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上越だより(てらこや新聞86号 下西さんのコーナーより)

「祭り日和・舞楽をみる」

子供のころ、正月やお盆に母の実家(旧 一志郡美杉村)を訪れるとき、国鉄名松線(現在JR)に乗りました。途中、白山町(当時一志郡、現在津市)を通ります。白山町には、県立白山高校があり、白山神社があります。この白山町という地名について、当時はなんの疑問も無かったのですが、長じて、北陸そして新潟に住んで、なぜ三重に白山町があるのだろうか、と思うようになりました。『図説白山信仰』によると

津市の南西、松阪市の北西にあり(中略)昭和30年の市町村合併で、五町村が白山神社の氏子として結ばれていることから、町名が白山町になったものである。

「白山」は、石川県と福井県にまたがる連山(火山)で、古くから信仰の山です。御前(ごぜんが)峰(みね)(2702m)・大汝(おおなんじ)峰(がみね)(2684m)・剣ヶ峰(けんがみね)(2660m)などで、ここを水源にする川も多く、石川方面に手取川、富山方面に庄川、福井方面に九頭竜川、岐阜方面に長良川となり、広い地域に水の恵みをもたらしています。
本郷真紹著『白山信仰の源流』によると、

白山に対する信仰は古代から存在し、白山の神は、越前・加賀・美濃といったこれを仰ぎ見る地域にとどまらず、全国的に広まり、戦前には全国で2700余りにものぼる白山神社が分布したとされる。(略)同時に仏教の行場としても全国的にその名を馳せた存在であった。

上越だより(てらこや新聞86号 下西さんのコーナーより)_c0115560_1542476.jpg4月24日、糸魚川市(いといがわし)能生(のう)にある白山神社の春季例大祭があり、友人とともに行ってきました。自宅から、車で40分足らず、国道8号線沿いにあります。ここでは、国指定無形民俗文化財の舞楽奉納がおこなわれます。

当日、午後2時ころから2時間くらい舞楽を見ながら、付近を散策しました。今冬の大雪で桜の開花が遅れたため、神社の桜は満開で、桜吹雪の中の舞楽見学となりました。白山神社は台地にあり、石段を登りきった境内には本殿・拝殿等のほかに、境内中央の池の上に本日の 舞楽の舞台「水舞台」が、設えられていました。雨が降っては台無しということでしょうか、控え室の軒に大きなてるてる坊主が3個もつるしてありました。
祭りは、午前中から獅子舞・神輿のお走りなどがあり、午後から舞楽が全11曲、そしてクライマックスの神輿がぶつかり合いで終わるのですが、私は残念ながら舞楽のうち、前半の6曲しか見られませんでした。(振舞(えんぶ)…稚児2人・候(そう)礼(らい)…稚児4人・童(どう)羅(ら)利(り)…稚児1人・地久(ちきゅう)…稚児
4人・能抜頭(のうばとう)…大人1人・泰平(たいへい)楽(らく)…稚児4人)

やはり舞楽の見どころは後半にあったようで、特に終曲の「陵王」は、太陽が沈む時間にあわせて舞われるので、ドラマチックだとか……。次回は、ぜひ後半の舞楽を見てこのお祭りの全貌を体感してみたいと思いました。

上越だより(てらこや新聞86号 下西さんのコーナーより)_c0115560_1545385.jpg太鼓とお囃子による舞楽の曲(雅楽)は、抑揚の少ない、繰り返しの多い旋律で、それにあわせて舞う稚児(ちご)役の小学生に対しては、見事にやり遂げたと、拍手を送りたいと思います。この舞台に立つ舞い手の稚児は、地元の能生小学校の児童で、今年は1年生から4年生の5人の男子が担いました。地元紙「上越タイムス」のよると、

5人は春休みに同神社に通って練習を重ね、14日からお籠もりに臨んだ。早朝のみそぎから一日が始まり、学校は特別に給食までで放課。午後にみっちりと練習を行う。18日からは境内中央に水舞台がかけられ、本番さながらの練習となっている。

能生白山神社の歴史は古く、糸魚川市のしおりによると、

舞楽が奉納される白山神社は、奴(ぬ)奈川(なかわ)姫(ひめの)命(みこと)・伊佐奈(いざな)岐(ぎの)命(みこと)・大己(おおなむ)貴(ちの)命(みこと)の三柱を祭神とし、白山信仰を広めた泰澄大師によって、社号を白山権現と改めたと伝えられています。神社には神仏習合の名残を  示す聖観音像(重要文化財)をはじめとした、多くの仏像も残されています。

白山神社は、昔の北陸道・加賀街道(現 国道8号線)のすぐ脇にありますから、さまざまな人々が往来したようです。例えば、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の際(1689年)、参詣したと伝えられています。随行した曽良の日記でそのことが明らかになっていますが、残念ながら『奥の細道』には記載されていません。芭蕉は、七夕前後に「高田」に滞在していますが、暑さと疲れから体調を崩していました。ただ、当地で名高い「汐路の鐘」については、「暁や霧にうつまく鐘の声」という句を作ったようです。

また、加賀藩は参勤交代の途中に立ち寄っていたのでしょう。石段を 登りきったところに加賀藩から送られた石灯籠と狛犬一対がありました。不釣り合いなほどの大きさであり、百万石のパワーを見せつけられた思いです。

上越だより(てらこや新聞86号 下西さんのコーナーより)_c0115560_1552157.jpg能生白山神社の近くには、「能生海水浴場」があり、 また海水浴場近くには「弁天岩」があります。「弁天岩」には「曙橋」が架かっており、弁財天が祭られております。わたしが訪れた日は、来る5月5日の端午の節句を祝うべく、およそ50匹もの鯉のぼりが「曙橋」に平行するように飾られておりました。

白山神社の「お祭りの場」で驚いたことは、舞楽の  すばらしさばかりではありません。そこに集っている 人たちの装束にも、目を見張りました。稚児役の子供の両親でしょうか、晴れ着の着物の婦人・紋付き袴の男性。または祭りの世話役でしょうか、上下(かみしも)姿の男性。特設の桟敷席では、御馳走が並んでいました。まさに地域の「ハレ」の場だったのです。この地域の歴史と、それに伴うプライドの高さと、伝承の意志とエネルギーを感じました。

[参考文献] 『白山信仰の源流―泰澄の生涯と古代仏教』本郷真紹著 法蔵館
『図説 白山信仰』白山本宮神社史編纂委員会
『新・にいがた歴史紀行』新潟日報社
by terakoya21 | 2012-06-05 15:05 | 上越だより

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