カテゴリ:アメリカ研修日誌( 46 )

アメリカ研修日誌 (てらこや新聞111号 大学生のコーナーより)

No. 13
クベンカ家2日目

テキサスに行ってからの日々は、あたたかい方々に見守られながら現地の人たちの普通の生活を体験させてもらうという、今から考えるとかなり贅沢なものだった。そんな環境にあって、わざわざ観光地に行く必要も感じられなかったのだが、せっかくならテキサスの名所を見てみたいという気持ちもあり、南部のサンアントニオという町へは観光に行ってみることにした。といってもひとり旅ではなく、これまたみなさんに見守っていただきながらの旅となった。

亀井先生と一緒に過ごしていた頃、行く先々で先生が「彼女がサンアントニオに行きたいみたいなんだけど」と出会う人々に宣伝してくださっていた。すると、ピクニックの会場で出会ったグレッグさんのご友人が 「オレの姉さんがサンアントニオにいるぜ」とぽつり。「それなら彼女に案内してもらえばいいじゃない!」「連絡してみてくれる?」とどこからともなく援護射撃が入り、あれよあれよという間に私のサンアントニオ旅行は、安全な滞在場所と現地ガイド付きというこれ以上ない最高のプランになっていた。

その橋渡し役を引き受けてくださったクベンカ一家に数日間滞在させてもらい、サンアントニオでお世話になるご夫妻に引き継いでいただいて、数日観光してから、再びクベンカ家に帰るということになった。そのような流れの中で、クベンカ一家との生活が始まったのだった。

クベンカ家は、グレッグさんアンジーさんご夫妻と、滞在当時9才のケナちゃん、2才(?)のキーストンくんの4人家族。滞在初日は家に着いた頃にはすでに日も暮れていたので、家の中を案内してもらったり、仕事を終えて帰宅されたグレッグさんにあいさつするなどしているうちに過ぎていった。若い家族、と言ったらいい のか、ヤナチェック家とはまた違った雰囲気の漂うクベンカ家だ。

クベンカ家で迎えた初めての朝。ケナは朝から 張り切って私の身の回りの面倒を見てくれ、「これはこうでね、あれはああでね」と昨晩紹介しきれなかったことをあれこれ教えてくれた。朝食はたしか、食べ終わったときに牛乳がピンク色とかになっていたりする、カラフルなシリアルだった。クベンカ家での朝食はそんなカラフルシリアルか、正式名称はわからないが「なんたらポップ」という名前の、栄養補助食品のクリームサンドのようなものだった。キーストンはグレッグさんが仕事前に、Mr.&Mrs.クベンカ(グレッグさんやチャーリーンさんのご両親)のところに預けに行ったらしかった。

この日は、ケナと一緒にアンジーさんの勤務先の学校に連れて行ってもらい、始業式前で生徒のいない校内を見学させてもらったり、アンジーさんの同僚の先生方と交流させてもらったりした。かめい塾でアシスタントをさせてもらっていたこともあり、教育については日頃から興味があった。アメリカの学校には子どもたちがのびのび学ぶ自由なイメージがあるけれど実際はどんなところなのだろうと、思わぬところで叶うこととなった現地の学校見学にわくわくした。

アメリカでは職員室というものはないようで、それぞれの先生の部屋があって、生徒たちは例えば次の授業が理科なら理科の先生の部屋へ、国語なら国語の先生の部屋へ、教科書や筆記用具を持って移動する。国語(英語)のアンジーさんの部屋から始まり、理科、算数、社会の先生方の部屋、体育館、図書室などを見学させてもらった。先生方の教室はどこも、教科やそれぞれの先生の個性が溢れていた。大学を出て2年目の新米国語教師の部屋は、全体的にかわいらしい装飾の中に、「どうしたら子どもたちが楽しんで学んでくれるかな」という彼女の試行錯誤や工夫が感じられる。理科の先生の部屋は、壁には宇宙やアインシュタインのポスターが貼られ、棚には石や実験道具などがずらっと並んでいるがすっきりした印象。社会の先生の部屋は、窓辺に恐竜の骨のミニチュアが並び、壁には合衆国やテキサスの地図とともにテキサスの英雄たちの人物画が飾られている。その英雄たちが活躍した舞台が、私が後日行くことになっているサンアントニオだ。

算数の先生の部屋はまるでジャングルだった。ケナがこの算数の先生と仲良しらしく、アンジーさんの部屋の隣ということもあってこの日の内に何度かお邪魔させていただいた。天井に作り物の蔓の絡まった枝や草が誕生日会のモールのように張りめぐらされていて、ところどころに ヘビやサルなどさまざまな生き物のぬいぐるみがぶら下がっている。ここが算数を勉強する部屋なのか?そもそも学校なのか?誰かの誕生日会か、はたまたテーマパークかというようなにぎやかさだ。こんなところで勉強できたら楽しいだろうな、少なくとも教室に行く気にはなるなと 日本で教育を受けてきた私は思った。

昼食は職員のみなさんと、食堂でランチをいただいた。授業は始まっていなかったので、もしかしてみなさんの持ち寄りのランチプレートだったのかもしれない。ラザニアやガーリックトーストをいただいた。私はお腹がいっぱいでいただけなかったのだが、ピーカンパイも  並んでいた。アンジーさんと先生方はリラックスした雰囲気でおしゃべりしている。私を気遣ってかいつものことなのか、アンジーさんは家族や親せきの話をよくしていて、先生方もアンジーさんの話の中に出てくる名前を聞いて、その人がどんな人か、アンジーさんとの関係性などがわかっているようだった。世間話の中に大人達の本音が聞こえてきたりして、職員室で先生同士の話をしているところに居合わせてしまった生徒のような気分だった。

昼食後はアンジーさんの部屋で新学期の準備の簡単な手伝いをしたり、算数の陽気な先生の部屋へケナと一緒に遊びに行ったりした。アンジーさんは国語の先生らしく、日本人がひらがな・漢字・カタカナと三種類の文字を使い分けていることに興味を持った様子だった。「子どもたちに見せるから書いてくれない?」と紙を渡され、ひらがなとカタカナをそれぞれあいうえお順に並べた簡単な表を書いた。

この学校には後日、サンアントニオから帰ってから再び訪れ、アンジーさんのクラスを担当させてもらうことになった。アンジーさんには早くから「ぜひ子どもたちに日本のことを話してあげて!」と頼まれていて、不安はあったが「こんな機会はそうそうあるもんじゃない」と、思いきってやらせてもらうことにした。「ここで私に何ができるんだろう」。帰りの車の中でぼんやりと考えていた。

次回へつづく

(H.F)
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by terakoya21 | 2014-07-06 10:38 | アメリカ研修日誌

アメリカ研修日誌 (てらこや新聞108号 大学生のコーナーより)

No. 12

クベンカ家1日目

新しい滞在先の奥さん、アンジーさんと娘のケナちゃんがMr.&Mrs.クベンカのお宅にやってきたのは、予定時刻を少し過ぎてからだった。ここに来る前に、飼い犬に生まれた子犬のもらい手と会う約束をしていて、彼らがなかなか現れなかったかららしい。わたしはその間、キーストンの後をついて回ったり、部屋のあちこちにある家族写真を見せてもらいながらご夫妻と軽く話をして待っていた。窓の外が暗くなり始め、Mrs.クベンカの口から「遅いわねぇ」という言葉が漏れだした頃、親子はやってきた。アンジーさんはチャーリーンさんの弟グレッグさんの結婚相手で、ケナとキーストンは ヤナチェック姉弟のいとこにあたる。これまでも何度か顔を合わせていて、教会のピクニックの際に「うちにもぜひ来て」とアンジーさんに言ってもらっていた。その後チャーリーンさんが連絡を取り合って日程の調整を行ってくれ、この日から数日間、グレッグさんアンジーさんのところ(クベンカ一家)にお世話になることになったようだった。Mr.&Mrs.クベンカのお宅で一緒に夕食をいただいてから、アンジーさんの運転で新しい滞在先であるクベンカ一家へと 向かった。

移動中の車内では、ケナとアンジーさんから交互に質問を受けた。時々「ケナはちょっと静かにしてなさい。今はお母さんが話してるの」とアンジーさんがケナに注意する場面があって、二人が競うように私に質問したり話したりしてくれるのが、少し笑えてとてもうれしかった。ケナとは面識があるという程度の関わりしかそれまでなかったのだが、再会するとなぜかとても懐いてくれていて、「ケナはヒロコが来てくれるのをとても楽しみにしてたのよ」というアンジーさんの言葉に、少し照れたように頬をテラテラさせて笑った。その後も、実際に彼女が私のステイを喜んでくれていることが彼女の振る舞いや表情からはっきりと伝わってきて、私限定で向けられるたくさんの好意に少し恐縮しながらも、やっぱりうれしい気持ちで彼女との時間を過ごした。

アンジーさんは、テキサス滞在中に出会った中では一番体の大きな女性だった。日本人女性にはめったにいないだろうサイズ感というか。といってもアメリカでは町で普通に見かけるくらいの体型で、通りすがっただけの人ならもっと体の大きな方もたくさん見かけた。(考察:私は日本だとぽっちゃりというか、太っているというラベル付けがされる体型なのだが、あそこではそれが気にならなくなってしまうというか、また違ったものさしの社会に入り込んでいるという感覚だった。ただ、アメリカの映画やドラマを見ていると、主に中国系だが登場してくるアジア人女性はスレンダーな、the・アジアンビューティーという場合が多い。ぽっちゃり系の私は、欧米の方のアジア人女性のイメージを壊す存在だったのかもしれない。テキサスで出会った男性のみなさん、日本人の女の子が来ると聞いてthe・アジアンビューティーを想像していた方がいらっしゃったら、申し訳なかったです(笑))アンジーさんはよく話しよく笑うエネルギッシュな方で、私にも気さくに話しかけてくださった。小学校の先生をしているらしい。質問される内容から、これまで出会った人たちとは違った意味でというか、より積極的に私や日本に興味を持って 接してくださるように感じていたが、それを聞いて納得した。教育従事者であれば外国や異文化にも理解や関心がある人は多いだろうし、生徒たちに異文化教育の小ネタとして私とのやりとりを話そうと考えているのかもしれなかった。

アンジーさんからの私自身や日本についての質問に、拙い英語でなんとか答えてみる。ヤナチェック家での滞在の様子から始まり信仰についてなど、これまでとはまた違った内容の話になった。ヤナチェック家では、生活する上で必要なことかご主人の関心のある農業についてしかほとんど聞かれたことはなかった。私がもう少し流暢に英語を話せたらもっといろいろな質問をしてくれたのだろうが、専ら彼らのやりとりを聞いて過ごしていた。だからといって彼らが私を無視していたわけではなく、そこにいる私をちゃんと意識して会話をしてくれていたことは、これまでのレポートから分かっていただけていると思う。ヤナチェック家のみなさんはそこで生活している人たちの目線から、アンジーさんはもう少し広い視野からの質問をしてくださったといえるかもしれない。決して満足な返答ができたわけではないが、アンジーさんからの質問に答えるのは楽しかった。内容が私にとって比較的話しやすいものであったことと、その内容に関する彼女自身の話も聞けたからだと思う。

アスファルトで舗装されていない道を15分ほど走ったろうか。これまた 長いdrivewayの先に、クベンカ家らしき建物が見えてきた。家の傍には 銀色のキャンピングカーが止まっている。ケナがドアの開け閉めをしてくれ車から降りると、子犬たちがやってきた。ケナが一匹抱き上げて、ふわふわと愛らしい姿を近くで見せてくれる。私は彼らをなで回したい気持ちをひとまず抑え、ケナの腕の中の子犬の頭をひとなでするだけにして、自分の荷物を家に運び込むことにした。トランクから重たいスーツケースを下ろすと、ケナが「わたしが運ぶ!」と言って持っていこうとする。彼女のかわいさに負け、持ち手をもって引っ張れそうなところまで運んでもらうことにした。クベンカ家は地面から少し高いところに玄関があり、踊り場があるような 階段を上らなくてはならない。その階段を、スーツケースを持って上ろうとする彼女に「ここまで手伝ってくれてありがとう」と声をかけ、荷物を受け取った。彼女は先回りしてドアを開けて待っていてくれる。そうやって、小さなお姉さんに世話を焼いてもらいながらの、クベンカ一家との数日間が始まった。

(H.F)
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by terakoya21 | 2014-04-23 16:14 | アメリカ研修日誌

アメリカ研修日誌(てらこや新聞107号 大学生のコーナーより)

No.11

Part 1 ←こちらから

私はといえば、彼らのところを転々としていた。シャーロットとMrs.クベンカ、チャーリーンさんの女性チームの作業場では「私の祖母も裁縫が得意なんです」と話して彼女たちの会話に交ざってみたり、庭では男の子たちと一緒になって遊んだり、彼らのあとをついて回ったりした。そんな私が少し緊張しながら最終的に行きついたのは、Mr.クベンカのところだった。

リビングを出てすぐのところ(ベランダ?バルコニー?)にあるベンチにMr.クベンカは座っていらっしゃった。「おひとりの時間を邪魔したら悪いかなぁ」「何を話したらいいんだろう」などとあれこれ思ったが、お話してみたい気持ちが勝って、気づいたら隣に腰をおろしていた。いや、違った。そうやって考えて意を決していざリビングから外に出てみると、そこに流れている空気がなんとも穏やかで、すぅっとそこに座ってしまったのだった。ピクニックの回で述べたように、Mr.クベンカはかっこよくて素敵な方だ。だが、私がテキサスに来てから出会った人々の陽気さと比べると、彼には少し 近寄り難い雰囲気があるように思えた。

Mr. クベンカは体を悪くされてからすっかり自信をなくしてしまわれたようだった。 その自信のなさからまた生じてくる様々な思いが、おそらく表情や体に染みだすようになっていて、それらが彼を少し近づき難い雰囲気にしているのかもしれなかった。何と言って声をかけたのか、どうやって話を切り出したのか、何を話したのかあまり覚えていないが、「年齢を重ねることは大変だ」というようなことを話してくださったような気がする。「私の祖母も70代に入ってから、いろいろとしんどそうです」と答えた。

なにか「人生について」みたいな深いお言葉がお話の中にあったような気がするのだが、実際はどうだったかわからない。ただ、Mr.クベンカの隣に座っている間、気持ちは穏やかだった。心が凪いでいるとでもいうようなその感じは、今でも思い出せる。少し寂しい気持ちもそこにあって、切なくなったことも。(だったら凪いでいるとは言わないか…)コーン畑ではなくて、麦畑とかすすき畑にいるような、そこに時折風が吹くような、そんな感じだった。

そんなセンチメンタルな気分も昼食後にはどこへやら。バーベキューの豪快さに吹き飛んでしまっていた。そして日が暮れ始める頃には、私はヤナチェック家からいなくなっていた。

クベンカご夫妻がどうしてこの日ヤナチェック家に現れたのか。そうそれは、私が次にお世話になるお宅の奥さんが帰ってくるまで、彼らが私の一時預かり 先になることを引き受けてくださったからだった。次にお世話になるお宅はヤナチェック家のある場所から少し離れていて、クベンカご夫妻のお宅はその新しい滞在先に近いところにある。お仕事を終えた奥さんが私を迎えに来てもらうのに、そちらのほうが都合がよいということだったのだろう。

実はこの日の朝、朝食も食べてからだったと思うが、チャーリーンさんに「ヒロコ、あなた今日アンジーのところに行ってもらうことになったから。準備しといてね」と言われた私は、急いで荷物をまとめてそわそわと彼らの到着を待っていたのだった。

ということで、詳しいことは、また次回。

(訳がわからなかったらごめんなさい。私もこのときそんな感じだったので、ある意味リアルです(笑;))
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by terakoya21 | 2014-03-10 08:00 | アメリカ研修日誌

アメリカ研修日誌 (てらこや新聞107号 大学生のコーナーより)

No. 11

前回からのつづき part 1 (part2は明日掲載の予定です)

先生と別れてから一週間くらい経った頃だっただろうか。その日は唐突にやってきた。その日、チャーリーンさんのご両親(Mr.& Mrs.クベンカ)がキーストンという2歳くらいの男の子(ヤナチェック姉弟のいとこ)を連れてやってきた。(その他、いとこの女の子たちもいたかもしれない。記憶があいまいになってきている。)クベンカご夫妻にお会いするのは、ピクニックで  ご挨拶して以来だ。キーストンとはピクニックの会場ではもちろん、コーン畑でトラクターに乗ったときや、ダーリーンさんの家にお邪魔したときなど、これまでに何度か顔を合わせている。ただ、彼の周りには常に誰かがいて彼をかわいがっているという状況ができあがっていて、私はそこに積極的に入っていくことはできなかったので、彼とあまり深く関ったことはなかった。そうでなくともまだ幼い彼に、自分が認識してもらえているとは到底思えなかったが。

彼らの登場に姉弟たちは楽しそうだ。シャーロットはこの数日前にみんな(チャーリーンさん、姉弟、私)で近所の手芸(雑貨)店で探し回った金色の布をMrs.クベンカに渡し、バトンクラブで使うフラッグをミシンで仕立ててもらっている。Mrs.クベンカは裁縫がお上手で、ピクニックの晩にお宅にお邪魔した際にも愛用のミシンを拝見させていただいたことがあった。

チャッドとチェイスはキーストンと一緒になって遊んでいる。キーストンをおもちゃのプラスチックカーに乗せて庭を押してかけまわったり、4 wheeler に乗せて敷地内の池に連れていったり、水鉄砲で遊んだり抱っこして歩いたり。チェイスは自分より年下の子が相手だと本当に面倒見のいいお兄さんになる。一日中面倒を 見ていたりすると、さすがに後半は疲れてぶつぶつつぶやき出したりはするが、弟分ができてうれしいのだろうなぁという様子で彼らに接する。小さい子たちを見ているだけでも癒されるが、そんなチェイスにもかわいいなぁと思ってしまう。かっこいいなぁとも思わせられる。チャッドも小さい子たちにとても優しい。13歳の男子中学生が  いとこの2歳児とこんなふうに遊べるかな?と思うほど。ふたりともいい  お兄さんしてるよなぁと感心する。さすがチャーリーンお母さんの息子たちだ。

(ちなみに。ここまで登場が少ないチャッドなので補足させていただくと、普段のチャッドは三人きょうだいの二番目ということや年齢的なこともあってか、少しシャイでいたずらっぽい印象です。前回のプールの話でも、彼の いたずらっぽい笑みを想像していただけるかと思いますが。これは一緒に過ごす時間が増えるにつれて  分かってきたことです。夏休み返上で父親の仕事を手伝う孝行息子のイメージしかほぼなかったチャッドの印象は、日々更新されていきました。うれしいことに、です。中学生の男の子らしいところもちゃんとあるんだなってわかって安心したものです。

一緒に過ごし始めた最初の頃は、「むむ、私を中国人だと思っているな?」という発言や質問もあったのですが(笑)、まぁそれも私に話しかけようとしてくれたからこそのことだったわけで。数日が経つ頃には、私の こともからかってくれるようになっていました。うれしかったなぁ、初めてからかわれたあのときは・・・なーんて いうと、ちょっと変態っぽいですが。コーン畑の車内のあの状況からするとかなりの進歩じゃないですか? あぁーでも、あのときのチャッドはかっこよかったですねぇ(笑)

以上、チャッドの一口メモでした。パチパチパチパチー。ということで、 さぁさぁみなさん、先ほどのヤナチェック家に頭を戻してくださいよ~。 準備ができた方から、次の段落へどうぞ。)

つづく
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by terakoya21 | 2014-03-09 12:18 | アメリカ研修日誌

アメリカ研修日誌 (てらこや新聞106号 大学生のコーナーより)

2012年8月9日から9月10日まで、寺子屋アシスタントの大学生がアメリカ研修に行きました。

No. 10

8日目以降

ピクニックから数日後、先生がヤナチェック家を離れる日がやってきた。セシルさんが迎えにやってくると、私は自分でも予想していなかったくらいに動揺してしまい、先生を心配させてしまった。先生はヤナチェック家のみなさんに、「彼女を頼みますね」と言ってくださり、彼らは「任せて」と言ってくれた。何気ないそのやり取りがとてもうれしくて、でも先生と離れるのだということの実感が沸いて、うれしいのと不安なので涙が出そうになった。最後の方には、不安のせいで流れてしまいそうな涙をこらえるのに必死だった。恥ずかしいことに。

先生と別れてから、ご家族はひとりになった私を気遣って、いろいろと声をかけてくれた。だが、答えられない。それまでの一週間に自分に対して向けられていたものとは違う質の言葉が向けられるようになっていた。それまでは、必要最低限のこと、例えば「これ食べる?」とか「どっちがいい?」というような種類のことだけで、私はもっぱら彼らの会話を聞いているだけだった。だが、この日から私に向けて質問されたり説明されたりするようになった。「日本ではどうなの?」とか「これは こうするんだよ、やってみな。」というように。
ご主人のクリスさんも私に特別気を遣ってくださっていた。仕事から帰ってきておつかれだろうに、「日本 からのお嬢さん」と声をかけてくれ、いろいろと質問してくれた。だが、何一つ満足に答えられなかった。大学までの通学手段を聞かれ、電車だと答えると、「電車は時速何マイルくらいで走るんだ?」と聞かれたり、農業をやってらっしゃるから農業がらみの質問も多く、日本の農業従事者数や穀物の生産量など日本語でも答えに窮してしまう質問が飛んできた。

今考えると、あの質問はちょっと難しすぎたよなぁと思うが、そのときは答えられないことに申し訳なさを感じた。それまで私自身に関する質問を向けられることはあまりなかったため、せっかく興味を持って質問してくれているのに、と。みなさんの好意が伝わってくる分、それに応えられない自分が申し訳なくてしょうがなかった。

その晩、いつもより早めに寝る準備を済ませ、テレビを見ながら一家団欒中のご家族に「おやすみなさい」とあいさつをして部屋に戻った。話したいことはたくさんあるのに、言葉にならないもどかしさ、悔しさ、優しくしてくれるご一家に対する感謝と申し訳なさ。そんなものが押し寄せて、ベッドの上で 転がったりバタバタしたりした。悔しくて悔しくて、涙が出た。

次の日、クリスさんは私に「ホームシックかい?大丈夫?」と声をかけてくれた。前の晩に早く部屋に戻ったことで心配させてしまったようだった。私は昨日の自分を説明した。ホームシックではなくて、話せないことに苛立っているのだと。彼らは少し困ったように笑った。そんなことは気にしないでいいと言ってくれた。

先生と別れてからのヤナチェック家の日々は、穏やかに過ぎていった。コーン畑の収穫作業が一段落したこともあって、家族にも少しゆとりができてきた頃だった。朝起きるとクリスさんはすでに仕事に出ていることが多かったが、チャッドとは一緒に朝ご飯を食べるようになった。チャーリーンさんも朝早くから家のことで いろいろと動いてみえたので、朝ご飯はいつもヤナチェック姉弟と私の4人でとった。日中のアクティブな3人を知っているため、少しテンションの低い彼らと朝食をともにするのも楽しかった。

朝食にはシナモンロールが並ぶことが多かった。(おそらくチャーリーンさんお手製の)小ぶりなシナモンロールに、白色のとろりとしたシュガーを、大きな容器のチューブからちゅるちゅるとかけていただく。シュガーの甘さに対して生地は控えめな甘さだったので、一緒に食べると丁度いい甘さになった。その他ドーナツやパンケーキなどをチャーリーンさんは朝から準備してくださり「お、今朝はドーナツだ♪」というように、食卓に何が並ぶか私は毎朝楽しみだった。

チャッドがいつもの暮らしに戻ってきた最初の日だったろうか。姉弟たちは庭の一角のビニールプールでアクロバティックに遊んでいた。すでにお気づきだと思うが、ビニールプールといっても日本とはスケールが違う。小さい子がぴちゃぴちゃと水遊びをしたり、ヨーヨーを浮かべたりするようなあれではない。大人が浮かぶことのできる、中高生のこどもたちが飛び込んだりできるようなそれなのだ。

ヤナチェック姉弟が、ただちゃぷちゃぷとプールに浸かっているような子どもたちでないことは、みなさんもすでにご存じだと思う。3人は、大きな木の傍に常設されたトランポリンから、隣のプールへダイブするという遊び方でプールを楽しんでいた。トランポリンで何度かジャンプしてからその反動を利用して、 そのままプールへどぼんと飛び込む。その際、空中でくるりと回転したり体をひねったり、ポーズをとってみたり、浮き輪などの小道具を使ったりして、技を  競い合う。競い合うといっても、チャッドがチェイスに「これやってみろよ」とか「これできるか?」とやってみせ、チェイスが「できるもん」とやってみたり、その逆だったりという感じ。お姉ちゃんのシャーロットは弟たちを見守りながら、 ゆったりとプールに浮かんでいたり(弟たちに邪魔されるのだが)、気ままに ダイブしたりしていて、たまに巻き込まれて「お姉ちゃんもやってみてよ」などと言われると、そのようにやってのけちゃうという感じ。さすがアクティブ三姉弟・・・(!!)3人とも、いかにおもしろく飛びこめるかということに真剣なようだった。全力で遊んでいた。きらきらと水しぶきを浴びて輝く3人がまぶしくて、私は見ているだけで興奮した。興奮しつつも、その姿にぼーっと見とれたりしていた。ヤナチェック三姉弟、恐るべしである。

その後も彼らとの日常は穏やかに過ぎ、姉弟たちと庭をかけまわったり、チャーリーンさんの洗車の手伝いをしたり、スーパーで買い物をしたり、チャッドが歯医者さんで診てもらう間シャーロットとチェイスと3人で待合室で待っていたり、SUBWAYで大きすぎるハーフサイズのサンドウィッチを 注文したりした。その他、子ども会の集まりに参加させてもらったり、チャーリーンさんとシャーロットが通う教会に連れていってもらったり、クリスさんのお母様(姉弟たちのおばあさん)のお宅にもお邪魔させていただいたりした。あれもこれも、どれも今考えるととても貴重な体験で、こうやってテキサスでの日々を思い返してみると次々にその場面が浮かんでくる。何でもない日常が、かけがえのない思い出となっている。そんな経験をさせてくれたヤナチェック家のみなさんに、改めて感謝だ。いつも自然体の彼らから一番のおもてなしを いただいたと思う。(これを読んでいただいているみなさんにその思い出をお分けしたいのは山々なのですが、ヤナチェック家での日常はまた機会があれば、ということにして話を進めていきたいと思います。)

次回へつづく
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by terakoya21 | 2014-02-16 10:39 | アメリカ研修日誌

アメリカ研修日誌 (てらこや新聞103号より 大学生のコーナーより)

056.gif2012年8月9日から9月10日まで、寺子屋アシスタントの大学生がアメリカ研修に行きました。056.gif

063.gif102号からの続き…102号 7日目 前半はコチラから→ 102号アメリカ研修日誌

063.gifそれ以前の アメリカ研修日誌は…カテゴリの「アメリカ研修日誌」をご覧ください。

No. 9

7日目 続き

part 1←part1はコチラのリンクから!

part 2←part2はこちらのリンクから!

part 3
昼食に呼ばれたので、エイミーたちの輪投げの店を離れ、Mrs.クベンカの店に戻った。ここで店番をしている人は、ヤナチェック家やそのいとこの方々、つまりテキサスで私が知り合いと呼べる人たちだ。顔を見ると少しほっとする。店の裏に荷物置き場兼休憩スペース用のテーブルがあり、そこでランチプレートをいただいた。

発泡スチロール容器のふたを開けると、どーんとお肉が山盛りになっている。仕切られた容器の中で最も広い面積のところを肉が陣取り、その他マッシュポテト、コールスロー、いんげん豆の煮物が肩を寄せ合っている。食パン二枚は居場所がなくて、それらに被さるようにして入っていた。ひとまず食パンを容器のふたに避難させ、ボリュームたっぷりのランチに取りかかった。しっかりした肉だが柔らかく煮てあり、味がしみ込んでいておいしい。テキサス(アメリカ?)では、肉が出てくると必ず、煮豆かじゃがいもがついてくる。じゃがいもは、フライド  ポテトやマッシュポテト、ベークドポテトなど様々に形を変えるが、付け合わせとしてはマッシュポテトになって出てくることが多かった。朝食の卵を、生卵か目玉焼きか温泉卵かと聞かれるような感じで、ポテトはどうしますか?と聞かれる店もあるようだ。

私はテキサスで出されたいんげん煮が気に入った。肉などと一緒に煮てあるのだろうか、塩味でこくがあっておいしかった。日本ではいんげんは胡麻和えくらいでしか食べたことがなく、キュッとした歯触りがあまり好きではなかったのだが、ここで食べたものは歯触りも気にならず私好みの味付けだった。

コールスローは、チェイスとシャーロットそれぞれに「これ、好き?」と時間差で聞かれた。「好きではないけど、食べられるよ。」と答えると、「うえ~」という反応。ふたりとも嫌いなのだそうだ。このランチに関して言えば、肉で重たくなってくる胃にはあの酸味があって助かったと思う。

午後からは、先生とオークション会場へ。バンド演奏の広場からさらに奥へ進むと、ドームを半分に切ったようなかたちの屋根付きステージがあり、それを囲むようにして段々と高くなっている客席がある。席はほぼ満席で、自分で持ってきた折り畳みいすやその辺の芝生に座っている人たちもいる。私たちは、ダーリーン さんとシェリルさんの姿を見つけ、彼女らの隣に座らせてもらった。

ステージの上には司会者と出品者がいて、品物を会場のお客さんに見せている。パスタやジャムなどの食品から、キルトのタペストリー、郵便受けやベンチまで、どれも手作りの品ばかりだ。このオークションは、*4fund-raising(ファンドレイジング)つまりは教会の活動資金を集めることを目的としているため、ジャム一瓶が  何千円、タペストリーが何万円でほいほい売れていく。オークションだけでなく、  このピクニックというお祭り自体がそのために開かれている。楽しみながらしかも 寄付になる、というところがいい。私は見物させてもらっていただけだが、壇上に 現れる商品に次から次へと声が上がり、新たな持ち主が決まっていく様子を見ているのはスカッとした。それに、会場にいるほとんどの人は知り合いといえそうな この行事だ。出品しているのがお隣の奥さんだったり、落札者が友人だったりするわけで。終始なごやかなムードの中、笑いや歓声、拍手が沸いてくる、そんなオークションだった。

ステージや客席をわくわく眺めていると、見覚えのある女性が私たちに声をかけてきた。昨日シェリルさんのところに滞在したときにお世話になった、プールの豪邸の奥様だった。(たしか奥様のお母様のお気に入りだったかの)「ロシアのお酒があるから飲んでみない?」ということで、大人たちに交じって私もご相伴にあずかることになった。手渡されたショットグラスに、ほのかに白濁したお酒を注いでもらって、いざ!5人で一気にグラスを傾けた。

うぉー、のどが焼けるように熱い!見るみる間に体が火照っていき、鏡を見なくても顔が赤くなっているのがわかる。初ショットグラス、初ウォッカ。そんな私をみて、大人たちは笑った。ベンチの前の通路を通る見知らぬおじさんやお姉さんにも笑われた。このまま立つと酔いが回りそうだと感じたので、先生が水を買いに行ってくれる間も、私は その場を動かずじっとしていることにした。お酒でふらふらといい気分になりながら、オークション会場の雰囲気を楽しんだ。

夕飯は屋台の手作りハンバーガーをいただいた。これまで食事はごちそうしてもらってばかりだったので、自分でお金を払って買ったのはこのときが初めてだった(その後も、その時々にお世話になる方々のご厚意に甘え、ほとんどお金を払うことはなかった)。お釣りと一緒に小さな用紙を渡された。レジの隣を見ると、横一列にお母さん方が並んでいて、それぞれの前にはトマトやレタス、ピクルスなどが並んでいる。なるほど。トッピングしてほしいものにチェックを入れて店の人に渡すと、流れ作業で皿が横へと運ばれていき、それぞれ担当の人が自分の担当の具にチェックがあればのせ、なければそのまま隣へ皿を回していく。あっという間に、私好みのハンバーガーの完成だ。時々青い缶ビールに持ちかえたりしながら、ずっしり重たいハンバーガーを両手で持ち、かぶりついて食べた。テキサスに来てから、私の中のハンバーガーの株はぐんぐん上昇している。ファストフードとしてではなく、食事としておいしいと思う。日本でいうところのおにぎりのような食べ物なのかもしれない。

バンド演奏の広場では、シャーロットやいとこの子どもたちも踊りに参加している。ペアで踊っていた昼間とは違い、このときは広場のみんなで輪になって踊っている様子だった。見知った顔、見知らぬ顔。みんなコミュニティの人たち。子どもも大人もそれぞれに、また共に楽しみながら、ピクニックの一日は過ぎていった。あの日を思い出すと、おじさんたちの演奏をBGMに、人々の笑顔や笑い声が一緒に浮かんでくる。

*4 fund-raising:資金調達参考:ウィズダム英和辞典、新明解国語辞典
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by terakoya21 | 2013-11-09 07:00 | アメリカ研修日誌

アメリカ研修日誌 (てらこや新聞103号 大学生のコーナーより)

056.gif2012年8月9日から9月10日まで、寺子屋アシスタントの大学生がアメリカ研修に行きました。056.gif

063.gif102号からの続き…102号 7日目 前半はコチラから→ 102号アメリカ研修日誌

063.gifそれ以前の アメリカ研修日誌は…カテゴリの「アメリカ研修日誌」をご覧ください。

No. 9

7日目 続き

part 1←part1はコチラのリンクから!

part 2

彼らを見ていると、大人がああしなさいこうしなさいと指示しなくても、子どもたちが自分たちだけでやっていけることって結構あるよなと思わされる。大人たちは、先回りして子どもたちが失敗しないようにするのではなくて、ちょっとくらい危険なことは経験させて覚えさせるくらいの気持ちで、見守っていればいい。そして、本当に危ない目や困難な目に合う前にきちんと警告し、大人たちの考えを子どもたちに伝える。ここの大人たちはそうやって子どもたちに接していたと思う。

例えば、チャーリーンさんは農家の大変さを身を持って知っているから、息子であるチャッドに同じような苦労をさせたくないという思いがある。だから、息子を見守りつつも反対の意思をきちんと示している。この、反対の意思を示しながら見守るという姿勢は、子どもたちの将来をきちんと考えているからこそ表れてくるものだ。

親にもなれば、自分の経験から子どもに歩ませたくないと思う道もあることだろう。だが、だからといってその道を全く閉ざしてしまうのではなくて、子どもがやりたいというのなら「私は反対だからね」とか「しんどいわよ」とか、ある意味脅しながら見守る。それくらいの脅しに耐えられないようなら、その道はあきらめた方が良い。そして、その忠告を振り切って進むならば、「あなたの責任よ、お母さんはやめといたほうがいいって言ったからね」というわけだ。チャッドにその選択のときが来るまで、チャーリーンさんは息子に歩ませたくない道に立ちはだかり続けるのだろう。

子どもたちだけでもきちんとできていくのだなぁということは、赤ちゃんや小さい子が周りにいるときの、ここの子どもたちの遊び方を見ていても感じられた。彼らは年長者の役割を強く自覚しているようだった。何か起こったとき年長者の者に責任があるということを自覚しているから、自分は友達と遊んだりしゃべったりしていながらも、その場にいる幼い子のことを気にしている。だから結局は、その子と一緒に遊んだりその子を抱きながらしゃべったりすることになる。(もちろん、責任どうのこうのではなくて、ただ単に小さい子がかわいくて面倒を見たいという面もあるだろう。)その場での年長者というのは変化するから、例えばヤナチェック家では年少者のチェイスがいとこの男の子たちの中で年長者になることもあるわけで、そうなるとチェイスは 面倒見のいいお兄さんになる。普段からいとこ同士で集まる機会が多く異なる年代の子たちと一緒に遊んでいる彼らだから、自然と染みついていることなのだろうが、傍で見ているとよくやっているなぁと感心してしまう。

ピクニックの会場でも、注意が必要な幼い子の傍には常に誰かがいる状態になっていた。面倒を見る人は代わる代わるしていくが、決してその子がひとりきりになることはない。その子の親は目の届く範囲にいてちらちら気にしながらも、ほとんど子どもたちに世話を任せて自分は友人とおしゃべりしたりしていた。

つづく (*^_^*)
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by terakoya21 | 2013-11-08 07:00 | アメリカ研修日誌

アメリカ研修日誌 (てらこや新聞103号 大学生のコーナーより)

056.gif2012年8月9日から9月10日まで、寺子屋アシスタントの大学生がアメリカ研修に行きました。056.gif

063.gif102号からの続き…102号 7日目 前半はコチラから→ 102号アメリカ研修日誌

063.gifそれ以前の アメリカ研修日誌は…カテゴリの「アメリカ研修日誌」をご覧ください。

No. 9

7日目 続き

part 1

その後、ぶらぶらしているうちに、ヤナチェック姉弟のいとこのエイミーたちが 働いている店にたどり着いた。そこは商品を販売するのではなく、輪投げを提供している店だった。木の柵で四方が囲まれた真ん中に、的となるビンが9×8本、箱に入って並んでいる。10個で50セント(約40円)、20個で1ドル(約80円)のリングを購入し、投げたリングがビンにひっかかると、景品として2リットルよりも大容量だと思われるペットボトルに入った清涼飲料(コカコーラ、ダイエットコーク、ペプシ、ドクターペッパーなど)がもらえる。柵に身長が届かないような小さな子どもは、柵の内側から投げることができる。私も何度かトライしてみた。気がつくとチェイスが隣にいて、「お母さんからもらったから」とお金を払ってくれた。係の子に手渡されたカラフルなリングを、それぞれが狙いを定めて投げる。たまに同じ的を狙っていることがあり、お互いのリングがぶつかりあったりして笑い合った。こういうゲームは難しい説明がいらないから、言葉を気にせず夢中になれた。

四方八方から投げられるリングがあちこちに飛んでいく。柵を越えていくものもある。この店は常に人が絶えなかったから、ビンの周りが投げられたリングですぐにいっぱいになってきて、係の子たちの手元にリングがなくなってしまう。そうなると、清掃タイムだ。お客さん(特に子どもたち)も一緒になって、(酒瓶が入っていたような)プラスチック  ケースにリングを戻す。そしてお客さんに手渡す用のポールに数を数えてリングを通す。私はいつの間にか、お客をやめて熱心に彼女らを手伝うようになっていた。柵の中に 入り隅のほうで待機していて、変なところにリングが転がっていくと拾いに行き、リングを求めるお客さんがいれば代金を預かって係の子に渡し、金額分のリングを受け取ってお客さんの元に届けた。エイミーとはすでに顔見知りだったこともあって、係の子たちは戸惑ったり嫌な顔をしたりすることなく、私を自然に店の人にさせてくれた。

この店は子どもたちだけで運営されていた。エイミーがそこでは一番年長者らしく、お金を管理していた。彼女以外のメンバーはあらかじめ役割分担がされているようにも思えたし、たまたまその場で必要なこと (好きなこと)をしているうちにそれぞれの持ち場ができていったようにも見えた。ポールに数を数えてリングを通す子、あちこちに飛んだり転がったりしていくリングを追いかける子、お客さんから代金を預かってリングを受け渡す子。小さい子たちもお姉さんやお兄さんの指示に従って、それぞれが自分の仕事をしていた。 楽しい中で、きちんと秩序立てられてゲームが運営されていると感じた。

つづく…(#^.^#)
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by terakoya21 | 2013-11-07 07:00 | アメリカ研修日誌

アメリカ研修日誌 (てらこや新聞102号 大学生のコーナーより)

No. 8

7日目

この日は、教会のピクニックという行事に参加させてもらうことになっていた。ピクニックというと野原や公園でサンドウィッチなんかをつまむイメージだが、ここでいうものはそれとは別物らしい。ピクニックについてはちんぷんかんぷんなまま、それでもぼんやりと楽しげなイメージを抱きつつ、シェリルさんたちと一緒に会場へ向かった。

ピクニックの会場は教会横の屋根付き広場だった。地元の人たちがそれぞれの得意なものを持ち寄って開いたというような店が、いくつも並んでいる。奥の食堂では、お母さんたちが昼食の準備をしている。ステージからはおじさんたちの陽気なバンド演奏が聞こえてくる。

私たちはまず、チャーリーンさんのお母さん(Mrs.クベンカ)の店に向かった。店先にはこの日のために作られたオリジナルTシャツが並んでいる。Mrs.クベンカには、コーン畑を見学させてもらった日だったかに、ガソリンスタンドの売店でお会いしたことがあった。色鮮やかなお菓子やジュースに囲まれて明るい笑顔を見せる彼女にかわいらしい印象をもったが、農場の奥さんだったことやチャーリーンさんの姿から想像するに、しっかり者の肝っ玉母さんに違いない。この日はご主人(Mr.クベンカ)も会場にみえていて、私は初めましてのあいさつをした。背が高く体も大きな方で、相応しい表現が見つからないが、おじいさんとしてというより男性としてかっこいいなぁと思うような方だった。ご両親とお会いして、チャーリーンさんはお父さん似、ダーリーンさんはお母さん似だなぁと思った。

ミサ*1が始まるとシャーロットたちは教会に行ってしまい、先生と私は屋台で飲料を購入し、ベンチで座って話をした。その間にMrs.クベンカにいただいたTシャツに着替えた。ピクニックTシャツに着替えると、通りすがりの参加者というのではなく、「私もここの一員」という気がしてうれしくなった。

テキサス滞在中、先生と日本語で話すのは就寝前の短い時間ぐらいで、ゆっくりと話せたのはこのときくらいだった。英語に囲まれて過ごしていて理解しきれていない部分が、こうして先生と話すことで補われていった。先生は、留学時代の経験も踏まえてテキサスやアメリカ(の人々)に対する思いを話してくださったから、自分で物事を考えるきっかけになった。この日誌に書いてきたことも、その多くが先生の話してくださったことから影響を受けている。

このときは、community*2について話をした。「日本だとコミュニティといわれてもしっくりこないよね」と先生に言われ、「確かになぁ」と考えた。最近は日本語でもコミュニティという言葉が一般的になってきている。私の周りでは、SNS*3用語として「共通の趣味や目的を持つ人たちの集まり」という意味でよく使われている。ここで先生が言っているのは「地域共同体」とか「地域社会」という意味だろう。そういう意味では、特に東日本大震災以後、頻繁に耳にするようになったと思う。だが、コミュニティと聞いて「近所づきあいと呼ぶ範囲よりはもう少し広そうだ」となんとなく想像するくらいで、それがどういうものなのか、実感としてはわかっていない気がする。多分経験として知らないのだと思う。日本語で地域共同体と言われても、もっとしっくりこない。先生はピクニックという行事について、「コミュニティここにありき」と話していた。この会話があったから、私はこのあと「コミュニティとはなんぞや」ということも頭の片隅に置きながら、ピクニックを楽しむことができたのだと思う。

手作りの店が並ぶ場所から少し高くなったところにある広場では、バンドによる生演奏が行われ、人々は手をとりダンスを踊っている。バンドメンバーはほとんどが、おじいさん寄りのおじさんたちで、その中に交じって紅一点のおばさんがキーボードやボーカルを務めているといった具合だ。ゆったりしたギターのメロディーラインが心地よいこの音楽が、カントリーミュージックというものだろうか。ハワイアンミュージックにも似ている。おじさんたちがそれぞれの楽器を、目を細めながら自分たちも音に酔いしれながら演奏している姿は、いいなぁーと思わず足を止めて見入ってしまうくらい、いい感じだった。音楽に、おじさんたちの姿に、癒された。

そして、演奏が始まると自然と踊りだす人たち。おじいさんおばあさんが多いが、私の両親くらいの年齢の人たちやもっと若い人も交じって、夫婦や親子と思われるペアがステップを踏んでいる。静かにただひたすらステップを繰り返すふたり、笑い声を上げながら踊る親子らしきふたり、少し恥じらうようにしながらどちらからともなく「踊りましょう」と手をとりあうふたり。様々な人間模様がそこにはあった。大体のペアはおそらく夫婦だろうと思われたが、このふたりはどんな関係なのだろうと想像するのも楽しかった。どのペアも、この場所で踊っているということそれ自体が、素敵なふたりであることを証明していると思った。

先生はどこに行っても“Yoshie~!!” と声がかかる人気者なので、私は初対面の人たちに簡単に挨拶を済ますとひとりでぶらぶらしていた。チェイスはいとこや友人たちと水鉄砲を持って走り回っているし、シャーロットも友人たちと楽しそうだ。シャーロットは私を彼女の友人たちに紹介してくれたが、その後一緒にいるということもなく、私は終始ほどよく放っておかれていた。テキサスに来てから大体そんな感じだった。もちろん、安全な場所だということがはっきりしているという前提あってのことだ。皆いつも自然体で、それぞれがしたいようにしている。逆の立場だったら、例えば海外からのお客さんを日本で受け入れるような場合、私ならほとんどずっと彼女や彼の傍にいると思う。でもここでは、私が海外からのゲストに対してしそうなそんな対応は受けなかった。亀井先生にひょっこり着いて来た教え子という立場だったから、一般的なホームステイにきた外国人というのとは、捉えられ方が違ったのだろう。みなさんの普段の生活の中に居候させてもらっているという、本当にそんな感じだった。

№9へつづく  
*1
ミサ:(英mass)[カトリック教会で] 聖餐式。
→[キリスト教で] キリストが十字架にかけられる前夜の最後の食事を記念して行う儀式。

*2
community:地域社会[共同体]、コミュニティ;市町村、自治体;地域住民(の全体)

*3
SNS:social networking service
インターネット上の登録会員向けの情報交換・交流サイト。また、そのサービス。
参考:ウィズダム英和辞典、新明解国語辞典
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by terakoya21 | 2013-10-01 19:41 | アメリカ研修日誌

アメリカ研修日誌 (てらこや新聞100号 大学生のコーナーより)

No. 7 part 4

part 1

part 2

part 3
(part 1, part 2, part 3は上のリンクからどうぞ!004.gif


私は幸運なことに、寺子屋かめいの方々に出会えました。だから良かったのです。でも、そうでなければ、今も夢みる夢子ちゃんで、現実に即さない考えやイメージのもとにさまよい、社会の中で余分に傷つき、周りの大事な人たちをさらに傷つけていたかもしれません。私はラッキーだったけれど、そういう子どもたち、もしくは大人になりきれないままでいるような人たちが、この社会にはたくさんいるのではないかと思います。

毎日毎秒刻々と移り変わっていく情報は常に周りを流れていて、それらを簡単に手に入れることができる環境がある。地球の裏側の出来事を手元の端末が伝えてくれる。日本であっても、おそらく自分が一度も 踏み込むようなことのない世界の様子を、テレビが素敵に映している。

一生の間に99.9%くらいの確率で行くことがないであろう地の絶景や、世界のどこかで起こった出来事を、世界中の人が共有して一緒に楽しんだり考えたりできることは、この便利な世の中の利点だと思います。実際、テレビで世界遺産の特集をやっていたりすると「こんな素敵なところがこの地球にはあるんだなぁ、自然は偉大だなぁ」とか、「そんな昔にこんなものが作れたなんて人間ってすごい!」と感動してしまいます。

でも、世界中のあらゆる情報が誰でも簡単に得られるような環境を手にしたわたしたちが、その素晴らしさを享受していくためには、同時にきちんと自分の頭で考えられるようになければならないと思います。そうでなければ、この環境はわたしたちにとって、危険だと思います。

特に10年20年そこら生きてきただけの人間の経験は浅いですよね。でもそんな未熟者たちでも、例えば小学生だって、簡単にあらゆる情報が手に入れられる。世界の仕組みがどうなっているのか、自分にとって周囲の人にとって大切なことはどういうことなのか、そういうことを知らないまま、考えられないままに膨大な情報の海に漕ぎ出せてしまう世の中です。それは果たして、幸せなことなのでしょうか?

テキサス滞在中に出会った人たちのほとんどは、海外旅行に行ったことがないどころか、テキサス州から出たことのない人たちでした。ある田舎町の学校を訪れた際には、そこの先生から、ほとんど全ての児童や生徒たちは、その町から出ることなく一生を過ごすことになるだろうと伺いました。テキサス州だけで日本全体の面積の約1.8倍(下の参考を参照)というような広大なところですから、日本人の感覚で捉えるのとはもちろん違うとは思います。

それだけ広大なところに住んでいると、外へ出ていこうという気持ち自体起こってこないのかもしれません。そういう理由もあるのかもしれませんが、みんなテキサスから出たことがなくたって、幸せそうでした。遠いアジアの国から来た私を、その珍しさゆえ(ありがたいことに)興味津々で迎えてはくれましたが、でも彼らにとっては別にどうってこともないことというか。「遠くのことなんて知らなくたって、家族と周りのみんながハッピーならそれでいい」というような。「他の場所なんて知らないけどよ、オレたちは自分たちの町とテキサスを愛してるし、この国が好きだ。それで十分だろ?」というような雰囲気が、テキサスの人たちの中に感じられました。

知らなくても幸せに暮らしていけること、あるいは、知らないほうが幸せに暮らしていけることって結構あるのではないかと思います。テキサスではそういうことを強く感じました。

とまぁ少し論点から逸れてしまった感はありますが、今回はこんなところで失礼させていただきます。ここまでお付き合いいただきましたみなさま、ありがとうございました。私の感じたこと、考えたこと、テキサスの雰囲気が、少しでも伝わっていればうれしいのですが。

ところで、読んでいただいている方は薄々お感じかもしれませんが、研修記の連載記事を書くのが、記憶の劣化とともに徐々に大変な作業になってきておりまして(^^;)…次々号あたりから、特に印象に残っていることやこれだけはご紹介したい!ということだけをお伝えするかたちになりそうです。年内いっぱい、長くても 今年度いっぱいくらいまでの連載になると思いますが、どうかもうしばらく、お付き合いいただける方はよろしくお願いいたします!

最後になりましたが、てらこや新聞100号発行、おめでとうございます!塾の本来の業務と並行しながらの毎月の新聞発行は、本当に大変な作業だと思いますが、今後も子どもたちの未来のため、日本の未来のために考え続ける新聞として、150号200号と続いていかれることを願っています。そして、寺子屋かめいのみなさまの益々のご発展とご多幸をお祈りしています。

参考資料
●メキシコ料理、Tex-Mex
Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
カリフォルニア州観光局http://www.visitcalifornia.jp/

●面積
テキサス州695,622(k㎡):全米第2位
日本国377,955(k㎡)
テキサス州政府観光局 旅の基本情報http://www.traveltex.co.jp/interior_247.html
総務省 統計局(国土状況)http://www.stat.go.jp/data/nihon/01.htm
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by terakoya21 | 2013-08-11 12:00 | アメリカ研修日誌

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