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あとがき (てらこや新聞60号 亀井先生のコーナーより)

2010年3月5日、寺子屋かめい開校10年目が幕を下ろし、3月6日に11年目がスタートしました。この10年間、大勢の人と出会い、多くの人と語り、さまざまな子どもたちと時をともにしてきました。また、この「てらこや新聞」も今月号で、発行から5年目を終え、来月、6年目の幕を開けます。

多くの出会いに-特に子どもたちに、支えて下さった方々に感謝したいと思います。もちろん、この新聞発行を支えて下さっているのは、連載記事を毎月せっせと送って下さる方々と読者の方々です。今月も年度末の忙しさにもかかわらず、寄稿をありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い 致します。

個人的にはジョニー君にも感謝です(~_~;)…

さて、今回の記念号に寄せたエッセーでも触れましたが、私はこのところ人々のつながりの破綻に危惧の念を抱きます。友情、近所づきあいなどの横のつながりもそうですが、先生から生徒、親から子、先輩から後輩への縦のつながりの破綻には目を覆いたくなることがあります。そのつながりの破綻は、私たちの平和、日々の平穏を脅かしうるものです。

私が今までの人生の中で出会った友人の中で最も印象に残っている人の1人に、パレスチナ人のマムードという私より1つ年上の男性がいます。彼の人柄と言葉が今でも私の生きていく上での指針でもあり、支えでもあります。

イスラムの教えに「旅人を助けよ」というものがあるそうです。「困っている人を助けよ」という意味のようですが、私がアメリカに住んでいる頃、多くのイスラム教徒と出会いましたが、彼らは皆、その教えを実践していました。「困っている人を助ける」という行動を今自分が実践すれば、自分だけではなく、自分の愛する人々も困っているとき、必ず誰がが、助けてくれるはず…日本の「情けは人の為ならず」と同じことです。そして、マムードのその実践は、切実で、説得力のあるものでした。彼のお母さんや他の家族は、パレスチナの地で生活していましたが、彼はお兄さんとともに、アメリカに移住することで遠くにいる家族を支えていたのです。自分の運命を恨み、嘆き悲しんでもいい立場の人なのに、彼は泣き言や恨み言も言わず、悲しい出来事が私に起こったときには、すぐそばにいて、胸を貸し、支えてくれる人でした。そして、時々、自分が経験した辛いことも、静かに、優しく話してくれるのです。

戦争と隣り合わせで暮らし、生まれたときから平和を知らずに育った人々でも、人のつながりを大切に、他人を慮る行動がこんなに自然に出来るのに、戦争を知らない私たちは、なんと浅はかなのだろう。そんな風に感じることが多くあります。

そして、マムードは、パレスチナと私を結ぶ親善大使です。また、私は、今までに出会った全ての外国人が彼らの国や文化圏と私を結ぶ親善大使だと考えています。ですから、私も、日本とその人々とを結ぶ大使でありたいといつも思っています。テキサスの友人たちも、その子どもたちも、家族も日本がアメリカでどのようにバッシングを受けても、「Yoshieの生まれ育った国が悪い国のはずはない」と信じてくれています。そして、私は、アメリカがどのように世界から非難を受けても、彼の国がどんなに素晴らしい人々の国であるかを知っています。イスラム教徒が世界でどんな風に敵視されても、私はイスラム教徒の方々がどれほどの善人であるかを知っています。世界はそんな一人一人の育む絆を土台に成り立っているのです。

世界に目を向けなくても状況は同じです。子どもたちは、家族の鑑です。生徒は学校の代表です。彼らが外から非難を受けたら、非難を受けているのは、彼らのそばにいる人々全てです。先生や、親、政治家が悪いとしたら、社会全体でなぜそうなのかを考えなくてはならないと私は思います。彼らは私たち日本社会の代表なのです。非難の応酬、責任転嫁は、もうやめにしませんか。

自分一人の行動で、すぐに世の中が変わるわけではありません。それでも、その1人1人が行動を変えれば、世の中は変わるのです。日本の将来を暗いとする若者が多いそうです。一方で、自分の将来は明るいと考えているのだとか…。自分の将来を明るくするために、日本の将来を考えてくれる若者が増えてくれることを願いながら、私たちはまだまだ、自分たちの信念を貫く努力を続けたいと思います。皆さん、これからもご指導、ご鞭撻、そしてご協力よろしくお願いします。

(Y.K.)
by terakoya21 | 2010-04-30 15:31 | あとがき

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