上越だより (てらこや新聞91号 下西さんのコーナーより)
2012年 11月 06日
9月30日は、旧暦8月15日で仲秋の名月にあたりました。旧暦8月15日で思い出すのは、『竹取物語』の終盤、かぐや姫が月に帰るため月からの迎えが来た場面です。
宵(よい)うち過ぎて、子(ね)の時ばかりに、家のあたり昼の明さにも過ぎて光りたり。望月(もちづき)の明さを十合はせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗り下り来て、地より五尺ばかり上がりたるほどに立ち連ねたり。
月の世界で生まれた「かぐや姫」が、月の帰る約束の日が8月15日です。返したくない竹取の翁・媼や、求婚者の帝たちと、月からのお迎えの使者が、必死の攻防をくり返します。この物語のクライマックスです。まぶしいほどの光とともに、月からの使者は、やって来ます。「満月を10個合わせたような」という表現が、「言い得て妙」、平安時代のリアルさを感じさせます。雲に載った天人は地表には降りません。地上150㎝くらいのところで止まります(浮いている)。地上は、不浄との考えがあったのでしょうが、現代の私たちには、「ドラえもん」の道具の一つを思い起こさせ、不思議なリアル感があります。
神主の太鼓や笛のお囃子に、やはり神主中心の舞手が、一人か二人。シンプルなこの神楽は、華麗な舞というよりも、楽しい神楽、観客参加型の神楽でした。「海幸」では、恵比寿さんのような扮装の舞手が、舞うというより、魚を釣る仕種をして、観客からの差し入れの「獲物・釣果?」を、観客に投げ返すという、楽しい趣向でした。わたしの座席にも、キャンディと鯛焼きが飛んできました。新米のおむすびを食べながら、外の風雨を忘れるひとときでした。地区ごとの神社が、多種多様の神楽を伝え続けていることに、驚きました。
写真物語『ナカノマタン』(著者…中ノ(なかの)俣(また)たき火会・NPO法人かみえちご山里ファン倶楽部 発行所…農山漁村文化協会)は、愉快な本です。そして、懐かしい思いをかきたてる本です。上越市の西部中山間地にある「中ノ俣」の四季を、仕事を、歴史を、暮らしを、苦悩を、また夢を描いています。「中ノ俣」の文化祭のような本です。「やろまいか(やりましょう)」があふれていて、限界集落の結束力(結(ゆい))を感じました。「ナカノマタン」とは、中ノ俣の住民とその応援団を指すのかな。
この本に触発され、田舎で育った子供のころの生活が、よみがえってきました。半世紀も前の生活。ぼた餅も巻き寿司もあられも、家で作っていましたっけ。家の田んぼに行く途中、雑木林を抜ける小道に沿って小川がありました。木漏れ日を受けゆらゆら輝いた水面が、脳裏に浮かびます。あの風景はどこに行ってしまったのでしょうか。圃場整備されてしまった現在は、その場所を特定することもできなくなってしまいました。
里神楽が上演された桑取地区では、15年ほど前に3年がかりで民俗文化の調査が行われ、平成11年 『桑取谷民俗誌』にまとめられました。まとめ役の真野俊和さんは、その序で、
……市西部の中山間地には、かつて今よりもずっと多くの人々が生活していた。しかしこの半世紀たらずの間に人口は流出し、消滅に近い村も少なくない。だから数だけみるなら、上越市民の大部分は平野部に住んでいることになる。けれども歴史的にはむしろ先行するぐらいの由緒をもっており、頸城(くびき)平野の農村とはことなる伝統と民俗文化を形づくってきた。……