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寺子屋の日々 ~Days in Terakoya~ (てらこや新聞117号 亀井のコーナーより)

~ A Chance Encounter that Counts…~
~ 袖振り合うも多生の縁 ~


今年も…「再会」の多い1年となった。学生時代に教えていた生徒のお子さんが寺子屋に通ってくれるようになったのを始め・・・中学、高校の同級生、大学院時代の友人・・・寺子屋創設年の生徒などなど・・・地元にいるままで、多くの再会に恵まれた。

そして、私はいつものように…自らを振り返る機会を与えられ…もう少し頑張ってみようと思いを新たにする。そんな日々の繰り返しの一年となった。

来年の3月6日に15歳となる「寺子屋かめい」を、私が始めたのは2000年3月6日。大学院留学から帰国後1年と5か月弱、28歳のときだった。幼いころから、当然のように目指してきた職業に就くことに何の躊躇もなかった私にとって、この15年弱は、大いに私の信念を揺さぶり、心を引き裂き、悩ませるのに十分であり、また同時に、本当に大切な信念を守り貫く強さと、人と心をつなげるために妥協をするための柔らかさの大切さを日々私に伝えるものだったと思う。そして、出会いがもたらす大いなる喜びを人一倍感じさせてもらっている。

そんな中、何人か特に私の心に残っている生徒たちがいる。

成績優秀で、私たちなどいなくてもスイスイと人生の階段を上っていけただろうに・・・いまだに、私たちの相手をしてくれている若者もいれば、学業以外のことばかり世話をしていたように思うけれど、しっかり地に足を付けて、学業を究めようとしている生徒もいる。また、寺子屋に通ってくれたのは一瞬だったけれど・・・なぜだか心にずっと残っている生徒たちもいる。

そのすべてに、私は「出会い」が1つ1つ、それぞれが大切であるということを教えられてきた―。どんなに苦い思い出を引き起こした出会いも、必ずや自分の糧となる。また、そのとき苦い思いをしたものも、後から事情を知ってみると実は、別の何かが原因で、杞憂であることも多い。それでも、悩むことが大切であったと気がつく。

今年の秋、寺子屋創設年の生徒で、なぜか私の心の中にずっと住んでいた少年―今や立派な青年だけれど―と話をする機会に恵まれた。

七夕の短冊に、いくつもお願いごとをしていた彼が、最後に私たちの顔を見て、いたずらっ子っぽく笑いながら書いた一文が印象的だった。

「えいご やめたい」

あれから、14年の年月が過ぎ、彼はそんなことを書いたことを全く覚えていないという。文字を見た瞬間、正直なところかすかにあった私の胸の奥の痛みも、いたずらっ子のような笑顔で、消し去られていたはずだけれど・・・「まったく覚えていない」という彼の発言で、本当に笑い話になった。

よく考えてみれば、今、そんな「いたずらっ子」のような笑顔を見なくなった。子どもたちが、大人の顔色をうかがい、大人たちが潔癖症とも思えるほど「きれいごと」を子どもたちに押し付けている。そんな風に思えることが増えている。

子どもたちの周囲にいる大人として、しなければならないことがある。節目の年に向けて、したいこともたくさんある。来年はもっと精力的に励んでいきたいと思っている。(*^_^*)

(Y.K)
*故事ことわざ辞典http://kotowaza-allguide.com/
by terakoya21 | 2014-12-30 13:45 | 寺子屋の日々

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


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