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寺子屋の日々 Days in Terakoya (てらこや新聞83号 亀井のコーナーより)

~ Like Father Like Daughter この父にしてこの娘あり? ~

私は、自分で言うのも変かもしれないが、 世のお父さん方がうらやむであろうほどの「お父さんっ子」だったと思う。幼い頃、新聞を読む父のひざに座り、新聞を端からかじり(食べていたらしく、私は今でも新聞のにおいが 好きである(-_-;))、父と母が並んで歩いていると必ず間に割って入り、幼稚園に父のスーパーカブ(今考えると交通法規違反だ(―_―)!!)に乗せてもらって通うのが好きで、20歳になっても父と2人で自転車に乗り、川まで泳ぎに行く娘だった。

中学生の頃、「父のような英語の先生になりたい」、「父の跡を継ぐ」と信じて疑わなかった。大学も父が通った大学を選び、小学生の頃から父といろいろな話をしてきた。

そんな父が昨年、私に告白した話があった。私は、小6の秋に英語が勉強したいからと、突然、私立の女子校を受験すると言い出したのだけれど、父は、その受験に反対だったというのだ。私の母校の女子校は「塾」に生徒が行くことを嫌い、また、英語教育を得意とする学校であったため、松阪で 当時最大の 英語塾を経営していた彼は、娘が肩身の狭い思いをするのではないかと心配したのである。それでも、はっきりと反対を私に告げられなかったのは、小5の終わりに分かった足の障害のために、受験をしたいと言い出した小6の晩秋、私は大きな手術を控えていたからだという。そして、受験に受かるかどうかは分からなかったし、受験したいというだけで、受験勉強をしなければいけないという認識の全くなかった私が受かる確率は低いようにも思われたから、敢えて言わなかったのかもしれない。

今月のはじめ、その父が手術を受けた。動脈硬化を起こしていた右足に血管のバイパスを作る手術だった。少しだけ、手術を控えた私に反対できなかった父の気持ちがわかるような気がした。と同時に、5人もの子どもを育ててきた親の偉大さが身に沁みて感じられた。「親の心、子知らず」というけれど、まさにその通りだったなぁ~と。

小6の冬、私は、父の期待に反して、その女子校に見事(?)合格、その後7年 在籍することになった。しかし、今となっては、私は、その学校に行ってよかったと感じ、父も通わせてよかったと思っている。だからこそ、今の自分に私が満足をし、父もあの時反対しなくてよかったと感じているからこそ、昨年の父の告白があったのだと思う。

寺子屋を初めて12年、英語を教えて20年以上が経つけれど、「この親にしてこの子あり」、「親の心、子知らず」という言葉を思い浮かべることが多くある。そして、このところ私は、自分自身についても、両親を見て「この親にしてこの子あり」だと実感することが多くなってきた。

子育てをするとき親御さんたちに、また、自分の人生の選択をするときの子どもたちには心にとめておいてほしい言葉だとも思う。それは、良い意味だけではなく、悪い意味でも使われる言葉だけれど、自分が1人ではないこと、自分の行いが人に影響を与えることを自らに実感させ、自分を大切にするようになる力を与えてくれる言葉になりうると思う。

(Y.K)
by terakoya21 | 2012-03-02 16:42 | 寺子屋の日々

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