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旅日記 (てらこや新聞112号 海住さんのコーナーより)

第29回
ボヘミアンな風が吹く(チェコ)


昭和33年(1958年)12月の東京タワーの開業より2か月早く生まれたわたしは、テレビ時代の幕開けとともに子ども時代を過ごした。だから、チェコと言えば、50年前の1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックのヒロインで体操女子金メダリストのチャフラフスカさんの国であること。そして、少し心がおとなになりかけていた中学生のころには、チェコで国歌のように愛されている交響詩『わが祖国』の音楽とともに作曲家・黛敏郎の語りによって奏でられた国産高級ビールのテレビCMの画面で風に穂を揺らす大麦畑が、この国のイメージとなった。

もっと、大きくなって、社会に、政治に目覚め、ジャーナリストを目指した学生時代には、この国がソ連体制の中で独自の社会主義を目指そうとし、ソ連軍の戦車に首都を占領された「プラハの春」(1968年)を描いた本と出合ったことで、ますます気になる存在となった。

実際にこの国を旅してみると、中世のころ、ヨーロッパ中の国々で迫害を受けたユダヤ人が、時のチェコの統治者であったボヘミア国王の庇護を受け、プラハの街に居住区を造った歴史にも触れることとなった。チェコに居住したユダヤ人は、ナチス・ドイツのホロコーストによる犠牲者の数もひじょうに多いとされる。

多層な歴史に彩られる首都プラハの街並みには、ビジターにすぎないわたしが見てわかる範囲でも2つの表情があった。

一つは、わたしと同様、チェコびいきの日本人を含む世界中の多くの人々をとりこにするのは、  中世から近世にかけての長い時をかけて築いたゴシック、ルネッサンス、バロックの様式といういくつもの時代様式の建造物群が重なり、それぞれの輝きを放つ歴史的地区。それゆえに、旧市街の町並みは、“中欧の宝石箱”と称され世界遺産となっている。8世紀ごろから定住が始まったというユダヤ人街へも、旧市街の中をさまよううちに行ける。

いま一つの顔は、第二次世界大戦後の東西冷戦下、ソ連型社会  主義の傘下に入った時代に建設された高層住宅や公共建築、地下鉄などのインフラだ。そのすべてが巨大かつ、そして見事なまでにノーデザイン、「威容」という形容の付く施設が多い。これらに味わい深いものは何一つない。中世以来の豊かな都市文化に断層を造った。地下鉄の駅はひたすら地下に深く、どこまでも続きそうなぐらいに長い時間、エスカレーターに乗る。だからといって、無機質な階段を上ったり下り続けるのもご免だった。

この国にわたしが訪れた時代は、東西冷戦の象徴であったベルリンの壁崩壊後、数年ののちだったが、人々の意識の中には、西欧の文化に触れたり英語を学びたいという関心を持つ若い世代と、人生の多くを過ごした社会主義時代の中にある中高年との間に違いがあるように感じた。

しかし、東欧圏内の中で唯一、議会制民主主義をベースに、ソ連とは異なる「人間の顔」のした社会主義をめざそうとした歴史を持つ。東欧随一の自由な国だ。ソ連への抵抗で示された民族意識と独立した精神に支えられているのだろう。特にプラハは、パリ、ウィーン、クラカフ(ポーランドの古都)と並ぶ中世から続く都である。都市の空気は、人々に自由と文化をもたらすというが、自由な精神の持ち主のことを呼ぶボヘミアンのふるさとはここチェコだ。

この国には、1995年10月20日に入り、27日までの8日間滞在した。そのあいだに、テレビのCMで穂を揺らしていた大麦の畑の広がる田園風景も見たくなった。幸いチェコはヨーロッパ随一の温泉国だと聞いた。貧乏旅の疲れで体もきしんできている。プラハから直通バスで2時間半ほど旅をすれば、神聖ローマ帝国時代の歴代皇帝の保養地として知られるカルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)という温泉保養地へ行くことができる。いかにも日本人的にボヘミアンな風に吹かれてこよう。

(1995年10月20日〜27日)
by terakoya21 | 2014-08-11 10:37 | 旅日記

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