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あとがき (てらこや新聞73号 亀井先生のコーナーより)

「心を伝える」-今年の私のテーマです。

「この国はおかしい!」と何度も感じ「おかしいのは私だろうか?」と悩み続ける1ヶ月の繰り返しが、ここ数ヶ月続いています。不惑の40歳が近づいてくれば来るほど、戸惑いが大きくなっていくような感覚です。

世の中の動きと、子どもたちの様子や彼らを 取り巻く社会を見ていると、惑いがますます深まり、今まで信じてきたものが大きく揺れている ように感じます。そして、どんどん自分が言葉を失っていくように思います。「てらこや新聞」の原稿を打つ指が動かないまま眠れぬ夜を過ごすことが増えています。

世の中、綺麗な言葉が氾濫しています。この世に神様はいないのかと思わせるほど、すさまじい勢いで人と、人が作り上げたものを飲み込んでいった津波と破壊を続ける地震を目の当たりにした後にも氾濫する、一見綺麗な、よく考えると何か不安な言葉の乱用に、私は言葉を失っていく。そして、表面的に良さそうな言葉や、短絡的な発想や狭い視野からの思いつきが社会や子どもたちを苦しめているようにも思え、なんとかならないものかと試行錯誤が続きます。

私は、小さなことにこだわり、一人で問題を深刻にしているのかもしれないと感じることも、「そんなに些細なことにこだわる必要はない」、「気にしなくていい」と言われることもよくあるけれど…世の中のほとんどのことが小さなことから、些細なことから、取るに足らないことから始まると私は思うのです。町で、小さな落書きを放っておくと地域が荒廃していくと言われるように、私にはこの些細なことの見逃しが大きな問題に将来つながると思えてならないのです。

例えば、子どもたちのお父さんやお母さんへの言葉使い。敬意を失っているなら、それは、必ず他の目上の人々への敬意を失わせていきます。私はこの10年あまり、お迎えに来て下さる親御さんへの子どもたちの言葉使いに驚くばかりです。そして、親御さんへの言葉使いに敬意が感じられない子どもたちは、それが授業態度、生活態度にも表れています。おそらく、それは社会生活へと影響していくはずです。

他にも子どもたちを取り巻く環境の中で、気になるのが、大人の子どもの見守り方―下校時を見守るボランティアの大人が自転車で車道の真ん中を通り、後ろの車に気がつかない…それは、逆に危険だろうと指摘すれば、ボランティアでしてくれている善意に対して何を言う…というような話になります。しかし、そのように守られた子どもたちは、大人になって同じような自転車の乗り方をするようになるのです。

子どもたちの言動に大人の社会が映し出されることで、私たち講師は問題の深刻さを知ります。子どもたちが、きれいごとをもっともらしい言い訳にし、深く考えることもなく、他の人々の力と思いを軽視し、いろいろなことから逃げ、だんだんと追い込まれていく状況を、私は今年度こそ見たくはないと願っていますが、憂いはこのところ溜まるばかりです。

そんな中、先日、父に「良いことをしていると思ってうぬぼれるな」と言われて、驚きました。親子喧嘩の延長で放たれた言葉に深意はなかったのですが、私は、目の前にある問題を解決するために、今私がしなければ、今後子どもたちが 困る、又は社会が困るということしか考えてはいなかったので、その言葉に驚き、かなり傷つきました。けれどその後、自分の行動を振り返るときの戒めにしようと心に決めました。一人でもそのように感じる人がいるのならば、おそらく私におごりがあったのだと思います。

新年度が始まったこの4月…謙虚に自分を戒めながら、それでも主張すべきは主張し、若い世代につなげていく社会を良くできたらと思いを新たにしています。

「てらこや新聞」の原稿や前回号のフィードバックが届くたび、自分たちは自分たちだけで、また、寺子屋だけで何かを成そうとしているわけではないということに改めて気付かされます。連載の皆さん、そして 読者の皆さんありがとうございます。また、今回はこの春大学へ進学した卒業生のエッセーに私の心は大いに救われました。思いは伝わる…心は通じる…勇気とエネルギーをもらった気がしています。ありがとうございました。卒業生のますますの活躍と、現役寺子屋生たちの成長を祈りながら…今年もしっかりと仕事に励みたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

(Y.K)
by terakoya21 | 2011-06-04 21:35 | あとがき

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