てらこや日誌
2014年 05月 17日
すがすがしい・・・緑あふれる朝です・・・
って我が家がジャングルのようなだけかもしれませんが・・・
さて、昨日中間テスト週間第一弾が終わりました。
来週は、「第一回定期テスト」という名の・・・中間テストでも、少し呼び名を変えなければならないテストがある中学校で行われます。
3学期制と同じテスト回数を「2学期制」の変更をせずに行うためのようですが・・・
生徒たちが、振り回されているというか・・・
私たちが振り回されるというか・・・
学校は、まだまだ試行錯誤かぁ~(+_+)と感じることが、もう10年くらい続いています。
同時に、子どもたちの無関心・・・というか
「テスト勉強」というものをどのように進めればよいのかわからなくて
もう、いいやという感じで、あきらめなのか・・・
「塾」へ行くものだと思っている生徒とご家族の数と反比例するように
子どもたちのやる気がそがれているのではないかと感じることがあります。
大人たちの揺れまくる教育政策に・・・子どもたちが振り回され、
それを避けるごとく、無関心になっていると考えると、子どもたちのせいではないのですが・・・
寺子屋では、自分たちで意識を持ってもらえるように
「テスト日程」「時間割」「テスト範囲」
自己申告制をとっています。
「申告できなかったら、テスト勉強の特別な課題は作らない。」
(と言っても・・・準備するんですけれど・・・私たちは…(^_^;))
もちろん、中学1年生は、少しずつ説明をしながら、徐々に・・・
なのですが・・・中学3年生になってもイマイチ、何をどのように報告したらよいのかがわからないようで・・・
「勉強に受け身」なんだなぁ~と思います。
「やらなければならない」より「やらされている」という感覚が強いのでしょう。
それも・・・私は大人の言動が大いに影響があると思うのです。
勉強-特に中学生までの勉強―は「やらなければならない」ものですが
しなくてもなんとかなるものです。
だから、「やらされている」
と感じるのだと思うのですが・・・
このところの大人の方は、子どもについて何か勘違いをしているように思います。
子どもって、基本的に「学ぶこと」や「かしこくなる」ことが好きなはずなのです。
なのに、「勉強は面倒で、本来子どもはやらないもの」というスタンスで、
子どもたちに「勉強しろ!」「宿題やれ!」と言っていませんか?
109号の「しろこく's Page」にありましたが
「勉強ができないと学校が楽しくないから」
という新中学1年生・・・
逆に言えば、「勉強ができると学校が楽しい」
ということを知っているということです。
・・・この「できる」というのは、「ある程度」で構わないのです。
(とっても勉強ができてしまうと逆に楽しくないと感じる人もいるでしょうし・・・(^_^;))
そのように感じて、自ら「やる気」をもっている生徒たちもいるのです。
他方、「勉強」の話を生徒たちにすると「歪み」を感じることが増えています。
2年前の夏、アメリカ研修から私が帰国した後の高校生の授業で
「テキサスでは、成績が悪いとクラブ活動をやめさせなければならないという法律があるらしい」
という話をすると・・・すぐさま反論した野球少年の言葉が私にはその歪みを如実に物語っていました。
「え、そんなん勉強できる人ばっか、優遇ヤン!」
というような発言でした。・・・
そして、私は尋ね返しました。
「私の言ったことをしっかり聞いていましたか?」
・・・「私は、「成績の悪い」生徒と言ったのであって、「成績が良くないとクラブ活動ができない」と言っているのではないのです。」
「悪すぎてはいけない」と言っているだけです。
運動能力ばかりを見て、基礎的な勉強を軽視したために、アメリカでは、そのスポーツができなくなってから社会的に堕落していくスポーツ選手が増えたため、「最低限の学力」が付くように周囲の大人が配慮をしなさいと定めているだけなのです。
・・・そんなことを法律にするのか?という疑問はまた別の問題です。
「勉強だけできればいいのか!」と発言する大人も、子どもも増えています。
人間には、得手不得手があります。
「勉強が得意な子もいれば、スポーツが得意な子もいる。そして・・・どちらも苦手だけれど、手芸が得意だったり、絵が得意だったり・・・」
人には特性があります。
でも、「勉強」はそれなりに人生ずっとついていくものです。
「面倒」だから、「嫌い」だという考えも偏っていると私は思います。
「好きこそものの上手なれ」
と言いますが、「好き」になれれば、「面倒」もそれほど気にならないものです。
大人たちの先入観が、子どもたちに大きな影響を与えます。
自分たちにとって「面倒」で「いやなもの」も、子どもたちにとっては違うかもしれない。
そして、「面倒」でも、「いや」とは限らず、また、「いやなもの」も「しなければならない」ならしてやろう!と思えることを・・・
忘れず、これからも子どもたちと接していきたいと思っています。
皆様、ご協力よろしくお願いいたします。
さて、今週最後の授業日・・・
張り切って臨みたいと思います。
本日もどうぞよろしくお願いいたします。
(Y.K)