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あとがき (てらこや新聞104号より)

*てらこや新聞104号は2013年11月15日に発行されたものです。

気がつけば、11月―今年も残すところ1ヵ月半…です。

先月と同じ書きだしで、数字が変わっただけです。どうして年を重ねるごとにこんなに歳月が本当に矢のように飛んでいってしまうのでしょうか。…

その一方で、いろいろと出会いも別れも、そして、怒りも憤りも笑いも喜びもいっぱい詰まった1年であり、「長かった」というのか「大変だった」というのか…そんな思いも同時にあるのが大人になった証拠なのでしょう。

そして、季節は―受験シーズンへと向かっています。今、子どもたちに、世の中の「理」を教える努力をせずに、決断を迫る―そんな大人の姿をよく見かけます。特に、塾で接する子どもたちには、生活習慣や優先順位について口出しをされないまま、突然、進路選択を迫られる学生が多くいて、いつも気の毒に思います。「早寝早起き」だとか「遊びの前に宿題」、「テスト日程や範囲の把握」という毎日の生活の中から学ぶはずの、「時間管理」、「体調管理」という自己管理ができないまま、「将来の夢」を描くことを強いられ、また、忘れ物や遅刻で他の人にかける迷惑を省みることを教えられないのに、「みんなと仲良く」することを迫られる現代の子どもたちは、そのときの自分の立場や位置を把握できないまま進学していきます。そして、受験の合否、もしくは進学先での生活の過酷さに直面して 初めて「目の前に現れた現実」を知る生徒が、学校をやめたり、離職したりしてニートになる…と社会での問題を引き起こしているように思います。

だから、私は今年も、「大人たちに」メッセージを発してきたつもりです。

私には、ニートの問題も現代の若者を取り巻く社会問題も、多くが「子どもの思うように」というきれいごと(・・・・・)の下、子どもたちに現実を知らせることなく、とりあえず今の力で行ける学校に、また、就職がしやすいという理由だけで、進路を決めてしまう結果だと思えてなりません。それは、大人が生活においては「現実」を見つめず、「理想」ばかりを語るくせに、一方で「就職」などという子どもたちにとっては 「大きすぎる現実」ばかりをちらつかせた結果のようにも見えます。

人生は、小さな日々の生活における積み重ねでできていきます。足元を確認し、その上で先を見つめてほしいという私の小さな願いは― 一種の「理想」なのかもしれない。けれど、大人は、全く子どもたちに嫌われないで、子どもたちと関わることはできないのです。たとえ、家庭内でいつも「思い通り」で、「納得できる」選択をさせることが可能であったとしても、世の中を渡るとき、なんでも「思い通り」に、また「納得できる」形で彼らの希望がかなえられるわけではありません。その現実をまず知らせる壁になることが、子どもたちと毎日接する大人たちの義務だと私は思っています。

厳しいことを言うときも、彼らのために嫌な思いをすることも覚悟しなければなりません。なぜなら、彼らは社会の宝であり、これからを担う人たちだからです。私たち、先をゆく身近な存在の大人は、彼らの最初の壁になり、社会で立派にやっていける子どもたちを育てる義務があるのだと私は思っています。

私は、大きな理想を持って今を語るより、小さな現実を集めて、将来を見つめたい。毎日、子どもたちと接していると気付くことがあります。子どもたちは、もともとしっかりと現実を見ています。だから、ときどき残酷です。それなのに、大人は現実を見ず「理想」と「きれいごと」ばかりを語り、聞かせる―そして、子どもたちがもう少し「子ども時代」を謳歌し、自分の位置や立場を確認するべき時間や場面で、「就職」だの「手に職」だの大きな現実を聞かせる―多くの子どもたちには、「シラける」もしくは「逃げる」あるいは「良い子のふりをする」しか選択肢が残されていないように感じます。そうして、子どもたちは、ストレスを抱えていくように思います。

「理想」は目の前の現実をしっかりと把握 した人が持って、初めて「手本」になり、そして「目標」となっていくのかもしれません。そのための修業がまだまだ足りないのか…とやはり試行錯誤の日々です。

さて、最後になりましたが、連載の皆さん、今月もありがとうございました。「2回目」となった「英文法の底力」…なんだか次がどんどん楽しみになりそうです。

皆さん、これからもどうぞよろしくお願い致します。

(Y.K)
by terakoya21 | 2013-12-16 14:33 | あとがき

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