てらこや日誌
2008年 05月 22日
ブログ版「てらこや新聞」では、「なぜ英語を学ぶのか」という検索ワードがいつも上位に挙がっています。
「なぜ学ぶのか」はその人個人個人いろいろな理由があると思います。
私自身の理由は・・・青い目の金髪男性に出会うため・・・NBA選手やデストラーデ選手(私の大学時代西武ライオンズに所属していた外国人選手です)と英語で話したいなんて軟派なものから、英語の先生になりたいという目標のため、そして、ただ単に、好きな科目で、得意科目だったからなど・・・です。
では、なぜ英語を教えるのか・・・と言えば、
「その人の人生の選択肢を広げるため」というのが、教える側の大きな目標だと思います。
生徒の学ぶ理由が、中学生、高校生の「テストの点数を上げるため」であっても、社会人の「脳の活性化」であっても・・・
「英語」を学ぶことで、その人の人生の選択肢が増えることを願って・・・少なくとも私は英語を教えます。
そして、特に、1人1人の子どもたちの将来は、私のような小さな人間には想像のつかないほど、無限の広がりを持っているはずです。
また、「英語」は「日本語」と同じ言葉です。言葉は、話す人々の社会と文化を反映して無限の広がりを持つものです。
子どもたちに教えるとき、その無限の広がりの魅力を教えたいと思います。
英語は数学とは違い、学問ではありません。覚えることはたくさんあるけれど・・・使いながら覚えていくものなのです。
だから、覚え方を1つだけ先生が教えてはいけない・・・言葉は、そんなに単純なものではないのです。
例えば、baseball という単語を書こうとするとき・・・ローマ字読みをして「バセバ11」と覚える人も、「ばせバール」「ばせボール」と覚える人もいると思います。そして、ひたすら書いて覚える人も、私のように、見た目で覚えてしまう人もいると思います。
それを、先生が、「バセバ11」と覚えなさい。とは言ってはいけないのだと思います。
昨日、生徒に教えてもらった、「は・が・の・お(を)・に・のもの」という代名詞の変化表の覚え方に愕然としました。
「そう覚えろ」と先生に言われたという・・・
最近、そういう報告を多く受けます。そして、教科書にまで、「always=100%」なんて説明があり、戸惑います。
人類の歴史が個人個人、国々によって解釈や意味が違ってくるように・・・言葉も文化やその社会の背景によって使い方も違えば、解釈も違う・・・
そして、100%いつもすることや起こることは、人間の営みの中にはほとんど無いに等しい・・・
英語と日本語は、文化的、社会的背景が違います。日本語にきっちりと置き換えられることの方が少ないのです。
もちろん、単純化させた方がわかりやすいことがあります。
でも、この単純化が、上記のような場合、子どもたちのこれからの広がりに障害になっているように思います。
いろいろなことを聞くたびに、私は、どのように英語を学んできたか・・・と考え、原点に戻る努力をします。
そして、日本語力を、考える力を、意識して養う努力を続けなければ・・・と心を新たにする日々です・・・。
(Y.K)