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あとがき (てらこや新聞91号より)

♪ ほら 足元を見てごらん これがあなたの歩む道
ほら 前を見てごらん  あれがあなたの未来 ♪

(Kiroro 『未来へ』1998年6月24日発売)
Kiroroさん『未来へ』の歌詞

私の好きな歌の始まりです。以前にも同じように「あとがき」の最初にご紹介しました。再びとりあげようと思ったのは、大人が、子どもたちにきちんと足元や前を指し示すことができなくて、子どもたちが迷っていると感じることが増え続け、そして、私に前と足元を指し示し続けてくれている人々の中の1人であった父が9月20日に他界したからです。

父は、昨年末から足の痛みを訴え、今年の1月から検査、入院、手術を経て、自宅療養を続けていたのですが、6月末に倒れ、再入院し、寝たきりの生活となっていました。それでも、病状は一進一退、最後には回復に向かい、施設への転院が決まり、そのための手術を数日後に控えていた20日の早朝、苦しまずに、永遠の眠りにつきました。82歳と11カ月の命でした。

私は、父が42歳のときに生まれました。28歳の頃、この仕事を始めたと同時に、父の老いとの闘いが始まり、私は、初めての反抗期に入ります。そのため、母は仲裁に苦労したようですが、おかげで、父とは40年と9カ月間、ずっととても濃い時間を過ごしてきました。「よしお」と「よしえ」という名前は、若い頃、少し恥ずかしいものでしたが、今となっては、父は私に名前とともに、いろいろなこと、ものを伝えてくれたと「名は体を表す」ことを実感しています。

「名は体を表す」-私はこの名前によって与えられたものがあるんだと感じることがこの10数年、多くあります。そして、この名前とともに、「足元」の「歩む道」と「前」にある「未来」をいつも示されてきたことにより、私の人生は、それほど難しいものでも険しすぎるものでもなかったように思うのです。

父も母も、私の人生で大切なものをとても大切にしてくれました。そして、最後の最後まで 私の「歩む道」と「未来」を指し示してくれていました。私は、父が入院中何度も生死の境をさまよっている間に、アメリカ研修にも行っていたのです。母は、少し父の病状が良くなった出発前に「お父さんもそれを望むはずだから」と背中を押してくれました。そして、私の旅行中に「危篤」に陥った父は、私の帰国に合わせて、持ち直し、その後1ヶ月間、元気に回復に向かっていました。帰国した私の顔を見て「無事でよかった」と喜んでいた父の顔は、今でも脳裏に焼き付いています。そして、父と最後に長く話をしたときに「お前は、人のことばかり考えているかわいそうな子だ。」と言いつつ、私が「娘で幸せだ」と私に感謝の言葉を伝えてくれていたのです。

穏やかな顔で息を引きとった父ですが、1つだけ心残りがあるとすれば、私の「花嫁姿」を見ることがなかったことだったようです。最後の3ヶ月間、私に喝を入れながらも、いろいろと伝えたいことを伝えていて、突然、思いだしたかのように、「自分のことはどうするつもりだ」とか、「相手は?」などと繰り返していました。「50才までには自分のことを考える」と約束をしましたが…はて・・・それは、どうなりますでしょうか。(^_^;)

さて、最後になりましたが、今月も連載の皆さんのお心遣いとご協力に感謝したいと思います。先月89-90号を合併特大号としたために、以前とは若干記事の集まり方が変わってきていますが、やはり今月も、次々と自然に集まってくる原稿に嬉しく感じています。ありがとうございます。至らないことばかりですが、これからもどうぞよろしくお願い致します。

(Y.K)

「てらこや新聞」91号は10月15日に発行されています。
by terakoya21 | 2012-11-11 21:46 | あとがき

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