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あとがき(てらこや新聞78号より)

先月号で、大学生たちの活動資金のために、「書き損じのはがき」や「どこかで眠っている切手」などをお送り下さい!とのお願いを載せました。早速、メッセージカードとともに、竹川さんと私の中学、高校時代の友人からかわいらしい切手が届きました。ありがとうございます。私たちの希望である若者への心遣いと、長く続く友情に深く感謝しています。また、今月も無事「てらこや新聞」発行に漕ぎ着けたことにも感謝したいと思います。連載の皆さんと読者の皆さん、ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。

さて、9月の初め、台風12号の影響で、松阪は大きな被害は免れたものの、紀伊半島は大きな被害を受けました。私は、ただただ、自然の威力の前に畏怖の念を抱き、亡くなられた方々と未だに行方不明となっている人々のために祈り、対応に追われる行政の方々や救助に向かう自衛隊員たちに、感謝をし、敬意を払うことしかできなかったのですが、facebookに「自治体や政府が救えたはずの人命を見殺しにした。腹が立つ。」という書き込みを見つけ、愕然としました。目前のすさまじい自然災害の被害を「人災」と見て、誰かに責任を求める姿勢にまたかという失望と、恐怖を感じ、涙が出ました。そして、少しコメントを書いてみたのですが、とりつく島もない彼らの主張に、イラク戦争開戦の是非をアメリカ人と議論したときのような脱力感を覚えました。

大震災の後のマスコミの姿勢にも同じように感じ、もともとテレビ嫌いの私は、このところますますテレビを見なくなっています。たしかに、もっと何か出来たのかもしれない。そして、原発事故や政府の怠慢などの人災がありました。でも、被害を免れた私たちは、誰かのミスを指摘、糾弾する前に、同じ人間として、感じ、するべきことがあると私はいつも思うのです。被害者は―被災者も東京電力の作業員の方々も―皆、「力なき小市民」です。もちろん、今ある制度や組織をしっかりと検証し、欠点を直すことは大切ですが、すべて自分たち人間が作り出したもので、自治体や政府も、東京電力でさえも、運営するのも、支えるのも私たちと同じ人間だということを忘れてはならないと私は思います。彼らが、自らや自らの家族を顧みる前に、台風、地震、事故などというと真っ先に役所や会社に入り、帰宅もままならない様子を、見聞き、それにより私たちの生活の平安が保たれていると考えると・・・申し訳ないと私は感じます。目に見えない努力がなされていることを知っていたなら、「見殺し」とは言えないと思うのです。

もちろん、誰かのミスが存在するなら、それを正し、多くの犠牲者の死を無駄にしないように次に経験を生かすための努力をすることは大切なこと。そして、反省するべき点は、それぞれの人、それぞれの立場にあるはずです。「減災」に向けて、残された・・・私たちが、しっかり検証し、努力をすることは当たり前のことです。ただ、人間は、神ではなく、間違いを犯します。そして、人智では計り知れないことがこの世の中には たくさんあるという謙虚さを忘れてはいけないと私は思います。

先日会った20年来の友人が、いちいち細かい突っ込みを入れる私に「年をとるとちょっとしたことにも感動するようになるものでしょう(なのにあなたは・・・)」と言っていました。確かにそうですが、私の場合は感動のつぼが少し違うようです。私がこの年になって、心が震えるときは、自らの危険や苦労を顧みず、勇敢に救助に携わる姿や、自らの身内や知り合いを亡くし、自らの故郷が被災しながらも・・・「避難勧告は出ていたのか」という質問に「みんな、だれも必要だとは思わなかった」と言葉少なに、唇を噛む姿を見るときです。人生の無情と自然の無慈悲を感じながら・・・人事を尽くす―そんな人々の姿を見るときなのです。

そんな人々の姿が、この社会を・・・この国を支えている。そう考えると、神様も過ちを犯すようにも思えます。自然を愛し、その中で自然を大切に共存し、地道な生活を 続ける人々が、このような災害に遭い、ときどき自分たちの都合で自然を愛でに行き、それ以外のときは忘れ、勝手なことばかり言っている私たちが、安穏と暮らしを続けている・・・。これが、神様の過ちでなく、思し召しだとすれば、なんともいえないやるせなさを感じるとともに、私たちはそこからどのようなメッセージを受け止めるべきなのだろうかと考えなくてはいけないように思います。そんなことを考えるようになったことが、このところ私が、不惑に近づいたと実感する瞬間となっています。

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-10-12 14:46 | あとがき

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