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旅日記 (てらこや新聞87号 海住さんのコーナーより)

第6回
バツー・フェリンギの“長屋”の仲間たち(マレーシア・ペナン島)

マレーシア有数のビーチリゾートとして知られるペナン島に着いた。ゲートウエイシティとなるジョージタウンから市内バスに乗ってバツー・フェリンギというビーチの町をめざした。バツー・フェリンギという町の名は知らなかった。日本の若者の旅ガイドの定番『地球の歩き方』には「国際級ホテルが集中するにぎやかビーチ」と紹介されていた。が、夏のピークシーズンを終えた9月初めのビーチは、熱帯であるにもかかわらず、ひとけのない秋のビーチだった。そう長くいることはあるまいと、バンガローのようなゲストハウスにチェックインした。

ビーチにある長屋式のバンガロー。ベニヤ板1枚が仕切りの隣部屋のアジア系の男が、軒先にテーブルを出してくつろいでいた。わたしもかれと同じように外へテーブルを出して、並ぶようにして腰を下ろした。

かれの名はエド。バンガローの隣人として5日間、その後、タイまでお供する友人となった。民族的にはフィリピン生まれのフィリピン人で、幼い頃に母親とともにアメリカのフロリダに移住して育った。志願して米国の軍隊に入った。当時、ホノルルをベースとする米軍の潜水艦の乗員だった。除隊したら、アジアの暖かい国で暮らすのが夢だと言っていた。

バンガローには、かれ以外にアラブからやってきたにぎやかな2家族、インドネシアから旅に来ている二人の若者、そして、わたし。それに、エドのペナン島の恋人で、ペナン生まれ、ペナン育ちの女性「モンチッチ」が頻繁に訪ねてきた。

共通の砂浜付きのバンガローは、「モンチッチ」を入れた総勢10人が暮らす長屋状態となった。
「モンチッチ」というのは、彼女があまりにちっちゃくて色が黒くて、目がくりくりして、体をくねくねさせてエドに絡みついている仕草がかわいかったので、私が付けたニックネーム。もちろん、その言葉の由来は説明していないが、彼女もエドもひじょうに気に入ってくれた。

アラブの面々は、ふだん、自分の国では飲酒ができないので、同じイスラムであっても酒に関する戒律の緩いマレーシアをおおいに楽しんでいる。 一晩中、毎晩、毎昼でも、浴びるようにがぶがぶと呑むビールが一番の楽しみのようだった。かれらが名付けた「ドゴ」という野良犬も餌付けられて遊びにやってくる。ビール瓶を持って、酔っぱらって、「ドゴっ!」と叫びながら犬と追い掛けっこをしていた。

インドネシアの若者たちは、おとなしい2人連れの中国系の男子。が、軍事の話となると、中国系のせいか、アメリカより中国のほうが絶対に強いと言い張る。すると米国軍人のエドは当然、合衆国代表だ。インドネシアの若者も負けてはいない。「アメリカはベトナム戦争でベトナムに負けたではないか」。これに、「Not our time」とエド。わたしはこんな議論には入れない。しかし、南アジアの国の人々にとっての近隣の大国・中国へのものの見方が現れているようで興味深かった。

まあ、この軍事力論争をのぞけば、この集団すべての共通語である英語において優位性を持つエドが全体のリーダーで、わたしがサブのような役回り(日本人は周囲をなだめる気質があるのでアメリカがいてもアラブがいても丸く収まる)に。それに、わたしが付けたニックネームを気に入ってくれている「モンチッチ」は、わたしとも仲が良く、よくこの3人で遊んだり、エドと2人で彼女の仕事場であるCannonの現地営業所へも見物に出掛けたり・・・。

わたしの旅はまだまだ始まったばかりだったが、この長屋での暮らしがあまりに居心地がよく、再び1人でリュックを担ぐ旅に出ることが イヤになった。バンガロー周辺の街をみんなでサイクリングしたり、 ペナン一高い山に登ったりと、すっかり仲間との暮らしを楽しみ、ふだんは毎朝早くから屋台を出して母娘が売っているナンとカレーを食べたり、微熱が続いたので村の小さな、小さな診療所に行って、年配のインド人の女医さんの診察を受け、わずかなお金しか受け取らない彼女のホスピタリティに感激。

天国のように平和なこの村にいつまでいるか判断すること自体、億劫となっていたところ、エドがタイへ行くことになったので、ここぞと、わたしもバンコクまでの安い航空券を買い一緒に飛行機に乗った。実はエドはタイにも恋人がいて、今度はそっちのほうだった。タイ語もできるエドに連れられてバンコクに行くと、タイのエドの恋人は妙にわたしにトゲトゲしている。「なんでだ?」とエドに聞くと、「君に嫉妬しているんだよ」。まさかと思ったが、わたしが次の訪問国であるベトナムに行くというと、それまでの不機嫌さはどこへやら。初めて、にっこりとほほえみ、グッバイしてくれた。

それから半年後、帰国したわたしにエドからメールが届いた。

「モンチッチが、君がベトナムから戻り、タイからマレー鉄道でシンガポールまで行く日、途中のバタワース(ペナン島の最寄り駅)の駅で見送ろうと駅まで行ったみたいだよ」

まさか、そんなこととは知らなかった。その駅では約2時間も停車時間があったにもかかわらず、彼女に気づくことはなかった。もちろん、バタワースを通過する日を教えた記憶はないので、別の日だったかもしれない。それにしても、もし、そこで会うことができて、列車の窓から握手して、手を振って別れることができていたとしたら、どんなにドラマチックだったことだろう。

愛くるしい「モンチッチ」を思い出した。

(1995年9月7日〜15日)
by terakoya21 | 2012-07-05 12:30 | 旅日記

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