てらこや日誌
2017年 03月 23日
All grown-ups were once children… but only few of them remember it.
大人も誰もがかつて子どもだった けれど、それを覚えている大人は少ない。
サン=テグジュペリの言葉だそうです。
本当にそうなんだな・・・と思うことが増えています。
というか、都合の良い風にしか、昔を覚えていないんだなと思うことがあります。
自分が、大人に言われていやだったから
自分が、大人にそうしてほしかったから
自分が、子どものときそれをしたかったら
自分が、子どものときそれをしたから
そういうことは、結構覚えているような気がします。
そして、子どもたちには甘く、年上の人にはきつい人が多いなと感じます。
このところ、わが両親は、子どもの心のまま大人になったような人たちだったのかもしれないと
気が付くことが多くあります。
そのうえで、自分の知らないことを知っている人たち
自分のできないことをしている人たちへの敬意を忘れない大人であることを
身をもって示してくれていたんだなと思います。
人は、多くの経験を積み、その経験が、たとえつらいものであったとしても
良い経験にかえることのできれば、ほかの人に寛大になります。
よく、「今の若い者は」とか「現代は」とかいう大人、年配の人に
「時代が違う」とか「どんな時代でもそう感じるものだ」などと言って
反論する人がいますが
私は、実際、そういわれているうちが華であることを
年を重ねながら学んでいないんだな、
そういう反論しかできない人は・・・と感じることが増えています。
今朝、お弁当を作りながら、ふとそんなことを感じました。
私は、母のうるさい指摘や、年配の人のいう頑固な言葉には
いまだにむっとはしても(笑)、すべてが聞けるわけではないけれど
適当に受け流すすべを、この45年で身に着けていますが
若者の暴言や、不快な言動を受け流す心を持ちません。
それは、なぜかと言えば、私もかつては子どもであり、若者であったからです。
そのとき、口うるさい大人がいて、若者や子どもとしては
「うるさい」と感じることを言ってくれたから、
今があることを心からありがたいと思っているからです。
昨日、入塾の手続きにお母さまと一緒に来てくれた新中学2年生君と少し話をして
この塾では、いらないと感じるような話や質問をするかもしれないけれど―
それは
その質問や話に対する答えを今持っていなくてもいいから
また、その答えが正しくなくても、考えるきっかけにしてほしい
からです。
いろいろな話を聞かせてほしい
そして、わからないことや知りたいことはそのままにしないでほしい―
そんな内容の話をした私に、「はい」と言いながら笑顔を見せてくれた少年に
心を奪われました(笑)
私が、今できることも、したいことも、私が年長者から受けついだものを
次に伝えること。そして、それには、嫌われてもしなければいけないことを含んでいると、
昨日は2つの面談があり、3名のお母さまに会い、改めて感じました。
さぁ、春休みが本格化する前、最後の授業日です。
本日もどうぞよろしくお願いいたします。
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(Y.K)