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あとがき (てらこや新聞145-146号より)

「てらこや新聞」145-146号の発行です。連続する合併号で申し訳ありません。そんな中、忘れず原稿を送ってくださる連載のみなさんに感謝いたします。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

先日、生徒が「私、カエルと話せるの」と言い出し、いろいろと話が盛り上がりました。

ブログにも書いたのですが、私はこのような子どもたちの話を信じています。今となっては自分でも本当かどうかがわからないけれど、自分にも幼い頃同じような体験があり、このようなお話は、子どもたちが「子ども」である証拠であると安心するお話だからです。

大人から見て、もしくは、ほかの子どもから見ても、「真実」かどうかはわからないけれど、当の本人にとっては「真実」であること―それを素直に「真実」だと信じられる心があること―それが子どもが子どもであり、純粋な心を持っているという証の 1つだと私は思うのです。

一方で、そんな子どものお話を、必要以上に一笑に付すことが、大人だけではなく、子どもたちにまで増えているように思います。「現実的」なのかもしれないけれど、「夢がない」というのか、世の中の事象を全て自分が理解できる、もしくは自分がいつも正しいかのように思っている子どもや大人が増えていることを反映しているように思えてなりません。

世の中には、私たちの想像や理解の及ばないことが多くあること、子どもたちが大人になる過程で、身をもって学んでいくことを私たちは今、忘れてはいないでしょうか。

子どもが子どもである時間は短いのです。 そして、その短い時間の充実がのちのちの彼らの人生に与える影響は大きいと私は思います。

子どもたちが、子どもである時間― その間に大人たちが彼らに伝えるべきこと、与えるべきものは多く、また貴重です。

子どもたちの可能性は無限大―だけれど、その「無限」にはだんだん条件がついていき、自分の「限界」を知るようになっていきます。「無限の可能性」を本当の意味で信じ、また同時にその「限界」についてもきちんと話をしてくれる大人が周囲にいるなら、 子どもたち自身が大人になる過程でその限界があるから頑張れることに気付き、自ら可能性を広げていけると私は信じています。

そして、私自身、そのために、今、私ができることは何なのか、いつも考える大人でありたいと願っています。

伝えたいことはたくさんあるのに、言葉が 見つからず、気付いたら、一文字も打つことのできないままPCとにらめっこする日が増えています。そんな自分の状況と反比例するように、生徒数が増え、思いが伝わっていると感じさせてくれる若者が増えています。

ただ、ただ目の前にあることに、懸命に取り組むことの大切さを若者たちに教えられる日々です。これからも、苦しみながらも言葉で綴ることも続けながら、努力をしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。 (Y.K)



by terakoya21 | 2017-08-15 08:30 | あとがき

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