、、

だからさ、、、

なんて自問自答をして、結局、人の言っていた説に納得することもあれば、そうでないこともある。

世の中、いろいろな人がいて、いろいろな意見がある―そして、「正しさ」も何を基準にするかによって違ってくる。

アメリカに住んでいたころ、アラブ系の友人が多かった私は、約束の時間に現れない友人にいつの間にか慣れていた。―だからと言って、自分が遅刻することはあまりなく、今でも5分前行動を心がけている―最初はもちろんびっくりしたけれど、4時間でも待たされたときのために、待ち合わせ場所を工夫したり、時間のないときは先に伝えておいたりして・・・。

そして、私は、世の中にはいろいろな人がいる、そしていろいろな意見がある―というセリフは、寛容な心を持った人々の言葉だと思っていた。

けれど、しばらくすると、その言葉―不寛容な人々から発せられることが多いのに気が付いた。 人の意見を受け入れず、自分の意見を通すための言葉になっているのではないだろうか。

このところ、いろいろなところで様々な人の言葉を聞くたびに、生徒たちには「正しさ」より「優しさ」を優先できる大人になってほしいと思う。

「優しさ」は多くの場合「正しい」方向へ人を導くけれど、「正しさ」は多くの場合「優しさ」へとはつながっていかないことを忘れない1年にしたいと思っている。

Y.K
*てらこや新聞 141-142号は2017年1月20日に発行されました。


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by terakoya21 | 2017-02-16 13:36 | 新聞141-142号

旅日記(てらこや新聞141-142号 海住さんのコーナーより)

番外 新春編

東京と江戸のあいだ。そして、熊野と伊勢も。

1980年代のバブルの時代を20代で過ごしたわたしたちの世代でも、お正月だけは日本で過ごしたいという人が意外と多かった。

12月25日のクリスマスを境目に、街の音楽、風景ともクリスマス狂想曲からがらりと歳末景色に一転。その喧噪は「ゴーン」という鐘とともに琴の響きとなり、  「迎春」の赤い文字に彩られた紙がお店のシャッターに貼られ街は静まり返る。このドラマチックな変化を味わい、家族、親せき同士過ごすなごみの時間が、昭和の日本のお正月だった。

昭和が終わったか、平成が始まったかのころのある正月、30歳への足音がどん  どんと近づいてくるのを打ち消そうとする気持ちの現れからか、母校の活躍に青春の幻影が見たくなって、東京の国立競技場で行われた大学ラグビー準決勝(1月2日)と、箱根駅伝(1月2日~3日)をダブルで見る贅沢な2日間を東京で過ごした。

そのときしみじみとしたのは、都内のホテルの部屋の窓から見る繁華街の様子が元日から正月3日にかけて明らかに変化していくことに対してだった。当時は東京でも、元日には人の気配がなくなり、灯りのついている店はほとんどなかった。それが2日になると少し灯りが増え、3日にはかなり平常に戻っていくさまをホテルの窓から感じとったのだった。それは、東京の年末年始という「非日常」から日常へと戻っていくさまである。


 現在は、東京に限らず、全国どこでも24時間、365日間オープンのコンビニが増え、日常と非日常の境が無くなっている。昭和の時代はもちろん、平成に入ってからも1990年代初めまでは、日常と、非日常の正月の間の区別は残っていたような気がする。わたしは、そのような「非日常」のあった東京が好きだった。

その年は、新年は松阪で迎え、真っ暗になった元日の夜に東京に着き、2日の朝、国立競技場に近い国電(現在のJR)の信濃町駅で友人らと待ち合わせ、大学ラグビーを観戦。試合終了後は表参道を原宿駅に向かったが、正月ばかりは原宿が大人のヨーロピアンな街に見えるシックな佇まいで、とても気持ちがよかった。初めて原宿を魅力ある街に感じた。3日は浅草の浅草寺に初もうでに出掛け、天どんを食べた。浅草のにぎやかな喧噪が街に華やぎをもたらせていて、江戸情緒を味わうことができた。浅草のにぎわいに心が開放されていく。

浅草から東京方面に向かう、がらがらの地下鉄の車中で新年のたっぷりの日差しを浴びながらゆったりとスポーツ新聞を広げたオッちゃんたち2人が、大きな声でちゃきちゃきの江戸っ子言葉を話している。ふだんは標準語族にかき消され、ここまで純粋な江戸族は東京でもめったに見られないよなあ、と、とても新鮮だった。2人が「もうすぐ(駅伝は)ゴールだねえ」と話しているのを聞いて、「そうだ、今なら間に合う。フィニッシュを見に行こう」と大手町で降りて、ゴールの読売新聞社前にラッシュした。ゴール付近には参加各大学の応援部が繰り出し太鼓の音がどんどこと響いている。東京農大応援部員が両手にダイコンを持って踊る農大名物ダイコン踊りがビル街の 谷間でひときわ目を引いていた。そこに集まったみんなは箱根から東京に向かって駆け抜けてくる選手たちを待っている。

わたしは箱根駅伝に、正月2日に東京から箱根の冷たい山に分け入っていく往路に対し、正月3日に箱根から東京に帰る復路は6区から7区、8区、9区と東京都心に近づいてくるにつれ、見てみる者みんなの気分がだんだん明るくなってくる違いを感じる。この場合は聖地たる箱根は「非日常」の世界であるに対し、関係者や全国の駅伝ファンが待つゴール東京はすでに十分な日常性を持って待ち受ける場であるような気がしてならない。暗く冷たい世界に向かってどんどん走っていく山上りから山を駈け下り、ひらけた世界へ快走していく明るい陽の世界としての東京が選手たちを待っている。それがわたしにとっての箱根駅伝だ。もうここ何年かのあいだにすっかり人々に定着した言葉に「元気をもらう」というのがある。箱根から東京に帰ってくる選手たちは襷とともに山の英気を持ち帰ってくる“神男(しんおとこ)”の役割を担っているのかもしれない。

三大駅伝とされる出雲、熱田・伊勢、箱根に共通するのは、代表して詣でてくるという行為だ。平安の昔より、京の都の貴族には熊野(本宮、那智、新宮の三社を中心とする紀伊半島の芯の山々を指します)に詣でるという異界(平安貴族にとって熊野はこの世とはかけ離れたくらい遠いところにある別の世界だった)への旅がはやった。熊野に詣でれば、命が蘇る、もう一度、生をうけるという熊野信仰だ。少々飛躍したが、箱根駅伝には、現代版の熊野への旅のようなところがある(「隠の世界」を代表する熊野に比べ、江戸時代のお伊勢さん参宮は、めっちゃ明るい「陽の世界」を代表しています)。

ほんと、話がどんどん異次元にいってしまいましたが、あのころの東京は、お正月になると広大な都会がしんと静まり返ってしまい、店も閉まっているので一人暮らしにはなんともやりきれなかった。しかし、明治神宮のある表参道や浅草寺のある浅草はほどよいにぎわいとても楽しかったことと、スポーツ新聞のオッちゃんたちの車内でのくつろぎ感と、江戸 言葉が標準語を圧倒していた空気感がとてもよかったというお話でした。


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by terakoya21 | 2017-02-13 08:30 | 新聞141-142号

まえがき (てらこや新聞141-142号 より)

The world is a book… 世界は一冊の書物 ~


Theworld is a book and those who do not travel read only one page.

世界は一冊の書物 そして、旅をしない人は 1ページしかその書物を読んでいない。

アウグスティヌスの言葉だそうです。

外国語を学ぶことには二面性があると言われます。言葉には文化が表れて、 その文化とともに言葉を学ぶとき、振り返って自らの母語と自らの文化に目を向けるようになるからです。

様々な知識、物事の理についても同じだと感じます。様々なことを知れば知るほど、理に得心すればするほど、自分が物事を知らず、理解していることなど本当に少ないということを省みることになります。

謙虚な気持ちで物事に臨み、そして、自分の視野や可能性を広げていける新しい年になるよう努力をしたいと思っています。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
Y.K

*てらこや新聞141-142号は、2017年1月20日に発行されました。


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by terakoya21 | 2017-02-12 08:30 | 新聞141-142号

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


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