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寺子屋の日々 Days in Terakoya (てらこや新聞85号 亀井のコーナーより)

~ 優しさと甘さ、厳しさと冷酷さ 1 ~

先日、いつもより長い時間をかけて「『上から目線』の構造」(榎本博明・日系プレミアシリーズ・日本経済新聞出版社)という本を読み終えた。毎日、毎日子どもたちを取り巻く環境について考える日々が続いていて、ふと本屋さんで目に入ったその題名と裏表紙が気になり、買ってしまった本である。

― 目上の人を平気で「できていない」と批判する若手社員、駅や飲食店で威張り散らす中高年から、「自分はこんなものではない」と根拠のない自信を持つ若者までーなぜ「上から」なのか。なぜ「上から」が気になるのか。心理学的な見地から、そのメカニズムを徹底的に解剖する ー と裏表紙には書かれていた。

最近、どの年代の生徒たちからも、友人からも、様々なところから、そんな雰囲気を感じていて、とても息苦しかったため、飛びついた。自分もそのような行動をとっているかもしれないという一抹の不安も感じながら・・・

その本の中に、思いがけず、私が学生時代から日本の友人関係に息苦しさを感じていた理由を見つけ、そんなに私が感じていたことは、おかしなことではなかったのかもしれないと思い、少しホッとした。また、今、子どもたちのことで親御さんたちと話をしていて感じる息苦しさの原因がわかった気がした。

― 気持ちを察して、同情し、一体感を持つのが従来の「やさしさ」だったのに対して、相手の気持ちに立ち入らないことを「やさしさ」というようになった。

― また、やさしい人は、感受性が強いため、他人の痛みが容易に伝染してしまう。そこで、やさしい人は、人の涙をさけるようになった。だから、やさしい人に涙を見せるのは、何としても避けなければならないというのである。

― さらには、やさしい人は、自分のことでだれかをうらむのがイヤなのと同時に、自分のせいにされることも嫌う。やさしい人は、嫌われ役など引き受けない。

― だから、やさしい人には相談できないというのである。(「上から目線」の構造より)

大学時代、ある友人が信じられないことをしたり、言ったりするたびに、ピリピリし始める私を、同じグループで行動するほかの人たちが・・・

「○○ちゃんだから、しかたないよ」
「だって、○○ちゃんだもの」

と諭すことが・・・私の居心地を悪くしていた。正しくない行動や、人を不快にする言動をとっても、この人なら許され、あの人なら文句を言われる・・・そんなことは世の中には、たくさんある。そして、私は幸いにも文句を言われる方の人間だったー。でも、許される理由が「○○ちゃんだから」というのが・・・私は、友だちとしてどうにも納得がいかなかった。いつも我慢するのが私だったからではなくて(我慢できないことも多くあったけれど)、私は、友だちだから許されることも、他の人には許されないことを知らずに過ごす彼女を放っておいて、彼女が私にとって、私が彼女にとって「友だち」という存在でいることが、性格上許せなかったのだ。私は、昔から、行動は起こしてから無駄だとわかることはあっても、最初から無駄な行動などないと信じていたから、彼女だって、言ったらわかってくれるはずだと信じていたし、「○○ちゃんだから」とおかしいと思いながらも彼女にそれを伝えないことと、ありのままの彼女を受け入れるということは、違うことだと思っていた。私には、お互いに率直に意見できない関係は、友情だとは呼べなかった。私は、嫌われ役でも、友人には伝えるべきことを伝え、言うべきことは言ってほしいと思っている。

そんな私は、今、保護者の方々が言う「うちの子はこういう子なんですよ。」「納得しないと動かない子」、「納得するまでしないと気がすまない子」「~な子」だから仕方がないというようなコメントの多くにも違和感を覚えるのだ。とても冷たく、聞こえる。他人事のように聞こえる。おそらく、その子の特性や特徴を非難、攻撃されたときに、庇うためや、攻撃をかわすために、保護者の方々が口にするのなら、当然のことだろうと思う。しかし、そういう場面ではなくて、進路や勉強の仕方についての相談を受けていて、私が「こんな風にしてみては・・・」などと応えたとき、「あ、でも、あの子は、納得しないと動かない子なので無理かな」などと言われると・・・私の頭の中の噴出しには「?」が並ぶのである。その後の、私の心の中の返事はー「なら、勝手にして下さい」や「じゃ、ほっとけば?」、「そりゃどうしょうもない」にしかなりえない。

そうやって「うちの子はこういう子だ」と言い訳をして、子どもの言動を正当化しているお母さん、お父さんは、おそらく、現代風の世間一般の言い方で表現すると「やさしい」お父さん、「やさしい」お母さんである。しかし、今、その「やさしい」ご両親のお子さんたちが、進路や人間関係で悩んでいる確率は…お子さんの性格がどうであれ、親御さんの望むことをしっかりと伝えられ育つ子どもたちより、高いように見える。

榎本氏は、同じ著書の中で、続けて・・・

- この『やさしい人』の箇所を『弱い人』とか『容量の小さい人』に入れ替えても、意味はスムーズに通じるように思われる。自分の心を乱されたくないから、相手に巻き込まれたくない、というのが基本のように感じられる。そのような性質を「やさしさ」という響きのよい言葉で形容することで、自分たちの心の弱さに直面することをさけているように思えてならない。ー(「上から目線」の構造より)

と綴り、この章を終えている。前述のお子さんについての親御さんの発言も、自分を守るためになされるもので、決して、子どもたちを守っているわけではないとも考えられるというわけである。

私の親は、勝手だけれど、厳しい親だ。嫌われても、私が泣きわめこうとも私の将来に必要なことはしっかりと伝え、しっかりとさせていたと思う。だから、彼らは昔も今も、私にとっては、とてもやさしい両親だと思う。そして、35歳を越えて初めて、私の「こういう子だから」という個性を、それなりに認めてくれていると思う。幼い頃に、そんな私の成長を諦めたかのような発言は、私をどうしても守らなければならないときにしか、しなかったと思う。

私は、我が生徒たちには「うざい」と言われようが、嫌われようが、本音をとことんぶつけ合いながら、お互いに成長できる関係でありたいと思っている。そして、子どもたちのために、そういう大人が増えてくれることを願っている。

(Y.K)
by terakoya21 | 2012-05-10 15:02 | 寺子屋の日々

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