寺子屋とともに Time with Terakoya (てらこや新聞97号 かめいのコーナーより)

~ Philosophy 哲学 1 ~

知識の輪

私の人生の中で、「出会い―そしてそこから生まれる絆―」が一番の宝物です。だから、子どもには出来るだけ多くの出会いを経験し、そこから生まれる絆を大切にしてほしいと思っています。そこで、寺子屋ではいろ いろな取り組みを試しています。そして、その取り組みの中で感じていたことを私は次のように第7号で書いています。

c0115560_10585857.jpg今、子どもたちは、大人に憧れる心を失いつつあると感じることが多い。もちろん、いつの時代でも、子どもの目に映る大人(先輩)は、ずるく、うっとうしい存在だが、その一方で、子どもは大人(先輩)の持っている自由や能力に憧れるものだと思う。校区外に自由に出られない小学生が、少し校区の広い中学に憧れ、中学生の野球少年が高校野球を目指し、高校生がバラ色の大学生活を夢見るように・・・子どもたちの心が体とともに少しずつ成長し、大人になっていく過程には、必ず憧れる心、羨む気持ちが存在する。しかし今、子どもたちは、多くの場合、大人になることを嫌う。「ずるい大人」になることではなく、毎年進級することさえも嫌がるのである。そこで、学年やレベルを分けず、生徒が各自、道具を持ち寄って勉強するクラスを開講してみた。定期試験前には特設勉強会も・・・。いろいろなものを参考にし、時には上級生に教えてもらいながら(下級生に教えながら)勉強の習慣をつけ、学習を楽しむクラスだ。「家では勉強をしないから。」と参加をし始めた生徒たちも、徐々に自分で計画を立てて勉強するようになっていく。学校や塾の宿題も、講師に尋ねながら出来ると好評だった。
私は、五人兄妹の末っ子だったので、兄姉を見て、自然に人に教わり、教えるということを学んでいったけれど、少子化の昨今、そんな環境は珍しい。そして、学校では学年という枠がしっかりとつくられていて、上下の 交流がしにくい。私も高校留学前に、帰国後留年するかどうかひどく悩んだものである。一学年下で授業を受けるということが想像できないほど苦痛に思えた。帰国するとそんな悩みは、ひどく小さいものに思え、今では留年して良かった点しか思い浮かばない。
また、数学のクラスは自習しながら、わからないことをクリアしていくクラスにしている。新しいことは個別に教える時間をとるけれど、基本的には各自が問題を解き、添削を求め、質問をする。講師が他の生徒に応対しているときには、わかる人がわからない人を教えることもある。そうすることにより、教える側には自信と実力が、教わる側には、理解力と尊敬の念が育っていくようだ。時には淡い恋心も・・・。「青春だなぁ~」と思わず微笑んでしまう。
子ども同士で教え合うのは、教えられる生徒のプライドを傷つけるというようなことを言う人がいるけれど、教えている側も完璧ではないので、それほど変わらない―「なせば成る」と気づくきっかけになることの方が多いようである。
憧れも、そんなちょっとした日常の交流から生まれていくものだと思う。難しい問題をいつも簡単に解く先輩たちも―実はつい最近まで苦しんでその問題を解いていたのだけれど―後輩たちには頼もしく見えるだろう。 そして、自分もそうなれるだろうかという不安と、そうなりたいという希望が子どもたちを育てていくのだと思う。私は、子どもたちに、いつもそんな心を大切にしてほしい。
(第7号 2005年10月「寺子屋の日々」より)

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ここ7,8年で状況は少し変化しています。生徒間の交流が、機会を与えても難しい―いわゆる「コミュニケーション力」の著しい低下を感じます。「教え合う」ということが、「答えを伝え合う」ことに変わり、幼いうちから「できる」と思い込んでいる生徒と「できない」と決めてつけている生徒に分かれていくようです。私たちにとっては、まだまだ試行錯誤の日々が続きます。
また、この7号は、「やはり大人として、私は、「うるさい」と言われようと少し嫌われようと、いつも子どもの心と向き合える位置にいたい。自分が通ってきた道は、必ずしも平坦ではなく、嫌なこともたくさん あったけれど、振り返れば、それほど悪いものでは なかったことを思えば、過保護にすることよりも、厳しく見守る姿勢が大切だと思う。誰でも、いろいろな出会いや経験から、教訓を得、成長することを忘れてはならないだろう。」と締めくくられています。今でも、私のこの思いに変わりはありません。

(Y.K)
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by terakoya21 | 2013-04-30 10:59 | 寺子屋とともに

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