あとがき (てらこや新聞76号より)
2011年 08月 16日
「心を伝える」-私の今年のテーマです。
毎日のように学生の世間話や悩み事などを聞いていると、学校のあり方や就職活動の仕方に疑問が沸き、そのあり方に引きこもりや不登校、そしてニートの原因を見るように思うこともたくさんあります。それでも、文句や批判ばかり言っていたところで、時間が過ぎていくだけで、今目の前にいる子たちは救われない…そして、何かをすぐに変えられるわけでもないので・・・今までもいろいろと試してきましたが、今月から、大学生たちが自分を知り、自分で考えるきっかけになればと・・・竹川先生の産休をきっかけに、少しずつ「てらこや新聞」の編集を大学生に任せてみようかと考えました。そして、今月、編集スタッフに現在地元の大学に通う卒業生が加わってくれました。
今月は、編集の仕方を覚えながら、コツをつかんでもらうだけになりましたが・・・将来的には、取材に行ったり、テーマを決めて記事を書いたり、広告や寄付を集めたりしながら、周囲に関心を持ち・・・自分のできることや興味のあることを見つけて、それが自立につながってくれたらいいなぁ~と思っています。そして、大学を卒業する前に後輩たちへバトンタッチ・・・。後輩たちを育てるという仕事もしてくれたらと・・・。
私は、地域のことが知りたくて、大学院在学中に、飯南町役場でインターンとして ホームページの立ち上げに携わらせていただきました。無給のインターンだったけれど、毎日楽しかったし、最後の町長さんのねぎらいの言葉とポケットマ ネーから下さったという志への感謝と喜びが忘れられません。・・・その中で、いろいろなことを学び、様々な方と出会い、大学院卒業後、そのときの課長さんが、県議会議員に立候補されることになったので、事務所で働かせてもらい、そこで出会った方々や、幼い頃から私を支えて下さっていた人々、友人など、塾の立ち上げのときには、いろいろな方の協力を得ました。駐車場や建物の看板も、後援会のメンバーの方のご好意でいただいたもの・・・寺子屋の辞書や参考書は、教材や辞書を出版する会社に勤める友人や父の教え子の高校の英語の先生や、卒業生の寄付がほとんど。校舎は、父の教え子のご尽力で、そのとき私の力で出せる最大限の費用で、私の思いを最大限入れる工夫をしてもらった自慢の建物。寺子屋の時計などの備品の多くも父の教え子や、飯南での仕事を通して知り合った方やロータリーの方々の贈り物、そして父の代から受け継いだものが多く・・・。もちろん、政治家の方々には、寄付も、後援も受けていないけれど・・・後援会の方々のご子息をお預かりしていたこともあります。
そして、「てらこや新聞」の原稿も、私の友人たち、講師の叔母様、地元の方々、政治家の皆さん、寺子屋卒業生の保護者の方、卒業生、在校生などいろいろな人々の協力のもと毎月発行していて、今月号が76号―発行から6年と4ヶ月になりました。大学時代の恩師には毎年、切手の寄付をいただいています。
寺子屋での取り組みの多くは営利だけれど・・・「てらこや新聞」はフリーペー パーで、寺子屋の卒業生で、授業のアシスタントをしてくれている大学生には、お金を受け取ってくれない子がいたり、掃除や多くの雑用をボランティアでやってくれる子がいたり・・・授業外で発見した生徒たちの生活態度にも気を配ってくれていたり・・・。そして、授業に手を抜いているアシスタントは一人もいない。そんな彼や彼女らの将来に役立ってくれるなら・・・いろいろ方法を探りたいと思うのです。
自分の働きに見合う収入を得ることとそれにともなう責任を持つことも、大切なことだけれど、田舎では、学生ができるアルバイトのほとんどが客商売・・・なかなか、自分を知るきっかけにはなりにくいようです。また、教えるという仕事は、自分を知るにはもってこいだけれど、苦手な人の将来にはつながっていかないようです。その点、新聞編集はいろいろなことができるような気がします。
「社会貢献」・・・一言で言ってしまえば、こんなかっこをつけたようなことばになりますが、自分が成長する過程において、授けられたもの、受けた恩を社会に還元し、伝えていく・・・そうやって今までの社会が作られてきたのなら、その社会という大河の中の一滴である自分が、できることを私は探って生きたい、そして若者にもそう思ってもらえる社会にできたらいいな…と思っています。
(Y.K)