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あとがき (てらこや新聞102号 より)

*「てらこや新聞」102号は 2013年9月15日に発行されたものです。

9月―再び、平和に思いを馳せる月です。

12年前のあの日…私たちが「平和」だと思いこんでいたものがいかにもろいものであったかを目の当たりにしたのに、今なお「きな臭い」動きが世界には絶えずあり、またそれを忘れきって、平和を当たり前だと思い込んでいる節のある国がある―そのことに危機感と悲しみを感じながらも…少なくとも自分自身は、小さな一歩でも前に進めているだろうか…そんなことを毎年、9月11日は、私に確認するように告げているようです。

そして、去年から私にとって9月は、「父を想う月」でもあります。

昨年の9月20日に父が亡くなり、1年が経とうとしています。私は、幼い頃から「父のような英語の先生」になりたいと思ってきました。その父が、私の高校卒業と同時に、塾を閉じる決心をしたときの私自身の戸惑いは今でも忘れてはいません。そして、私がその塾を復活させると決めたときの父が葛藤する姿も私のこの 仕事を続ける原動力です。

この1年間続いた、父を送る行事は、人が1人生きてきて、その80年以上の人生の痕跡を消してしまうことは、とても難しく、またその人生から学んだ教訓を次の世代に生かし、繋げていこうという努力は、簡単なものではないことを教えてくれています。父は戦前生まれで、思春期を戦争に奪われ、また戦前叩き込まれた思想を戦後多感な時期に、180度変えることを強制された世代の人です。その父は、戦争を知らず適度に アメリカナイズされた私からみると非現実的なまでの平和主義者で、理想主義者でした。

その理想は、彼の塾経営にも大きく影響を 与え、私の高校卒業と同時に彼が塾を閉じざるをえなかった理由でした。受験戦争による、塾への期待と自分の理想との折り合いがつかなかったのです。そんな父の思いをある程度理解した上で、私が「塾」を再開し、自らの塾を「寺子屋」と名付けたのは、私は、地域教育が日本の発展を支えてきた原動力だと信じて疑わないからです。そして、私は、その地域教育から始まった日本の教育はかつて世界に誇れる 教育であったことを誇りに思っているからです。そこを目指すことは父の哲学を引き継ぐものだと思っています。

自らの生まれ育った地域を愛し、育ててくれた人々を大切に思い、与えられたものに感謝する―そして、その心を受け継ぎ、次につなげる努力を続ける。それが平和への道のりです。「愛している」と口にするのではなく、「大切だ」と自分の言葉に酔うのではなく、冷静に、でも積極的に…地域に関わり、人々への心遣いをする、そして感謝する―

そんなかつては 当たり前だったことが、今とても難しくなっています。けれど、私は、父の存在、そして母のおかげで、それが大切であることを知らされて育つ幸運に恵まれたことをこの父を送る行事の詰まった1年間で改めて知らされたように思います。

父の塾の周りにあるコミュニティには、まだまだ及ばない「寺子屋」コミュニティですが…少しずつコミュニティとして自分たちの今を創り出す手助けをして下さった人々や与えられたものに感謝できる場になってくれたら…と願っています。

さて、今月も連載の皆さん、ありがとうございます。カレンダーの並びのせいにして…なかなかスランプから抜け出せない私ですが…いつも届く原稿に恐縮し、また感謝しております。読者の皆さんからの暖かいメッセージにもいつも励まされています。ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します。

(Y.K)
by terakoya21 | 2013-10-11 16:37 | あとがき

英語塾の寺子屋かめいの元気を発信します


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