2017年 05月 02日 ( 1 )

寺子屋の日々~Days in Terakoya~(てらこや新聞143-144号 亀井のコーナーより)

~ Before Learning English…

~ 英語を学ぶ前に ~

昨年11月と今年の3月に「作文発表会」に招待していただき、そこで、「英語より前に日本語を」というテーマでミニ講演をさせていただいた。

寺子屋は36日に17周年を迎え、18年目に入ったけれど、私は相変わらず英語への過度の 期待と憧れと闘い続けている。そして、講演の機会に原稿を書き、講演への反応を聞いて気が付いたことがある―。

このままでは本当に英語嫌いが増え続ける。  そして、日本語もまともに操れない子どもたちがたくさんできる。そうしないために…

「英語は、道具である」「英語を学ぶのにはわけがある」ことを、大人はきちんと説明してほしい。

私は、父に「英語は道具だ。英語習得は最終目標ではない」と言われ続け、だから、「英語の先生になるなら、英語以外の言葉を1つ以上学ぶこと、 そして教育学部には行くな」と言われていた。

だから、英語習得は通過点、私の英語学習の目標は英語習得ではなく、アメリカに行き、青い目の金髪のイケメンに出会うことであったり、NBA選手と出会うことであったりというおばかさんの夢から「コミュニティ センターのような塾経営」というちょっと変わった夢まで続いていくことになる。

一方で、英語は、日本語と同じく、世界中に何千とある言語の1つでしかないこと、大人はきちんと認識してほしい。

英語はできたら有利、できなければそれまでであること、きちんと子どもたちに伝えてほしい。

そのうえで、英語を義務教育で教えている理由をゆっくりと子どもたちとともに考え、話し合ってほしい。

私たちにとって、特別な言葉は、日本語だけ。 けれど、英語ができると有利なのはなぜか。それを教えられて学ぶのと、それを知らずにただ、漠然と必要だから言われるままに学ぶのでは、壁にぶつかったときに子どもたちが出せる力が違う。

英語は、もともとどこで話されていた言葉で、今は、どこで、どのように話されているのか、そして、なぜ、義務教育で英語を学ぶことが必要になったのか…。

言葉は、文化とともにあり、その文化をある程度理解しないと「使う」ことはできない。

昨年のサミットのために三重県に足しげく通っていた外交官の友人が、伊勢神宮を各国から来る人びとに伝える言葉を、知恵を出し合って考えているというような話をしていたけれど・・・英語を知っているだけでは、何にでも、どんなときでも英語が自由自在に使えるわけではなく、相手に伝えるべきことを吟味し、言葉を選び、使うことができるためには、幅広い知識と経験が必要である。英語への知識とともに、それがあってこそ、「英語を使うことができる」という―

日本の文化や社会を外国語で伝えることの難しさは、同じように、外国語の文化や社会を私たちが知ることの難しさをも伝えていると思う。そして、外国語を学ぶことは、その文化や社会を知る窓口であることを忘れないでほしいと思う。

Y.K



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by terakoya21 | 2017-05-02 08:30 | 新聞143-144号

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